六回目のルルベル
入学式の翌日からはすでに通常授業が始まって、放課後、クラブの紹介が体育館であった。
クラブについて、高等部は一年生だけが必修で、二年生からは任意。
運動系クラブは無理だから、文化系を選ぶしかないんだけど、どこにしよう、と考えながら、舞台上で行われているデモンストレーションを眺めていたら、剣道部になったとき、女の子たちのものすごい歓声があがった。
「レイ様―っ」
あちこちから声が掛けられ、袴姿の麗ちゃんが、クラブの仲間と一緒に出てきて紹介をし、竹刀を振っている。
長い髪を一つに縛って、剣道着姿の麗ちゃんは美剣士で、この人気の高さも分かる。生徒会の仕事をしながら、クラブもやってた麗ちゃんはすごいな、と思った。
「さて」
と、わたしは体育館を出た。
ブラバンなんて、とてもじゃない。楽器できないし、才能ないし。文芸部は文章書かなくてはならないし、どうやらオタクの巣窟らしい。科学部、無理。ボランティア部も体力的に無理。入るなら、家庭科部か、日向くんがいる囲碁将棋部かなあ。
この二つの部室を見学してから、帰ることにした。
家庭科部は、マスコットのお人形を作るくらいで、あとはおしゃべり。あんまり活動していないようだった。おまけに特進クラスだと告げると、嫌な顔をされた。
囲碁将棋部の部室へ行ったら、日向くんはいなくて、男子部員ばかりだった。
ここもだめかな、と思って立ち去ろうとしたら、部屋の隅にいた女子二人がやってきて、猛烈な勧誘を受けた。
で、押し切られ、入部届を書いてしまった。
わたしって、押しに弱いなあ。
こんな弱気なことを考えると、たいていアリサちゃんの声が聞こえるのだけど、それがない。
そういえば、昨日からアリサちゃんと会話していないことに気づいた。
出てきてよ、アリサちゃん!
不安になって、急いでロッカールームに行って荷物を持ち、帰ろうとした。
まだ電車通学できるほどの体力がないので、おじいちゃんが車で送り迎えをしてくれることになっている。きっと今頃、児童公園のそばか、コインパーキングにいるだろう。
わたしは高等部の校門を出たところで、おじいちゃんに電話しようと、スマホを取り出した。
そのとき、声をかけてきた人がいる。
「楡崎……杏奈さん?」
詰襟の学生服を着た男子生徒だった。
「ぼく、透です。ご無沙汰……っていうのかな。学校に行けるようになったって母から聞いて、会えるまで通おうと思ってたんだけど、初日に会えて、よかった」
と、さわやかに笑った。
そこに昔の面影はなく、あのいつも不機嫌な男の子がこんな折り目正しいイケメンになったのね、という親戚のオバサンのような感想を持っただけだった。
「あのころを振り返ると、ぼくの態度は本当にひどくて、気がとがめて、謝りたかったんだ。本当に、すみませんでした」
と、きっちり九十度のお辞儀をした。
「い……いいよ、もう」
わたしも無視して接触しなかったし、今まで沙織さんと透くんのことは、忘れていたし。
頭を上げた透くんが申し訳なそうに言う。
「父さんに殴られていたの、知ってて止めなかった」
「小学生には止めるの、無理だって」
「でも」
と、二人で押し問答していたら、後ろで「きゃははっ」と笑い声がした。
「なあにぃ。男の子といちゃいちゃしちゃってェ」
暮林さんが、友達の女の子三人とこちらを見て、笑っている。
「楡崎さんが、男あさりしてるぅ」
そのとき突然、透くんが怒鳴った。
「部外者が。無責任な発言は、やめてもらおう!」
「きゃあ、こっわいーっ」
暮林さんたちは、けたけた笑っている。
そこへ、校門から大道寺くんが飛び出してきた。
「楡崎! からまれてるって聞いて」
近くまで来て足を止め、透くんを見据えた。
「君は? 校章を見ると、松葉が丘高校の生徒のようだが、楡崎さんに何の用だ?」
松葉が丘高校って、この近くにある公立の難関校だよ? 学校全体が聖華学園の特進クラスみたいな。透くん、すごいな。
と、思っているうちに二人のにらみ合いは終わり、透くんが一礼した。
「ぼくは、岩崎透といいます。杏奈さんとは、半分血のつながった弟です」
「弟?」
表情をやわらげた大道寺くんが、わたしのほうに視線を移した。
「そうなの。親が離婚して、別れ別れになってたんだけど」
と、そこでまた暮林さんが口を出す。
「ルイくぅん。楡崎さん、その子と口論してました。痴話喧嘩みたいな?」
大道寺くんはそっちを見ずにスマホを取り出すと、どこかに電話して切った。
「二人とも、少し待っていてくれないか」
大道寺くんの言葉が終わってすぐに、シルバーの外車がやってき、わたしたちの近くで止まると、運転席の窓が開いた。おじいちゃんだった。
「大道寺くん、連絡ありがとう。杏奈、後ろに乗りなさい。透は助手席だ」
「でも……」
「乗れ」
透くんが何か言いかけたけれど、おじいちゃんに言われて、素直に従った。
わたしたちを眺めていた暮林さんたちは、おじいちゃんのひと睨みで逃げてった。今思えば、『男をたぶらかす悪女』の噂は、これが発端だったのだろう。言い出したのは、暮林さんで。
わたしは大道寺くんに「ありがとう。さようなら」と挨拶して、車に乗った。
おじいちゃんは車を動かし、児童公園の横に停めて、透くんに近況を聞いた。
それによると、パパと離婚した沙織さんは、ホステスとして再び働き始め、そこで知り合った実業家の人と結婚し、すぐに男の子が生まれたそうだ。すると、それまで透くんに親切だった再婚相手は、透くんを邪険にするようになり、早く家を出たかった透くんは必死に勉強して「公立高校に入ったら、一人暮らしをしたい」と申し出、許されたので、今は生活費と学費をもらって、この春から一人暮らしを始めたという。
「母が、『聖華にあのまま通っていたら、兄弟枠で優斗も優先的に幼稚園へ入れたのに』とこぼしたとき、杏奈さんが復学したことを話してくれました。それで、昔のことを謝りたくて、待ち伏せしました。すみません。もう二度と姿を現しませんから」
うつむいて話した透くんの頭を、おじいちゃんは、ぽんぽんと小さな子にするように軽くたたいた。
パパに虐待されていたときの、わたしみたいだ。
じわりと涙が湧いた。
「わしは、おまえの祖父だ。他人じゃない。透、今の生活は、つらいか? 正直に言え」
「……つらいです」
と答えたあと、透くんは頭を上げた。
「でも、あがいてみます」
強いな。
おじいちゃんはうなずいたあと、
「おまえは、子どもだ。未成年で、しっかりしているが、大人の保護がいる年齢だ。あとのことは、じじいにまかせな」
後ろから見たおじいちゃんの横顔。にやりと、わるーい顔をしていた。
何をするつもり?
そのあと、遠慮する透くんを車で送っていった。透くんの下宿は、築何十年も経た古びた二階建てのアパートだった。
透くんが部屋の中に入るまで見送ったおじいちゃんは、剣呑な目つきをしていた。
その夜、アンナマリーとしてドレス姿になったアリサちゃんが夢に出てきた。
「ごめんね。アンナちゃんの呼びかけに答えられなくて」
「どうしたの?」
「動揺しちゃって、またアンナちゃんの体調を悪くしてはいけない、と思って、気配を消していたの」
「動揺って?」
はーっ、と息を吐いて、アリサちゃんが答えた。
「アンナちゃんの担任の先生ね、私の元カレ」
「ええええーっ」
なんという偶然!
「私の母は看護師で、結婚するつもりなんてなく、仕事が休みのとき、おしゃれなバーに行って過ごすのを楽しみにしていたの。そこで知り合ったステキな男性と恋に落ちて、子ども、つまり私ができたと告げたら、なんと相手は既婚者だったのよ」
「サイテー!」
「母は男と別れて、私を育ててくれたんだけど、母子家庭ってことに卑下なんてしてなかったんだけどね、若月くんと付き合うようになって、プロポーズされてからは、彼の両親の反対にあい、おとうさんのほうは折れてくれたんだけど、おかあさんが絶対反対でね。良家のお嬢様との見合いをセッテイングしたり、手切れ金を用意したりで、もう泥沼。疲れちゃった私は、別れ話を切り出したところで、死んでゲームの中に入っちゃったってわけ」
ふう、と再び、息を吐いたアリサちゃん。
「いいとこのお嬢さんと、もう結婚したと思っていたのにな。まだ、独り身で家まで出て。若月くん、あの学園の理事長の一人息子なの。とりあえず、実家が経営する学校で教師していたのね」
うわー。〇流ホームドラマじゃない?
若月先生、学校の関係者なんだ。
そのあと、わたしはアリサちゃんの愚痴を聞きながら寝入ったのだった。
入学して十日もすると、学校の生活にも慣れてきた。授業は進むスピードが速く、ついていくのがやっとだ。でも、必死にくらいついていく。
大道寺くんの家のジムについては、「もう少し学校に慣れてからにしよう」と言われている。
でもなあ。と、わたしは、ツルペタの自分の体形をお風呂に入る前、鏡で見た。
「ねえ、アリサちゃん。バストアップする方法、知らない?」
ぶっ、と吹いたアリサちゃん。でも、まじめに答えてくれた。
「タンパク質、ビタミン。つまり、牛乳・ヨーグルトなんかの乳製品。鶏肉、ナッツ類、アボガドなんかを食べて、規則正しい生活」
という助言で、わたしは毎日、牛乳かヨーグルトをとっている。それと、家の周りを少しでも散歩ね。
で、今日の体育は体力測定。それも、男子は千五百メートル、女子は千メートル持久走。
わたしは見学だけどね。
うちのクラスの男子も女子も、高身長でスタイルが良く、美形ぞろい。天は二物も三物も同じ人に与えるもんだなあ、とのんびり思いながら、運動場の隅で体育座りをし、手にしているノートにレポートに書くことをメモっていたら、後ろの校舎のほうから誰か来て、隣に座った。
「ねえ、楡崎さん」
ばっと驚いてそちらを向くと、そこに体操服姿の暮林さんがいた。
「四年前、私に怪我を負わせたのは、あんたのお父さんなの。楡崎さんは、私に借りがあるんだよ?」
わたしが沈黙していると、暮林さんは勝手にしゃべり続ける。
「事故の怪我でモデルも出来なくて、あ、でも、そっち持ちで形成手術したから傷跡なんて、ないけどね。でも、そのときのブランクで仕事が来なくなっちゃったの。だから償いのために、私にルイをちょうだい?」
「……ルイっていうのが、大道寺くんのことなら、大道寺くんはモノじゃないわ。やり取りなんて、できるわけないじゃない」
『ね、アンナちゃん。この子、変だよ』
アリサちゃんがささやいたけど、わたしは逃げないつもりだった。いつかは、暮林さんと話をしないといけないって思ったから。
「事故のあと、一か月意識不明だったみたいだけど、私は一番楽しかった。だって、それまでやっていた乙女ゲーム『グラフールの花の乙女』のルルベルになって、何もかも思い通りにできたんだもの。あのときのルイも素敵だったわあ。二人で悪役令嬢のアンナマリーをギタギタに痛めつけて、ボロボロにしてから殺してやったの。スカッとした。気分良かったわあ。ルイも、私と同じ気持ちで、あんたを殺すことを楽しんだのよ」
と、こちらを見て、にたあ、と笑った。
わたしは瞬時に、覚った。
六回目のルルベルは、この人だったんだ!