現実世界の悪役令嬢ー3
家の玄関の扉を開けると、家政婦の夏江さんが奥から駆けてきた。
「お嬢さま、お怪我は?」
ぱたぱた、わたしの身体中を触ってから、なんともないと分かり、ほっと息を吐いている。
「心配かけてごめんなさい。大丈夫だよ」
言ったとたん、ぎゅうと抱きしめられた。
あったかい。お母さんって、こんなだろうか、と思った。
ママは小さかったわたしを着飾らせて連れまわし、知り合いに見せびらかすときだけ、母親の顔をしていた。
パパは怒鳴って、殴るだけだ。
二人とも、抱きしめてくれたことは、なかった。
「夏江さんの老後の面倒は、わたしがみるからね」
「なに、言ってんですか。私はまだ、そんな年じゃありませんよ」
身体を離してから、怒られた。
そして玄関先でそのやりとりを眺めていた大道寺くんに二人して頭を下げてお礼を言い、門までお見送りをした。
大道寺くんが去ってしまってから、家の中へ入ると夏江さんが言う。
「学校からの連絡を受けて、旦那さまと奥さまもお戻りになります」
「ふうちゃんさんも?」
看護師長をしていて、忙しいはずなんだけど。なんか悪いな。
「午後七時に学校に集合だそうで、なにかお腹に入れたほうがいいですね」
夏江さんが作ってくれた野菜スープとサンドイッチにヨーグルトをプラスして、わたしは軽く夕食を摂った。
食事を終え、洗い物をしていると、透くんが帰ってきた。
「あれ? あねちゃん、どうしてまだ制服なの?」
「また、学校へ行く用事があって」
「どういうこと?」
目つきが険しくなった透くんに、暮林さんとのイザコザを全部話すはめになった。
「悪口に脅し。切りつけられたって? それ、いじめどころの話じゃない。犯罪だよ。どうして何も言わなかったの。大道寺のやつも、なにしてたんだ」
「大道寺くんは、わたしが怪我しないように配慮してくれてたんだよ」
「へえ、どうやって?」
怒っていた口調から、冷静になった透くんのほうが怖かったので、大道寺くんたちの暗躍を語った。
「下手な細工をするから……うーん、それより、ぼくだったら、どうしたかな」
考え込んだ透くんは、短絡的なパパよりおじいちゃんに似ているな、と思った。
そうしているうちに、おじいちゃんと房江さんが帰ってくる。
「うちの孫に少しでも傷など負わせておったら、親の会社を潰してやったものを!」
おじいちゃんが怒り狂っている。
「頭を冷やしたらどうです? その親御さんの経営する会社は大勢の従業員がいるんです。その人たちも巻き込むつもりですか。血圧が上がったら、血管が切れますよ。そんなだから、私が運転をしていく、と言うのです。泰造さんは、おとなしくしていてください」
さすが。職業柄か、もともとの性格か、房江さんは強い。
ぴしりと言われて、おじいちゃんが「うむむ」とうなって、新しいスーツに着替えるため、自分の部屋へ行ってしまった。
あとを透くんが追っていった。
なんか、二人で悪だくみしそう。
「亜里沙の母親を長いことやっているけど――あの子は何でも自分で解決してしまって、親らしいことをさせてくれなかったわ。私は杏奈ちゃんの新米の祖母で母親で、心もとないかもしれないけど、泰造さんの手綱だけはしっかり握っておくから、安心してね」
「はい、よろしくお願いします」
少なくとも、おじいちゃんの暴走は房江さんが止めてくれそうだ。
わたしたちは、スーツに着替えた房江さんの運転する車で学校へ向かった。
真っ暗な夜の校舎で、一階の職員室と会議室にだけ明かりがついている。
房江さんはわたしが指示する来客用スペースへ車を停めた。
校舎の玄関から、若月先生が出てきて、わたしたちを校舎内へ案内する。
「会議室で、事件のあらましをご説明いたします」
家族ではなく、先生の顔で言った。
おじいちゃんは、黙ったままだ。
沈黙が重い。
会議室へ入ると、麗ちゃんの両親と五人の女生徒の両親が本人と共に来て、席に着いていたけれど、暮林さんはいない。
わたしたちが席についたころに、慌てた様子の男性が一人、先生の案内で入ってきた。
「このたびは、うちの娘がまことに申し訳ありませんでした!」
入室するなり、その男性は深々と頭を下げた。
「暮林さん、頭を上げてください。娘さんは、どうされましたか?」
校長先生が訊く。
「『私は悪くない』と泣きわめいて、手が付けられず、連れてこれませんでした」
「そうですか。仕方ありませんね。では、関係者が集まったようなので、始めます」
学校側の説明で、その場には一年生の学級担任全員と、主任教諭。校長と教頭と新理事長がおり、教頭先生の司会で保護者に紹介された。
まず、防犯カメラの映像と音声が流される。暮林さんが、生徒会選挙候補者の張り紙を見て叫んだところからだ。友人との口論があり、わたしにカッターナイフの刃を向けて、麗ちゃんが定規で叩き落としたところまでだった。
教頭先生は、映像にあったことが事実であるか、五人の女生徒と麗ちゃんとわたしに訊いた。
わたしを含めて全員が、「そうです」と答えると、次に暮林さんのお父さんへ向かって言う。
「暮林樹里さんが『これは暴力だ』『いじめだ』と言っていましたが、心当たりはありますか?」
「いいえ。娘がそのようなことを受けているようには見えませんでした」
「うちの娘は、人が切られるのをとっさに防いだと見ました。それを『暴力』だと言うのでしたら、裁判でも何でも、受けて立ちましょう」
麗ちゃんのお父さんが、きつい口調で言い、麗ちゃんはそれを驚いて見ていた。
家では、穏やかな人だとわたしも聞いていたので、意外だったんだろうな。
「とんでもない。そんなことはしません」
「いじめがあったかは、念のため、全校生徒へアンケート調査を行います。ご了承ください」
「ええ、どうぞなさってください」
冷や汗をだらだらかいている。
すると、暮林さんのお父さんが答えたすぐあとに、一人の女生徒が叫んだ。
「私たち、樹里ちゃんに言われて、楡崎さんの悪口を言いました。でも、それだけです。会ったこともない人の悪口を友達から聞いただけで言いふらしたこと、反省してます!」
「私もです!」
「私も!」
「私たちは、友達の樹里ちゃんを信じただけなんです!」
本心から反省しているか、そこは分からないけれど、絶交だって怒っていたから、彼女たちは暮林さんを切り捨てるつもりのようだ。
「ごめんなさい!」
一人が立ち上がって、頭を下げた。すると次々と他の子も謝った。
「楡崎さんは、どう思いますか?」
若月先生がわたしに尋ねた。
「謝ってくれ、反省してくれたら、それでいいです。教室のある棟が違うので、実害もありませんでしたので」
わたしが答えると、本人たちよりご両親たちのほうが、ほっとした顔をした。
「では、君たちは反省文を各々の担任の先生へ提出するように。先生方もそれを取りまとめて、私のもとへ持ってきてください」
校長先生が言うと、先生方も「はい」とそれぞれ返事をした。
「さて、暮林さん。お嬢さんは、彼女たちとしたことが違います。人に刃物を向けました。それで、反省もしていない。これは退学していただく案件だと思いますが」
「はい。妻とも話し合い、自主退学させるつもりです。上の子たちは就職したり、大学に通ったりしていますので日本に残りますが、私たち夫婦と娘は、オーストラリアへ移住いたします。新しい場所で、娘も変わってくれると思います」
「そうですか……」
と、校長先生が答えたとき、おじいちゃんが話に割り込んだ。
「不出来な娘を持つと、親は大変ですな。しかし、そのお覚悟、感服いたしました」
と、皮肉交じりに言って、拍手している。
それを見て、房江さんが眉根を寄せた。若月先生も、だ。
他の大人たちは、何が始まったのか分からず、ぼんやりとしている。
「暮林さんは、会社を経営しておいででしたな。移住するというのなら、会社の売却先はもう、お決めになられましたか?」
「いえ、まだこれからです」
「私も会社を経営しています。売却するなら、ぜひ、うちにお売りいただきたい」
「はい?」
暮林さんのお父さんは、狐につままれたような顔をした。
「子供が、いじめ、いじめられの悪縁ですが、これもご縁ということで、ぜひ!」
「は……はひ」
ヘビに睨まれたカエルみたいになった暮林さんのお父さんが、わたしは少し気の毒になった。
「買い叩いちゃ、だめですよ」
房江さんがおじいちゃんのスーツの袖をそっと引き、ささやく。
「まっとうな商売さ」
おじいちゃんは、どこ吹く風だ。立ち上がって、暮林さんのお父さんに近寄り、名刺交換をし、次に会う約束を取り付けている。
「校長、話がまとまったようですので」
若月先生がうながすと、あ然としていた校長先生が我に返り、締めくくった。
「それでは、みなさん。トラブルがありましたが、お互い納得したということで、よろしいでしょうか」
「楡崎さん」
若月先生に呼びかけられ、わたしは立ち上がって答えた。
「暮林さんからの謝罪がなかったのは残念ですが、他の方の謝罪は受け取りました。これで、いいと思います」
「被害の当事者である楡崎さんも納得したようですので、話し合いはこれで終わりといたします。みなさま、ご足労いただき、ありがとうございました」
司会の教頭先生ではなく、なぜか若月先生が締めて、会合は終わった。
五人の女生徒と両親、暮林さんのお父さんは、さっさと帰って行く。
麗ちゃんの両親とおじいちゃんと房江さんは、初対面だったので、お互いに挨拶を交わしていた。
「麗ちゃん、大道寺くんから聞いたよ。守ってくれて、ありがとう」
「なんだ、ルイはもうしゃべっちゃったんだ」
麗ちゃんは、うーんと伸びをした。
「でもこれで、杏奈ちゃんと普通に話せるね」
「うん、また、いろんなこと、おしゃべりしよう」
約束して、わたしたちは別れた。
先生たちはまだ会議があるという。
「明日の朝礼の時間に、『友人と喧嘩して刃物を振り回した生徒がいる。心の悩みを抱えている人は、スクールカウンセラーに相談してください』とでもいうような話が校長からあるでしょう」
と、駐車場まで送ってくれた若月先生が言った。
「そんなとこだろうな」
そっけなく返したおじいちゃんは、携帯電話をポケットから取り出し、どこかに電話した。
通話がつながり、おじいちゃんが携帯をわたしに渡す。
「亜里沙からだ。今日の夕方、病院からかけてきて『アンナちゃんに何かあったら、電話して』と言うんだ。そしたら、この事件だろ? 予感があったのか、心配している」
わたしは携帯電話を受け取った。
「アリサちゃん?」
「アンナちゃん、大丈夫? 何もなかった?」
「ねえ、アリサちゃん。終わったよ、全部」
パパはアリサちゃんを襲って捕まったとき、錯乱していた。自分は王太子だから、何をしてもいいって。それからは、夢の国の住人になった。
おばあちゃんは最初、「あたくしが純一の面倒をみます」と言っていたのに、すぐに疲れて施設に預け、お見舞いにも行っていない。あんなに溺愛していたのに。
暮林さんは、オーストラリアに行って、自分の王子さまを見つけるんだろうか。でも、ゲームの中とはいえ、人をいじめることと殺すことに快感を覚えてしまった暮林さんに、普通の幸せは訪れないと思う。
「もう、六回目のルイとルルベルは、現れないよ。アリサちゃん、わたしたちが、あの人たちの悪役令嬢になることは二度とない。ゲームは、終わったの」
言いながら、わたしは不思議な解放感を味わっていた。
お読みくださり、ありがとうございました。
いったんここで終わりましたが、物足りない気がして、もう一話追加します。