第19話:ザルティスの熱狂
ザルティスのマーケットは、今日も埃と鉄の匂いに満ちていた。
星のドックに停まる宇宙船のヴェクシス機関が低く唸り、露店の呼び込みがその隙間を突くように響く。
とある定住民の技師は、肩に工具バッグを引っ提げ、整備用に改造された義指をカチカチ鳴らしながら、いつものように市場を冷やかしに来ていた。
彼はそこそこ腕のいい整備士で、底辺よりはマシな暮らし。
連邦の辺境とはいえ上澄みとはいえないが、腹は常に満たせるし、軽い娯楽や安くて粗悪な嗜好品にも安定して手が出せる稼ぎだ。
「ハッ、相変わらずゴミみたいなもん売ってやがるな」
技師は、錆びたパーツや怪しげな「ヴェクシス強化剤」を並べる露店を横目に笑った。
スープ売りの売ってるものは悪くない。
安価な合成物の肉や野菜、ヴェクシス汚染された人工調味料を適当に自動調理器に突っ込んだものだ。誰が作っても大差なく、自分で作れば安上がりだが、需要は常にある。
とくにこのスープ売りはまだマシな方で、合成素材の配合や切り込みの入れ方、調理器への入力設定に工夫があり、そこそこ楽しめる味に仕上がっている。
手間賃を考えても「配合考えるのめんどくせえし、たまには買うか」くらいには期待できるのだ。
子供たちが売るジャンク品は、売っている本人も何だかわかっていないだろう。
あれはジャンクですらない。おそらく廃材の処分場で拾ってきたものだ。ガルノス斑がひどく浮いたそれは、ただの産業廃棄物にすぎない。
必死に「1カス!」と叫んでいるが、むしろ処分に金を取られる類のものだ。
同情はしない。自分がかつてそうだったように、そうやって苦い経験を重ねて目と腕を鍛えるしかないのだから。
どうせゴミとわかれば、元の場所に不法投棄するだけだろう。
だが、それでもたまに掘り出し物があるのがこのマーケットだ。子供が1カスで売っていたジャンクが、どこぞで死んだ技師の違法ツールで、相応の値段で売れたこともある。
錨星であり、宇宙の巨大なゴミ捨て場でもあるザルティスを、技師は毒づきながらも気に入っていた。他の星を知らないだけかもしれないが。
そんな中、目に入ったのは若い男女が開く露店だった。強気そうな赤毛の女と、さえないゴミ屑笑いの男が店番している。
女は作業服に黄色いジャケットにロングパンツ。赤髪を隠すかのように深くキャップをかぶり、男はこの辺りでは見ない妙な服で、かなり浮いている。
そして売り物は、なんとふざけたことに「天然素材を使った菓子」だそうだ。
「天然物の菓子だと? ハハ、簡易スキャンごまかすツールでも使ってんじゃねえの?」
内心でせせら笑いながら、技師は商品を覗く。
色とりどりの包みにくるまれた何か。値札には「5カス」、「10カス」とある。中にはどういう冗談か、「100カス」をつけたものも。
たしかに「天然素材」の「エキスや欠片」でも入っているなら、その値段は妥当だろう。
星網脈に乗ってる高級ショップに比べれば少し安いくらいだ。だが、どうせ偽物だろう、と鼻で笑った。
天然素材、特に人間が食べるようなものは、ヴェクシス汚染の少ない星でしか作られない。そんな高級品が、こんな底辺の星で出回るはずがない。輸送一つでもヴェクシス機関を使う以上、コストをかけて対策をしないと汚染してしまうのだから。
ザルティスは船乗りや流れ者が集まる錨星だ。まともな品が揃うなど期待する方が愚かだ。
まともでないからこそ手に入るものもあるが、いくらなんでも天然素材の菓子がこのゴミまみれの市場に流れてくるはずがない。
天然素材そのものなら、不審に思いながらも興味を持てたかもしれない。カジノの商品をくすねてきた命知らずや、高級品を取り扱う商人が死んで流れ着くことは皆無ではない。
だが、「それを使った菓子」? 本物なら引く手あまただ。わざわざこんな吹き溜まりで安く売る愚か者がいるはずがない。
「この場で売っていること」
それがすでに偽物の証なのだ。
そう思い、興味を失って立ち去ろうとした瞬間、視界の端で灰色の髪が揺れた。技師の背筋が反射的にピンと伸びる。
「灰髪のダリスコルじゃねーか。くわばらくわばら……」
市場の裏で金を動かす男。借金取りの顔役で、誰もが避けて通る。
顔は知らなくても、あの灰髪と金鎖と揶揄される義手とネックレスは、辺境星系の底辺層のコミュニティで有名だ。
特にザルティスは拠点の一つらしく、よく彼の船が停まっている。
技師は巻き込まれないよう、遠巻きに様子を窺った。
ダリスコルが向かったのは、さっきの怪しげな菓子売りだ。周りの者も、どことなく遠巻きになっている。あれでは誰も灰髪たちの会話が聞こえないだろう。
実際、ダリスコルは菓子売りに小声で話しかけているが、自分にはよく聞こえない。まあ、興味もない。
改造された人工耳を持つ者ならいざ知らず、たとえそうであったとしてもダリスコルは用心深く、常に一定距離以上離れた場所では会話が聞かれないようジャミングを張っているとされる。
聞くにはもっと近づいて会話を直接聞くしかない。
そう思って改めて去ろうとしたとき、
「だから、なんだってんだよ!」
と赤毛の女がダリスコルに叫んだ。口論になっているらしい。
その時初めて技師は興味をそそられ、会話が聞こえる場所まで近づいて聞き耳を立てた。
なんだなんだと集まる暇人たち。他人の不幸と騒動は、ザルティスの数少ない娯楽だ。
「ヴェラ・カルディス、返済が滞ってるぞ。まだ残りは4万7800カスもある。今月巡分の利子はいつになったら払う気だ?」
ダリスコルの声は低く、刺すように鋭い。ヴェラと呼ばれた女は腕を組み、負けじと睨み返す。
「うるせえな、ダリ! 今、商売の真っ最中だ。金なら稼いで返すよ!」
「ハッ、こいつでか? この偽物の菓子で?」
ダリスコルが指したのは、露店の菓子だ。色鮮やかな包み紙にくるまれた丸い何か。値札には「天然物の砂糖で作られた飴玉、5カス」とある。ダリスコルは鼻で笑った。
「天然物の砂糖だと? こんなゴミ、簡易スキャンをごまかしてるだけだろ。俺を騙す気か?」
技師は内心、まったくその通りだ、と思った。いい根性している女だ。怒鳴り返す胆力もだが、灰髪相手に騙して切り抜けようとは、命知らずもいいところだ。
「本物だよ! もし偽物だったなら、シアルヴェンもアタシも好きにしな!」
女の声が市場に響く。周囲の野次馬がざわつき、技師も「おっ、面白くなってきた」と口元を歪めた。
「ハハ、本物だぁ? 嘘つけ。逃げる気だろ。ここのろくでなし共を騙して金を集めて、あとは船でトンズラか?」
ダリスコルが嘲笑う。女の横で、さえない男が慌てて手を振った。
「ちょ、ヴェラ! そんな無茶な約束すんなって!」
「黙ってろ、ルト! こいつ、天然物の価値もわかんねえバカなんだよ!」
野次馬の笑い声が上がる。技師も「こりゃいいや」とニヤついた。
まだ騙せると思っているらしい。だが、灰髪に「バカ」呼ばわりしてどうなるか、これから見ものだ。
するとダリスコルが不意に目を細め、何か思いついたように口を開いた。
「ふうん……いいだろう、なら賭けをしてやる。俺が今から技師を雇い、最新のスキャン装置を用意する。この場で、てめえの菓子を本格的に調査してやるぜ」
市場が静まり返る。ダリスコルの言葉が、重く響いた。
「もし本物なら、今月巡分の利子はチャラにしてやる。だが、偽物だったら……裏マーケット行きだ、ヴェラ。船も、てめえの体もな。てめえをここで裸にひん剥いて、価値が落ちねえ程度にこいつらに嬲らせてから運んでくぞ」
いつもの皮肉めいた笑みを消し、地の底から這い上がるような声。
ダリスコルは本気らしい。技師はゾクリとした。さすがにそこまでやるか、と思うが、裏社会の顔役だ。やりかねない。
「じょ、上等だ! やってみな、灰髪!」
「ま、待て、ヴェラ! 落ち着けって!」
売り言葉に買い言葉。
抑えられずに思わずそう言ってしまったのだろう。
女の震えた叫びに、ルトと呼ばれていた男が頭を抱える。
野次馬がどよめき、ザルティスの暇人たちが、一気に盛り上がり始めた。技師は「こりゃまずいな」と唇を噛む。
その喧噪がしばらく続き、ダリスコルの部下が市場の端に業務用スキャナを運び込んできた。
銀色の円筒形で、青いヴェクシス光がチカチカと点滅している。技師にはわかった。最高級品ではないが、最新モデルの業務用だ。
おそらく裏ドックの貨物船から即座に借り受けたのだろう。金とコネで解決、灰髪らしい派手な手際だ。
「ったく、灰髪も悪趣味だな。こんな大げさに嘘を暴いて、女を絶望に叩き落とす気かよ」
騒動も他人の不幸も好きだが、度が過ぎれば胸やけがする。
女を嬲れるのかといきり立つ輩もいるが、さすがに自分はそこまでは堕ちたくない。
技師は内心辟易しつつも、見物をやめない。それはそれ、これはこれだ。
「お、おい! お前の部下が調べるんじゃ、公平じゃねえだろ! 嘘つかれたら終わりじゃねえか!」
女が苦し紛れの声を張り上げた。逃げるための難癖だろうが、言い分はもっともだ。
「てめえごときを締め上げるのに、嘘なんざつかねえ。だが、ここの連中も俺の部下だけじゃ信用しねえよな。なら、プロの技師をこの場で雇う。ザルティスの暇人ども、腕に自信ある奴は名乗り出な!」
「おっと?」
意外な展開に技師の眉が上がる。周りの野次馬も驚いたようにざわめく。
ダリスコルが市場を見回し、最初に目があったその技師を指した。
「お前、整備士だろ? このタイプのスキャナ扱えるな。いくら欲しい?」
「へっ、俺? ……10カスでいいぜ」
「20カスやる。さっさと準備しろ」
「……まいどあり」
技師はニヤリと笑い、承諾した。悪趣味な余興だが、小遣い稼ぎになるなら悪くない。
他にも数人が名乗り出て、ダリスコルの部下を含め、計5人の「臨時検査チーム」が即席で結成された。
準備が整い、市場の中心に露店とスキャナが並ぶ。
女が菓子を種類ごとに一つずつ差し出す。横のルトとかいう男が「あわわ」と情けなくうろたえている。
ダリスコルが部下に命じ、スキャナが起動。技師たちは、それぞれに渡された菓子を解析する。
最初に違和感を感じたのは、匂いだ。
偽物は匂い付けするものだが、これは脳を焼くような甘い香り。
思わずゴクリと唾を飲みこむ。
周りの技師や見物人も同じ様子だが、今は我慢だ。技師はかちり、と義指をまげて、そこからさらに小さな手のようなロボアームが伸びた。
倍になった手の指により、手慣れた手つきで高速でスキャナを操作し、データをホロパネルに映す。
「……?」
数値を見て、目を疑った。
「……マジかよ」
一度目をこする。だが彼の眼に埋め込まれたレンズが、先ほど見たものと同じものを映し出している。
「ヴェクシス汚染率0.02。ファブコア含有率0.7。これは大気に触れて埃と一緒についただけだ。植物性遺伝子と動物性の体液を検出。少量の化学物質は入っているが、それすら汚染はほぼゼロ。完全に天然素材……それも超が付く最高品質だ!」
「こ、こっちもだ!」
「マジかよ、うそだろ!?」
「このスキャナ、運んできたときに壊れたんじゃねえか?」
他の技師も同じ結論。ホロパネルのグラフは、天然素材特有のクリーンな波形だ。
市場がざわつき、野次馬が「本物!?」「天然素材だ!」と叫び始めた。
「間違いありません。私が見てきた中でも、例のない高純度の天然素材でできた菓子です」
ダリスコルの部下が、汗を流しながら報告。ダリスコルも呆然としているようだ。
「ありえねえ……」
技師は唖然としたが、データは嘘をつかない。それまで不安げに見ていた女が口元を曲げ、ダリスコルを睨んだ。
「どうだ、ダリ! 本物だろ!」
ダリスコルは一瞬言葉に詰まり、灰色の髪を掻いた。だが、すぐに口の端を吊り上げる。
「……約束は守る。そしてこの商品、全部俺に売れ、ヴェラ」
「ハッ、悪いな! 今日はいろんな人に売りに来たんだ。買い占めはお断りだ! 欲しけりゃお行儀よく並んで買うんだな!」
ヴェラが市場を見回し、叫んだ。
「さあさあ、悪趣味にも見学してたザルティスの暇人ども! アタシが裸にひん剥かれなくて残念だったな! だが、喜べ! 証明された通り、これは本物の天然素材の菓子だ! 安いもんは1個5カスから! 買え買え! こんなもん、逃がしたら一生出会えねえぞ!」
「あ、一種類につき一人一個です。飴ちゃん玉は安くて、おすすめですよー」
その瞬間、市場が沸騰した。
野次馬が露店に殺到し、次々と商品を売ってくれと叫ぶ。
売買はお互いのデバイス――中には腕に組み込まれたパネルを操作して次々と成立。
そして耐えきれなくなりその場で菓子を口にした者が「うおおおお!?」と叫び、さらなる熱狂を煽る。
「はい、そこのにーさん、チョコナッツ棒ね。こっちは飴ちゃん玉と。お、そこの奮発しておっちゃんは板チョコ? 100カスお買い上げ、あざーっす!」
「こっちはグミ、そっちはクッキー……おい、横入りすんな! 勝手に商品触るな! あと、誰だ、アタシの胸触ろうとした奴は!」
調査した技師たちも呆けた状態から覚め、「こんなチャンス、二度とねえ!」とその人波に飛び込んでいく。なまじ調査した時に身近で触れていた分、我慢はもう限界だった。
市場の熱狂の中、遠巻きに眺める者たちは、5カスすら払えない貧困層に限られていた。
指をくわえて喧騒を見つめるのは、ジャンク売りの子供たちだ。その中に、兄弟らしき二人――兄と見られる少年が悔しそうに唇をかみ、弟は兄の手を握ってじっと立ち尽くしている姿があった。
「……」
「おい、ルト。何ぼさっとしてんだ。客待ってんぞ?」
「あ、ああ……」
そんな子供たちの様子を、菓子売りの男だけが少し悲しげに見つめていた。




