第21話:取引を終えて
ザルティスの居住エリアを後にしたダリスコルとその部下は、銀色のホバーカーに乗り込み、宇宙港の駐留地域へと向かっていた。車体はヴェクシス機関の低く唸る音を響かせ、砂埃を巻き上げながら、居住エリアの喧騒を背に進んでいく。
ザルティスは広大な星だが、人が住むのは宇宙港のドックを除けば、居住エリア、工場エリア、鉱山エリアのわずかな一帯だけだ。
あとはそれぞれをつなぐ移動ルート以外は、まともな惑星フォーミングが適用されておらず、ただ砂と埃が堆積した過疎エリアが広がる。まるで地球のアメリカ南西部の砂漠を思わせる、岩盤と枯れた灌木が点在する不毛の地だ。工場エリアには産廃ゴミや金属スクラップが積まれたゴミ捨て場が広がり、鉱山エリアはヴェクシス鉱石の採掘で荒れ果てている。
ホバーカーはその中を滑るように進み、赤茶色の地平線に沈む一つ目の太陽(ザルティスには二つの太陽がある)が、砂粒に車体から漏れるヴェクシス光の青い輝きを反射させる。時折、風に舞う砂が車体を叩き、擦れた音が車内に響く。
「ボス、わざわざ自分で行く必要あるんですか?あの生意気な小娘と、ゴミ屑笑いの相手なんざ、俺らだけで十分っすよ」
ゴミ屑笑い――あのルトとかいう男のような、普段から緊張感がなくヘラヘラした笑顔を見せる人間を蔑視した言葉だ。
ガルノヴァ連邦の文化では、個人主義が強く、特にこのような辺境では男のはっきりとした物言いが好まれるため、愛想笑いはあまり好まれない。
もっとも、金持ちや政治家が利用するリゾート星の多い星系や、芸術で栄えている地域では多少異なる。
育ちのよくないこの運転席の男にとって、遥斗は蔑視すべき情けない男に思えたらしい。
誰かに媚びるための愛想笑いは利益のためとして理解するが、それを普段からしているのは気持ち悪いだけ、というのがこの男の感覚である。
遥斗に対する悪態の言葉を隠さず、チラリと後部座席のダリスコルを窺う。
「ハッ、どうせ俺たちも宇宙船に戻る途中だ。それに、そのゴミ屑笑いにあれだけ啖呵切られたんだ。取引の菓子がどれほどのモンか、俺の舌でしっかり吟味してやらねえとな」
ダリスコルはいつもの癖で義手をカチカチと鳴らしながら、口の端を歪める。部下は「へえ」と笑い、アクセルを踏み込んだ。
「ロガ、運転はいいが、ちゃんとセミオートにしとけよ。前みてぇに完全マニュアルで事故でも起こしたら、鉱山に飛ばすぞ」
「あ、あれはプライベートっすよ、ボス。仕事じゃ、んなことしませんって!」
「どうだかな」
自動操縦でも問題なく動くのだが、あえて体を使って操縦するのは一種の娯楽である。ただ、突発的な事故に対応するために、緊急にはシステムが自動で対応する、セミオートが普通だ。
セミオートであれば安全装置はついているしそのくらいの『お遊び』はダリスコルも許している。
一部の天才的な「頭のおかしい奴ら」は、システムの精密さを超える不可解な動きを可能にするらしいが、そういう「イカれた奴」に憧れてマニュアル運転にこだわるバカが少なからずいるのだ。
目の前のこのバカな部下――ロガもその一人である。
「しかし、天然物の菓子ですか……えらい騒動になってましたが、そんなにすごいもんだったんですかい?ヴァイのやつ、買った飴玉を持って妙なテンションでウチの船に先に戻っちまいましたが」
ロガの声には、天然素材の菓子の高価さや美味しさは理解しつつも、マーケットの熱狂の理由に半信半疑な響きがあった。
ダリスコルは目を閉じて、腕組みをしながら答える。
今頃、ヴァイ――護衛の一人であり技師でもある彼は、ダリスコルの所有する宇宙船――ハイガルヴの専用研究室で興奮しながら調査をしていることだろう。
おそらく、ヴェラたちすらも理解していないが、あの純度は異常だ。
自分はそれなりに各地の権力者や一部の金持ち連中と付き合いがあるので、天然物の食べ物を食したことはある。だがどれだけ手間とコストをかければあそこまで汚染率が低く、混ざりもののない天然物素材になるか、想像もつかない。しかも、それを菓子にしてしまうとは、リゾート星の上澄み連中でも驚くレベルのはずだ。
「まあな。投げ打ってた菓子ですらあの騒ぎだ。そして俺との取引に出すという、あのルトとかいうゴミ屑笑いが妙に自信ありげな特別な菓子なら、そりゃそれなりのモンは出てくるだろうさ」
「へぇ……あのゴミ屑笑いが、ねえ……」
ロガは鼻で笑いつつ、内心で遥斗の「ヘラヘラした」印象を思い返す。だが、ダリスコルの言葉に、天然物素材の異常な価値と遥斗の謎めいた存在感が気になり始めた。
やがて、遠くに駐留地域のシルエットが現れる。無数の宇宙船が停泊するドック港は、金属の巨獣がうずくまるように並び、ヴェクシス機関の青白い光が点滅している。ホバーカーは砂の舞う道を抜け、シアルヴェンの停泊する地点へと向かった。
「よう、売れたようだな」
シアルヴェンの簡易休憩室に、ダリスコルと部下が姿を現す。
埃を払いながら入ってきたダリスコルが、不敵に笑ってヴェラに声をかけた。
「ふん、おかげさんでな。まったく、ひどい茶番だったぜ」
ヴェラが鼻を鳴らし、腕を組んで応じる。
その悪態を気にせず、ダリスコルは肩をすくめた。だが、ヴェラの目は笑っておらず、すぐに本題を切り出した。
「がめつい灰髪め。承諾もなく経費扱いで使いやがって。だいたいあいつら10カスでいいって言ってたのに20カスにしたのはお前だろうが。しかも調査させた技師のうち一人はお前の部下じゃねーかよ」
「バカいえ。俺は仕事には正当な代価を払うポリシーだ。当然俺の部下だろうが、その仕事分の金はお前からとらにゃいかんし、だからこそあの場で調査の信頼が上がったんだろうが。俺のほうもあの小芝居での賭け、今月巡の利子をチャラにする約束はしっかり守っただろう」
「どうせ今回買った菓子の転売でそれ以上に儲けるくせに。だいたい今月巡分は前回の菓子を渡した分に入ってただろうが。……それにお前、今回の茶番でザルティスの連中に畏怖を与えつつ、自分は約束を守る男だとアピールしたな?利子分含めても損がないってことだろ」
ヴェラが不機嫌そうに言うと、ダリスコルは「さてな」と薄い笑みを返した。
「しかしよ、ヴェラ、なんでこんなゴミ捨て場みたいな星で菓子売るのを選んだ?整備目的に来たならわかるが、物を売るなら他にゃもっと簡単な星がある。ドック星でもマシなところはあるだろ」
「うるせえ!ここが気に入ってんだよ。何か始めるならここだと思っただけだ!」
ヴェラが悪態をつく。
「まあ、ヴェラらしいよね」
遥斗が笑うと、ダリスコルは一瞬、遠くの何かを傍観するような目で二人を見たが、すぐにいつもの太々しい笑みを浮かべた。
「ハッ、熱血バカの考えることはわからねえ。まあいい、俺は取引の『代金』を受け取りに来たんだ」
「あん?取引だぁ?お前が技師を雇った分の金は、すでに差っ引かれてただろが」
「てめえら、ふざけてんのか?余興みてぇな取引だろうが、取引は取引だ。それを違えるようなら相応の落とし前はつけてもらうぞ?」
能面のような表情になったダリスコルに、あたりの空気が一気に冷えたように感じる。ヴェラはその空気に呑まれたように声を失う中、遥斗だけは「あ、はいはい、ちゃんと用意してますよ」と笑みを浮かべながら部屋を出てシアルヴェンの奥へと入っていく。
遥斗にとって、ダリスコルは「怖い顔だし気難しいが約束は守ってくれる取引相手」だ。
取り置きした商品を約束の日に取りに来なかったり、カロリーオフと書いてあるからいつもの倍食べたら太ったぞ、どうしてくれると難癖をつけてくるようなヘルジャパンのモンスタークレーマーとは違うのだ!
「ならいい人じゃないか」
とまで結論が出ていた。
おそらくヴェラやダリスコルがその内心を聞いたら、
「お前、頭の中ヴェクシス汚染されてんじゃねえの?」
と真顔で言ったことだろう。
鼻歌交じりでシアルヴェンの搭乗口に入っていく遥斗を見据え、ダリスコルは珍しくわかりやすいため息をつく。
「なあ、ヴェラ……俺が言うこっちゃねえのはわかってるけどよ。アイツ、大丈夫なんか?やべえ機械薬物でもキメてねえよな?」
ナノ・スパイクは、脳神経に潜り込み電気信号で快楽や興奮を引き起こす違法な機械薬物である。
これの常習者は、だいたい変な行動をとる。
辺境とはいえ、様々な場所の顔役として長年活動してきたダリスコルにとって、自身の肩書を知りながら、ああもあっけらかんと接してくる相手は近年いなかった。舐められているわけではない。むしろ、妙な敬意すら感じる。だが、警戒心がなさすぎるのだ。世間知らずの貴族のボンボンが無謀な冒険に出たのかとも考えたが、遥斗の貧乏くさい物腰や小市民的な振る舞いは、それとも違う。
「……一応、身体検査はして、そういうのはなかったから大丈夫……だと思う。多分」
「そうか……大変だな」
ダリスコルはそれ以上何も聞かなかった。
戻ってきた遥斗は、約束通り取引用の菓子を持って現れた。ヴェラが帰船後に食べる用に机に出しっぱなしだったどら焼きだ。
「うあ゛あ゛あ゛あ゛、そうだった……アタシのドラヤキが……」
ヴェラが呻くが、遥斗はスルー。今日のところは他の菓子がなく、どら焼きしかなかったのだ。ヴェラには「次回は栗どらを多めに作って、今日は持ってきてない生どらも買っておいてやるから我慢しろよ」と言って納得させたが、彼女の未練は消えていないらしい。
「それがお前の言ってた、露店には出さなかった菓子か?」
「ええ、どら焼きっていいます。ウチの船長のお気に入りなんで、期待していいですよ」
「ああ……まあ、ヴェラが気に入ってるのは本当みたいだけどよ」
あうあうあう、と口元をもにゅもにゅさせながら遥斗の持つどら焼きに目が行くヴェラを見て、ダリスコルは少しだけ引いた。
持ち帰って調べたいところだが、約束はここで食べることだ。さすがに毒は入っていないだろうが、ヴェラのあまりの未練がましさに、「これこそ機械薬物でも入ってねえよな?」と本気で思ったが、かろうじて口には出さなかった。
とはいえ、ここで怖気づいたら負けた気がする。後ろで待機している護衛のロガの手前もある。
ダリスコルは平静を装いつつ、妙な形の菓子を手に取った。
天然素材の菓子とは思えぬほどの飾り気のなさだ。通常、高級な天然素材を「含む」菓子は外見を派手に飾りたがる。だが、先ほどマーケットでの品を思えば、これも「純度が極めて高い天然素材そのもの」の菓子のはずだ。
はたして、その味はどれほどのものか。
ダリスコルは包みを開け、その匂いに思わず「う、あ」と声が漏れそうになるのをギリギリで抑えた。
そして、ほぼ反射的にばくりと一かじりして――
「……はっ!?」
意識が飛んでいた。
長年、人前で無防備な姿を見せたことのないダリスコルが、完全に隙だらけで意識を飛ばしたのだ。それほどまでに、そのインパクトは強烈だった。
以前、利子分として回収した菓子は確かにうまかったが、それはあくまで含まれている天然素材の旨味に感動した、というのが大きな理由だった。
だが、このドラヤキとかいう菓子は段違いだ。
素材の純粋さもさることながら、皮のほのかな甘みと、中の黒い餡が絶妙に調和し、一つの芸術品と化している。
ダリスコルは慌てて続きを楽しもうとしたが、手にはすでに何もなかった。
「お?おい、俺の菓子は?」
落とした?
馬鹿な、あれなら地面に落ちて砂まみれでも食べる価値があるぞ、と下を見るが、何もない。
誰かが盗ったかと周囲を見回すが、皆が怪訝そうにこちらを見ているだけだ。
「何探してるかしらんが、ダリ、お前、一口食った後にすごい形相で全部食ったぞ?忘れたのか?」
ヴェラに言われ、まさか、と後ろにいるロガを見ると、彼も冷汗を流しながら「うんうん」と頷いている。どうやら、無意識に一気に食べてしまったらしい。
ダリスコルはバツが悪そうな顔をした後、なんとなく天井を仰ぎ、ヴェラと遥斗に向き直る。
「確かになかなかのもんだった。取引は申し分なかったぜ」
「そのリアクションで『なかなか』とか言うのは無理があんぞ」
ヴェラが半眼で睨む。
自分のどら焼きを食べられた不機嫌さは収まっていなかった。
そして遥斗は内心で「結構面白いな、このおっさん」と思っていた。
口に出したら間違いなくぶん殴られていただろう。
「……これで用は済んだ。じゃあな」
妙な空気が流れ始めたためか、ダリスコルはそそくさと出口へと向かう。
「さっさと帰れ」とヴェラが声をかけると、ダリスコルは不意に立ち止まり、くるりとヴェラに向き直る。
「……釣りの代わりに、一言だけ忠告してやる」
「あん?」
「お前らの菓子、売る値段はもう一回考え直せ。自分たちが売ってるものの価値を、ちっと安く見すぎだ」
「は?いや、確かに安いが、天然素材の菓子としては相場よりちょっと安いくらいだろ」
ヴェラが眉をひそめる。ダリスコルは答えず、ロガに目配せした。ロガはうなずき、先にホバーカーへと向かってエンジンコアを稼働させた。
「じゃあな、ヴェラ。しっかり稼いで借金を返せよ」
ダリスコルはそう言い残し、ホバーカーに乗り込んだ。銀色の車体がヴェクシス光を反射し、埃を巻き上げて去っていく。
「なんだってんだ、天然素材の価値だ?そんなんわかってるっての」
「……ダリさんのことだから、理由はあると思うよ」
「なんなの、お前のそのダリへの厚い信頼……」
ホバーカーの中、後部座席にふんぞり返っていたダリスコルは、窓の外を眺めながら何とはなしに呟いた。
「しかし、ザルティスか……まったく、これもカルディス家の血かね?」
「なにか言いましふぃたか、ボス?」
「いや、別に。気にするな」
運転する部下の問いに、ダリスコルは義手を振ってうっとうしげに答えた。
「りょうふぁいれす、ボス」
「………?」
いつもと違う妙な口調に、ダリスコルは運転席のロガをチラリと見る。
いつもと変わらないように見えたが、頬が微妙に動いている。
「お前、何か食ってる?」
「飴ちゃん玉れす。さっきボスが意識を飛ばひふぇたとき、ルトさんに『おすそ分けです』ってもらったんス」
「手なずけられてんじゃねえか!アホか!お前さっきまでゴミ屑笑いっていってたのになにが『ルトさん』だ!」
ダリスコルが運転席を蹴りながら吠えると、ロガは「すんませんっした!」と返して姿勢を正したが、その頬は相変わらずころころと動いており、口の端にも笑みが残っている。
(コイツ……来期のボーナスの査定覚えとけよ)
ダリスコルは、ため息をつきながらシートに沈み込んだ。
自身の船へと戻る。ドックに停泊する宇宙船は、鈍い金属光を放ち、ヴェクシス機関の唸りが響いている。
船内の自室に落ち着いたダリスコルは、義手に顎をのせて、しばし考え込む。
そしてダリスコルは通信デバイスを操作した。
調査を担当している部下の女が、空中に映像となって現れる。
「お呼びですか、ボス」
「ああ、これからはシアルヴェンを常に監視しろ。特にヴェラと一緒にいるルトとかいう男……そいつの背景を徹底的に調べ上げろ」
「了解しました、ボス」
理由は聞かない。調べろと言われたら調べるのが諜報部の役目だ。
女が頷き、通信を切る。
ダリスコルは一人、薄暗い自室で再び呟いた。
「ヴェラ、お前が選んだ道だ。お前がどうなっても俺は知ったこっちゃねえ……だが、あいつは一体、何者だ?」
シアルヴェンの居住区画。遥斗は市場で買った合成スープをスプーンで掬い、恐る恐る口に運んだ。
ザルティスの市場で売っていた「この世界の庶民の食べ物」の味が気になっていたのだ。
「ん……悪くない、かな?腹にたまるし、味も濃いめで美味しいけど……」
遥斗が首をかしげる。確かに不味くはない。塩気とスパイスの効いた味は確かに悪くはなく、腹も膨れる満足感は生まれた。
だが、インスタントラーメンですら感じられるような、美味しいものを食べた時に生じる幸福感がない気がする。
なんというか、試験前に携帯栄養食の「ケロリーメット」だけで腹を満たしたときの虚しさを数倍にしたような、そんな感覚。
「ヴェラ、このスープ、美味しいよね?」
ヴェラは操作していた整備パネルから顔を上げ、怪訝な顔をする。
「え、お前、それが旨いのか?まあ、味は悪くねえけど……なんか雑味っていうか、満足しねえんだよな」
「雑味?」
ヴェラが肩をすくめる。
「言葉じゃ説明しづれえけど、合成素材のヴェクシス汚染のせいだろ。アタシらは汚染された食いもんに敏感なんだ。天然素材が価値あるのは、そういうことだろうな」
ヴェラのいう「雑味」は、この世界の人間の味覚に関係するらしい。
ただ、そのような感覚を持たない自身ですら、なんとなく虚しさを感じているのだから、ヴェラたちはもっと壮絶に感じているのかもしれない。
一人納得していると、ヴェラがパネルを閉じ、作業台に置いていた何かを取り上げて遥斗に見せる。
「おい、ルト。今回の分け前だ」
差し出されたのは、黒い革のように見えるチョーカー。銀色の装飾が鈍く光っている。
遥斗が「え、俺に?」と驚く中、ヴェラが顎で指した。
「つけろよ。似合うぜ」
遥斗は戸惑いつつ、チョーカーを首に巻いた。
その瞬間、低くハスキーな女の声が体に響く。
「よお、ルト。俺は"クザ-3"、よろしく」
「ウァァァァァ!シャーベッタァァァァ!?」