眠り姫の目覚めー2
次に目を開けたとき、すぐにお医者さんが呼ばれ、簡単な問診を受けた。
口がうまく動かなくて、おまけにしゃがれ声。
採血、点滴、心電図。
そのうちに、お母さんが呼ばれたようで、病室へ入ってきた。
「今度こそ、本当に目が覚めたんだね」
お母さんは涙ぐんでいた。気丈な人なんだけど、それだけ心配をかけたということで、申し訳なかった。
医師と看護師が出ていくと、入れ替わりにアンナちゃんのおじいさんが入ってきた。
シルバーのスーツを着たイケオジだ。
「心を落ち着けて、よく聞いてね」
と、お母さんが話し出す。
「亜里沙は交通事故に遭って、四年間眠っていたの。そして三日前に一度、目覚めたのだけど、また眠ってしまった。次にいつ目覚めるか、それともずっと眠ったままになってしまうのか、ドクターにも分からないって言われていたの。でね、この人は……」
言葉をつまらせたお母さんの代わりに、アンナちゃんのおじいさんが言った。
「わしは……私は、楡崎泰造と言います。君の父親だ。長い間、放っておいて、すまなかった」
と、頭を下げた。
知ってます、とは言えないので、ぎこちない笑みを浮かべた。
「君をこんなにした加害者の父親でもある。不幸な偶然で、異母きょうだいが出会い、君が私の娘であることが分かった。私は妻とすでに離婚している。だから、君のお母さんに結婚を申し込んだ。憎くて別れたわけじゃない。私の不実のせいだ。君のお母さんは、私のプロポーズに良い返事をしてくれなかったが、君が目覚めたことで、承諾してくれた。これから、婚姻届を出してくる。退院したら、一緒に暮らそう。これまで放っておいた埋め合わせをさせてくれ」
そっか。お母さん、結婚するのか。じゃ、私は楡崎亜里沙になるのかな。
で、アンナちゃんと一緒に住めるんだ。
「この人、しつこくてねえ。おまえが生き返ってくれたんなら、結婚するのもいいか、と思ったのよ。介護のつもりで」
「何を言うか。わしはまだ若い!」
「ふーん?」
と、いきなりお母さんは、泰造さんをお姫様だっこした。
「これでも?」
澄ましているお母さん。対して、泰造さん、お父さんは真っ赤になって、もがいたあげく、下に降りた。
「介護の必要は、ないからな!」
くくっと笑いがもれ、「あはは」と目覚めてから初めて、私は笑い声をあげた。
検査をたくさんやって、一般の病室へ移った。といっても、アンナちゃんと同じ特別室。
「これまでの費用は、全部、泰造さんが出していたのよ」
と、お母さんが教えてくれた。
仕事も一年ごとの契約だったから、切れている。
四年寝ていたから、今、三十二歳か。どんな仕事ができるかな。それより、まずは体力をつけなくちゃね。
これも、アンナちゃんと一緒か。
そんなことをベッドの上でつらつらと考えていたら、夕食後の時間に大地くんがやってきた。
家族以外の面会が許可されたんだって。
大地くんは、ベッドの横でひざまずき、ポケットからケースを出して、私の左手の薬指へ婚約指輪と結婚指輪をはめた。ゆるゆるなんですけど。
「今すぐ、入籍しよう。亜里沙がいない人生なんて、考えられない。君が死んだら、僕も死ぬ」
と、ぼろぼろ泣いている。
重たいなあ。けど、うれしく感じる自分がいる。
「この、ポンコツ」
デコピンしてやった。でも、力が弱いので、全然きいていない。
泣きながら笑った大地くんは、スーツの胸ポケットから一枚の紙を取り出した。
大地くんの名前がすでに書かれた婚姻届だった。
「起こして」
大地くんに抱き起してもらい、彼がカバンから出したノートを下敷きにして、自分の名前を書いた。
「へろへろの字」
声は長くはしゃべれないけれど、もとに戻りつつある。でも、握力がまだ。
「苗字が違っているよ」
注意されて、思い出した。母の姓の上原でなく、楡崎だ。
大地くんは、もう一枚、婚姻届を出した。
用意のいいやつ。
それに私は新しい姓の名前を書いたのだった。
アンナちゃんと一緒の苗字、一瞬だったね。
「東堂くんは、どうしてるか、分かった?」
「ああ、ぎりぎりだった」
と、大地くんは難しい顔をした。
「激務に耐えかねて会社を辞めて引きこもっていたあいつは、僕が居場所を調べていったとき、ガスも電気も水道も止められて、餓死寸前だった。すぐに入院させて、助かったけど、君があのとき目覚めて彼のことを告げなかったら、あぶなかった」
よかった。
「恋敵に助けられて、東堂は不満かもしれないけど」
「彼の気持ち、知ってたの?」
「そう。だから、あせった。あいつが身を引いてくれなかったら、君はあいつを選んだかもしれないって、今でも思っている。君、僕みたいなタイプ、嫌いだろう?」
ま、そうね。イケメンは観賞用に限るから。
「僕は卑怯者だ」
大地くんが眉根を寄せた。
「それもひっくるめて、好きなんですけど?」
そう答えたら、頬をそめた。
イケメンの恥じらい。眼福です。
「と、東堂には、身体が良くなったら、うちの大学で働いてもらおうと思う。プログラミングなんか教えるの、いいんじゃないか?」
「そうだね」
男の友情って、いいなあ。
と、にまにましていたら、彼が話題を変えてきた。
「君のお父さんが、家の庭に僕たちの新居を造ると言っている。退院したら、忙しくなるよ」
「え? でも、大地くん、一人息子でしょ? 『嫁が、嫁が』と言っていたご両親は何も言わなかった?」
これでは、入り婿同然じゃない。
「小さな頃から家にいなかった両親に、今さら親の顔、されてもな。気にしなくても、いいみたいだよ? 君のお父さんが話をつけてくれた」
いや、ちがうでしょー。きっと、あのオヤジのことだから、何かやってる。
そうだね、と大地くんも目線で返したとき、ドアがノックされ、話題のヌシが入ってきた。
「おう、大地くん。来ていたか。プロポーズはもうしたのかな」
「はい、書類にサインをもらいました」
二人して、にこやかだ。
「それは、重畳。ああ、聖華学園の新理事長は、君の叔父さんに決まったよ。君のお父さんは、ただの理事になって、今年度限りで勇退だ」
「いいんじゃないですか? 年金もらえる年ですから、母とゆっくりして」
「そうだな。わしは、外部理事に就任するがな。叔父さんが、君にもいずれ、経営に参加してほしいと、言っておったぞ。それまでに、しっかり経営のイロハを叩き込むからな」
大地くんの笑顔が凍ったように見えた。
お母さんの話によると、お父さんは息子の不祥事の責任をとって、親から受け継ぎ、一代で大きくした会社を辞め、今は起業しようとする人向けのコンサルタント会社を立ち上げて、活動しているとか。
「お……とうさん」
こう呼ぶのは、なんか、恥ずかしい。でも、それ以外、呼びようがないんだけど。
私の呼びかけに、お父さんは――泰造さんは、とろけるような笑顔をこちらに向けた。
「大地くんのご両親に、何を言ったの?」
「なに、うちの娘に『父親がいないから』とか、『使用人の分際で』なんて、言ってくれたことに、ちょっと意見しただけさ」
笑顔ながら、その目は笑っていない。
脅したね、このオヤジ。それもえげつなく。で、大地くんのお父さんは、泰造さんの言い分を飲んで、辞任することになったんだ。それまで周囲にも根回しして、逃げないように追い込んでおいて。
たぶんね、と大地くんも目で語る。
困った人がお父さんになったものだ、と思いつつ、大地くんだけじゃなく、アンナちゃんとも一緒に住むのが、今から楽しみだった。