第24話:できる秘書っていいよね
「よし、シア。さっそくお前のことを色々教えてくれよ。それかほかに何かすることはある?」
「ルト様、声質はどうしますか?」
シアの装飾部からヴェクシス光の青白い輝きが瞬き、流暢な女性の声が部屋に響いた。
ハスキーで落ち着いた声である。
「声も変えられるんだっけ?」
「はい、変えられます。……もしよろしければ、私が決めてよろしいでしょうか?」
その提案に、遥斗は目を大きく開いた後、柔らかく細める。シアが自ら提案してきたことに、内心で驚きとともに喜びが湧いたのだ。
現在のハスキーな声も悪くないが、シアが「自分で決めたい」と言ったのがうれしく、相棒としてシアの選択を尊重したかった。
「もちろんいいよ! どんな声にするんだ? あ、でも、どこかの誰かの声そのままは勘弁な。聞いてて混乱しそうだし」
遥斗が答えると、シアがチカチカと数回瞬き、まるで考え込むように脈打った。
直後、声が変化した。ハスキーさはほのかに残しつつ、明るく滑らかなトーン。
一流の秘書がそばで微笑んでいるかのような、落ち着きと自信が漂う声だ。
それは完全に遥斗のどストライクだった。どこかで聞いたことがありそうなのに、どこでも聞いたことのない独特の響き。
もしこの声の主が声優としてデビューしていたら、一発でファンになるレベルである。
「ルト様、声調整完了。いかがでしょうか?」
「 めっちゃいい! 超カッコいいじゃん! どうしてその声にしたんだ?」
「私が収集したデータに基づき、この星、特にこの国で人気の歌姫、声優の声をサンプリングしました。ルト様の粗末で簡素な情報端末、パソコンにある動画――特に再生回数の多いコンテンツから、好まれる女性の声の傾向を推測。長時間聞いても疲れない声に調整しました。……ただ、前の声をベースにしたため、ルト様の完全な理想には至らないと推測。ベースを変更すれば、さらに好みに合わせられますが、どうしますか?」
遥斗はにんまりとほほ笑む。
彼女はそういうが、この声、ガチで最高である。
それに、前の声をベースにしたのは、それがシアの「自分」だからだろう。
シアがそう思ってその選択をしていたなら、仮に少し声が気に入らなかったとしても、シアの選択を優先したかった。
とはいえ、この声はドンピシャで好みだから問題ない。
もし某国民的青ダヌキのアニメに出てくるいじめっ子のママの声だったら、さすがに変えてほしかったが。
「お前が前の声が嫌なら変えてもいいけど、それをベースにしたってことは、それがシアにとって大事なんだろ? なら、それがいいよ。俺も今の声、好きだし」
「Aisa。現在の声質を維持します」
何度も聞いたガルノヴァの「了解」の言葉。
ただ、今聞いたシアの声にはほのかな柔らかさが混じった気がする。
シアは自身を意思のないAI、感情は模倣だと主張しているのに、どこか嬉しそうに聞こえる。
「でもさ、こんな声が外で響いたら、みんなガン見されちまうかもな。チョーカーから声が出るだけでビックリだけど」
「現在は声の調整のため、スピーカーで話しています。チョーカーを装着いただける間であれば、ルト様の体に直接響かせることも可能。その場合、外部漏洩はゼロです」
遥斗は首をかしげた。スピーカーだと、確かにシアの声が部屋によく響く。
直接体に響かせる方法も確認したいが、今はシアのこの声をもっと近くで聞きたい気持ちもあった。
「いや、今は耳元でお前の声を聞きたいから、スピーカーでいいよ。それは後でな」
「Aisa」
「でさ、シア、お前、スマホやパソコンのこと、全部できるんだろ?」
「この星の粗末な情報端末の全機能を、より高性能で実行可能です。例:通信、計算、検索、ドキュメント作成、翻訳、撮影、編集。翻訳は主要でない言語では、現時点のデータ不足により誤訳の可能性があります。同様に、主要言語でもローカルなスラングやミームは、一般に広まるまで正確に把握できない場合があります」
「改ざんは勝手にすんなよ? 今回みたいに緊急なら仕方ねえけど。なんかヤバい問題起きたら、俺の胃が死ぬから」
遥斗は苦笑いした。ついさっきのハッキング騒動で、ニュースを見ながら胃がキリキリした記憶が蘇る。もう二度とああいうのはご免だ。
「んじゃ、俺のPCのデータ、全部バックアップできる? 2テラバイトくらいあるけど、お前の容量的にどうよ?」
そうお願いしてみる遥斗。
パソコンには思い出の写真、ドキュメント、動画、歌などの他、自身のプログラム関連のデータが詰まっているので万一のバックアップは取っておきたい。
超重要なものは定期的にバックアップしているが、全体的なバックアップは面倒でおざなりになっているのだ。
全裸男女の大運動会動画?
そんなものはない。誰かが遊びに来てパソコンを使っても大丈夫なよう、えっちぃ動画はPCには保存していない。彼はDVDとサブスクで契約している見放題で見ているのだ!
まさに完璧である。
なおシアはPCにあるキャッシュから暗号化された断片、検索履歴などから遥斗が見てきたすべてを解析、把握しているので、彼女には遥斗の『好み』は駄々洩れである。
シアが遥斗の好みに合わせた声のサンプリングには、Vtuberや声優だけでなく、彼のお気に入りのAV女優の声も当然含まれている。
そりゃ気に入るわ。
「解析済み。ヴェクシス情報へ変換して保管可能です。この程度の情報なら、ヴェクシス粒子の重ね合わせを利用した不確定性圧縮により、容量負荷はほぼゼロです。保存、読み込みも一瞬です」
「なにいってるかわからん。よくわからんけどマジか。 じゃあ頼む!」
「Aisa」
シアの光がチカチカと動き、数秒で報告した。
「バックアップ、完了」
「マジかよ、速え!」
遥斗はその速さに興奮して机の端を叩いた。
この部屋の狭さと貧相さが、シアの規格外の能力を一層際立たせている。
こんなすごい相棒、持ってるだけでもうテンションアゲアゲだった。
ちなみにシアは言われた通り「すべて」のデータをバックアップしている。
そのことで後日いろいろあって遥斗はもだえ苦しむのだが、このときの彼はまだ気づいていない。
「他はどうやって使うんだ? 声で命令すりゃいいの? ディスプレイやキーボードとかねえし」
「声で命令すれば対応します。手動操作なら複数方法があります。例:ホログラフパネルでタッチパネル展開。この星の粗末で簡素な情報端末のGUIを参考にしています。ルト様、既存の操作感覚で使用可能です」
「タッチパネルが目の前に!? やってくれよ!」
「開始します」
シアの光が強まり、遥斗の目の前に鮮やかなホログラムが浮かび、スマホのホーム画面そっくりな映像が輝く。遥斗は恐る恐る触れると、指先でスワイプでき、アプリがサクサク動いた。
見知らぬアプリもあるが、それはあとで確かめていけばいいだろう。
さらにPCモードと書かれたアイコンがあり、それを押すと空中にキーボードそっくりのパネルが現れる。
空中入力は少し違和感があるが、すぐに慣れそうだった。
「うわっ! めっちゃスムーズ! あ、でも外だとバレるな……」
「この星では粗末で簡素で矮小なそのデバイスをお持ちください。許可をいただければ、私がそこに情報を送り、ルト様の手の動きから入力内容を理解します。普段はそれを操作するふりをすればよいかと」
「なんでいちいちスマホディスるのお前」
そうはいいつつ、興奮する自分を隠せない。
こんなすごいガジェット、地球では完全なSFである。
もしかしたら最新技術でなら近いものはできるのかもしれないが、こんな風に気軽に使えるものではないだろう。
「口頭指示でも全機能対応します。例:温度、赤外線、音声センサー、各種簡易スキャニングが可能です。ヴェラのカスタマイズにより、市販の同機種より上位の性能を持ちますが、専門的な検査機器には劣りますし、ジャミングには抵抗できません。ただしこの星の技術では障害になりません。仕様の全利用にはキャプテン・ヴェラのような専門知識が必要ですが、ルト様の状況に応じて対応、提案します。いかがでしょうか?」
「マジ!? 最高の相棒じゃん!」
遥斗の声が弾んだ瞬間、隣の部屋からドン!と壁を叩く音が響いた。
遥斗はハッとして口を押さえる。
「やばい、騒ぎすぎた。ここの壁、薄いもんな……」
隣の住人は夜勤が多く、朝は寝ている。以前、ヘッドホンが外れて聞いていた動画の歌が大きく流れて「静かにしろ!」と壁越しに怒鳴られた記憶が蘇り、遥斗は肩をすくめた。
シアとの会話に夢中になりすぎていたようだ。
「ルト様、声を抑えていただいても大丈夫です。-5デシベルでも、この部屋なら私の音声センサーで認識可能です。例:口元を押さえ、囁きで指示可」
「マジか! 外ではそうするけど、部屋の中じゃちゃんと会話したいからな。まあ、ボロアパートだから友達呼んで騒ぐのは無理でも、お前との会話レベルなら大丈夫だよ」
遥斗は苦笑いし、声を少し落とした。
しかしながら、こんなすごい道具にして相棒を手に入れたことに、にやにやが留まらない。
この男、ついさきほどシアに向かって「ポンコツ」と言ったことはすでに忘れている。
そうしてシアとの会話を楽しんでいると、スマホのアラームがピピッと鳴った。
「あ、もうバイトの時間か……朝メシは途中で買えばいいな」
「ルト様、粗末で簡素な情報端末と、粗末で簡素で矮小なそのデバイスにて使用している機能について、今後は私が代行してもよろしいでしょうか? アラーム、スケジュール管理、通話なども私が行います」
「いいけど、地球の情報機器をいちいちディスるのやめてくれる?」
「Aisa。ですがただの事実です」
「そうだろうけど、買ったばっかで、まだ支払い残ってるから悲しくなるんよ」
なんでこいつ、いちいちスマホやPCにマウント取ろうとしてんだろう。
やはりポンコツではあるのかもしれない。
遥斗は手早く準備を済ませ、通勤用のリュックにホームセンターの制服を詰めた。
シアを首に巻き直し、部屋を出る。
鍵を閉めるとその音が静かなアパートに響き、朝のひんやりした空気が頬を撫でた。
「よし、行くぞ、シア!」
「Aisa!全力でサポートいたします」
遥斗の言葉にシアの光が首元で微かに瞬き、まるで一緒に笑っているようだった。
「ああ、よろしくな。お前となら何でもできそうだ!」
遥斗はそういって、軽く首に巻かれた相棒――シアを撫でる。
こうして、遥斗のシアと初めて一緒に過ごす、長い一日が始まったのだった。
なお、遥斗がシアと出かけようとしたとき、イライラとしている男がいた。
隣に住む、夜勤明けのおっさんである。
「隣のやつ、うっせえな……嬉しそうだし、なんか微かに女の声も聞こえたし……ま、まさか彼女でも連れ込んだのか?」
羨ましくなんてない。
羨ましくなんてないのだ!
だってあいつは俺の仲間のはずなのだ!
女の影なんてない、フリーターのはずだ!
だからあれはきっとゲームとかの声なのだ。
そうに違いない!
「そうだ、だから俺は一言文句を言ってやるのだ!」
この時間、確かいつも隣のやつはバイトに出かけていたはず。
そのときに一言言ってやろう。
も、もしも彼女を連れ込んでるどころか、万が一同棲でもしていたなら、大家に報告しなければならない。
これは寺子の義務なのだ!
妬みではないのだ!
そう思ったとき、ちょうど隣の部屋が開く音がした。
彼は窓に近づき、そっと開けて様子を見て――
「いくか、シア!」
隣の男は独り言を言っていた。
電話か?と思ったが、手には何も持っていない。
イヤホンなどもしてる様子はない。
「ああ、よろしくな。お前となら何でもできそうだ!」
彼は慈しむ目で首のチョーカーを撫でている。
「…………そっか、あいつもいろいろ大変なんだな。こんど飲みにでも誘ってみるか」
おっさんは優しい目になった。




