第17話:埃と鉄の市場
シアルヴェンのコックピットは、どら焼きの甘い匂いとヴェラの「うっめぇ!」という叫び声でカオス状態だった。
ようやくヴェラの暴走が終わった後、遥斗は作業台に両手をつき、彼女を睨みつけていた。
目の前には、空っぽのどら焼き袋が散乱し、栗入りの最後の一個まで綺麗に消えていた。
「ヴェラ、いい加減にしろよ!俺の好きな栗どら焼き、全部食っただろ!そもそもこのどら焼き、売り物の目玉にするつもりだったのに…。お前の借金返済の要だって自分で言ってたじゃねえか!」
「……悪かったよ。こんなうまいもん初めてだったんだ」
ヴェラは珍しくシュンとして、ソファの背もたれにドサッともたれた。緑の目が申し訳なさそうに揺れる。遥斗はまだムスッとしながらも、彼女のしょんぼりした顔に心が少し揺らいだ。
「まあ、ほかにも売り物の菓子はあるし、普通のどら焼きもまだあるから今回はいいけどさ。…ったく、次からは勝手に食うなよ」
すると、ヴェラの目がキラッと光った。彼女はソファから跳ね起き、作業台にずいっと迫った。
「じゃ、じゃあ、ドラヤキは今回は売らずに、残りはアタシにくれよ!だって、どうせお前が次に来るのってだいぶ先だろ?今回は前回の菓子と同じ奴だけ売るってことで、どうだ?」
遥斗は一瞬、某猫型ロボットを幻視した。どんだけどら焼きにハマってんだよ、と呆れる。
「あのさあ…別にお前の借金返済が遅れるのはお前の問題だからいいけど、俺とお前は取引してるって忘れんなよ!パートナーだから少しくらいはタダでやるけど、俺だって見返りがあるからやってんだぞ?」
「もちろん、ルトとの取引はちゃんとするって。ドラヤキ分として、帰るときに『いいもん』もやるからさ。お前の持ってたデバイスの技術から考えて、かなりいいもんだぞ?」
その言葉に遥斗は少し惹かれた。
SF的な何かをくれるらしい。
だが、前回だって勝手に食われた分の代価をもらってないんだぞ、と渋る。
「な、なあ、ダメか?」
ヴェラは作業台に両手をつき、前かがみに頭を下げた。その瞬間、タンクトップがたるみ、豊満な胸元がチラリと見えそうになる。遥斗は「うおっ」とたじろぎ、慌てて目線を天井にそらした。心の中で暗黒竜がザワつくが、必死に抑え込む。
「なんだよ、目も合わせたくねえくらい怒ったのかよ…」
ヴェラが愚痴っぽく、シュンとした声で呟くと、シアルヴェンのAIが無機質に割り込んだ。
"ルトの下腹部と顔の体温が増加。キャプテン・ヴェラの胸部露出による発情と推測。警告:ルトによる非生産的攻撃行動の可能性。"
遥斗にはシアルヴェンの言葉は分からないので、「なんだ?シアルヴェン、何言ったんだ?」と首をかしげるだけ。
だが、ヴェラは目を丸くし、胸元をチラッと見てから、遥斗をじっと見直した。
そして、何かに気づいたのか「ニャァ…」と猫のような笑みを浮かべる。
彼女はソファからスッと立ち、遥斗に近づくと両手をそっと包み込み、グイッと自分の胸元に引き寄せた。ゆったり膨らんだ双丘の先っぽが、触れるか触れないかの絶妙な距離で迫る。整備士であるはずの彼女の手は、意外に柔らかくすべすべで、遥斗の体がカチコチに固まる。
緑の目がキラキラ輝き、ヴェラが甘えるように囁いた。
「な、頼むよ、ルト。お願いだ」
その脳を溶かすようなささやきに、頭の中で暗黒竜が「従っちまえ、な?」と唆す。ここでヴェラを喜ばせれば、後でいい目にあえるかもだぞ、と。
だが、理性の遥斗くんが叫ぶ。「耐えろ、遥斗!これは罠だ!ここで引いたら、今後もおねだりされて貢ぐハメになるぞ!」
その声に、遥斗は理性をフル動員。
そうだ、キャバクラで破産する男のドキュメンタリーを見て俺はこんな風にはならないと決意したじゃないか!
これは罠だ!
耐えろ、遥斗!お前はできる子だ!ダメな子なんかじゃない!
「ルトのあまーいの、お前がいねえときもアタシは感じてたいんだ…ダメ?」
「うん、あげゆー」
おっぱいを腕に押し当てられながらそんなことを耳元で囁かれ、遥斗は条件反射で答えた。
遥斗はダメな子だった。
ヴェラはその言葉にパッと手を離し、勝利のガッツポーズ。
「マジ!?さっすがルト、話が分かるぜ!」
感触が遠のき、理性が戻ると、遥斗は崩れ落ちるように膝をついた。暗黒竜を隠すためではない。
「おっぱいには勝てなかったよ……」
しかたないね!男の子だもの。
さて、そんなこんなで、惑星ザルティスのマーケットへ向かう時間だ。
ヴェラはコックピットのロッカーから長袖の黒いジャケットとロングパンツを取り出し、さっと着替えた。ホットパンツとタンクトップから一転、動きやすそうな装いに、赤褐色の髪を覆うキャップをかぶる。
埃っぽいザルティスに似合う、なかなかのかっこよさだ。
遥斗は「さすが船長、決まってるな」とチラッと思うが、口には出さない。さっきの敗北がまだ悔しいからだ。
彼はリュックを背負い、ウキウキで準備を整えた。
ヴェラはコンソールを叩き、船の点検を終えて自動セキュリティをオンにすると、振り返った。
「よし、ルト。ザルティスの街まで行くぜ。準備できてるな?」
「ああ、初めての別の星に宇宙マーケット、めっちゃ楽しみだ!」
二人がコックピットを出ると、シアルヴェンの全体像が遥斗の目に飛び込んできた。彼は思わず「おおっ」と声を上げた。
シアルヴェンはボロボロの外見とは裏腹に、想像以上にデカい。地上では流線型の船体が、まるで巨大な鋼の蛇のようだ。全長は40メートル近くあり、コックピットから貨物エリアまで、錆びたパネルと無数の配管が絡み合ってる。彼女が「じいちんの魂が乗ってる」と言うのも納得の、存在感バッチリの船だった。
ヴェラが「宇宙だと空気抵抗がないから、スペース確保で円形に変形するんだ」と説明すると、遥斗は「変形!」と目を輝かせた。
男の子は変形には弱いのだ。合体はしないのか、と聞かなかった自分を褒めてあげたい。
「すげえな、こんなデカい船で宇宙飛んでるのか…」
「へっ、見た目はボロでも、中身は熱いヴェクシス機関が吠えてるんだ。シアルヴェンはまだまだ現役だぜ。さ、行くぞ!」
ヴェラが先導し、二人はハッチから外へ出た。ザルティスの宇宙港は、埃っぽい赤土の地面に無数の船が停泊する広大なエリアだ。シアルヴェン以外にも様々な形状の船が見え、貨物を運ぶ自動クレーンが動いている。
そこから街までは、ヴェラが手配した小型のホバーカーで移動する。車体は薄汚れて、錆とも違う奇妙な斑模様がついてるが、大きな傷はない。座席のクッションは破れてスポンジがはみ出してるけど、浮遊してスーッと進む感覚は遥斗にとって新鮮だった。
「これ、めっちゃいいな。未来に来た!って感じがするわ」
「未来?こんなボロ車がか? まあ、街まで半シクタ(約33分)もかからねえから我慢しろ」
ホバーカーは赤土の道を滑るように進み、遠くにザルティスの街並みが見えてきた。
ザルティスの街に到着すると、遥斗は目を大きく見開いた。シアルヴェンから見た映像の通り、赤い岩石でできた高層のビルが広がり、埃っぽい空気が漂う。ところどころで青白い光が漏れ、ホログラム広告が浮かんでる。パイプから蒸気のような煙が噴き出し、スチームパンクな雰囲気を醸し出していた。
ふと目をやれば、鳥やネズミみたいな小さな影がチラチラ動いてるのが目に入った。
「そういや、この星にはどんな動物がいるんだろ?」
遥斗がワクワクして木々に留まる「鳥」を覗き込むと、羽の隙間から赤いカメラアイがキラッと光った。金属の継ぎ目やカクカクした動きが、明らかにロボットだと教えている。地面を走る「ネズミ」も同じで、尻尾の先がアンテナのようだ。
「え、ロボット!?めっちゃリアルじゃん!」
「ルト、ザルティスに動物なんかいねえよ。あの鳥型や小動物型は、街の掃除や監視用の自律ロボだ。天然の動植物は保護区か、金持ちの庭にしかねえ。ペットにするなら1匹で数万カスはするし、こんなとこにいたら即盗まれて終わりだぞ」
遥斗がキョロキョロすると、街路樹やプランターの「植物」も怪しい。葉っぱを触ると、プラスチックとは違うが人工的な質感で、根元には青白く光るヴェクシス機関の供給ユニットが埋まってる。全部、人工インテリアだった。
「マジか…動植物って、そんな貴重なのか」
遥斗はリュックの菓子がどれだけ価値があるか、改めて実感した。
街の人々は見た目は地球人と変わらないが、多様性がすごい。黒い肌、白い肌、黄色い肌、いろんな人種が混ざってる。特に数が多く目立つのは、赤く焼けた肌の背の低い住民だ。平均身長150cmくらいで、がっしりした体型が多い。
「この赤い肌の人たち、なんか多いな」
「そいつらはザルティスの定住民だ。昔からこの星に住んで、強い紫外線に耐えるようになった連中だよ。今は惑星フォーミングでだいぶマシだが、開拓時代は過酷だったらしい。背が低いのは、重力が標準よりちょい強い地域があるからだな。連邦の他の星じゃ、もっとバラエティ豊かな人種もいるぜ」
ヴェラの説明を聞きながら、遥斗は街を進む。時折、腕を外してメンテナンスする人や、義眼を調整する人がいる。ある男は金属の腕をカチャカチャ動かし、「義肢、最近調子悪いな」とぼやいていた。看板には、手足の改造パーツの広告がホログラムで踊ってる。サイバーパンク感に、遥斗の心がワクワクした。
マーケットに着くと、遥斗は「おおっ」とまた感嘆の声を上げた。日本のフリーマーケットみたいに、地面にシートらしき何かを広げた露店がズラッと並んでる。科学が進んだ世界なのに、こんなアナログな売り方か、と不思議に思う。
だが考えてみたら地球だって科学が相当発展して通販ができようと露店売りは消えてないし、蚤の市は盛んなのだから、人間はどこも変わらないということかもしれない。
露店には、合成物の食料パック、ボロボロの電子パーツ、怪しげなヴェクシス結晶まで、いろんな物が並ぶ。売り子は赤肌の定住民から背の高いよそ者まで様々だ。
売ってるものも多彩で値段も下から上まで幅広い。
老婆が寸胴にペーストを放り込み、「良質な合成肉のスープ、0.6カスで腹いっぱいだ!」と叫び、子供がよくわからないガラクタを「ジャンク品、1カス!」と客引きしてる。金のやりとりで小数点があるのか、と遥斗は少し驚いた。
奥の通りでは太ったおっさんが「軍のおさがりシステムジャックツール!限定1個、2000カスだ!」と声を張り上げていた。
遥斗は、電気街のジャンク屋と日雇い労働者が集まる雑多な地区が混ざったような雰囲気だと感じていた。
二人は空いたスペースにシートを広げ、さっそくナチュの菓子を並べた。飴ちゃん玉、チョコナッツ棒、グミ、チョコレート。どれも地球から持ってきた本物だ。ヴェラが「安くしすぎると怪しまれるぞ」と言うので、値段は以下のように設定した。
飴ちゃん玉:1個5カス(約2,500円)
チョコナッツ棒:1本10カス(約5,000円)
グミ(小袋):1袋15カス(約7,500円)
チョコレート(板):1枚100カス(約50,000円)
遥斗は内心、「エリドリアで売った時より5倍は高え…こんなん売れんのか?」とビビった。
だが、それだけの価値がある、と言われれば納得するしかなかった。
ヴェラは持ってきた小型ディスプレイに、値段と菓子の成分データを表示。砂糖、穀物、ナッツ、果汁、全て天然物だと証明してる。
準備が整い、彼女が大声で客引きを始めた。
「さあさあ、ザルティスの旦那方!天然素材の菓子だぞ!合成素材のゴミみたいなもんじゃねえ、本物の味だ!1個5カスから、試してみなよ!」
叫んだ瞬間、人が押し寄せるかと期待したが、反応はイマイチ…どころかほぼ皆無だった。
通りすがりの定住民がチラッと見るが、「天然素材?こんな安いわけねえだろ」と笑って去っていく。ある男はディスプレイを覗き、「データは立派だが、偽物だろ」と鼻で笑った。
遥斗はムッとしたが、ヴェラが「まあ、最初はこんなもんだ。気長にいこうぜ」と肩を叩いた。彼女も内心、ちょっと焦ってるように見えた。
日が昇り、太陽が赤い空にギラつく。マーケットはさらに賑わってきたが、菓子は1個も売れてない。遥斗はシートに座り込み、ため息をついた。
「どうしたもんかな…全部本物なのに、誰も信じてくれないなんて」
ヴェラも頭を抱えて唸る。
「しまった…これでも破格すぎたか?」
「俺、今の値段ですらビビってんのに、そんな安かったのか?」
「いや、シアルヴェンに調べさせたから、相場よりちょい安いくらいだ…ん?」
ヴェラが不意に視線を上げた。遥斗もつられてそちらを見ると、マーケットの奥から長身の男が歩いてくる。脂ぎった灰色の髪をオールバックに固め、ごてごてした金色のネックレスが光る。黒いコートの下から、金属の義手がチラリと見えた。嘲笑うような鋭い目つきで、ヴェラをじっと睨んでいる。背後には、ガタイのいい部下が二人。
「よお、ヴェラ」
「ゲッ」
男が馴れ馴れしく声をかけた瞬間、ヴェラは不快そうに顔を歪めた。
遥斗は「誰だこいつ?」とヴェラを見るが、彼女の強張った表情から、ただの客じゃないと悟った。
男は遥斗を一瞥し、「ふん」と興味なさげに視線をヴェラに戻す。
「なんだお前、随分呑気に露店なんかやってんな。運送屋はついに廃業か?船はどうした。あれは担保なんだから、勝手に売るんじゃねえぞ」
「うるせえよ、ダリ。こんなとこまで来るなんて、よっぽど借金取りは暇なんだな?」