第10話:バルバ・ヤーネット
交易商人、バルバ・ヤーネットは、次の町に向かう準備のために食料品を買い終えて一息ついていた。
広場の端に停めた荷車のそばで、土埃を巻き上げた風がローブの裾を揺らす。
鋭い目つきは知的ともいえるが、油断ならない胡散臭さを感じさせ、それに反して薄い口ひげが抜け目ないながらもどことなく柔和な雰囲気を醸している。濃紺のローブに銀の縁取りが陽光に映え、腰には革製の帳簿入れがカタカタと揺れ、背後には護衛三人と妻を従えていた。
彼は朝早くから交易所でこの村特産の薬草を大量に買い、村の長老たちに頼まれていた物品や、塩や酒、いくつかの秘薬などを売ってきた。荷車に積まれた木箱からは薬草の青い香りが漂っている。
このヴェルナ村は正直商売としてはおいしい場所ではなく、薬草は他の町で相応の値段で売れるとはいえ、旅支度や護衛代を考えればかろうじて黒字になる程度でしかない。正直、このような村に来る交易商人は、護衛もつけずに自分の身一つで足で稼ぐ駆け出しの新人か、他に商機をなくして細々と商売を続けるしかない先のない者だけだ。実際、仕入れられるものなど旅のための水や食料、そして薬草と動物の皮や木材程度だ。それでも、この村には大きな収入らしく、なにより町でなければ手に入らないような道具や嗜好品を持ってくる交易商人は歓迎される。
『精霊の森』に隣するこの村はヴェルナ領にとっても重要な立ち位置であるため、交易商人たちは領主から必要な物資を届ける交易が推奨されている。だがそれを受けたところで得られる支援は微々たる礼金だけ。さすがに商人たちが全く来ないとなれば領主も本腰を入れるだろうが、細々とはいえ商人が来る以上、そこまでする気はないのだろう。
ではなぜ、ある程度の財を持ち、独自の交易路を確保した自分がこの村に定期的に来ているかといえば、それは恩を返すためであり、初心を忘れないためだ。
この村は彼が交易商人として最初に商売を行った場所であり、少ないながらもその商売で確実な利益を上げ、少しずつ商人としての自分を成長させてきた。だから彼は、遠回りになることを覚悟し、商人仲間に笑われようと、この村を通る旅路を自身の交易路としている。
商人としての自分を育ててくれたこの村への恩を返すため、そしてあの時の辛さや苦労を忘れないために。
さて、そんな彼が荷物を馬車に積み込み、汗ばんだ額を拭ってふと村を見渡すと、先ほどまで静かだったはずの中央でなぜか人が集まっていた。木々の葉擦れ音が風に混じり、子供たちの笑い声が響いている。
準備が終わった自分はこのまま村を出るつもりだったが、この村にそんな人を集める何かがあったかと、一人で少し散策してみることにした。
革靴が地面を踏みしめ、ザクザクと軽い音を立てる。
騒がしい子供たちの声に誘われ、広場の中央をのぞき込むと、どうやら何かの露店が出ているらしい。
こんな小さな村での露店なんて、内職で小金を稼ぎたい村人か、駆け出し商人が交易の余り物を売るときくらいだが、覗き込んでみると、どうも趣が違うようだ。
確かこの村で薬草師の役目を持っていたはずの少女と、見たことのない異国風の若い男が子供たちと戯れながら何かを売っている。
男の髪は、この辺りでは珍しい黒髪で、しかも闇鳥の羽のような漆黒に近い光沢を放つ。よく見ればその瞳まで真っ黒だ。
陽光に照らされた顔は若々しく、体躯からして成人はしてそうだが、その「ぽややん」とした表情からは幼さも感じさせる不思議な男だ。
着ている衣服はざっくり見ただけでも上質な生地のようで、一瞬「貴族のボンボンか何かか?」と思ったほどだ。だが色合いは落ち着いたもので、顕示欲が強い貴族のものには見えない。どちらかといえば機能性を重視した職人や軍人、開拓者のそれに近い。
そんなものを実に自然に着こなしている男は、本当にただの露店売りなのだろうか。
バルバは目を細め、露店の木製テーブルに目を落とした。
「お、どうだい。飴ちゃん玉――上質な飴玉が1個で銅貨1枚だよ」
そんなことを考えていると、男はバルバの視線を感じ取ったのか声をかけてきた。
人懐っこい笑顔に毒気を抜かれるが、その言葉の内容は聞き逃せない。
「……何?この村で飴を売っているだと?しかも銅貨1枚だって?」
甘草を煮詰めてパンくずと混ぜて固めた飴もどきなら分からないでもないが、テーブルの籠に盛られたそれらは、そんな粗末なものではないらしい。
飴といえば虫蜜を固めて割ったものか、一部で作られているという穀物を煮込んで作る練り飴が定番だが、周りの子供たちが自慢げに言うそれは、色とりどりの真ん丸な玉だという。
「ああ、食べてみなよ。後悔はさせないからさ」
「へえ……言ったな。面白いじゃないか」
バルバは「騙されたところで銅貨1枚か」と懐から銅貨を取り出し、店主らしき男に渡した。
指先で軽く弾いた銅貨がカチャリと音を立てる。
「まいどあり!」と男から渡されたそれの包み紙でまず驚き、開けてさらにその飴の美しさに目を丸くした。赤い飴が陽光に透け、宝石のように輝いている。
ふと見れば、なぜか周りの子供たちや村人たちが、わくわくした様子でこちらを見つめるので、「う、うむ」とその圧に押されながらその場で口に含むと、しびれるような甘さが脳天を貫いた。
「何だこの味!濃厚さといい味の深さといい、町の蜜飴よりずっと上だ!」
叫ぶと同時に、「わあっ!」と歓声を上げる子供たち。
そして笑い声が広場に響く。
なるほど、どうやら自分が驚くところを見たかったらしい。
まあ気持ちは分かる。実際に驚いてしまったのだから、文句も言えない。自分でも誰かに勧めるなら同じような行動を取ったかもしれない。
バルバはその細い目をさらに細めると、懐から銅貨を取り出した。
「あと20個くれ。多めなのは許してほしい。家内と護衛たちにも配りたいんだ」
本当はここまで上質なものであれば転売用に大量に買いたいところだが、露店売りの商品ではそれは諦めるしかないため、手に持てる程度で我慢したのだ。この後行くのが領外ではなく、領内の別の街であれば転売しても問題ないため買い占めていたのだが。
まあ、この程度の飴なら関所でいくらでもごまかしはできるし、実際のところ商人仲間でも守っている者が少ない有名無実化した取り決めではある。だがそれでもそれを守るのは、交易商人としての彼のプライドでもあった。
渡された飴玉をバルバは丁寧に胸から出した巾着袋にしまい込み、そのまま店主のほうに視線を戻してさらに尋ねた。
「もしかして、他にも珍しいもんを売っていたのか?」
「ん?あー、さっきまでクッキーとか駄菓子を売ってたけど、全部売れちまったんだ。あるのは今のところ飴ちゃん玉だけだな」
「そうか……飴でここまで驚かせられたんだ。他のものも試してみたかったんだがな」
それを聞いた男は少し考え、「あなたは交易商人?これから遠くに行くのかな」と聞いてきた。
「ああ、そうだ。だが別に他領で売ろうってんじゃないぞ。確かに実質あってないような取り決めとはいえ、俺は約束事は守る。だからこれは完全に自分が楽しむため、妻に特別な物を贈りたくて聞いている」
そう言って笑って返すと、彼は露店の横に置かれた大きな背負い袋らしきものの奥から何かを取り出した。
銀色の何かが陽光にキラリと光り、バルバの目が驚きに開き、「銀箔の包み!?」と思わず叫んでしまう。
「いや、アルミ箔。銀じゃないよ」
バルバはさらに目を丸くした。
「こんな立派な包みが銀じゃないだと?」
「ああ、この菓子は溶けやすく、脆いんだよ。周りにくっつかないように、コイツで保護してるんだ。食べるときは適当に破ってくれ。簡単に破けるはずだ」
そうは言うが、こんなに綺麗な包みを破るのには抵抗があるなと、バルバはしげしげとそれを見つめた。
「本当は今日は売るつもりはなかったんだけど、他領にまで巡る交易商人だっていうならいいものがあるぞって宣伝してほしいからな。とっておきだ。ただしこれだけで銀貨1枚。売るのもこれ一個だけ。買う?」
1つで銀貨1枚と聞いて少し躊躇したが、すでにあの飴玉を1個銅貨1枚で買えている時点でおかしいのだ。20個買った時点で銀貨1枚分以上の価値はある。
なら、もしこれでハズレをつかまされたところで、妻に怒られるくらいの笑い話で済むだろう。
「ああ、買わせてもらう。旅の途中で妻と楽しんでみるさ。せいぜいまた俺を驚かせてくれよ?」
そういって、バルバは楽し気に銀貨を弾いたのだった。




