第20話:灰髪の仕掛けと裏舞台
ザルティスのマーケットは、喧騒が収まってもなお、埃と鉄の匂いに満ちていた。
ひと騒ぎを起こした露天商が去った後、彼らの売った菓子の話題が広がっていったが、それもその場にいなかった者たちにはただの噂話となって消えていった。
何しろ、あの場にいた者たちは、わずかな者を除き、買った菓子をその場で食べてしまったのだから仕方がない。
転売を考えていた者も、周囲で騒ぐ「うまいうまい」の大合唱の誘惑に負け、チョコを買った者はひとかけだけというつもりで口にした後、止まらなくなったのだ。
しばらくの間、「天然素材の菓子を売っていた者たちがいた」という話は、ザルティスで本当か嘘かもわからぬ馬鹿話として、マーケット以外にも広まっていくことになる。
ドック港├⊥3-17番――シアルヴェン駐留地点。
整備中のシアルヴェンの前には、ドック利用者のための休憩用簡易施設があり、そこで二人はようやく一息をついていた。窓からは、砂塵を超えて露店の明かりが薄暗く揺れているのが見える。
ヴェラは自身のデバイスに映し出された数字を確認し、得意げに胸を張った。
「ワハハハハ、見たか、ルト! 今回の売上、985カスだぜ!天然素材の菓子の力、思い知っただろ!」
ヴェラは弾んだ声で笑いながら、隣の遥斗をばんばんと叩く。彼も差し出されたデバイスを覗き込むが、相変わらず文字は読めない。
「うむ、数字がわからん」
「そういやお前、文字読めないんだったな……」
「でも、全部売れたんだから、合計金額は把握してるよ。これで借金、少しは減るんじゃ……」
そう言われたヴェラは、笑顔から一転して大きなため息をつく。
「甘えな、ルト。船の検定用の部品と修理代でほぼ吹っ飛ぶぜ。ダリの野郎にしっかり技師の雇い賃を取られたしな。約束通り今月巡分の利子分は支払い済みって明細が送られてきたが、そこに100カス分は経費として徴収って書いてありやがった」
「え?……あー、あのときのか」
遥斗はヴェラに言われて、改めてマーケットでのダリスコルとのやり取りを思い出す。
砂埃が舞うマーケットの中、現れたダリスコルの姿に、遥斗たちの露店から人々が離れ、公然の場の中で内緒話をする奇妙な空間が生まれていた。
遥斗との取引に応じたダリスコルが、声を抑えてヴェラに言う。
「いいか、ヴェラ。ザルティスで天然素材を売ること自体が、すでに信用されねえ理由だ。値段の問題じゃねえ」
ダリスコルの声は低く抑えられているが、皮肉げに響く。
ヴェラが腕を組み、睨みながら聞き返す。
「は? どういう意味だよ、ダリ。天然素材であるデータはちゃんと出してるだろうが。それに、値段だってうさん臭くない程度に安くしてるぞ」
ダリスコルが鼻で笑う。
「バカが。言ってんだろ? お前がいくら正しいスキャンデータを見せても、妥当な値段をつけても、ザルティスのろくでなし共は信じねえよ。こんな吹き溜まりで本物の天然物の菓子が売ってるなんて、そもそも誰も思わねえんだ」
「え、じゃあどうすれば……」
遥斗が問うと、ダリスコルは義手の人差し指を立て、左右に振りながら獰猛な笑みを浮かべた。
「簡単だ。本物だと思える、強烈な理由を目の前で見せりゃいい。……そうだな、俺が今からおぜん立てしてやる。ヴェラ、今から一芝居打ってやるから俺に合わせろ」
「あん? 何するかわからんが、アタシが演技なんてできるわけねえだろ」
「なあに、心配はいらねえ。はじめからそんなもんお前に期待しちゃいねえよ。お前はいつも通り、借金取りの俺に突っかかってくればいいさ。これは本物の天然素材だ、嘘ならなんでもしてやるって啖呵を切ればいい。言えるだろ?これが本物だったら、だがな」
ダリスコルの口元が歪む。ヴェラが「何!?」と声を荒げる瞬間、ダリスコルは義手のデバイスを操作する。ヒュ、と周囲の空気が変わったことに、ヴェラだけが気づいた。
何をしてるんだ、と目の前の男に目線を向けた瞬間、ダリスコルが突然大声で叫んだ。
「おい、こんなところで露店売りか!?」
そのオーバーな演技に、ヴェラは一瞬息をのんだ。
だが、すぐにダリスの意図を察し、口の端に笑みを浮かべる。
たしかあの義手には遮音装置がついていたはずだ。それを外したのだろう。
つまりは、そういうことだ。
ヴェラも周囲に聞こえるよう、さらに大きく叫び返した。『いつもどおり』に。
「だから、なんだってんだよ!」
周りに人が集まってくる。
「ヴェラ・カルディス、返済が滞ってるぞ。まだ残りは4万7800カスもある。今月巡分の利子はいつになったら払う気だ?」
「うるせえな、ダリ! 今、商売の真っ最中だ。金なら稼いで返すよ!」
さあ、茶番劇の始まりだ。
「ハハ、あの灰髪、派手にやってくれたぜ。あのスキャン騒ぎでその場にいた技師まで雇って本物だと突きつけたんじゃ、さすがに信じるわな」
「びっくりしたよ。演技なのはすぐわかったけど、賭けをしだすなんてさ。思わず本気で止めちゃったぜ。ヴェラもいい演技力だった――というか、あの駆け引きの内容、ダリさん本気じゃなかった? ヴェラの声が震えてたのも演技じゃないだろ。……俺の持ってきた菓子を信じ切れてなかった?」
「う……本気だったろうなあ……いや、まあ本物の天然素材なのはわかってたけど、それでもなんか、ほら、お前の存在自体がわけわかんねえ奴だし、万が一があるかもって、アタシもびびってたっていうかなんというか」
ヴェラがしどろもどろに答える。遥斗は「ふーん」と少し疑うように目を細めてから、「どうせうさんくさいですよ」とこれ見よがしに拗ねたように荷物を整理し始めた。
ヴェラはデバイスを意味なく触りながら、照れ隠しに声を張る。
「と、とにかく! 985カスだ! 今回は大成功だった。これからも頼むぞ、ルト。アタシはマジで感謝してるんだからな」
「ま、パートナーだしね。俺もなんだかんだで楽しかったから、お互い様さ。でも、借金減らないのはキツいな……それに――」
「それに?」
遥斗はあのとき見た市場の子供たちの姿が頭から離れなかった。
悔しそうに唇をかむ兄と、裾をつかむ弟。あの光景が、胸を締め付ける。ヴェラが不思議そうにこちらを見つめているのを感じて、遥斗は意を決して口を開いた。
「なあ、ヴェラ。あのとき、マーケットにいたジャンク売りの子供たち……孤児なのかな? 気になって」
ヴェラは意外な言葉に怪訝な顔で遥斗を見る。
「ルト、急に何だよ。底辺層にいるガキなんて、どこもあんなもんだろ」
「でも、なんであんな小さい子が働いてるんだ? 誰も面倒見てないの?」
ヴェラはため息をつき、椅子に深く座って、空を仰ぐようにもたれかかる。
「いいか、ルト。ザルティスは鉱山区域であり、工場であり、整備屋の集まる錨星だ。それも辺境の底辺層が集まるような、いわば宇宙のゴミ捨て場さ。そんな場所だから、親が借金で裏マーケットに行っちまったり、出稼ぎでの船事故で死んじまったり、汚染区域で体を壊して病気で消える……ガキが孤児になるのは日常茶飯事なんだよ。それに、生きていくだけなら、ガルノヴァ連邦に正式に所属してる星には最低限のライフラインがある。くそまずいが栄養だけはある最低品質のファブ食糧は配給所でタダでもらえるし、ヴェクシス機関から出る熱を利用したスチームシャワーも格安だ。集団で雑魚寝にはなるが、無宿者用の寝るスペースだって、どのドック星にもたいていあるんだ」
「じゃあ、生きていけるんだ?」
遥斗の少し安心したような声に、ヴェラは「はん」と小馬鹿にしたように息を吐いた。
「まあ、生きるだけならな。食って出して寝るだけ。そして、老いて死ぬ。それだけだ。ガキがジャンク売りに必死になるのは、そんな生き方から抜け出すためだ。たいていはよほど運がわるくなけりゃ、ある程度の年齢になれば、技師や船乗りの下働きに拾われて生きるすべを見つけるもんさ」
「……働けない子供は?運が悪かったら?」
「乳飲み子なら、だいたいはコロニーの顔役が引き取って育ててる。育ててるって言っても職のない奴に端金で面倒見させる、くらいだがな。コロニーがスラムになるのは良いが、コロニーで乳飲子を見捨てるのは『顔役の器がそれだけ低い』って評判がガタ落ちになるからそのくらいはするのさ。成長して働けるようになってからは、ひでえ奴に捕まると、容姿が良けりゃ体売らされたり、ひどけりゃ文字通り『体をパーツにして売られる』って噂はあるが、まずそれはねえ。街中で自律型ロボが動いてるからな。ガキ相手にそんなことすれば、あっという間にバレて縛り首だよ」
遥斗の顔が青ざめる。ヴェラは続ける。
「連邦の支援? 辺境の底辺星まで届くわけねえ。というか食料の配給がその支援ってわけさ。そこから這い上がりたいなら自分でなんとかするしかねえんだ」
遥斗は拳を握り、呟いた。
「何とか……できないのかな」
ヴェラが肩をバシンと叩く。
「おい、ルト! 余計なこと抱え込むなよ! アタシたちだって借金まみれで、船の検定代もやっとだ。ガキの面倒まで見る余裕なんざねえ!」
遥斗は「うっ」と言葉に詰まる。だが、心の中では別の思いが渦巻いていた。市場の騒ぎが収まった後、遥斗はヴェラに隠れて、ジャンク売りの子供たちに手持ちの飴玉をこっそり渡そうとしていたのだが、すべて売り切るころには彼らはいなくなっていた。
たとえ飴を渡せていたとしても、こんな小さなことで彼らの過酷な生活は変わらなかっただろう。だが、その無力感が、遥斗を締め付ける。
「ヴェラの言う通り、俺には今、何もできない。でも、もしそうできる機会があるなら、そのときは……」
遥斗は心の中で呟く。覚悟もないし、自分が何かを成し遂げるぞと誓う度胸もない。
今はそんなことをしている余裕がないのも事実だった。
地球にだって世界中でそんな子供は大勢いるし、自分は観光先でたまたまそれを見てしまった程度の話でしかない。地球でだって身を削ってボランティアなどしてない自分が、ここで騒ぐなんてお笑い種もいいところだろう。
この世界のことをよく知りもしない、そもそもヴェラがいないと何もできない自分が勝手に動くわけにはいかないことくらいはわかっている。今は、自分が前に進むしかないのだ。
偽善であり、エゴでいい。
わずかなお釣りを募金箱に入れるようなささやかな行為だけでいい。
ただ、機会があって、そのときにそれができる力と余裕があるなら、ためらわない。
ヴェラの忠告を聞きつつも、その思いだけは揺らぐことなく胸に残った。
そのとき、遠くからホバーカーがやってくる音が聞こえる。
ヴェラたちが乗っていたポンコツとは違い、明らかに高級さを感じさせるそれ。
ホバーカーが止まると、そのまま中から予想通りの人物が降りてきた。
「よう、売れたようだな」
ダリスコルとその部下が、シアルヴェンのもとにわざわざやってきていた。