第11話:甘い衝撃
バルバ一行は街道から少し離れた山道を進んでいた。
日が沈み、薄暗い木陰に囲まれた空き地にたどり着き、野営の準備を始めた。木々の間を抜ける冷たい風が葉をざわめかせ、遠くでフクロウの鳴き声が響く。バルバは荷車から本日購入したものを取り出し、焚き火の小さな炎がパチパチと音を立てる中、護衛たちを集めた。
屈強な体躯に無数の傷跡が刻まれた大男、ザヴァクに人数分の飴玉を渡す。
「ご苦労、ザヴァク。これは差し入れの飴玉だ。野営と食事の準備をしながらでも舐めるといい」
そう言って、自分でも一つ口に含み、木の根に腰を下ろして一息つき始めた。焚き火の暖かさが足元に広がっていく。
「お、こいつはいいや。ありがたくいただきますわ……バルバの旦那。なんでそんなところに座るんで? いつもは準備が済むまで馬車で待ってませんでしたっけ?」
「いやいや、気にするな」
にやにや笑う雇い主に首をかしげながら、ザヴァクは二人の仲間に飴玉を渡していく。
短剣使いでスカウトのカイゼと、見習い魔導士のルシだ。
三人が口に含むと、三者三様で蕩けることになる。
「……美味ぇ。ちょ、ちょっとバルバの旦那。これどうしたんで?」
とザヴァクが低い声で驚く。
「やばいなこれ」
とカイゼが目を丸くして呟き、短剣を弄ぶ手が止まる。
「甘さが体に染みて……何か力が湧く感じね」
とルシが不思議そうに自身の体を見渡した。
特にルシは味に驚くだけでなく、杖を握る手に微かな震えを感じていた。
「ああ、ちょっとな。……なるほど、これは見ていて面白い。そりゃ俺もあんな風に子供たちから見られるはずだ」
そう含み笑いをしながら、バルバは馬車へと戻っていく。
そして、荷物の間に挟まれた薬草の香りが漂っている荷台からあの「銀箔のような何かに包まれた菓子」を取り出すと、妻のもとへとやってきた。
「よお、ティアリス。やっぱり三人は驚いていたぜ」
「おかえりなさい。そうよねえ……王都あたりでなくちゃまず見ないような飴玉だったものね」
馬車の中で待っていたのはバルバの妻、ティアリスだ。柔らかな栗色の髪が焚き火の明かりに映え、好奇心旺盛な瞳がキラリと光る。彼女は少し不器用な交易商人である自分に愛想を尽かさず、一緒についてきてくれる大切な存在だ。珍しいものが欲しかったのも、そんな彼女を喜ばせたくて買ったためだ。
「確かに俺も初めて食べたときは驚いた。あのレベルの飴玉を食べたことはないわけじゃないが、大体はもっと雑味があるし、大きさや形が不揃いなのが関の山だ」
「味だけでなく見た目も綺麗だったもんね。あれが1つ1銅貨なんて、売った人は何を考えているんでしょう。私なら最低でも10個セットで1銀貨で売るわよ。それでも安いくらいだけど」
街で裕福な平民向けに売っている蜜飴がだいたい1つ3から5銅貨なので、ゆうに20倍の値段であるが、それでも買う者は引く手あまただろう。蜜飴の20倍美味しいかと言われれば間違いなくNOだし、それを日常的に消費するような存在は本当に一部の貴族だけだろう。だが品質がいいというのはそういうことだ。味だけなら手間暇かけて不純物を取り除いた最高品質の蜜飴が匹敵すると思うが、それは同量で50銅貨から1銀貨ほど。つまり味だけで最高品質、そこに見た目の美しさが加わればさらに高値をつけられるという判断だ。
その値付けにバルバも同意するところである。「さすがだな」と頷いた。
普通なら飴玉に喜んで、気に入ればまた買ってとねだるのが普通だろうが、交易商人の妻でありパートナーとして信頼している彼女はすぐさま商人の目になっていた。彼女はもともと小さな商家を営んでいた老夫婦の孫で、珍しいものが大好きだ。だがどんなプレゼントを贈られてもすぐ商売を考えてしまう悪癖がある。そこが気に入って結婚したようなものだが、たまには商売抜きで喜んでもらいたいところだ。
そう思って、バルバは珍しいものを見かけるたびにそれを買っては「無駄遣いして」と怒られるのであるが、それも大事な夫婦のコミュニケーションだと思っている。
そして今日はなかなか期待できるものがあった。そう、あの銀箔のような包みの菓子だ。飴玉は良質な味とその安さにこそ驚いていたが、飴自体が特に珍しいわけではない。大きな町に行けば品質はともかく手に入るものだ。だがあれは自分にも全く中身が想像できない。
「なあ、飴玉を売ってた店主から、1銀貨でちょっと面白いものを買ったんだ。試してみないか」
それを見せると、自分と同じように驚く妻に苦笑する。
「1銀貨ってあなた、またそんなお金を使って――え、銀?」
「銀じゃないらしい、アルミ?とか言うらしいがよくわからん。この中に入ってるらしいから破って食べよう」
「ちょ、ちょっと! これ破るの?」
「そうしないと取れんらしいぞ?」
「綺麗に剥いてとっておくことはできないの? これだけで好事家が買うかもしれないわよ。あと私も調べてみたいし」
「……まあ、できるだけ頑張って綺麗に取ってみよう」
「貸しなさい。貴方はこういうのは意外と不器用なんだから」
包みは破いて捨てていいと聞いていたが、あまりに見事すぎるその輝きに躊躇し、結局綺麗に剥いて保管することにする。ティアリスがいろいろ調べたが開け口が見つからず、仕方なく凸凹した段差部分に力を入れて折ることで銀箔を破った。彼女は悲しそうにそれを見た後、できる限り状態を保って箱に仕舞った。
一方、出てきたのは土くれか粘土のような黒い塊で、とても菓子には見えない。
「食べれるの、これ?」
というのがシンプルな感想だったが、そこから漂ってくる匂いはかつてないほど強烈な甘さだ。なんというか、脳を直接刺激し誘惑するかのような濃厚な香り。触ると少し柔らかく、指先にねっとりとした感触が残る。
ティアリスは半分をバルバに渡すことも忘れて、そのまま口を近づける。バルバが「お、おい」と声をかける間もなくかじりつくと、彼女の目が大きく見開き、そのまま固まった。
「ティ、ティアリス、大丈夫か――ってティアリスゥゥゥゥ!?」
モシャモシャモシャモモモモモモ!
彼女が再稼働したと思った瞬間、一心不乱にその黒い菓子を猛然と食べ始めた。
「お、おいどうした旨いのか――ってま、まて! それ半分は俺も食べああああああ!?」
一瞬だった。薄いとはいえ割と量があったはずのその菓子は、瞬く間に彼女の口の中に消えた。そして「はぁぁぁ……」と見たことがないような蕩けた顔で恍惚としている。
「え、あの。ティアリス?」
「……貴方」
「は、はい!」
妻の聞いたこともないような低い声。
「戻るわよ!」
「えっ」
「だから戻るのよ、ヴェルナ村に。そして交渉して買えるだけ買うの」
「え、いやいやいや、無理に決まっているだろう。もう一日分馬車を走らせたんだぞ?」
「それでも戻るの! 何これ! おいしいなんてもんじゃないわ。あれが伝説の"永遠の実"とかいわれても私は信じるわよ!?」
永遠の実とは、エリドリアに古くから伝わるおとぎ話に出てくる伝説の果物だ。それを食べた者は天にも昇る幸福感に包まれ、永遠の命を授かるという。もちろんそんなものは存在しないことはティアリスも知っているが、それほど衝撃だったのだ。
「ねえ、戻りましょう。そしてその露店売りと今後の取引の相談を――」
どうやら、あの不思議な菓子は彼女にとんでもない衝撃を与えたようだ。それはバルバの目的通りだったが、同時に悪癖をいつも以上に呼び起こしたらしい。
「はあ」とため息をつきながらも苦笑して、妻を諭すことにする。
「ティアリス、君の気持ちは分かる。俺も商人だからね。だが――ダメだ」
ここは譲れないとばかりにはっきりと言う。
「君がそこまで驚くんだ。商機としては正しいが――今戻ってしまったら、次の町で約束している薬草の納期が遅れてしまう。それはしてはダメだ」
商人として大事なのは信用だ。たとえ次の街での商売が取引量として大したことがなくても、それを意図的に反故にして他を優先させるのは違う。さすがにそうしなければ命や商会そのものが失われるなら別だが、目先の利益のために都合よく約束を反故にすることは自分の矜持が許さない。そんなことをするくらいなら、自分は商人なんてやめたほうがいい。
「……分かったわ。ごめんなさい」
バルバが決意を込めて見据えると、ティアリスはすぐに我に返ったように謝った。不器用だが商売に誠実なこの男のこういうところに惚れて、彼女は結婚したのだから。落ち込む彼女を優しく抱き留めながら、
(とはいえティアリスがここまで我を忘れるほどの商機か……うっわマジで心動きそう。約束破ってヴェルナ村に戻りたい。俺たちが行くまでいてくれよ、あの露店のにーちゃん)
と、ちょっと締まらないことを考えていた。
一方、バルバの胸元に顔を寄せているティアリスは、
(……商売のことを完全に忘れて自分がもっと食べたかっただけ、なんて言えない……よかった、私のいつもの癖だと勘違いしてくれて)
と、安堵の息を漏らしていた。
似た者夫婦であった。
ガァァァァ!!
「何っ!?」
「えっ!?」
突如響いた獣の咆哮。その狂ったような鳴き声に、馬車の甘い空気が一変する。木々がざわめき、焚き火の炎が揺らぐ中、あわただしいブーツの音が馬車に向かってきた。外からザヴァクの怒声のような声が響く。
「バルバの旦那! まずいぞ、魔狼の群れだ!」
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