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薄明を告げる鐘の音  作者: 桐谷瑞香
第1話 学者の卵と敏腕警備
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(3)消えた先生

 片方を右耳に、もう片方を口元に寄せた。石を軽く叩くと、それらがうっすら橙色に染まる。


「あー、聞こえますか、お久しぶりです、マチアスです。今日、戻りました。先ほど女性が男に追い回されている現場に遭遇し、そいつらを確保したので、引き渡しをお願いします。場所は――」


 耳に寄せている石から、微かに声が聞こえてきた。


「――すみません、彼女、疲れているようなので、話を聞くのは明日以降でお願いします。俺は彼女を送っていきますので。――え、成り行きですよ。俺、もう非番なんですから、事情を聞くとか面倒なことはしませんよ。よろしくお願いします」


 石の向こう側では、まだ話し声が聞こえたが、マチアスが石を叩くと、色は元に戻り、声も聞こえなくなった。テレーズはマチアスの横に来て、石を覗き込む。


「レソルス石で連絡を取ったの?」


 マチアスは首を縦に振ってから、石を渡してくれる。一見して、ただの石だが、よく見れば細かな穴が空いていた。


「へえ、携帯用の通信機は初めて見た。石が僅かな電波を流す原理を利用しているのでしょう? 親の通信機が電波を受け取ることで繋がり、それで話をするんだっけ」

「その通りだ。この通信機と繋がる親機は、警備団の分署にある。今はそこと通じていた。便利だが、この通信機を使いこなせる人間は少ないし、他にも欠点があるから利用は進んでいない。よく知っているな、こういう機器があることを」

「石で何ができるか調べたことがあるだけよ」


 テレーズはしげしげと見ていたレソルス石を返す。少しすると、二人組の警備団員が現れた。マチアスより少し若い青年たちだった。

 彼らは魔物の死体にぎょっとしつつも、マチアスから話を聞き取っていた。

 途中でテレーズのことを見たが、すぐに視線を戻される。


 話が終わると、マチアスは頼んだとばかりに彼らの肩を軽く叩いてから、テレーズのところに戻ってきた。


「待たせた。さて、どこに行くんだ?」


 住所と地図を見せると、彼は軽く頷いた。そしてテレーズの手から荷物を取り、裏路地から道に出て、先に歩き始めた。

 マチアスは地図も見ずに迷わず進んでいた。さすが警備団の一人、頭の中に都市の地図が叩き込まれているようだ。


 成り行きとはいえ、出会ったばかりの人間に、護衛のようなことをお願いするのは気が引けていた。

 だが、狙われているのであれば、せめてスカラットだけにでも、その事実を伝えたい。だから借りを作るのは癪だが、彼の申し出を受け入れてしまったのだ。

 マチアスは少し後ろを歩くテレーズをちらりと見てきた。


「俺のことはマチアスと呼んでくれて構わない。年齢もそう変わらないだろうから」

「ちなみに何歳なの? 私は二十歳だけど。私のこともテレーズで構わないよ」

「俺は二十三歳さ。警備団に入団してから五年が経過している。それなりに腕はいいと自負しているから、安心して欲しい」

「あら、思ったよりも上ね。敬語使った方がいい?」

「いや、変わらず気楽に話しかけてくれて欲しい。気を使うのが嫌だから」

「私こそ、そう言ってくれて助かる。さっきの戦いも見事だった。頼りにしている、マチアス」


 今更敬語に戻すのは面倒だったため、彼の返答は有り難かった。

 初対面時と比べると、だいぶ刺々しさはなくなっている。あの時はテレーズが愚かな行動をしてしまったために、きつく指摘したのだろう。

 マチアスは少し間を置いて、再度振り返ってくる。


「なあ、よければ教えて欲しいんだが、これから会う人間は誰だ?」

「私の研究の先生よ」

「研究? テレーズは学生か学者なのか?」

「まだまだ学び途中の学者の卵。先生は普段都市にいるけれど、故郷は私と同じ街で、そこで出会ったの。先生の研究対象が私の興味と一致していて、都市の方がいろいろと充実しているから、ここに来てみないかと誘われたのよ」


 初めて先生と話したのは一年半前、高等教育を終えて、しばらくたった頃だった。

 実家の定食屋で働いていた際、先生がふらりと訪れたのである。注文した直後から熱心に本を読んでおり、テレーズが定食を運び、声をかけるまで気付かないほどの集中ぶりだった。


 先生はようやく本をどけ、定食を受け取ると、美味しそうに食べ始めた。

 ふと、テレーズは先生が読んでいた本に目を留めた。その本の題名を呟くと、「興味があるのか?」と聞かれ、それに対して頷いたところから、師弟関係は始まったのだ。


「出会ったときに先生が読んでいた本は、その時もらって、あれ以降私の宝物よ。研究する上での原点なの」

「どんなものを研究対象にしているんだ?」


 意外にもマチアスは食いついてくる。テレーズはそっと微笑んだ。


「それは――今の都市が発展する上で、必要不可欠なものかな」


 あえて誤魔化して言ったが、勘のいい人ならそれだけでわかるだろう。

 彼は逡巡すると、軽く目を見開いた。そして感心したように言う。


「なかなか大変な研究になりそうだな。頑張れよ」


 再び前を向いて、彼は少し足を早めて歩いていった。

 もしかして本当にあれだけで察したのだろうか。思った以上に、頭の回転が早い人なのかもしれない。


 夕方近くに、スカラットの一軒家に到着した。テレーズは入り口の扉を軽く叩く。


「お久しぶりです、スカラット先生。テレーズです。待ち合わせ時間にいらっしゃられなかったので、こちらにお伺いしました。どうかされましたか?」


 中から返事はない。何度か叩いたが、反応はなかった。

 二人で顔を見合わす。訝しげに思いながら、テレーズは取っ手に触れる。それは何の障害もなく回った。テレーズは目を見張る。


 マチアスは眉をひそめて、剣の鞘を左手で触れた。

 呼吸を落ち着かせてから、扉を引く。


「先生、入りますよ……」


 テレーズはおそるおそる開けていったが、紙が床に散乱しているのが目に入り、一気に開け放った。


「先生!?」


 入った直後の居間には、大量の紙が散らばっていた。紙だけでなく、割られた花瓶など、様々なものが床に落ちている。荒らされたのは一目瞭然だった。

 我を忘れて、中に踏み込もうとした。だが、マチアスに肩を持たれて、引き戻される。


「ちょっ……!」


 怒りのままに彼を睨む。彼は少し強く手に力を入れて、声を潜めた。


「落ち着け。中に先生以外の人間がいるかもしれないだろう。――俺が先に行く」


 テレーズが言葉に詰まっている隙に、マチアスが先に入った。二人で足下を気にしつつ、障害物を避けながら、極力音を出さないよう進んでいく。

 奥にある台所に行くと、皿の破片が多数散らばっていた。食器棚は開きっぱなし、鍋なども乱雑に床に落ちている。

 一階をひと回りしたが、誰もいなかった。

 まるで強盗に押し入られた後の光景だ。


 まさか――。


 ある仮説を立てると、血の気が引いていく。心臓の音が妙に激しく聞こえる。

 そのとき、肩を軽く揺さぶられた。漂っていた意識が戻ってくる。群青色の瞳の青年が、テレーズの濃い緑色の瞳を見つめていた。


「二階に行くぞ。まだ決めつけるのは早い」


 マチアスは居間にあった階段を注意深く上った。テレーズもそれに続いていく。

 二階にあがると、二つの部屋の扉があった。マチアスは近くにある扉に耳を当ててから、取っ手に触れた。

 テレーズは両手を握りしめて、祈るような想いで扉が開かれるのを待った。

 彼はゆっくりと開けていく。少し開いたところで、中を覗きこむ。やがて険しい顔で、首を小さく横に振った。


「誰もいない」

「先生も……?」

「ああ」


 スカラットが血を流して横たわっているという、最悪の事態を想定していたが、それは免れたようだ。少しだけ肩の荷が落ちる。

 その部屋は寝室であった。ベッドの回りを一周する。敷布などは乱れ、衣装戸棚も開きっぱなしだ。


 隣の部屋も用心しながら入る。そこは書斎なのか、多数の本や紙が散らばっていた。居間以上に荒らされている。

 先生の姿はなかったが、血の臭いなどもしなかった。


「押し入られた時に、たまたまいなかったか。もしくはまともに抵抗できずに、連れ去られたか……」


 部屋の中を進んでいくと、マチアスは中央にあったランプを持ち上げた。


「この部屋はもう少し調べてみよう。明かりの源はありそうだな」


 ランプの中に入っている石を二回叩くと、石が目映い光を発した。それにより部屋全体が明るくなる。

 テレーズは軽く目を見開いた。


「レソルス石の灯りよね。一般家庭にも、こんなに明るい光を発する石が提供されるの?」

「ああ、よほどの貧困層でなければ、これくらいの灯りは普通だ」


 マチアスはさも当たり前のように答えると、ランプを中央に置いて、部屋の中を探索し始めた。

 部屋の中央に来たテレーズは、輝いている石をじっと見下ろした。



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