公爵家の息子
公爵家子息の私が辺境伯領へ護送された理由は、ただひとえに、後継者争いの影響だ。
長子として跡継ぎに指名されていた私は、王女殿下と婚約していた。
つつがなくお付き合いしているつもりだったのは自分だけで、王女殿下は非常に不満だったようだ。
「貴方ってつまらないわね。少しも刺激的じゃないし」
付き合い始めてしばらくした頃、彼女が面と向かって言った言葉に唖然とした。
公爵家の跡継ぎに刺激を求めるのはどうかしている。
公爵家は領地も広く、領民も使用人も多い。
商売上の付き合いも広いし、影響力だって大きいのだ。
この公爵家のトップが刺激的な人物であったら、周囲の者たちは右往左往させられてしまう。
そんなこと、王族である者が理解していないのはおかしいのである。
そう、彼女は大いに問題のある人物だった。
公爵家の正妻の子供は私一人だが、父の愛妾が産んだ弟が認知されて同じ屋敷で暮らしていた。
この弟は出来は悪く無く、なかなか温厚な性格であった。
……あった、と思っていたのだが、実のところは虎視眈々と跡継ぎの座を狙って暗躍していたのだ。
結論から言えば、弟は王女殿下の求める、刺激的な人物であったらしい。
というわけで、ある日のこと、私の私室に見知らぬ若いメイドが飛び込んできた。
そして、あっという間に胸をはだけると、あろうことか私に襲い掛かって来たのである。
あまりのことに対処できないでいるうちに、なぜか突然に、弟が初めて私の私室を訪れた。
しかも、ノックも無しにドアを開けたのだ。
「兄上! 王女殿下という婚約者がいながら、なんというふしだらな!
誰か! 誰かいるか! 兄上が乱心だ!」
普通、身内の不祥事を屋敷内とはいえ、大声で知らせる馬鹿はいない。
しかも、その馬鹿に応えたのは、なぜか屋敷に来ていた王女殿下。
「ひどい! ひどいですわ、レオナール様! わたくし、わたくし、裏切られていましたのね!」
何と言うか、わかり易くて助かった。
なるほど、そういうことだったのかと納得する。
ここまで、特に有能でもない自分が真面目に頑張って来たのは、たまたま嫡子とされたからで、他の理由は無い。
型通りではあったが両親から期待と励ましの言葉を受け、それをそこそこ真に受けて真っすぐにやってきた。
周囲には有能な者たちがおり、彼等が私を信頼しているというより、私が彼等を信頼してきた。
つまり、私じゃなくても誰かが公爵の地位に就いて、それなりにやっていれば、有能な使用人たちが後は何とかしてくれるはずだ。
弟がやりたいなら、やらせればよい。
王女殿下が私で不満なら、私が降りてもよい。
我慢したり、頑張ったりしたところで、報われるものでもない。
私が諦めるのが、もっとも簡単な解決法のような気がした。
私は駆け付けた執事長に、小声で告げた。
「しばらく様子を見たい。後は任せる」
執事長は頷いた。
私が公爵家の恥部として消される、なんてことは無かった。
とりあえず適当な病名を付けられ、辺境伯領に送られることになったのだ。
王女殿下は何やら幽閉幽閉と騒いでいたが、そんなものは現地の監督者が決める事である。
詳しい旅程は省くが、私は辺境伯領に着いた。
しかし、その場所に辺境伯はいない。代理の監督者として、辺境伯の血縁者である若い娘が迎えてくれた。
「ようこそ、アングラード公爵家ご令息レオナール様。
今日からは、わたしがお世話させていただきます」
「よろしくお願いする」
「王女殿下からの手紙によりますと、幽閉しろとのことですが」
「ああ」
しつこいことに、彼女は手紙で念押ししたようだ。
「誰も確認に来るわけじゃないのに、そんなもったいないことはしません。
働いてください」
「働く?」
「ご覧の通り、ここには他に人がおりません。
わたしがお世話するにしても、自分で出来る事はしていただかないと困ります」
「なるほど」
幽閉では無いものの、私が自由に出歩けるのは屋敷の敷地内。塀の中だけだ。
しかし、自分の面倒を見るとなれば、なかなか手間がかかり、外へ出たいなどとは考えもしなかった。
「使用人や平民は、こうして自分で自分の面倒を見た上で働いているのだな」
「そうですよ。もっとも、公爵家のご令息ほど大仰な支度は要りませんから、慣れればたいしたことはありません」
「なるほど」
そうこうしているうちに、屋敷内での生活にも慣れ、余裕が出て来た。
すると、監督者は言ったのだ。
「そろそろ、屋敷の外にも出てみましょうか?」
「しかし、そんなことをしたら……」
「気付かれやしませんから、大丈夫ですよ」
私は彼女によって変装を施され、本人と疑われる心配なく、街を散策した。
下位貴族の振りで、噂話を耳にし、ゴシップ紙を購入する。
「なるほどな、こんな感じになっているのか」
「決着までには、もう少々かかるかもしれませんね」
居間で新聞を読みながら、街で買って来たチョコレートを食べる。
私も彼女も、まるで人ごとのように話をした。
「さて、そろそろいい頃合いのようですよ」
隠遁生活に、すっかり慣れた二か月後、彼女は次の夜会に出ると言い出した。
「夜会って、さすがにこの屋敷では準備が出来ないだろう?」
「ご心配なく。行きつけの店に話が通っています。
私の目配りは完璧ですので、サイズに変りもないはずです」
そう言いながら、彼女は私の身体をジロジロ眺めまわす。
かなり恥ずかしい。
夜会当日、大通りにある行きつけの店に、コソコソと裏口から入った。
「お久しぶりでございます。ささ、こちらへ。
お直しがあれば急ぎますので」
新しく仕立てられた夜会服は、いつも通り公爵家嫡男に相応しい豪華なもの。
「問題はございませんね。
では、仕上げてしまいましょう」
すぐに馴染の従僕たちが現れ、化粧を施し、髪を整えてくれる。
指先の手入れの担当になった者が、ちらりと私を見た。
「済まない。不器用なもので」
そんな細かいところまで、自分ではやりきれなかったのだ。
きっと手間がかかるのだろうな、と思った。
しかし、彼は細かい道具でささっと手入れを済ますと、丁寧にクリームを塗りこみ、何事もなかったかのように作業を終えた。
やはり、彼等は優秀である。
全ての支度が済むと、迎えに来た公爵家の馬車で王宮に向かう。
門を潜り、有象無象の馬車で混み合う車寄せに近づくことなく、上位貴族専用のガラ空きの車寄せで降りる。
そのまま、王族の控室に案内され、支度を終えた国王ご夫妻に挨拶をした。
「ご無沙汰をいたしておりました」
「レオナール、久しいな、息災そうで何より」
「おかげさまで」
国王陛下とは和やかに挨拶を終えたが、王妃殿下は少々目を吊り上げていた。
「リュディヴィーヌから、貴方を辺境伯領に幽閉したと聞いていたのですが?」
「いえ、少々煩わしい目に遭いましたので、静養させて頂いておりました」
「静養?」
そもそも、王族とは言えども王女殿下に公爵家嫡男を蟄居させるような権限は無い。
国王陛下からの冷たい視線を受けた王妃殿下は、憮然としながら口にした。
「リュディヴィーヌの冗談だったようですね」
「左様に心得ます。
冗談ついでに、他にも王女殿下の御冗談がいろいろございまして」
私の後ろに控えた公爵家の執事が、陛下に取り次ぐ役割の文官に書類を差し出した。
書類が分厚いため、数人の文官が手分けして読み進め、必要なことを陛下に伝えるのを待って、私は口を開く。
「他にもいろいろと御冗談が過ぎるようですので、婚約を解消していただけないかと考えております」
書類の内容は、猿芝居で私の不貞を工作したことに始まり、権限も無いのに辺境伯領へ送ろうと画策したことや、弟をそそのかして、公爵家の財産に手を付けようとしたことなどなど、王女殿下の行状とその証拠をまとめたものだ。
「出来の悪い王女ではあるが、大人しくしていてくれれば、公爵夫人の地位は安泰だったのだがな」
「はい、残念です」
「な、あの子も御せなくて、何が公爵家ですか!?」
「お前が甘やかしたことが、王女を増長させた主な原因だ。
王女の処分を甘くするなら、その分、お前の責を増やすだけだが」
「……申し訳ございません。失言を取り消すことをお許しください」
「許そう。レオナールも、それで構わぬか?」
「畏まりましてございます」
少しばかり考えの足りない王妃殿下だが、さすがに自分の身を危険にさらしてまで娘を庇うことはしない。
冷たいようだが、どこかで責任を絶たねばならない以上、仕方ないことだ。
「リュディヴィーヌ王女を、ここへ呼んでくれ」
「お父様、お呼びでしょうか?」
しばらくすると、猫を被った王女殿下が現れる。
「お前とアングラード公爵令息の婚約を解消する」
「まあ、やっとお許しいただけますのね。
……解消? レオナールの有責で破棄しかありえないのですが?」
「その後、彼の弟と婚約するつもりだったのに、同じ家から慰謝料を?」
「あら、レオナールは個人資産を貯めこんでいるという話ですもの。
それを全部巻き上げ……いえ、そこから払ってもらえばよろしいわ」
「それを当て込んで、公爵家の資産に手を付けようとしたのか?」
「いずれ、わたくしのものになるのですもの。
執事どもも、黙って従えばいいのに、逆らってばかりで」
「……もういい、わかった」
「おわかりいただけましたの? よかったわ……」
そこでやっと、王女殿下は私の存在に気付く。
「なんで、お前が!? どうやって辺境伯領から戻って来たの?」
「茶番は時間の無駄です。
王女殿下が公爵家でなさろうとしたこと、なさったことは証拠を添えて陛下にお伝えしてあります。
婚約破棄をされたいのであれば、王女殿下の有責で、ありがたく慰謝料を頂戴いたしますが?」
「な!? 証拠ですって? そんなものあるはずが」
「公爵家の使用人は優秀です。舐めていただいては困ります。
それと、私は確かに辺境伯領に出向きましたよ」
「え?」
「王女殿下は、私をどの辺境伯領に送りたかったのでしょう?」
「どの?」
王女はキョトンとしていた。
「我が国には、三つの辺境伯領が存在しますが」
「え? 三つ?」
「お前、辺境伯領についても正しく把握していないの!?」
さすがに王妃殿下が驚いて、突っ込んだ。
「辺境伯領って、一つだけじゃないの?」
「何を言っているの! そこまで地理を把握していないなんて。
当然、距離も……これ以上は無駄ね。
申し訳ございません、国王陛下。
確かにわたくしの落ち度です。
ここまで甘えた王女に育ててしまったのは……」
「もうよい。今更だ。これについては、今の謝罪で終わりだ。
今後、王妃の責任は問わぬこととする。
リュディヴィーヌ王女は王家の籍から外す。
今後の処遇については、追って沙汰する。
リュディヴィーヌを貴族牢に」
「え? お父様? 何がどうなって……」
「リュディヴィーヌ殿、猿轡を嚙まされたくなければ、口を閉じていただけるとありがたい」
「なによ! 不敬よ!」
元王女がドタバタと連行されていく。
「それで、実際はどこに居たのだ?」
陛下に水を向けられた。
「ジャルディノ辺境伯様の個人的な別宅に居候しておりました」
「なるほどな」
軍隊を持つ辺境伯は、国防のために保持しなければならない秘密を持つことがある。
そのため、王都においても、辺境伯が持つ土地家屋は治外法権が認められるのだ。ある意味、辺境伯領とも言える。
王都の騎士団に守られることは期待できないが、自衛のために、辺境伯家の騎士団を置くことが出来る。
私が滞在していた屋敷は、そこまで物々しくはない。
辺境伯の知り合いが、ちょっと身を隠したい時などに貸してもらえる便利な屋敷。
敷地こそ区切られているが、ほぼ、辺境伯の王都屋敷に付随したような土地で、警備も万全である。
監督者の女性は屋敷の管理人の体だ。
食料などの物資は、裏口から必要に応じて運ばれていた。
「君の弟は、どうするんだね?」
「弟が公爵になりたいなら、譲っても良かったのですが。
どうやら、使用人から満場一致で嫌われたようで。
領地の隅で、頑張ってもらうしかなくなりました」
「彼の母御は、弁えた女性と聞いていたがな」
弟の母親は、領地に小さな屋敷をもらい、慎ましく生活している。
私の母である公爵夫人と顔を合わせても、一歩も二歩も控えて、けして出しゃばらない人だ。
「弟も根は悪くないのですが、こうも焚きつけられ易いようでは、公爵には向かないですね」
「では、君が従来通り次期公爵ということだが、婚約者はどうするかね?」
「それは、既に辺境伯様から、ご紹介いただきまして」
私は、後ろに控えていた女性の手を取った。
「君は?」
「お初にお目にかかります。
ジャルディノ辺境伯家の養女となりました、コリンヌと申します」
「ああ、確かに、その名は聞いている。
そうか、君が次期公爵夫人か。うむ、期待している」
「ありがたきお言葉。けして背かぬよう、精一杯努めさせていただきます」
彼女は、辺境伯の王都別宅で、私の監督者をしてくれた女性だ。
いくら人目のない場所とはいえ、男女二人きり。
もちろん、何の手出しもしていないが、まるで無関係とはいかない。
王女殿下との婚約が無くなり、私が公爵家の跡継ぎを続ける場合は、二番手として辺境伯家から妻を迎える手はずになっていたのだ。
見返り無しに他家を助けるようなお人好しは、高位貴族には存在しない。
その後、私たちは、まるで何事もなかったかのように夜会に参加した。
私の婚約者が王女殿下であったことは周知の事実だが、特に今夜のパートナーを詮索されることも無かった。
そして、後日、婚約解消と新たな婚約が発表されると、それは当たり前のように受け止められた。
どう処分されたのか知らないが、姿が見えなくなった王女殿下が少々、気の毒になるほどだった。
今回、西のジャルディノ辺境伯家と婚姻による繋がりが出来たので、アングラード公爵家はあまり存在感を示しすぎないよう気を付ける必要があると考えていたが。
「王家と繋がらなかったので、派閥の構図に注意すれば、さほど、問題にならないのでは?」
新たな婚約者は、何でもないことのように淡々と話す。
王女殿下とでは、こんなふうに家の存続に関わる話題など出なかった。
「君は政治的にも有能だし、次期公爵夫人なんて退屈なのではないか?」
「いいえ。公爵夫人だけではなく、西の辺境伯家の間諜という役割もございますし、それなりに忙しいのですわ」
「ハッキリしてていいね」
「アングラード公爵家もジャルディノ辺境伯家も、国の平和、民の安寧をモットーとしております。どちらのために働いても、利益が相反することはございませんから安心です」
「うん、ずっとそうであるように、出来るだけのことはしよう」
「ええ。お願いいたします。
もし両家の間に亀裂が生じますと、最悪、わたしは夫を始末することになってしまいますので」
「穏やかじゃないね」
「辺境伯家の養女になるにあたって、様々な試練がございましたが、最初の難関は暗殺術に向いているかどうか、でした」
「なるほど。
……もしもの時のために、複数の隠れ家の用意と、私が表向き死亡したことにする隠蔽工作について相談してもいいかな?」
「……前向きに検討いたしましょう」
私たちは、とても気が合った。
おかげで、公爵を継いだ後も、起った問題は幸いにして隠蔽工作に至る前に解決できた。
公爵として、公爵夫人として、しっかり務めを果たし、無事引退。
隠れ家の一つを正式に隠居所として使う、穏やかな老後にたどり着けたのだった。