第9話:キッズたちに飴ちゃん玉をあげやう
「ほらな、イリス。あのババ――おばあちゃん、毒見とか言いつつハマっちゃってるぜ。次来るときはもっと買う気だな」
イリスは小さな木製テーブルの端を布で拭きながら苦笑し、柔らかな日差しに照らされた髪が揺れた。
「そうですね、ハル様」と頷き、マレナの遠ざかる姿にそっと手を振った。
広場の周囲では、木々の葉擦れ音が静かに響き、露店の幸先良いスタートを祝福するようだった。
去っていくマレナを見送ると、再び広場に静けさが戻ってきた。
木々の間を抜ける風が葉を揺らし、鳥の囀りだけが小さく響く。
いつもなら聞こえてくる鍛冶の鉄槌を打つ音も、今日は炉の点検日で一日稼働していないらしく、村全体がひっそりとしていた。
どうしたものかと二人で考えていると、小さな足音が近づいてきた。
トゥミルとその友達らしき同年代の子供たちが、土を蹴り上げながら駆け寄ってきた。
陽光に照らされた地面に小さな影が踊る。
トゥミルは遥斗を見て目を輝かせ、にかり、と笑って声をかけてくる。
「にーちゃん!来てくれたんだ!ポラ、カナン、このにーちゃんが俺の言ってたハルにーちゃんだよ。ほんとにいたでしょ!」
そう言って二人に自慢げに話すトゥミル。
どうやら8歳くらいの元気そうな男の子がポラ、おとなしそうな女の子がカナンという名らしい。ポラはボサボサの茶髪を振り乱し、カナンは大きな瞳でじっと露店を見つめていた。
「で、にーちゃん、イリスねーちゃんとなにやってんの?またお話聞かせてくれるんじゃないの?なーにこれ」
子供らしく会話があっちこっちと飛び、広場の土埃が彼らの足元で舞う。
だが、トゥミルと子供たちの興味はしっかり露店へと向いてくれたらしい。
遥斗はそこでマレナの「ガキにでもあげてやれ」発言を思い出し、テーブルの籠から適当に三つほど飴玉を選ぶと、一人に一つずつ渡す。
「おう、トゥミル!にーちゃんたちはここで露店をやってるんだ。お試しでこの『飴ちゃん玉』をやるから食べてみなよ」
トゥミルは「飴?これが?」と不思議そうにしながら、すでに包装紙が外された飴をしげしげと見つめる。
赤い飴を手に取り、びっくりしながらつかみ上げた。陽光に透ける飴の艶がきらりと光る。
「うわ、まんまるだ。それに赤いや」
そう叫ぶと、今度は横から「僕のは青いぞ!」とポラが興奮して手を振り上げる。
さらに「カナンのは白だよ。綺麗……宝石じゃないの?」とカナンがうっとりとしながら小さく呟いた。
三者三様で驚きつつ、おっかなびっくりそれをパクリと口に放り込んだ。そして目を大きく見開き、同時に叫んだ。
「あめえええええ!」
「うまあああああ!」
「おいしー!」
トゥミルは「すげえすげえ」と叫びながら跳ね上がり、ポラは無言でひたすら夢中で飴を舌で転がし、カナンは蕩けたように頬を抑えてニマニマしている。
通り抜けていく風に子供たちの声が乗り、広場へ、そして村へと響いていく。
語彙は少なくても、彼らの表情とわたわた動く手足が、三人にどれだけ幸せな衝撃を与えたかを雄弁に語っていた。
子供たちの笑顔に、遥斗はイリスと顔を見合わせてにんまりした。
「よし、今日は子供たちだけ特別に一人一個プレゼントだ。他の友達も呼んできてくれよ!」
もともとマレナの言葉から、ある程度試食を用意するつもりだったが、子供たちのあまりの喜びようにそんな打算はどうでもよくなってしまった。
遥斗が膝を曲げて子供たちに目線を合わせて言うと、トゥミルたちは「やったー!」と飛び跳ね、地面を蹴ってどこかに走り出した。
土煙が舞って、彼らの笑い声があっという間に遠ざかっていく。
「い、行っちゃいましたねハル様……。この飴ってそんなにすごいんですか?」
チョコナッツ棒だけでも衝撃だったイリスだが、確かにこの飴も素晴らしいものだろうとは思っていた。
しかし、銅貨1枚という値段からして、いくら遥斗の持つものでも町で売られてる飴より少しいいものくらいだと思っていたのだ。
だが、子供たちの反応を見て、自分が想像していたよりはるかに素晴らしいものだと気づいた。
彼女の金髪が風に揺れ、飴を手に持つ指が少し震える。
「ああ、そういえばイリスは食べてなかったか。じゃあ露店しながら食べてみなよ。それに家族がいるなら後で持っていっていいからさ」
イリスに弟妹がいることを思い出した遥斗は、彼女にそっと口を寄せて囁いた。
風が彼女の髪を撫で、その髪からほのかに薬草の香りが漂う。
「……ありがとうございます、ハル様」
そう言って笑ったイリスもまた、遥斗の髪から、男性とは思えないほどの柔らかな花のような香り――安売りのお徳用シャンプーである――に少しだけドキドキしていた。
やがて子供たちが戻ってきて、10人ほどの小さな群れが露店を囲んだ。
陽が高くなり、広場の木々の影が短くなっていく中、飴玉を一つずつ無料で配ると、その美味しさに子供たちは目を輝かせた。
「甘い!」「こんなの初めて!」と口々に叫び、笑い声が風に乗り遠くまで響く。
そりゃもう、まともな甘味といえば干した果物が贅沢品のこの村で、飴ちゃん玉は子供たち相手に甘さの暴力で無双する。
「変な奴が村に来てるらしい、悪い奴なら俺がやっつけてやる」と意気込んでいた一部のクソガキッズですらも「このにーちゃんはいいやつだ!」と完全に仲間認定である。
すると、そんな子供たちの様子と声に釣られたのか、大人たちも「なんだなんだ」と徐々に集まり始めた。
農作業の手を休めた男が汗を拭きながら近づき、額に張り付いた髪を払って「子供がそんなに喜ぶなら」と1銅貨を握り飴を買った。
そして口に含んだ瞬間、「何だこれ!」と叫んで顔を緩ませる。
そうなると他の駄菓子やクッキーも気になり始め、お財布の革袋を握り、うむむと悩みながらも手を伸ばしていく。
一人の主婦らしき女性がクッキーをじっと見ている。だが4つで銅貨5枚、というのが踏ん切りがつかないようである。
あまりに真剣に見てる様子に苦笑いした遥斗が「割高になっちゃいますが、お試しに1枚だけ銅貨1枚で食べてみます?」と聞くとすぐにうなずいた。
そして口に入れた瞬間に飴玉以上に目を見開いた。
村の中にも小麦を薄く焼いたガレットやクレープもどきのような軽食はあるが、こんなしっとりとしつつもサクサクとした食感に、ほろりと口内で溶けていく優しい甘さのクッキーは、彼女を虜にする。
「これはうちのろくでなし亭主の一週間分の晩酌を削ってでも買わねばならぬ」と決意して速攻で2セットを購入し、つられたように女性たちが集まって広場のざわめきがさらに増した。
駄菓子たちは子供にねだられつつも、男親は「酒のつまみにいいかも」と、こっちはこっちで「おかあちゃんには内緒で」とこっそり購入していく者もちらほら。噂が広場を越えて村の小道にまで届き、露店の周りは甘い香りと人のざわめきで満たされていった。
そんな時である。広場の端から、この村の住人ではあまり聞かない、上等な革靴の重い音が近づいてきた。
見れば、鋭い目つきに知性が宿る30代ほどの男が、濃紺のローブを翻して露店の商品を食い入るように見つめている。もう残っているのは大量の飴玉だけだったが、彼の目はそこから動かない。ただそのローブの裾だけが風に揺れている。
「お、どうだい。飴ちゃん玉――上質な飴玉が1個で銅貨1枚だよ」
「……何?この村で飴を売っているだと?しかも銅貨一枚だって?」
遥斗が声をかけると、彼は眉間にしわを寄せながら訝しむように答えてくる。
その目は、先ほどよりはるかに鋭くなっているが、それは疑っているというより、何か特別なものを見つけた子供のそれに見える。
そんな男の様子に、遥斗は楽しそうに言葉をつづけた。
「ああ、食べてみなよ。後悔はさせないからさ」
「へえ……言ったな。面白いじゃないか」
そういって、男は愉快そうに口元を緩ませた。
これが――今後、遥斗と長い付き合いになる、交易商人バルバとの最初の出会いであった。
次回は早ければ日曜12時の予定です。




