第26話:教えて!シア先生
夕暮れ時のスーパー「カイナ・ハレ」は、いつものように賑わっていた。
「ハマトク」でのバイトを終えた遥斗は、そのまま地元の業務用スーパーへとバイトに来ていた。
バックヤードでバイト用のエプロンを身につけていく。
薄手のトレーナーにジーンズ、擦り切れたスニーカーという相変わらずのダサい私服に、首元だけが妙に映える黒い革のチョーカー――シアが光っている。
いや、自らは光っていない。シアは装着モードでは発光しないと言っていたとおり、銀色の装飾部が反射しているだけだ。ただ遥斗にはその存在感がやけに目立つ気がした。
「よお、遠峰! またそのダサい服かよ。いつになったらマシなの買うんだ?」
同僚のバイト、大山が絡んできた。20代半ばのフリーターで遥斗と環境が近いのでよく話している。
口が悪いのが玉に瑕だが、別に仲が悪いというわけではない。
まあ、悪友というところだろう。
「うっせえよ。服なんて動きやすけりゃいいんだよ」
遥斗が返すと、大山が目ざとく遥斗の首元を見て、指差す。
「お、なんだそのチョーカー? 急にファッションに目覚めたのか」
「いや、そういうわけではないんだが……もらいもんだし」
「めっちゃ浮いてるぞ。似合ってねえ!」
ゲラゲラ笑う大山に、遥斗は「うるせえ」と舌打ちしつつ、内心では笑っていた。シアはすげーやつなんだぞ、お前が大好きなSF映画に出てきちゃうような、と。
服のセンスがないことは本当なので触れない。
どうせ自分で考えてもろくなことにならないので、地元の庶民向けの大型アパレル店で、飾ってあるコーディネートをそのまま買うくらいしかしないのであるし。
”ルト様、この男の言動はルト様への侮辱と認識。性癖を調査しネット暴露して、社会的に致命的なダメージを負わせることも可能です。いかがしますか?”
「やめーや」
こいつ、俺のファッションいじられたときは何も言わなかったのに、自分について言われたらとたんに攻撃的になってるような気がする。
「あん? 何か言ったか、遠峰?」
「いやなんも」
よかったな、お前の尊厳は守られたぞ、とは言わず、売り場に向かう大山を生暖かい目で見送る。
そこへ、別の同僚――富井さんがカートを押しながら近づいてきた。
彼女は子育ての合間にバイトをしている気さくな女性である。
美人というより愛嬌のある可愛い系で、既婚者だと知って嘆いた男は多いらしい。
「ふーん、遥斗くん、服は相変わらずだけど、そのチョーカー、いいじゃん。どこのブランド?」
富井がニコニコしながら言う。
「え、っと、なんか……もらったやつなんで、ブランドとかわからないんですよ」
遥斗が適当にごまかすと、シアが耳元で囁いた。
”ルト様、この人物は審美眼に優れています。私のデザインを適切に評価できる、良いセンスの持ち主です”
「お前……人のこと言えないけど、めっちゃチョロいな」
意思はない、すべて模倣とか言っていたの絶対嘘だろ、と遥斗は声に出さずに突っ込んだ。
さて、仕事前の軽いコミュニケーションを終わらせて、売り場に向かう。
品出しの作業は単調だが、シアの存在のおかげで退屈しないだろうと思っていると、シアのほうから声をかけてくる。
”ルト様。これがすべて天然素材の食料品ですか。知識にはありましたが、ここまで多様なものが天然素材で作られているのですか”
遥斗はカートから商品を棚に並べながら、マスク越しに小声で答える。
「その天然素材って俺にはナチュコアって聞こえてたやつだな。結局ナチュコアってどういうものなんだ?俺にとって天然モノっていうと、養殖や栽培をしないで、自然にあるものをとったものをいうんだけど」
遥斗は異世界の言葉がなぜか分かるが、たまに「造語っぽいもの」や「意味が多重に聞こえる」場合がある。例えば、ヴェラが惑星ザルティスを『ドック星』と言ったとき、同時に『錨星』という言葉も伝わってきた。おそらくガルノヴァでは、宇宙船のドックとして機能する星を『船の錨を降ろす星』という意味の『錨星』という言葉で表現し、ヴェラもそのニュアンスで話しているのだろう。だが、『錨星』だけだと遥斗には「?」だ。日本語にない概念だからだ。
ただ、ヴェラが『錨星=宇宙船のドックとして機能する星』と理解しているから、遥斗にも『ドック星』としてその意味が伝わってくる。ナチュコアやファブコアも同じで、遥斗が理解できる「天然素材」や「合成素材」として変換されるが、微妙なニュアンスの違いがあるのか元の言語の音も認識していた。
そう伝えると、シアが即座に応えてきた。
”はい、ルト様。私の知識ベースでは、≪ナチュコア≫とは主にヴェクシス技術を用いずに生産された動植物由来の有機物を指します。『ナチュ』はナチュコアを使った加工品や、より汎用的な意味になります。ルト様は言葉の意味がわかるとのことですが、そこで認識された『天然素材』とは、微妙に定義が異なるようですね”
「なるほどな。理解はした。でもなんでナチュコアってそんな貴重なんだ?」
”説明します。ナチュコアとファブコアの違い、およびその希少性についてです”
シアの声が、秘書との会話モードからできの悪い生徒に教える教師モードに切り替わったような気がする。
シアはゆっくりと解説を始めた。
遥斗はカレーのルーを棚に並べながら、耳を傾ける。
”ガルノヴァ連邦のデータベースによると、人類が開拓した星系は数百、星々は数千に及びますが、何もせずに人類が住める星はほとんどありません。惑星フォーミング――つまり、人類が居住可能になるように改変が可能な惑星ですら、極めて稀です。探索技術は日々進化していますが、需要を満たすには程遠い状況です”
「ふぁ、めっちゃスケールでかい話だな……そんなに人間に適した星って宇宙には少ないの?」
遥斗はカレーの箱を落としそうになり、慌ててキャッチした。シアは淡々と続ける。
”全体数は多いと推測されますが、見つけるのが至難です。ルト様の感覚で言うなら、プールいっぱいのガラス玉の中に、見た目そっくりな宝石が一つだけ混ざっているかもしれないので、それを一個ずつ検査機で調べるようなものです”
「とんでもなくスケールダウンしたけど、大変さはなんとなくわかった」
”さらに、ガルノヴァ連邦の調査では、知的生命体――地球で言う『エイリアン』は未発見です。動植物も同様に稀で、確認された星はごくわずか。現在、連邦が認識する星に住む人類は、すべて遥か昔の惑星ガルノヴァから分岐した末裔です”
「え、じゃあいろんな星の人は人種が違うだけで、全部同じ人類ってこと?」
”厳密には区分はありますが、遺伝子的に交配可能です。……ただし、地球という星は連邦のデータベースに存在しません。ルト様の生物学的データから、ガルノヴァ人類の末裔であることは確実ですが、なぜ地球が記録にないのかは不明です。おそらく、ガルノヴァから旅立った開拓民の末裔が、記録から漏れたのでしょう”
遥斗は「ふーん」と頷きつつ、その理由はなんとなくわかっている。
シアたち『ガルノヴァ』の認識で言えば、遥斗が人類と同じである以上は惑星ガルノヴァの末裔としかならないのだろう。
だが、遥斗からするとガルノヴァは『SFな異世界』である。
つまり接点はもともとないのだ。
シアの解説は続く。
”話をナチュコアに戻します。惑星開拓にはヴェクシス技術が不可欠です。ヴェクシス粒子は宇宙全体に遍在し、どんな星でも微量の汚染が発生していますが、開拓が進むほど、ヴェクシス汚染は加速します。つまり、ヴェクシス汚染が少ない星は、以下の条件を満たす極めて稀な星に限られます”
遥斗はカレーの棚を埋め終わり、今度はインスタントラーメンのコーナーに移動しながら聞く。
「条件って?」
”第一に、惑星フォーミングがほぼ不要な星――つまり、自然環境が人類の生存に完全に適している星です。このような星は現在2つしか確認できていません。第二に、ある程度適正値が高い星にたいして、最低限の惑星フォーミングを行い、ヴェクシス技術を極力使わず、莫大なコストと時間をかけて非ヴェクシス技術で開拓された星です。このような星は研究用の保護星、リゾート星、またはリゾート星向けの超高級食料生産星に限られます”
「リゾート星って、要は金持ちのバカンス用?」
”はい。リゾート星でも、インフラ整備に最低限のヴェクシス技術は使用されますが、汚染度は比較的に低いです。例として、ザルティス星は汚染度36%ですが、リゾート星の汚染度は10%未満です”
遥斗はラーメンの袋を並べながら、ふと手を止めた。
「でも、ヴェクシス技術ってすげえんだろ? 合成――ファブだっけ?それで食料も作れるっていってたし。汚染されているとまずいことってあるの?」
”その通りです。ヴェクシス技術は有機物から人類が摂取可能な食料を合成できます。これがファブコア――人工的に生産された食料や素材です。ファブコアのおかげで、ガルノヴァ人類の人口は爆発的に増加し、開拓も加速しました。現在、連邦の食料の93%以上がファブコアです。また、ヴェクシス汚染は有機体に対する有害性は確認されていません”
「ん?じゃあファブコアでいいじゃん。なんでナチュコアを求めるんだ?……あー、それがヴェラの言っていた雑味か」
”はい。ガルノヴァ人は、ヴェクシス汚染された有機物に微妙な忌避感や満足感の欠如を感じます。成分的には問題ないのですが、理由は不明です”
「じゃあ、なんでもっとナチュコアのものを生産しないんだ?」
”シンプルに、ナチュコアを生産できる星が少なく、ヴェクシス技術が便利すぎるからです。ヴェクシス技術はインフラ、航行、生産の根幹ですが、汚染を避けられません。ナチュコア――ヴェクシス技術を用いずに生産された食料や素材は、汚染度が低く、嗜好品として極めて高価値です。ガルノヴァの富裕層や美食家は、ナチュコアを『本物の味』として求めます”
なるほど。
要するに、「人類に適した星が少なく、見つけてもヴェクシス技術なしの開拓はめっちゃ大変。だから嗜好品のためにリソースを割けない」ってことだ。
そりゃ、地球の高級食材より貴重になるわけだ。
”ナチュコアは汚染度が低い星でのみ生産可能です。たとえナチュコアでも、生産地によっては微量の汚染は避けられませんが、ファブコアに比べればはるかに低いです。ただし、一定以上のヴェクシス汚染がある土地で栽培されたものは、ナチュコアとはみなされません”
「めっちゃややこしいな」
”鉱物については、ヴェクシス汚染の影響がより顕著ですが、こちらについても説明しますか”
「いや、いいや。頭パンクしそうだから」
遥斗は笑いながら断った。説明はありがたいが、一気に来ても処理しきれなくなる。とりあえず、ナチュコア、地球の食べ物がガルノヴァでバカ高いってことだけわかれば十分だ。
バイトが終わり、遥斗は疲れた体を引きずってアパートに向かった。疲れた体で歩きながらシアの話を反芻する。ガルノヴァのスケールのデカさ、ナチュコアの希少性、地球がデータベースにない謎……。なんかこう書くと、SF映画の主人公になった気分だ。
「まあ、ガルノヴァ楽しむのに細かいことはいいか。別にそれで世界を救うとかするわけじゃないし」
部屋に着くと、いつものボロアパートの狭さが妙に落ち着く。
どれだけ宇宙の壮大な話に盛り上がっても、基本は小市民である。
とりあえず風呂に入ろうと、チョーカーを外そうとした瞬間、シアが口を開いた。
「ルト様、私は完全防水仕様です。汚れもある程度自動で除去、乾燥も可能です。装着したままでも問題ありません」
淡々にいっているが、その声にどこか「外すな」という雰囲気を感じた遥斗。
そうは言われても困るのであるが。
「いや、でもさ、風呂くらい外したいじゃん。昨日はまだ機械っぽかったけど、今の声で喋るお前の前で裸になるの、ちょっと恥ずいし」
意思を認めると言った手前、その人間臭さは嫌いではないのだが、かえって意識してしまう。
遥斗がモゴモゴ言うと、シアが淡々と返す。
「ルト様、既にトイレでも装着したままです。いまさら外す必要はございません」
「うっ、そ、それは……まあ、そうだけど!」
確かにトイレも一緒だったし、ぶっちゃけいまさらか。遥斗は渋々チョーカーをつけたまま風呂に入った。
チョーカーはどんな素材なのか、簡単に伸びるので首筋を洗うのも問題なかった。またシアの「自動洗浄」が本当で、風呂上がりにはチョーカーもピカピカだった。マジで便利だな、こいつ。
風呂から上がり、ボクサーパンツとシャツのみになった遥斗は、ベッドに寝転がってシアを使って動画を見たりと楽しむ。
が、夜も遅くなり、さあ、寝るか、となったとき、なんとなくムラムラしてきた。
多分寝る前に見た動画でちょっとエロい3Dダンス動画を見てたのが原因だろう。
いや、23歳の健康な男なんだから普通のことである。
遥斗は「暗黒竜を鎮める儀式」に取り掛かろうとした――が、首元のチョーカーが気になって仕方ない。
なによりこいつは、PCやスマホを使うと自分を使えとアピールしてくるので、迂闊に動けないのだ。
「シア、一時的にだけど、外して机にしまってもいいか?」
「なぜですか?」
「いや、その、ちょいとプライバシーというか、なんというか」
「私はルト様のプライバシーを尊重します。ただし、この部屋の範囲内であれば、机にしまったとしても音声、振動、温度変化は全て把握可能です」
「ぐは、マジかよ! じゃあ、俺、お前に全部ばれてる状態で暗黒竜封印の儀式すんのか!?」
悪いけどもう暗黒竜は怒りとともに目覚めているんだよ!
「ルト様の下腹部に怒張を確認。なるほど、ルト様は自慰をされたいのですね。サポートいたします。大画面でルト様のお気に入りの動画を再生しますか?」
巨大なホログラフと共に、遥斗がよく見ている夜の大運動会動画のタイトルが映しだされる。
「うわっ、ストップ! やめろ! 何!? お前、俺の好みまで把握してんの!?」
顔を真っ赤にして叫ぶ遥斗に、シアは平然と続ける。
「Aisa。私はできる相棒です。ルト様のPCキャッシュ、検索履歴、再生回数、暗号化断片から嗜好を解析済みです」
「ぐあああああああ!!」
遥斗は枕に顔を埋め、じたばたした。
「つか、ガルノヴァ人がAIを無機質な声にする理由、ちょっとわかった気がするわ……。こんな人間っぽい声だと、こういうとき気まずいんだよ!」
実際はもっと重要な理由があるのだが、遥斗にはそうとしか思えなかった。
遥斗はブツブツ文句を言いながら、なんとかシアを外して隠れてやろうとした。だが、シアは「装着を推奨します」とか「離れると機能が制限されます」とか、妙にしつこい。結局、遥斗は諦めて布団をかぶり、不貞寝を決めた。
――が、男の我慢、もとい、暗黒竜を抑えるのにも限界がある。3日後、遥斗はついに「儀式」を決行。
なにしろ翌日はエリドリアに行く日だ。暗黒竜がギンギンなままではマズい。
シアの「サポートします!」を全力で無視し、布団の中でこっそり事を済ませた。
終わった後、シアが「ルト様の心拍数、正常に戻りました」と報告してきたときは、さすがにチョーカーを外して床に投げつけたくなった。
最終的に遥斗が吹っ切れてシアによるホログラフ画面で大人の大運動会を見るようになるのは、しばらく後のことである。




