表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/45

第13章:最初の一歩

 ヴェルナ村の小さな市場は、朝から賑わった露店が終わりを迎え、陽がまだ森の木々の間を染めるには早い昼下がりに静まり返っていた。

 切り株をそのまま椅子代わりにした木陰に腰を下ろすと、遥斗は腰に下げた革袋風の巾着――異世界の雰囲気を出すために地元の雑貨店でそれっぽいものを買ったもの――から売上のコインを取り出し、イリスと一緒に確認し始めた。市場の喧騒は消え、遠くで子供たちが笑い声を上げながら家路につく音だけが響いている。お菓子がすべて売り切れたと分かると、子供たちは現金なもので遊びに出かけてしまった。トゥミルだけは少し遥斗と遊びたそうだったが、遥斗はイリスと相談するために切り上げたのだ。


「よし、全部で銅貨が359枚と銀貨が1枚だ!銀貨は銅貨100枚分ってことだから、合計で銅貨459枚分か」

 遥斗が革袋を軽く振ると、コインがカチャカチャと重々しく響き、彼の顔に笑みが広がった。イリスは隣で目を丸くし、手に持った銅貨をじっと見つめた。

「459枚も!?ハル様、そんなに売れたんですか?」

「間違いないよ。最後に銀貨1枚で売ったチョコは除いて、飴が102個で102枚、クッキーが35袋で175枚、うんめえ棒とかチョコナッツ棒とかの駄菓子がまとめて銅貨82枚だ。まさか出した分が全部売れるとはなぁ」


 遥斗は得意げに笑った。イリスはまだ信じられない様子で、銅貨を指先でそっと撫でながら呟いた。


「これだけの銅貨があれば、あの子たちにも……」


 イリスは家族を思い浮かべ、そっと目を伏せた。

 だが、売上に喜んでいた遥斗はイリスの様子に気づかず、話を続けた。


「この調子なら、この村だけでも安定して儲けられるかな。それにまだまだ売れそうなものもあるし」


 あまりオーバーテクノロジーなものは騒動になりそうなので大量に売るのは避けたいが、使い捨てマッチやアイデア商品ならいいかもしれない、と遥斗は考える。

 そんなことを思い巡らせていたが、今は目の前の話に集中し、イリスに声をかけた。


「なぁ、イリス。約束通りパートナーとして売り上げを分けるよ。銅貨150枚でどうかな?」


 だいたい三分の一だし、と軽い気持ちで遥斗が巾着袋からコインを数え始めると、イリスが慌てて両手を振った。


「えっ!?だ、だめですよ、ハル様!私がそんなに働いたわけじゃないのに、こんな大金はもらえません!」


 イリスにとって150枚は大金だ。それにたった一日の働き――しかも陽が傾く前のこんな時間までしか手伝っておらず、仕事内容も露店の準備と商品の受け渡し程度だ。子供でもできるようなことで、銅貨5枚ももらえれば嬉しいくらいにしか考えていなかったのだ。


「何だよ、パートナーだろ?お前が村人に説明してくれたから売れたんだ。俺一人じゃ無理だったって。それに――」


 遥斗が言葉を切り、少し考え込んだ。イリスが動揺したまま見つめる中、彼は突然笑って続けた。


「考えてみりゃ、銅貨を日本に持って帰っても仕方ないな。銀貨1枚だけ持って帰って価値を調べてみるけど、銅貨は全部お前に預けるよ」


 そう言って巾着袋ごと差し出すと、イリスが息を呑み、手を胸に当てて後ずさった。


「全部ですか!?こんな大金を……それにこの革袋も上質な生地ですし……私、預かれませんよ!」

「いいから受け取れって。俺が押し付けるんだからさ。それに、これって薬草採りだと何日分くらいになるんだ?」


 イリスはあまりの大金に動揺していたが、少し落ち着いて考え、答えた。


「私が薬草や山菜で稼ぐのは、1日で銅貨5枚か、良い日で10枚くらいです。暖かい服が50枚くらいで、1回の月巡りが30日だから……」


 指を折って数え始めたが、手が震えているせいか、もともと計算が得意でないのか、たどたどしい様子だった。


「なるほど、こっちでも一月は30日なのかな?ってことは今日だけでイリスは半月から1ヶ月分、俺たち全体としては3ヶ月近く稼いだってことだね」


 遥斗が代わりに計算してやると、彼女の声が震え、遥斗を見つめる瞳に戸惑いと感謝が滲んだ。


「ハル様、本当にありがとうございます。こんな大金、初めて手にしました」


 遥斗は「どういたしまして」と手を振って笑い、切り株に腰を下ろした。

 だが、腕を組んで考え込んでいると、徐々にその笑顔が曇り始めた。

 この露店で稼いだ金額に最初は喜んでいたが、ふと頭をよぎった違和感が大きくなっていく。

 ヴェルナ村の小さな市場で、たった一日で銅貨450枚以上を稼いだ。これはイリスの3ヶ月分を超える稼ぎだ。村人たちがこんな大金を気軽に使ったことに、何か引っかかるものがあった。


(いや、違う。クッキーを買っていったおばさんが「一週間分の旦那の晩酌代を削ってでも」と言ってたはずだ)


 そう思い出しながらあることに気づき、思わず「あっ」と声を上げてしまった。

 イリスが不思議そうに遥斗を見たが、彼は構わず考えを続けた。


(そうだ、気軽なんかじゃない。この村の人にとっては『めったにない贅沢』をしたんだ!)


 遥斗はエリドリアの銅貨の価値を、イリスから聞いたパンの値段から大体100円から300円と見積もっていたが、イリスの1日の収入が1000円から3000円程度だとすれば、その価値観は全く違ってくる。

 つまり村人が出した「クッキーに5銅貨」は、「無理とまではいかないがめったにない贅沢」を意味していたのだ。


 これはまずい。


 何がまずいかというと、『村人一人分の三ヶ月以上の富を、わずか半日で集めてしまった』ことだ。話を聞く限り、村人の大半は農夫で自給自足をしている。自給自足なら生きていくことはできるが、「銅貨を貯める」こと自体がそもそも大変なはずだ。


(もし俺がこのままお菓子を売り続けたら、村のお金が俺に集まりすぎるんじゃないか?イリスが言ってたように、村人は農夫や狩人が多くて、物納で税を払った後に少しだけ余ったものを売って銅貨を手に入れてる。ってことは、村にあるお金の総量ってそんなに多くないはずだ。俺がここで稼いだ分って、村人から吸い上げて日本に持ち出す形になっちまう。確かに買ったのは村人の自由だけど、長い目で見たら問題にならないか?)


 もし遥斗が調子に乗って同じことを繰り返したとしよう。

 贅沢品扱いなので毎日同じだけ売れるわけではないだろうが、「相応の外貨が村から遥斗に流れて消えていく」ことになる。銀貨1枚分は交易商人からだからいいとしても、銅貨359枚となると、この小さな村では大問題だ。

 遥斗がその効果を村の中で使わない限り、硬貨そのものが減少し、村の経済が停滞しかねない。そこまでいかなくても、確実に村の経済にダメージを与えるだろう。


 やるなら一ヶ月に1回とか、数ヶ月に1回にすべきかもしれない。

 そこまで考えた遥斗が顎に手を当てて森の木々を見上げると、イリスが不思議そうに首をかしげた。


「ハル様、どうかしました?」

「いやさ、ちょっと考えついた問題点を整理してたんだ。イリスには簡単に説明するけど――」


 遥斗はイリスに先ほどの思考を簡潔に伝えた。


「……ってわけ。同じことを何度もしたら村のお金が俺に集まりすぎる。交易商人にだけ売るってのも考えたけど、それだと村の人からいい目で見られなさそうだし。だから今回くらいのお菓子は継続して売りつつ、村にお金を戻す方法を考えたいんだ」


 イリスが目を丸くし、小さく頷いた。


「なるほど……そういう問題があるんですね。私、気づきませんでした」

「なぁ、イリス。村でお金を還元しつつ、俺が利益を得る方法って何かないかな?薬草……は無理だな。肉とか人が口に入れたり薬として使うものは手続きが大変なんだよ。だから革製品とか、手芸品、工芸品とかはどうかな。あとは村のみんなの仕事を圧迫しない範囲で、何かしてもらう代わりにお金を使うとかさ。どう思う?」


 イリスが少し考えてから答えた。


「革製品なら、狩人が獲った獣の皮をなめして作ってますよ。普段は交易商人に売ってますけど、あまり高値がつかない場合は残してあるものがあるはずです。あと、手芸品なら、私のお母さんが昔、木の実や草で小さな飾りを作ってました。子供たちにも教えられる簡単なものです。村の仕事が増えれば、みんな助かりますし」

「革と飾りか!それいいな。日本じゃそういう手工芸品って意外と高い値がつくこともあるし。あ、それなら刺繍とかできる人いる?うまい人の作品なら売れそうだよ」


 フリマサイトでそういうのを見たことあるし、と遥斗が聞くと、イリスが少し考えて答えた。


「仕立て屋はありませんが、簡単なものならできる人はいると思います。昔お針子をしていたおばあさんとかいますし。でも……布もそうですけど、いまでも針を持っているかは――」


「良い針は高価ですし」とイリスが小さく付け加えると、遥斗は「それなら任せて」と胸を叩いた。


「ようはソーイングセットだろ?俺が用意するよ。布も持ってくるから、試しにやってもらおう。それで村人に銅貨を払って作ってもらえば、お金も回るし、俺がそれを持って帰って売れる。完璧じゃん!」

「え、でもハル様。できるといっても簡単なものだと思いますよ。ハル様の目に叶うものができるかどうかは……。もしせっかく用意されたのにハル様の国で売れなかったら――」


 自分で提案したものの、イリスが不安げに言う。だが遥斗は親指を立てて笑った。そのハンドサインの意味はイリスには分からないが、遥斗の自信ありげな態度が伝わった。


「だーいじょうぶ!安いやつなら100均で売ってるし、ダメでもともとだしな!」


 遥斗にしてみれば、「異世界でいろんなことができる」のが楽しいので、失敗しても構わないのだ。失敗したところでせいぜい1,200円程度の出費で済む。今日の売上にしても、元手のお菓子は日本で3000円にも満たない。

 魔法の道具を買ったり、見たことのない動植物を見てキャッキャしたい、そのために異世界のお金を楽に儲けたいくらいの気持ちでいる遥斗にとって、日本での商売はおまけのようなものだ。趣味に使うと考えれば、手頃で極めて低燃費な出費だろう。

 これでヴェルナ村との関係が良好になれば万々歳だ。


「イリス、とりあえず今回は予想以上にお金も集まったし、次回は露店をせずに村をいろいろ見て回りたいな。そのときに工芸品とか見せてよ。ただ、交易商人が来たらちょっと高いものを売りたいし、相談ってことでさ」


 その言葉にイリスが目を瞬かせ、少し考えてから答えた。


「そうですね……もし今回以上に商売をされるなら、交易所を使ったほうがいいと思います。税も払わないと問題になるかもしれませんし。ただ、すぐには許可が下りないと思うので、いろいろ調べておきますね」

「交易所か、了解だよ。せっかくだから、しばらくこの村でできることをのんきに考えてみるさ」


 遥斗が軽く笑って空を見上げると、陽はまだ高く、森の木々が柔らかな影を落としていた。イリスが微笑みながら頷き、切り株に置いた革袋を手に取る遥斗を見た。


「ハル様、もう陽が傾く前には森に戻るんですよね?私、家に荷物を置いてくるので、少しだけ付き合ってもらえますか?」

「おお、そっか。なら一緒に行こうぜ。ついでにイリス家の周りでも見ておきたいしな」


 二人は切り株から立ち上がり、イリス家へと向かって歩き出した。遥斗が革袋を肩にかけ直すと、風に揺れる草木が擦れる音が軽やかに響いた。イリスが自分の家に誘ってくれたことに、遥斗は内心で小さく喜んだ。


(へぇ、イリスが俺を家に誘うなんて、少し心を開いてくれたのかな?)


 道すがら、遥斗は次に来る時の計画をぼんやりと思い描き始めた。

 

 村人との新しい関わり方、交易商人との商売、イリスとのパートナーシップ――エリドリアでの暮らしがこれからどんな楽しいことになるのか、考えるだけで胸が弾んだ。

 革製品を手に持つ村人の笑顔、見たこともない魔法の道具、森の奥に潜む不思議な生き物……。

 それは、どんなに楽しいことだろう。


 エリドリアで過ごすだろうこれからに、期待感でいっぱいになり、遥斗には今見えるこの世界がきらきらと輝いて見えていた。


 

 

 ちなみに、ガルノヴァのヴェラのことはすっかり忘れていた遥斗だった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ