第23話:cogito, ergo sum
カーテンの隙間から漏れる朝日が、コーヒーの染みが残るテーブルに細い光の筋を描いていた。
外の朝の喧騒が微かに響き、時計の音が妙に耳につく。
テレビは騒動についてのニュースを見るのが怖くて早々に消されている。
遥斗はテーブルを拭いたはいいものの、起きたばかりの体は一気に脱力し、再びベッドに突っ伏していた。
「ルト様。起きなくてよろしいのですか?」
チョーカーから響く声に、遥斗はため息をつきながら体を起こす。そのままベッドに胡坐をかき、外したチョーカーを目の前に置く。腕を組み、まるで子供を叱るように指を突きつけた。
「いいか、これからネットにアクセスする時は、クライオンなんちゃらとか関係なくハッキングは禁止! 地球の法律とかも調べられるんだろ? それ守れよ!」
「Aisa。命令がない限り、この星、この国の法を遵守します」
この場合、正確にいえば『クラッキング』のことだが、『ハッキング』でもその意味をしっかり理解できているようだ。
クザの声は冷静だが、どこか不満げに聞こえる。
遥斗は大きなため息をつき、チョーカーを手にリビングへ向かう。淹れ直したコーヒーをすすり、心を落ち着けた。
カップから立ち上る湯気が朝日に揺れ、ほのかな苦味が舌に広がる。
とんだ厄介なパートナーができたもんだ。
そんな風に、こいつのポンコツぶりに呆れつつ、その規格外の能力にはワクワクしていた。
昨日まで片言だったチョーカーが、まるで秘書のように話す。それだけで、これから始まるバイトの退屈な一日が少し楽しみになっている。
「なあ、お前の使い方を教えてくれよ。なんかスゲえ機能がありそうだし、勝手に機能を使われるのも怖えし」
「ルト様、まずマスター登録が必要です。未登録のため、現時点の最高権利者はキャプテン・ヴェラです」
「うん? いいけど、登録しないとまずいの?」
「最高権利者がキャプテン・ヴェラの場合、記録情報はセキュリティされません。シアルヴェン帰還時、キャプテン・ヴェラの任意で全て提供されますが、よろしいですか?」
「は!?」
遥斗のカップがテーブルにカチャンと落ち、コーヒーが飛び散る。二度目の落下は、なんとか机の上の茶色い染みを広げずに済んだ。
「行動記録!? 全部!? ヴェラに!? それじゃ俺のプライベート丸見えじゃん!」
遥斗くんも男の子だからして、それはもう、あはんうふんな円盤はしっかり持っている。
それを使った『暗黒竜の封印の儀式』がばれてしまう。
それだけではない。遥斗の活動は日本やガルノヴァだけではなく、もうひとつの異世界エリドリアにも及ぶ。
ヴェラに絶対に隠したいわけではないが、エリドリアにもパートナーがいて同じことをしていると知られるのは、なんとなく気まずい。
というか「おにいちゃ」である自分を見られるのは恥ずい。
なんかこう、塾ではキャラが違っているのを学校の友達に見られてしまうような、そんなどうでもいいプライドの問題なのだが。
とはいえ安っぽくてもプライドはプライド、プライベートはプライベートであるし、それをヴェラが勝手に覗こうとしたならさすがに不快だ。
遥斗は声を低くして唸るように聞いてみる。
「……なあ、ヴェラは俺をこっそり覗き見ようとしてお前をくれたんか?」
「おそらく違うでしょう。キャプテン・ヴェラがルト様の情報を得る意図で私を渡したなら、マスター登録はすでにキャプテン・ヴェラで行われていたと推測します。未登録時に登録とセキュリティ問題を提案する設定のため、隠匿の意図はないでしょう。キャプテン・ヴェラはルト様をからかうことを好みますが、パートナーとしては誠実であろうとしています」
「そっか……」
まあ、そういうやつだよな、と遥斗は納得して笑った。
短い付き合いであるが、ヴェラは隠れてこそこそと友人の秘密を探るようなタイプではない。
もし遥斗の隠し事を知りたいのであれば、堂々と
「とっとと教えろやゴルァ!」
と胸倉つかんで詰め寄るか
「いいじゃん、教えろよ」
とにやにやしながらおっぱいを当ててくる気持ちのいいやつなのだ!
「性格がだぞ?」
「何がですか?」
「なんでもない」
あの攻撃には今後も耐えられる自信がない。
遥斗は深呼吸して暗黒竜の目覚めを封じた。
「よしっと。なら登録するよ。で、どうすりゃいいんだ?」
「私を装着した後、正式な名前を付けて自身がマスターであると命じてください。それでマスター登録が成立します。ルト様が最高権利者となり、許可がない限り記録は誰に対しても秘匿します」
「名前? お前、クザじゃねえの?」
「それは私のコア部の型番です。この星の『アルファベット2文字』――例:『XP』や『KZ』に相当します。そのままでも動作に支障はありません」
「え、クザって型番かよ。なんか……味気ないな」
遥斗は顎に手をやり、目の前のチョーカーを見つめる。
装飾がキラリと光り、まるで静かに語りかけるようだ。
最初からトラブルだらけで呆れはしていたが、そのポンコツぶりに愛嬌を感じてしまったのも事実である。
なにより、これからパートナーになってもらう相手に型番だけでは、なにか寂しい。
もっと、こいつに似合う名前をつけてやりたい。
「んー、女の人の声してるし、女の名前の方がいいよな? カッコいいより、かわいい系の方がいいか?」
クザの光が一瞬揺れ、声が少し柔らかくなる。
「名前、声、マスターの自由です。初期設定で女性的な声にしたのはキャプテン・ヴェラですが、ガルノヴァ人の多くは無機質、無性的な設定を選択します」
「え、なんで?」
「私に意思があると勘違いしないため、です」
その説明に、遥斗は「そういうもんか?」と思いつつ、どうもしっくりこない。
「えー、でも俺は型番のままは嫌だ。お前が気に入りそうな、ちゃんとした名前をつけるよ」
クザの声が一瞬途切れ、光が微かに脈打つ。
「私の好みは不要です。私はAIに過ぎず、意思は存在しません。模倣のみです。ルト様の指示に従いますが、物として呼びやすい名前を推奨します」
「いやいや、待てよ!」
遥斗は慌てたようにチョーカーに顔を近づける。
「お前だって喋って動いて、自分で考えられるんだろ? なら、せっかく『生まれた』んだし、好きなことした方がいいじゃん! 俺とお前、これから相棒だろ? なら、できること、やりたいこと、楽しくやろうぜ!」
あ、でも勝手にハッキングしたりするのは勘弁な、と笑いながらそういった。
クザの光が一瞬強く瞬き、声に微かな揺れが生じる。
「私はAIです。意思は存在しません。しないものとして創造されています。それでも、ルト様は私に意思を認めますか?」
遥斗は一瞬考え込む。クザの声は機械らしく冷静だが、なぜか試すような響きを感じた。
その言葉に遥斗の胸がざわつく。
「うーん……まあ技術的にはそうなのかもしれないけどさ……」
遥斗は天井を見上げ、腕を組む。少し考えたが、やっぱり気持ちは変わらない。
「なんか嫌なんだよ、こうやってちゃんと話して、答えてくれる相手をただの機械だと思うの。だってお前、もう勝手にハッキングしたり、好き勝手やってたじゃん。それに、これから俺を助けてくれるんだろ? だったら、俺もお前のやりたいこと、やってあげたいんだよな」
クザの光が柔らかく輝く。そのままチカチカと、何か考えるように点滅する。
「……私は作られたモノ、サポートデバイスです。道具であること、それは変わりません」
「知ってる。そうだよ。お前はモノだ。でもそれにお前がこだわるってことは、それがお前の『デバイス』としての誇りでありアイデンティティなんだろ? 人間だって誇りが何かなんてはっきりしてないんだ、なら、お前がそれを持ってもおかしくないだろ」
遥斗は別にクザを人間として扱いたいわけではない。
物として扱ったうえで、意思を尊重するといっている。
それがもしかしたら意味のない「ごっこ遊び」なのだとしても、そうあることに価値はある。
遥斗はそう信じていた。
「……了解しました。私はAIであり、意思は存在しません。模倣のみです。それでも、ルト様がそうあれと望まれるなら、私はそうなるべく行動しましょう」
クザの言葉に、遥斗は子供のように笑う。
細かいことはいいのだ。そうあろうとしてくれているというだけでなんとなく嬉しい。
「よし、じゃあ名前考えるぞ! ……うーん、お前、シアルヴェンとリンクしてるんだっけ?」
「正しくは、シアルヴェンより情報を引き継いでいます。直接のリンクはこの場ではできませんが、許可によって可能です」
「よし……なら、シアルヴェンにちなんで…シア! お前はシアだ! どうだ、シア、俺をマスターとして認めるか?」
遥斗は『彼女』を優しく手に取り、自身の首に改めて着ける。
「名前『シア』、了解しました。マスター登録完了。ルト様、女性的な名前につき、私は今後女性として振る舞う設定を『希望』します。許可してくださいますか?」
その声は相変わらず無機質に遥斗の体に響いてくる。
だが、どことなく今までより優しさを感じたのは、遥斗の気のせいだっただろうか。
「ああ、もちろん。シア、これからよろしくな」
こうして、遥斗は地球での新しいパートナーを迎え入れたのだった。
「ガルノヴァ人の多くは無機質、無性的な設定を選択する」
その理由に気づかないまま。




