(4)戦いは専門に
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レソルス石は都市部を中心に人々の生活を豊かにしている"奇跡の石"とも呼ばれている石である。それは軽く衝撃を与えることで、様々な事象を起こすことができるものだ。
例えば、石は自ら光ることができるため、灯りとして使われている。また、熱を持て、炎も出せるため、熱源としても利用されているのだ。
日々の生活に欠かせない力を備え持ち、かつ安全に使えるため、一般人にも広まり、大変重宝していた。
もともと、この地は何もない場所であった。むしろ土地はやせ細り、農作物もまともに育たない地であったため、誰も住もうとは思わなかった。
だが、突如として起きた地震のおかげで、レソルス石の塊を見つけ、その石の効果を明らかにした人々は、あえてここに街を作ることを決めたのである。
それが百年前の話だ。
灯りと熱だけならば、ここまで都市は発展しなかっただろう。この規模になれたのは、レソルス石が持つ他の特殊性のおかげだった。
代表的なものとしては、平時はただの石であるが、ある手を加えることで、鉄や銅よりも簡単に叩いたり伸ばすことができ、固まったあとはより丈夫なものになるという点だ。
また、建物などにも少量含ませることで、強度を増すことができた。それらの特性を生かすことで、製鉄業や建築業を中心として、この都市は栄えたのである。
今やレソルス石の存在は国中に広まり、便利な石は、ひっきりなしに求められるようになった。
しかし、供給する量には限りがあるため、まずは都市部や富裕層に行き渡り、その残りが地方の街に広まっている状態だった。
それゆえ地方の街では、灯りや熱の代わり程度しか使えておらず、特殊な使い方をする人間はほぼいなかった。
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レソルス石が一般住宅に無造作に置かれているところを見ると、この地はテレーズの出身地とはだいぶ違うと感じざるを得なかった。
マチアスが戸棚の中や机の下、様々なところを見ていく。
テレーズも何か手がかりはないかと探し始める。机の上にある乱雑に置かれた紙を見渡していくと、書き走った紙を見つけた。
インクの乾き具合から、書かれてからそう時間はたっていない。文字に目を通すなり、青年に声をかける。
「マチアス、これを見て……!」
彼はすぐに寄ると、並んでその文章を目で追いかけた。見る見るうちに彼の眉間にも、しわが寄っていく。
手紙にはこう書かれていた。
『テレーズ・ミュルゲへ
スカラットは俺たちが連れて行った。返して欲しければ、以下に示す場所に来い。決して他の者には口外しないこと。』
そして続きには、時間と場所が書かれていた。
震える両手を握りしめる。
「どうして、こんな……!」
沸々と怒りが湧き上がってくる。
「スカラットさんは何者かの手によって、テレーズの代わりに連れ去られたようだな。それなら待ち合わせの場所に来なかったのも頷ける。――なあ、本当に狙われている理由に、心当たりはないのか? それがわかれば相手の素性もあぶり出せるかもしれない」
テレーズは考えを巡らしたが、首を横に振る。
「心当たりはない。それにこの書き置きが本当なら、マチアスには話せない」
ただ、先生を尋ねに都市に来ただけだ。それしか表向きの理由はない。
(まさか、あの真実を調べるために妨害が入った? でも、あれを調べることは誰にも言っていないから、気付かれるはずがない)
腕を軽く組んで、他に何かないか必死に考えるが、思いつかなかった。
彼は片手を腰にあてて、肩をすくめる。
「わかった。心当たりがないなら、それでいい。今はスカラットさんを助けることを第一に考えるぞ」
「でも……」
不安げな声を漏らす。マチアスは紙を手にとり、顔の前に持ってきた。
「これを見てしまった以上、俺はここから引き下がれない。警備団という立場を抜きにしても、一人の人間として、引き下がるわけにはいかない」
「だから、それでもし、先生の身に何かあっ――」
話している途中でマチアスに右の手首をきつく掴まれた。腕をばたつかせ、捻ろうともするが、びくともしない。
眉をひそめて彼の顔を見上げる。
「何のつもり?」
「テレーズだけで行ったとしても、そこで二人とも無事に帰してくれるとは思えない。この荒れ具合を見る限り、複数名いるはずだ。こんなにも簡単に抑え込める女を一人で行かせるわけにはいかない」
「……私が弱いって?」
表情を消したテレーズは、右手を思いっきり下げ、視線が下がったマチアスの肩を左手で掴み、思いっきり自分の方に引き寄せた。
一瞬、ふらついた彼の足を払い、勢いをつけて背中から床に叩きつける。
彼を上から見下ろすと、ふっと笑みを浮かべられた。それを見て、ぞっとし、とっさに手を離して距離をとる。
それより前に彼に右腕を引っ張られ、あっという間に床に転がされる。軽く体を打ち付けて、悶えている隙に、彼は起き上がり、テレーズの肩を床に押さえつけた。
肩を押さえられているだけだが、まったく動けない。
「どうだ。これでもテレーズは行くのか? 相手の目的がわからない中、闇雲に一人で行くのは危険だ」
抑揚をつけずに彼は言っていく。目はまったく笑っていなかった。
マチアスを見て、背筋に悪寒が走った。
肩から右手が離され、その右手は首元に移動する。とっさに目を瞑った。
だが、触れる前に両手は離れ、マチアスは立ち上がっていた。
拘束を解かれたテレーズは、自身の呼吸が少し荒くなっているのを感じながら、起き上がった。胸の前で、自分の左腕を右手で握りしめる。
「な、何がしたいの?」
「わからせたかっただけだ。テレーズはたしかに並の女よりは強いかもしれないが、男に動きを封じられたら、一巻の終わりだ。もし、俺を連れていけば、盾にもなれる。戦いは専門にしている人間に任せろ」
「だから、他の人の存在が知られて、先生の身に何かあったら……」
「その前に二人を連れて脱出するさ」
目を真っ直ぐ向けられて、自信満々に言い切られる。その姿を見て、呆気にとられてしまった。
なぜ、そんなに自信があるのか。
実は彼はあの連中の仲間なのではないかと一瞬疑ったが、散らばっている紙や本を拾い始めているのを見て、その考えを捨てた。僅かでもそう思った自分が恥ずかしかった。
床に手を突きながら、立ち上がる。
「……ねえ、マチアス」
「何だ?」
「出会って間もない私に対して、どうしてそこまでしてくれるの? しかも非番なんでしょう?」
優しく接し、時に厳しく指摘してくれる。まるで昔から知っていて、心を許しているからできるような行為だった。
彼は本を机の上にそっと置き、軽く目を細めてから、テレーズに向けて表情を緩めた。
「さっきも言ったが、警備団として市民を護りたい気持ちもあるし、これ以上、この街を荒らされたくないという思いもある。他にも理由はあるが……それは機会があれば言う」
本をもう一列積み上げると、マチアスは置き紙を手に取った。
「さて、作戦をたてるぞ。手紙に書かれた時刻まで、あと数時間もな――」
その時、地鳴りがしたと思うと、小刻みに床が揺れ始めた。そしてゆっくりと左右に建物が揺れていく。
「地震?」
テレーズはとっさに傍にあった机に触れ、本棚や物が周囲にないかを確認した。
「そうだな。最近、ときどき揺れるんだ。こんなこと、生きてきた中だと、二十年近く前以来だ」
それから一分くらいで揺れは収まった。マチアスは置き紙をテレーズに託す。
「ここに書かれた建物を設計した人物に、心当たりがある。そいつに話を聞き、侵入と逃走経路を確認して、助けに行こう」
「ここ、昔からある廃墟とかじゃないの?」
犯人の隠れ家としては、今は使われていない古い建物が事例としてよく挙げられる。
マチアスは首を横に振った。
「作られたのは五年前だが、建物の中に入っていた会社が潰れたのは一年半前。それ以降、次が入る目処はたっていないと聞いている。この地域はある事件がきっかけで、人が寄りつかなくなり、治安が悪くなった場所だ。悪い奴らのたまり場として使われていてもおかしくはない」
「ある事件?」
彼は入り口まで歩みを進め、背中を向けたまま答えた。
「二年前に起こった、アスガード都市の“真昼の悲劇”と言われているものだ」
テレーズはその単語を聞いて、目を大きく見開いた。
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‟真昼の悲劇”――、それは平和な日常に住んでいた人々の心に恐怖を植え付けた、爆発のことである。
二年前、中小規模の事務所が多数入っている建物や、集合住宅が立ち並んでいる小さな川沿いの通りにて、突如として建物が爆発したのである。
爆発は建物の内部にいた人間だけでなく、通りを歩いていた人や、近隣の建物の中にいた人も多数巻き込んだ。
爆発した建物は全壊、近隣にあった建物は半壊、さらに少し離れた建物まで影響を受けたという。
人的被害も甚大であった。爆風により人々が吹き飛ばされたり、壊れた建物の破片が突き刺さったりした。数で見れば、死者十五名、重軽傷者は百名以上に及んだ。
あまりの惨劇の光景を見た人たちは、気を失ったり、吐いたりと、多くの人が体調を崩したという。
まるで悪夢に出てくるような酷さだったようだ。
原因は未だにはっきりと解明されていない。ただ、爆発した建物の周辺部からは、レソルス石の欠片が残っていたという噂が漂っていた。
そこから推測して、熱を持てるその石が爆発したのではないか、という話題があがったのだ。
だが、果たして爆発できるような量があったのか、熱を持てるからと言って、それと爆発を結びつけるのは無理があるのではないかなど、様々な議論が一部で繰り広げられた。
結局、それらについては立証できず、二年たった今でも原因は闇の中だ。