第15話:沈まれ、俺の暗黒竜よ!
押入れの扉を前にして、遥斗はリュックを背負い直し、深呼吸した。
エリドリアから帰還して5日、ついにガルノヴァへの再訪だ。わずか10日しか経ってないのに、ずいぶん前のことのように思えてくる。
「いやぁ、めっちゃワクワクするよな、SF世界! かっこいいぞスペースシップ! 放てレーザーガン! ビビビビー!」
この男、ノリノリである。
エリドリアからの帰り道で「出張大嫌いだ!」とか悪態をついてたことはすっかり忘れていた。
まぁ、男の子だし仕方ない。20を超えてるのに少年の心を持ち続けているのが、ハルトという奴だ。
テンションが上がって自然と笑みがこぼれる。
さっそくガルノヴァを思い浮かべながら取っ手に手を伸ばした。
頭に浮かぶのは、《シアルヴェン号》の無骨な船内と、ヴェラの荒っぽいながらも爽快な笑い声とその笑顔。
それから長く閉じ込められた独房――はあまり思い出したくない。
そんなことを考えながら少し苦笑いしつつ、扉に触れたその時、表面が微かに震えた気がした。
遥斗はぴくりと手を止め、扉を見つめた。
「ん? 今、反応した?」
不安と好奇心が混じり合い、心臓が少し速く鳴る。だが、「ま、まぁ大丈夫、だよな?」と自分を励まし、勢いよく扉を開けた。
「よし、行くぜ! SF、待ってろよ!」
扉の向こうに広がったのは、薄暗い通路――ではなく、狭い金属の部屋だった。壁には錆びた鉄格子が嵌まり、床には埃と油汚れがこびりついている。見覚えのある独房だ。遥斗は一瞬硬直し、叫んだ。
「うわっ! 何!? あんとき閉じ込められた独房じゃねぇか!」
慌てて後ずさり、押入れの扉を振り返るが、そこにはもうアパートの自室しかない。リュックを握り直し、遥斗は額に汗を浮かべながら呟いた。
「待てよ……前は倉庫だったのに、今度は独房? 思い出した直後にこうなったのは偶然か? ……もしかして、この扉の位置って変えられるのか?」
その考えが頭に閃き、心がざわついた。今まで漠然と「扉がガルノヴァの《シアルヴェン号》に繋がる」と思っていた。
だが考えてみれば、前回繋がった時、船は宇宙を航海中だった。
ってことは、扉そのものは動いてるわけで、繋がる場所も動かせるのかもしれない。ただ、遥斗にはガルノヴァで《シアルヴェン号》以外に繋がるイメージが湧かない。
理由は分からないが、漠然と「ヴェラとシアルヴェン」がガルノヴァとの縁のように感じている。
エリドリアでも同じで、「イリスとあの森」との縁は感じるが、それ以上のイメージが湧かない。しいて言えば、「イリスとイリスの家」が近い感覚くらいか。
もしかしたら、今後それぞれの世界との関わりで変わるのかもしれないが、今は分からない。
「まぁ、考えてもしょうがないか。とりあえず船内に出よう」
遥斗は独房の鉄格子を軽く叩き、格子が軋んだ音を立てて壁に消えていくのを見届けながら外へ出た。ちなみにロックはかかっておらず、手をかざすだけで自動で開いた。
狭い通路を進むと、空気が変わり、金属と油の匂いが鼻をつく。間違いなく《シアルヴェン号》の内部だ。
壁には遥斗には理解できないパーツが無造作に積まれ、青白い光が脈打つように明るくなっている。
遥斗は前回案内されたコックピットあたりを目指し、勝手に歩き出して船内を見回した。
通路を抜けると、広い操縦室らしき場所に出た。中央にはホログラム端末が置かれ、「┤・┼ゝ ⊥・∧(温度・湿度制御停止中)」という角張った記号の表示が青く点滅しているが遥斗にはさっぱり意味が分からない。床には工具が散らばり、壁にはひびが入ったパネルが剥き出しになっている。その時、後ろからドカドカと足音が近づいてきた。
「おい! やっぱりルトか!」
振り返ると、そこにヴェラが立っていた。遥斗は一瞬言葉を失った。彼女は薄手のタンクトップ一枚に、肌にぴったりと張り付いている短いホットパンツだけという姿。汗で濡れた赤髪が首筋に張り付き、豊かな胸のラインと仄かに透ける先端が目を引く。腰から下はむっちりとした太ももが露わで、整備用の工具を手に持つ姿が妙に色っぽい。
もうちょっとでR15の境界線を軽く超えそうなその肢体に、遥斗は顔を真っ赤にして叫んだ。
「お、お前服着ろよ! 何だその格好!」
それを聞いたヴェラは最初、「何いってんだコイツ」とばかりにポカンとしたが、自分の姿を見直した後にニヤリと笑い、工具を肩に引っ掛けて平然と近づいてきた。
「気にすんなよ、減るもんじゃねぇだろ。今空調切ってて船ん中暑いんだよ。なんだ、お前童貞か?」
「ど、ど、ど、童貞ちゃうわ!」
遥斗が見栄を張って否定すると、ヴェラは腹を抱えてケラケラ笑った。彼女の豪快な笑い声が船内に響き、遥斗はますます顔を赤くして抗議した。
「なんだよ、お前だってそのガサツさじゃ男が寄ってくるようには見えねぇだろ!」
「はっ! アタシに男なんかいらねぇよ。船と工具があれば十分だ」
彼女自身、男性経験はないのだが、そんなことはおくびにも出さない。
遥斗の悪態にヴェラは肩をすくめて笑い続け、「いいから座れよ」と軽く蹴飛ばされた。
とはいえ少し気まずくなった遥斗は咳払いして話を切り替えた。
「まぁ、その話はいいや。……ところでさ、『やっぱり俺か』ってどういうことだよ?」
ヴェラが笑いを収め、中央のソファーにドカッと座って答えた。
「シアルヴェンがセキュリティが破られたときの反応をしないからな。なのに侵入者が出たときたもんだ。前回もそうだったろ? そんな反応になったのはお前だけだから、分かったんだよ。今後はちゃんとはっきり分かるように、お前の生体情報を登録しとく。前回はバタバタしてて忘れてたわ」
そこまで言うと、ヴェラがテーブルを叩いて遥斗を見据えた。その吸い込まれそうな緑色の瞳に少しドキッとする。だが、彼女から出てきた言葉は色気のないものだった。
「まぁ座れよ。早速だが取引の話だ。マジで助けてくれねぇと困るんだよ」
彼女はため息をつきながら船内を見渡して言う。
その船内は雑然としていた。床には油のような黒ずんだ汚れがこびりつき、壁には前回見えていなかった配線がむき出しになっている。
彼女の声には切実さが滲んでいるが、どこか嬉しそうでもある。
「お前、なんかウキウキしてるけど、どうしたんだ? なんかいいことあったんか?」
ソファーに座りながら遥斗が言うと、ヴェラが苦笑して首を振った。
「逆だよ、ルト。この《シアルヴェン号》のヴェクシス機関を整備に出したんだが、案の定だいぶガタがきててな。航行認証――連邦の船検で引っかかっちまった。業者じゃボッタくられるし、できるだけ自分で直そうと思っても、修理に必要な機材がバカ高くて、金が足りねぇんだよ。このままじゃ仕事どころか宇宙にも出れねぇ」
「船検……? 宇宙に出れないって、ここ宇宙じゃないの?」
遥斗がそう言いながら周りを見回すが、見えるのは無機質な船内だけだ。
ヴェラが鼻で笑いながら答えた。
「宇宙じゃねぇよ。今はザルティスって錨星に降りてる。あんまいい惑星フォーミングはされてねぇけど、まぁこの辺の星系じゃマシなほうの星だ。見せてやるよ」
彼女がシアルヴェンに命令すると、「Aisa」といつもの「了承」らしい声が響く。
そして壁に外の様子が映し出された。
ここは確かに宇宙船が停泊する場所の用で、あたりにはいくつもの形状の大きな船が見える。
その向こうには赤茶けた大地が広がり、砂塵に塗れた風が薄い雲を動かしている。
火星を思わせる風景だが、遠くには湖に見える何かと、スラム街のような猥雑なエリアも見えた。
景色がズームされていくと、錆びたように朽ちかけた金属質の建物が乱雑に並んでいる。蒸気らしき煙がパイプから漏れ、シアルヴェンの中でも何度か見かけた青い光がチラチラと点滅していた。それがヴェクシス機関によるものだと、あとから聞くことになる。
SFの未来都市というより、スチームパンク的な雰囲気が漂い、角張ったホログラム看板が何か表示している。それはこのシアルヴェンの中でもなんどか見た、あの記号のような文字だ。
「うわっ、ごっちゃごちゃだな。でもこの感じ、嫌いじゃないかも」
遥斗が目を輝かせると、ヴェラがニヤリと笑った。
「お、そうだろ? アタシも結構この雰囲気は好きでさ。ここはよく拠点にしてるんだよ。で、この星のドックで船を止めてぼちぼち直してるんだが、修理費がなぁ。だからお前が持ってくる天然物を売って、それでなんとかしたいんだよ」
そう言いながら、いつの間にかヴェラが遥斗の横に詰め寄り、しなだれかけるように流し目を送りながら下からのぞき込んだ。
汗ばんだ肢体とともに寄せてくる柔らかな双丘に一瞬鼻を伸ばしかけるが、よく見ると彼女の目は完全に「金」に染まってる気がしてスンッとなる。
ごほん、と咳払いして煩悩を振り払いつつ、リュックを『膝の上』に置いた。
なお目はまだおっぱいに半分置かれている。
膝にリュックの重みがのしかかるが、耐えねばならない。
耐えるのだ!
「ふーん……なるほどな。確かに前回の話なら、持ってきた菓子が売れるんだろうけどさ。……その前にちょっと聞きたいことがあるんだけど、聞いていいか」
遥斗は真剣な目でヴェラを見据えた。彼女は「ん?」と首をかしげる。
なんだよその仕草は。
可愛いじゃないかこの野郎。
あとあまり体を傾けるな。乳が漏れかけてるんだぞこの野郎。
遥斗は吸い込まれそうになる目を必死にそらして彼女の瞳に向け続ける。
「……なあ、なんでヴェラはそんなに金が欲しいんだ? 借金って言ってたけど、そんなに大変なのか? 修理費って言っても仕事はしてるって話だし、こんなでかい船持ってるなら元々それなりに金は持ってるんじゃねぇの? あと、前にお前、俺のこと『待ち人』って呼んだよな。あれ何だよ? ちゃんと説明してくれ」
大学の時にギャンブルで借金して大変そうだった知人はいたが、彼女の性格からしてそれはない気がする。
彼女はお菓子に没頭したように即物的ではあるが、享楽的には感じない。
贅沢よりも、信念や自由を愛する。そんなタイプだと、遥斗は感じている。
……まぁ、そういうタイプは趣味や己のロマンのために湯水のごとく金を使ってしまう場合があるのだけど。
ただ、それならそれでいい。
正直、遥斗にとってヴェラがお金を求める理由はどうでもいい。
単に浪費家で贅沢したから金がないってだけでも、宇宙旅行に連れてってくれるなら取引はちゃんとする。
実はテロリストや犯罪者で追われてるとか、犯罪計画に金が必要とかでないなら別になんでもいい。
それだけ宇宙は魅力だし、あとヴェラのおっぱいも素晴らし――もとい、ヴェラは気持ちのいいおっぱい――もとい、性格だし、ビジネスとして付き合うには問題ない相手だ。
性的なお付き合いは期待してない。
いやちょっとはするかなあ……。
なんにしろ、彼女が何を大事にしているか、何をしたいのかは聞いておきたいのだ。
それを手伝うにしろ、深入りしないにしろ、それが彼女の行動原理ならば、パートナーとして知っておくべきと考えるからだ。
遥斗のまっすぐにヴェラの瞳を見つめる真剣な眼差し――ヴェラのおっぱいに目がいかないように理性をフル動員させていただけだが――に、ヴェラの動きが一瞬止まる。
そして彼女はすこし遥斗から離れると、ソファーにもたれかけて腕を組む。そのまま少し黙り込んだ後、ため息をついて口を開いた。
「……まぁ、いいか。お前には話してもいいだろ。ちょっと長くなるかもしれねぇけどな。……ま、楽にしなよ。くだらない話だし、あんま硬くならないで聞いてくれよな」
そう言って自嘲するかのように、遥斗に笑う。
遥斗は頷くと、彼女の言う通り力を込めていた体の緊張を解いてソファーにもたれかかった。
体の緊張はほぐれたが、遥斗の一部は硬くなっていた。
下半身の封印されし暗黒竜が暴れないよう、今、遥斗の理性はフル稼働しているのだ。
「……? 楽にしていいぞ。その荷物、『膝』に置いたままだけど床にでも置いたらどうだ? 重くないのか?」
「おかまいなく」
遥斗の遥斗君は硬くなっていたのだ!
タイトルに「章」だとはいざ章立てしたときに混乱するので、今後は「第〇話」で統一します。過去の話は徐々に修正していきます。




