第16話:沈まれつってんだろ!
シアルヴェンのコックピットは薄暗く、金属の匂いが鼻をつく。
遥斗はソファーに座り、疼く股間の暗黒竜をヴェラにバレないよう、リュックを膝にぎゅっと抱え込んでいた。
「んじゃまあ、借金の話からするか」
「借金か、いくらくらいなんだ?」
「5万カスだ。でかい金だろ?」
「5万カスって…どのくらいなんだ?たとえば、普通の人が1日で稼ぐ金額ってどのくらい?」
遥斗はガルノヴァの通貨感覚が分からないので、そう聞いてみる。ヴェラは「そこからかよ」と眉を上げて天井を見上げた。
「お前の言う1日ってのは、だいたい22シクタだったな。てことは寝て起きる生活サイクルのことだろ?」
「ああ、そうだけど……もしかして一日って言葉がないのか?」
「そりゃあるぜ。天体の自転一回分だろ?でも天体の自転周期は星によってバラバラだからな。アタシたちみたいな船乗りは、暦や時刻にそんな単位使わねえんだよ」
なるほど、考えてみれば星々をまたにかける世界じゃ、地球の「1日」は不便かもしれないと遥斗は納得する。
たしか水星だと自転が遅くて1日が地球の176日相当で、1年が88日とかだったはずだ。確かに基準となる単位が必要なんだろう。
「寝て起きてのサイクルなら、1眠巡のことだな。ま、下層の食って寝るだけの『ワーカー』なら1眠巡で20カス行けばいい方だ。アタシみたいに船持って専門知識もある『スタッフ』クラスなら、おいしい仕事で500カスくらい行くこともある。……でも船の維持費もバカにならねえし、宇宙飛ばしたら毎眠巡で100カスはかかるからカツカツだけどな」
遥斗は頭で計算した。1眠巡で20カスだと…ややこしい。
1日働いて1万円いかないくらいか?と目星をつける。
となると物価にもよるけどそれだと1カスが400円から500円前後。
大目に500円と考えれば5万カスは2500万円くらい。住宅ローン並みのとんでもない金額だ。しかも維持費で1日5万円。それはたしかにきついだろう。
「なんでそんな借金してるんだよ、どうしてそんなことに?」
遥斗が恐る恐る聞くと、ヴェラは少し苦い顔で話し始めた。
「このシアルヴェン、アタシのじいちゃんのなんだ。危険な宇宙を飛び回る運び屋の象徴ってやつで、じいちゃんが命張って守ってきた船だ。アタシも小さい頃よく乗せてもらってたよ。でも、三年前にじいちゃんが死んだ後、両親が売っちまったんだ。じいちゃんは船をアタシにやるって言ってたのにさ。くそ親父は『ヴェラ、お前が宇宙に出るなんて危ねえから、もうこれで変な夢を見るのはやめろ』なんて言ってたけど、アタシにはじいちゃんが大好きだったこの船が他人に渡るなんて我慢ならなかった。今でも覚えてるよ。アタシは業者が牽引していくシアルヴェンに向かって泣きながら『じいちゃんの魂が乗ってる船だ、返せ!』って叫んでた。でも、両親は聞かねえで売っちまった」
ヴェラは目を細めて、悔しそうに息を吐いた。
「だから、アタシは裏マーケットに飛び込んだ。当時のアタシみたいなガキにすら平気で貸し付けるようなとこだぞ。まあそこでなきゃ金なんて借りられなかったんだけどさ。そこで5万カス借りて、2万5000カスで船を取り戻して、2万カスで修理と整備をした。残り5000カスは運送屋始める手続きとか手数料とか、そんなんで消えたよ」
彼女は自嘲するように笑ったが、その声にはやりきれない気持ちが滲んでた。
「でもさ、それって…もし払えなくなったらどうなるの?」
遥斗の声が震えた。もはや暗黒竜は完全に静まり返っていた。彼はリュックを膝から下ろして、真剣に彼女を見据えた。
ヴェラは一瞬目を逸らすが、しばし「うーん」とうなったあと、あっけらかんと答える。
「船とアタシ自身が担保だからな。一応利子が払えなくても総計が6万カスになるまでは待ってくれるらしいけど、利子も払えなくて総額がそれを超えた時点でアタシに自由はなくなって、良くて娼婦だ」
「娼婦!?」
「体はそれなりに男受けするみたいだし、需要はあるらしいから、10年くらい働けばなんとかなるだろ」
彼女は自身の双丘を掴んでゆさゆさと揺さぶりながらそんなことを言う。
(そ、そんな…ヴェラがおっぱいで借金を返すってのか!?このわがままボディで稼ぐわけですか!?)
遥斗は床のリュックを慌てて拾い上げ、再び膝の上に置いた。
「もしくは放射能汚染がひどい星とか、ろくにテラフォーミングが済んでない星で、体が壊れるまで採掘屋をさせられるかなぁ」
ほとんど昔の罪人みたいな扱いに、戦慄する。
遥斗はリュックを床に置いた。
「ま、でもその前に金持ちの色欲ジジイの妾って名目で、ペット兼性玩具って感じか。アタシみたいなハネッかえりを躾けたい、みたいな奴が買うんじゃないかな」
あっはっはと笑いながらソファに胡坐をかくヴェラ。ホットパンツが鼠径部に食い込み、はりのいい太ももがさらに誇張される。
遥斗は床のリュックを再び取り膝の上に置いた。
(ペット!?猫っぽいヴェラがペットでにゃーんしてにゃんにゃんするとか…それはにゃんともけしからん!お父さんは許しません!)
お前はヴェラのお父さんではない。
それよりも暗黒竜を鎮めろ。
「最悪の場合は、下手すりゃ天然素材としてバラバラにされて裏マーケットに売られるってとこか。ま、さすがにそれはアタシが女としても労働力としても価値がなくなった時だろうから、まずないだろうけどさ」
遥斗はリュックを床に置いた。
想像よりヤバくて、暗黒竜は一気に静かになった。
さすがにそれはシャレになってない。地球より科学が進んだ世界だと思ったけど、人権はあんまり大事にされてないらしい。それがガルノヴァ連邦全体なのか、裏マーケットに関わったからなのか、遥斗には分からないが。
「さっきからお前、なんで荷物を持ったり置いたりしてんだ?」
「なるほどな、わかった。そりゃヴェラも金策に必死になるわけだ。だから藁にもすがるつもりで俺とパートナーになったわけか」
「ああ、ただでさえここんとこ宇宙嵐とかもひどくて運送業もうまくいってなかったし、利子の払いも目の前だったしな。その上今回の船検だろ?マジで取り立てが来たら乳くらい揉ませてやって支払い伸ばしてもらえないかって考えてたくらいには詰みかけてたんだ――って、だから、なんでルトは荷物置いたり持ったりしてんだ?そういう趣味なのか?」
ヴェラの訝しげな目線から目をそらしながら、遥斗は覚悟を決める。
「そういうことなら、俺も気合入れないとな。この船が借金のカタにされるってことは、俺がこっちに来るのも難しくなりそうだし。そしたら念願の宇宙旅行もままならなくなっちゃうしな」
「ああ、頼むぜ?でもそれだけってわけじゃないぞ。たとえ借金がなくなっても、お前とは縁を持っておきたいからな」
「えっ」
「当たり前だろ?天然な食材、しかもそれを使った菓子なんて剛毅なもんを持ってくる奴だぞ。逃がすわけねえし、アタシにあんな快感を覚えさせたんだ。責任は取れよな」
ヴェラの言葉に一瞬赤くなりかけたハルトだが、「ああ、そういうことね…」とスンッとなった。でも最後の言い方は勘違いしそうだからやめてほしい。にやにや笑ってるあたり、わざと言ってるっぽいけど。
「すねんなよ、ルト。お前と縁をつないでおきたいってのは、それだけじゃないんだ」
にやにや顔をやめたヴェラが、少し空気を変えてそう言ってくる。
遥斗が「何だ?」と首をかしげると、彼女は少し遠くを見るような目で語り始めた。
「『待ち人』についてだ」
「!」
「じいちゃんがよく話してた、カルディス家の船乗りに伝わる話らしい。アタシが小さい頃、じいちゃんが膝にアタシを乗せて、星空を見ながら聞かせてくれたよ。
『もし警報もセキュリティもすり抜けて、いつのまにか船に乗り込んでる奴がいたら、それはカルディス家の“待ち人”かもしれねえ』
ってさ。昔、カルディス家のご先祖様が宇宙を旅してたとき、どこか知らねえ星で出会った“風変わりな旅人”がいたんだと。そいつはどこの辺境の星の言葉でもペラペラ喋れて、あっという間にそこに溶け込んじまうんだ。それからはそいつは船の中にいつの間にかひょっこり乗り込んでは、いろいろご先祖様を助けてくれたらしい。宇宙で漂流して飢えて死にかけた時には食料を持ってきたり、怪我や病で動けなくなったら不思議な薬で直してくれたり、ご先祖様はその旅人に何度も命を救われたんだって話だ」
ヴェラの声が少し低くなり、コックピットの薄暗い照明が彼女の赤褐色の髪に影を落とした。
「だけどついにその旅人とも別れることになってさ。そのときに言われたらしいんだ。
『君とはもう会うことはないだろう。だが君が……君の一族が船に乗り続ける限り、私の意思は【そこ】にある。ならいつか――私の意志を継ぐ者が、また君たちと旅をして、ともに運命を乗り越えるだろう』
そして、ご先祖様はこう返したんだ。
『助けられるだけじゃ借りっぱなしだ。ならその時は今度は俺の子孫がお前を、お前を継ぐものを助けよう』
ってな。それが、アタシたちの一族の約束なんだ」
それは……なんともスケールが大きい話だ。
「いつか、その恩と約束を果たす。ご先祖様、そしてじいちゃんはその相手を“待ち人”って呼んでた。そして、今はそれをアタシが受け継いでいる……ちょっと壮大でロマンある話だろ?」
「それが俺だってのか?確かに俺は謎の扉でシアルヴェンに来てるけど、そんな不思議な存在じゃないぞ?俺の先祖にそんな人がいたなんて話もしらないし」
そう答えると、ヴェラはニヤッと笑って船に命ずる。
「シアルヴェン、ルトが初めてここに来た時の記録、再生しろ」
"Aisa"と、声がかえり、空中に映像が映し出された。そこには、前回初めてシアルヴェンに現れた遥斗と、驚くヴェラの姿があった。映像のヴェラが何か喋ってるが、その意味は分からない。
「なぁ、ルト。お前、これ見てみろ。アタシにはお前が何言ってるか分からねえ。お前にはアタシの言葉が分からねえだろ?」
遥斗は頷く。確かに、映像の中のヴェラの言葉が奇妙な音の連なりにしか聞こえない。
「あー…でも俺には今、普通にヴェラの言葉が分かるんだよな。前も気になってたけど、なんだこれ」
ヴェラが目を細めて、じっと遥斗を見つめた。
「さあな。喋ってる言葉は違うのに、意思の疎通はできてる。だけどシアルヴェンの記録だと分からねえ。でも、アタシにはリアルタイムで意味が通じる。じいちゃんが言ってた『どんな星の言葉もペラペラ』って、もしかしたらこのことかもって思ったわけだ。ご先祖様の時とは違って今ならガルノヴァ連邦全土を抑えてる翻訳機もあるけどよ、当時はまだ主要言語のしかなかったし、お前の言葉がシアルヴェンの記録ではこうなってるなんて、わけがわからねえ。マジでお前はカルディス家の待ち人なのかもしれねえぞ?」
言われて遥斗は言葉を失う。
なんとなくで来てしまってるこの世界だけど、自分が来ることには何か意味があるってのか?
急に現れた扉。エリドリア、ガルノヴァ、言葉の翻訳、超文明、そして――ヴェラの一族の【待ち人】。
いったい俺に何をさせようっていうんだ?
全部わからないことばかりだ。
考えて考えて考えても分からなくて――
「……ま、わからんものを気にしてもしゃーねえな。なんか俺が来るのに理由があったって分かったら、その時気にすりゃいいし」
考えるのをやめた。
考えてもわからないなら考えない。
なおこの結論に至るまで悩みはじめてからわずか2秒である。
ポジティブさには定評のある遥斗くんだ。
「気が合うな、ルト。ぶっちゃけアタシもロマン感じてる以外はどうでもいい」
どうでもいいらしい。
「でもロマンは大事だろ。一族の待ち人ついに来る!ってなって、テンション上がってるアタシの気持ち分かる?」
「分かるー、超分かるー。物語の主役になった感じしていいよね。あ、もってきたどら焼き食う?難しい話を聞いて糖分欲しくなった」
「どら焼き?なんか知らねえけど食べるー……うっめぇぇぇぇぇぇ!!外側の生地も合成素材のケーキじゃねえし、何より触感と甘さのハーモニーがたまらねええ!ほんのりとした甘さの生地に、中の餡の強烈ながら優しい甘さが合わさって最強!……こっちもうっまぁぁぁ!なんだつぶつぶしたのが入ってる!こっちのは何かの木の実か!これも天然物やねーか!」
「お替りもあるぞ!どうせヴェラに食われると思ってそれぞれいろんな種類を10個くらいもってきて――」
「もももももももももむっめぇぇぇぇぇ!!」
「ってだから俺の分まで食うなぁぁぁぁ!!あああああ!それは俺の好きな栗入り!?やめろまてまて俺の食いかけまで奪いとろうとするあああああああ!」
どこかで見た光景が繰り返される船内に、シアルヴェンの
"Suga-vexikensu.Saluvadu(糖分取り過ぎ注意)"
という警告だけが、むなしく響いていた。