第14章:家族が増えるよ!やったね遥斗くん!(増えてない)
ヴェルナ村の市場から少し離れた小道を抜けると、イリスの家が見えてきた。
遥斗は革袋を肩にかけ直し、隣を歩くイリスをちらりと見て軽く笑った。陽はまだほどほどに高く、木々の間を縫う風が草木の香りを運んでくる。
「ハル様、あそこが私の家です」
イリスが指さした先には、木々に囲まれた小さな家が姿を現した。
屋根は藁と木の板で葺かれ、壁は土と石を混ぜて固めた簡素な造りだ。ところどころに苔が生え、年季の入った雰囲気が漂っている。家の脇には小さな畑があり、土が丁寧に耕され、薬草らしき緑が控えめに育っていた。窓枠は木製で歪み、ガラスではなく薄い獣皮が張られている。質素だが、人の生活が感じられ、柔らかで温かみのある佇まいだった。
「へぇ、いい感じの家じゃん。畑もあるんだな」
遥斗が感心したように言うと、イリスが少し緊張した様子で頷いた。
「質素で申し訳ないです、ハル様。家族と暮らすには十分なんですけど……」
「いやいや、いい雰囲気だよ。こういう家ってなんか落ち着くな」
遥斗が手を振って笑うと、イリスは少し恥ずかしそうに微笑んだ。
二人が玄関に近づくと、軋む木の扉がゆっくり開き、中から小さな顔が覗いた。
色白で華奢な少年だ。
イリスと同じ薄茶色の髪が額にぼさぼさにかかり、薄い麻布の服から覗く腕は細く頼りない。
咳き込むような小さな音を立てながら、彼がイリスを見上げた。
年の頃はトゥミルより少し幼い、7歳くらいだろうか。顔はイリスに似ているが、頬がこけて目が疲れているように見えた。
服は麻布の粗末なもので、膝のあたりが擦り切れている。
「姉ちゃん、帰ってきたの?この人は……?」
「ルク、大丈夫?外に出ないでって言ったよね。また体が辛くなっちゃうよ」
イリスが慌てて少年に駆け寄り、肩をそっと押して家の中に戻そうとした。その声には心配が滲んでいる。遥斗は少し気になりつつも、「深入りするのもなあ」と内心で思い、明るく手を挙げた。
「よう、ルクって言うのか?俺は遥斗。イリスの……うん、友達だな」
「え、えと……ルクェンです」
少年――ルクェンは、姉が連れてきた妙な服の男に驚いたのか目を丸くした。遥斗は「なるほど、ルクェンだからルクか」と納得し、笑顔で手を振った。
ちなみに遥斗には「ルクェン」という発音は難しいらしく、イリス達には「るくえん」と聞こえていたがスルーする。
「ハルでいいからな、よろしく!」
遥斗の言葉にイリスが優しく微笑んで頷くと、ルクェンも少し安心したのか、小さく頭を下げた。
家の中に入ると、さらに小さな女の子が奥からトコトコと歩いてきた。
5歳くらいだろうか。髪はイリスと同じ薄茶色で、ぼろぼろの布をまとった人形を抱えている。顔色が少し悪く、足取りが頼りなかった。
「おねえちゃ、誰か来たの……?」
まだ舌足らずな声で少女が尋ねると、イリスが振り返り優しく答えた。
「エスニャ、起きてたんだ。少し休んでてって言ったのに……。この人はハル様、私の大切なお友達だよ。この前のおいしいお菓子をくれた人。ハル様、この子はエスニャ、一番下の妹です」
エスニャは人形をぎゅっと抱きしめ、恥ずかしそうに遥斗を見上げた。遥斗は二人を見て、「イリスはこの子たちのために頑張ってるのか」と少し胸が締め付けられる思いを感じたが、それを隠して明るく笑った。
「エスニャちゃんか、こんにちは!可愛い人形持ってるね」
「こんにちは……」
遥斗が屈んで目線を合わせると、エスニャは小さく笑って目を伏せた。
家族はこれで全員らしい。両親は見当たらないが、家の様子やイリスの言動から大体の事情は察せられた。亡くなったのか、いなくなったのかは分からないが、今ここにいないことは確かだ。遥斗は「必要ならイリスが話すだろう」と聞きはせず、笑顔を三人に向けた。
「二人ともイリスに似て可愛いな。家族揃って仲良さそうだ」
「……はい、大切な家族です」
イリスがはにかんで答えた。
家の内部は外観同様に簡素だった。土間には囲炉裏に似た小さな暖炉があり、煤けた鍋が吊るされている。壁には木の棚が打ち付けられ、薬草や乾いた山菜が並んでいた。床は土を固めたもので、隅に藁と布で作った寝床が二つ。空気には薬草のほろ苦い香りが漂い、暖炉の火が小さく揺れてほのかな温もりを与えている。だが、生活の厳しさが垣間見えた。部屋の奥には粗末な木のテーブルと椅子が一つずつあり、イリスがそこに荷物を置いた。
「ハル様、ここに座ってください。お茶を淹れますね。……大したものはないんですけど」
「いいよいいよ、そんな気遣わなくていいって。俺、こういう家初めてだから、見て回るだけで楽しいんだ。……でも、ずいぶん火をくべるんだな。外、寒かった?」
遥斗が呼び止めたが、イリスは申し訳なさそうに暖炉に薪を投入していた。確かに木陰の家は肌寒かったが、火の勢いが少し強い気がする。
「いえ……ルクはそうでもないんですけど、エスニャが寒さに弱くて。冷えると辛そうになるんです。私のポーションじゃ治せなくて……薬草師なのに何もできない自分が嫌で、せめて暖かい服や食べ物を買ってあげたいなって……」
「そっか、それで暖かい服にこだわってたんだな。じゃあなおさら、次はもっと稼ごうぜ!」
少し重い雰囲気を吹き飛ばすように遥斗が言うと、イリスが小さく笑って頷いた。
「エスニャ、大丈夫だよ?寒くても我慢できるよ」
汗をかきながら暖炉に火をくべる姉を見て、エスニャがけなげに言った。
まだ幼いのに、姉の苦労を理解しているのだろう。
体を丸めて心配そうにイリスを見ている。
遥斗はもう駄目だった。
もともと子供好きだし、生意気なクソガキッズでも無問題だが、いい子にはさらに弱い。
この幼女は守護らねばならぬ。
「ううん、エスニャは我慢しなくていいよ。姉ちゃん、俺が手伝うから少し休んでて。薪を取ってくるだけでいいよね?」
するとルクェンも小さな声で言った。
けなげなショタが追加されて遥斗はさらにダメだった。
当然このショタも守護らねばならぬ。
ならぬのだ!
「ううん、もう終わったから大丈夫だよ。すぐご飯にするから二人とも待ってて――ハル様、どうしたんですか?」
「なんでもない……うん、なんでもないから」
イリスが不思議そうに聞くと、遥斗は目頭を押さえつつ答えた。
(こんなんアカンやん……絶対幸せにせなあかんやん……俺がお兄ちゃんになるしかないやん……)
12月には赤い服の髭男になって良い子の三人にプレゼント持ってくる決意を固めた。
お兄ちゃんに任せとけ、と気分は完全に兄だった。
なおイリスは別に兄を欲してはいない。
「ハルお兄ちゃ、商人さん?お姉ちゃとお仕事してる?」
とてとてと近づいてきたエスニャが舌足らずに聞くと、遥斗はニッコリ笑って答えた。
「そうだよ、ハルお兄ちゃは異国から来た旅人でさ、イリスお姉ちゃんに手伝ってもらって稼いでるんだ。しばらくはこの辺りに何度も来るからな!」
エスニャの「お兄ちゃ」をそのまま使ったあたり、かなり気に入ったらしい。
どけ!俺がエスニャのお兄ちゃだぞ!
「あ、そうだイリス。今から食事作るんだろ?」
「はい、大したものじゃないですけど、ハル様も一緒にどうぞ。黒パンと、屑野菜と薬草のスープしかないですけど……」
「待ってくれ、それなら俺からいいもの出すよ。ちょっと待ってな――あった!」
申し訳なさそうなイリスを止め、遥斗はリュックからインスタントラーメンの袋を取り出した。イリスが首をかしげると、得意げに笑った。
「これ、インスタントラーメン。この前食べてもらおうとしたやつだよ。すぐ作れるし、めっちゃ美味いんだ。竈を借りていいか?四人分の皿と大きめの鍋だけ貸してほしい」
イリスが驚きつつ頷き、竈に火をかけた。お湯が沸くと、遥斗は慣れた手つきで袋を破り、麺を茹で始めた。チキン風味のスープの香りが部屋に広がり、ルクェンとエスニャが目を輝かせてテーブルに近づいてきた。
「何!?この匂い、すごい……!」
「お腹鳴っちゃう……」
イリスも興味津々に遥斗を見た。
茹で上がったラーメンを木の椀に分け、「さぁ、食べてみ!」と促すと、三人は恐る恐るスプーンを手に取った。最初に食べたルクェンが目を丸くして叫んだ。
「うわっ、ちょっと食べにくいけど、めっちゃ美味しい!こんなスープ初めてだよ!」
エスニャもスープを啜り、「お姉ちゃ、こえ!こえ美味し!」と興奮気味に言った。疲れた表情が一気に明るくなったように見える。
イリスは一口食べて、感動したように目を潤ませた。
「ハル様、これ……本当に美味しいです。こんなの、村じゃ絶対食べられません」
遥斗は満足げに笑い、自分も麺を啜った。
「だろ?喜んでくれて良かったよ」
「でも、こんな素晴らしいものをいただいて……銅貨でお支払いしたほうが――」
「いいよ、俺が食いたくて作っただけだし、子供たちに喜んでほしかっただけだからさ」
食事が終わり、粗末なテーブルに温かい空気が漂った。遥斗は空の椀を片付けながら提案した。
「なぁ、イリス。5日後がバイトの休みだから、また来るよ。その時、村を見て回って工芸品とかチェックしたいし、交易商人にも会えたらいいな。刺繍や工芸品を作れる人、調べておいてくれるか?」
「5日後ですね。分かりました。革製品や手芸品のこと、村で聞いておきます」
「助かるよ。それじゃ、約束な!」
遥斗が親指を立てると、ルクェンは意味はわかっていないのだろうが真似してぎこちなく親指を上げ、エスニャもニコニコしながら同じポーズを取った。真似っ子だ。
遥斗は可愛さに膝から崩れそうだった。
というか崩れ落ちた。
どうしたのかと慌てる子供たちをなだめ、落ち着いた遥斗はリュックを背負い、イリスの家を出る準備を整えた。
「じゃあな、5日後にまた会おう!」
イリスと家族に見送られ、森の小道へと歩き出した。
家の前で手を振る三人の姿が小さくなるまで、振り返って笑顔を返した。
森の中を歩き始めて30分、いや1時間近く経っただろうか。
木々の間を抜ける風が涼しく、遥斗の足取りは軽かった。頭の中では次回の計画が膨らんでいた。
「次も頑張るぞ!イリスとキッズたちに美味しいものや面白いもの持ってきて見せてやりたい!まってろ、お兄ちゃは張り切っちゃうぞー」
もはや異世界関係なくお兄ちゃんモードでテンションが爆上がりである。
思わず叫びながら拳を握って空を見上げた。
木漏れ日がキラキラ輝き、心は期待でいっぱいだった。
「うひゃっほー、エリドリアーランランラン♪ ルクとエスニャのおにいちゃはふんふふーん♪」
足取りもスキップを刻もうというものである。
お兄ちゃんはもう駄目だった。
だが、その時――ふと足が止まった。
「……ん?五日後?」
何か引っかかりを感じ、「うーん、五日後、五日後は――」と考え込んだ次の瞬間、顔が青ざめた。
「待て待て待て!五日後って、ガルノヴァでヴェラと会う約束してた日じゃん!完全に忘れてた!」
頭を抱え、森の中で叫んだ。ヴェラの荒っぽい声が脳裏に響き、「約束破ったらぶっ飛ばす!」と言われた気がした。
遥斗は慌てて踵を返し、来た道を戻り始めた。
「やばい、やばい!イリスに言わなきゃ!」
息を切らせて森を駆け抜け、ようやくイリスの家に戻った時には陽が傾き始めていた。
家の前で洗濯物を干していたイリスが、汗だくの遥斗を見て目を丸くした。
「ハル様!?どうしたんですか、忘れ物ですか?」
「はぁ、はぁ……イリス、ごめん!ちょっと用事があって、五日後は無理だった!多分十日後くらいになると思う!」
息も絶え絶えに告げると、イリスが驚きつつも頷いた。
「そ、そうなんですね。分かりました、大丈夫ですよ。準備しておきますから」
「うん、絶対また来るから!じゃあな!」
軽く手を振ると、再び森へと走り出した。足はヘロヘロで息は上がっていたが、なんとか押入れの扉までへの道のりだけは頭にあった。
森の奥で木々に囲まれながら、小さく呟いた。
「くそっ、疲れた……ルク、エスニャ、お兄ちゃんはお仕事頑張るからな……ちくしょう、会社め!出張なんて大嫌いだ!」
お前はフリーターである。
会社は内定取り消し食らった経験しかない。
あとガルノヴァに行くのは別に出張ではない。「SF世界たのしみー!」な完全にレジャーである。
そうして遥斗は自分の目的を見失いつつ道を進み、陽が沈む森の中で疲れ果てた足音だけが響いていた。
次回はガルノヴァです




