第3話 偶然 ※ユアン視点
「昼休みぐらい、ゆっくりさせてください……」
一人でそんな愚痴をぼやきながら、とぼとぼと廊下を歩く。
今日も今日とて、休み時間は同じクラスの女子達からの質問攻めで、まともにトイレすら行けなかった。
みんなから頼られるのは嬉しいし、質問されるのも構わない。
ただそれがずっと続くとなると、流石に疲労も溜まってきてしまう……。
でも、そうも言っていられない理由がある。
何故なら、同じクラスにはもっとすごいお方がおられるからだ。
自分なんかでは比にならないぐらい、みんなの注目を集めいつも中心にいるお方。
エリス・リュミオール様が身近にいる限り、弱音なんか吐いてはいられないのである。
どれだけ囲まれようと、エリス様は疲れた顔一つ見せずいつも落ち着いて微笑んでおられるのだ。
たとえ上流貴族と言われずとも分かる、その自然で優雅な振る舞いと共に。
そんな高貴なお方と同じ教室に通えている事自体、本来は有り得ないこと。
だからこそ僕も、そんなエリス様を見習わなければならないのだけれど……残念ながら、僕なんてまだまだエリス様の足元にすら及ばない。
そもそも貴族と平民。
育ってきた環境が違えば、もっている能力も違うのだ。
僕はこの学校に入学して、これまで名前ぐらいしか知らなかった貴族がどういう存在なのかよく知ることができた。
彼らの教養の高さは勿論、何気ない仕草一つとっても平民とはまるで違う。
それはきっと、その生まれや育ち以上に、彼ら一人一人が貴族であることを誇りに思っているからこそだろう。
自分の家名に恥じぬ行動を常日頃から心掛けているからこそ、彼らはいつだって清く正しく輝いているのだ。
そんな生き方は、自分にはきっと無理だ。
だからこそ、この学園で彼らから学べる部分は本当に大きい。
最初は正直嫌々だったこの学園生活も、今では悪くはないと思っているのもそのおかげだ。
――でも、ちょっと休みたい時ぐらい誰にでもあるだろう。
そう自分に言い訳をしながら、一人で落ち着ける場所を求めて敷地内を彷徨っていると、校舎脇の一角へ辿り着く。
そこは人気はなく、日当たりもいい一角。
一人になりたい時には絶好の場所だなと思い見回してみると、どうやら先客がいたようだ。
「……あれ? エ、エリス様!?」
驚いた――。
その先客とは、まさかのエリス様だったのだ――。
思わず声を上げてしまったけれど、すぐに後悔する。
貴族の中でも、公爵家となれば上流階級。
そんなお方を相手に、平民の自分がお名前をお呼びするなんて無礼なこと……。
しかしエリス様は、そんな僕に対して嫌な顔一つしない。
いつものように優しい笑みを浮かべながら、自然に返事をしてくれたのである。
この学園の中でだけは、身分は関係ないとされている。
しかしそれは、自分達平民側がどうこうという話ではなく、貴族や王族の方々がそのように接してくれるおかげで成り立っているのだ。
だから決して、勘違いしてはならないのだ。
今こうして当たり前のように目の前にいるけれど、本来はとても遠い場所におられるお方である事を――。
こうして自分なんかが一対一でお話させて貰えるだけで、本来はとても畏れ多いこと。
しかし、そう頭では理解しているはずなのに、己の本能が訴えかけてくる――。
――もしかして今、エリス様とお話できるチャンスなのでは?
そう、今この場所において、僕はあのエリス様と奇跡的に二人きり。
こんな千載一遇のチャンス、逃す手はないのではないかと――。
その身分違いな欲求は、己の理性を少しだけ上回ってしまう。
本来は有り得ない選択だけれど、そうなってしまうのは相手があのエリス様だからに他ならない――。
全ての美を終結させたような、完璧なまでの美しさ――。
こちらを見つめるその青い瞳に、今にも吸い込まれそうになってしまう――。
聞くにエリス様は、僕と同じ理由でこの場所にいるとのこと。
そんな都合の良さも相まって、僕は勇気を出して一歩踏み込む事にした。
「――あの、もしよければですが、僕もご一緒させて貰ってもよろしいでしょうか?」
言ってしまった――。
そして言った手前、もう後には引けなくなる。
エリス様の座っている石と、ほど近い別の石の上にそっと腰掛ける。
「なるほど、ここは気持ちがいいですね」
「はい、そうですね……」
駄目だ……気まずい……。
しかも心なしか、エリス様も困っていらっしゃるように感じられる。
けれど、もう後には引けない。
まずはエリス様に、僕という人間の存在だけでも覚えてほしい。
そう願いながらも、上手く会話が続かず気まずい沈黙の時間が続く……。
そもそもエリス様は、ここへ一人になるために来られているのだ。
そこへたまたま通りかかった自分に声をかけられては、目的と反すること。
流石にこれ以上は良くないと思った僕は、諦めてこの場を立ち去ろうとする。
しかし、その時だった――。
何かに気付いたように、急にエリス様がこちらを振り向く。
その表情は僅かだけれど高揚しているようで、頬が少しだけ赤く染まっているように見えた。
「あ、あの……ユアンさんは、す、好きな方とかいらっしゃるんですか?」
そしてエリス様の方から、初めて僕に質問が投げられる。
その声は普段と違い、何かに期待するように少しだけ上ずっていた。
「えっ!? い、いきなり何故です!?」
そのエリス様の言葉と態度に驚いた僕は、途端に頭が真っ白になってしまう。
しかし目の前には、僕の返事を期待するように待つエリス様の姿――。
急に訪れたその状況を前に、僕の思考は完全に追い付かない。
――こんな事を聞いてくるってことは、まさか……?
そんな淡い期待が芽生えるも、それはないとすぐに否定する。
理由は言うまでもなく、相手は公爵家のご令嬢。
そんな高貴なお方が、自分のことなど相手にするはずがないのだと――。
するとエリス様は、そんな僕を見て何か納得するような表情を浮かべる。
「いえ、やっぱりおっしゃらなくても結構です! 野暮なことをお伺いしてしまい、申し訳ございませんでしたっ! また必ず、お話しましょうねっ!」
そしてエリス様は、そう言って先程の質問を一方的に切り上げてしまうのであった。
訳の分からない僕は、やっぱり話についていくことができない。
そのまま去っていくエリス様の後ろ姿を見つめながら、僕はようやく実感が湧きあがってくる。
あのエリス様と、直接会話ができたこと。
それから、最後に見せてくれた麗しい微笑み。
そして――、
『また必ず、お話しましょうねっ!』
エリス様から告げられた、そのお言葉。
――また必ず、か。
ドクン――。
これまで経験したことがないほど、大きく胸が高鳴る――。
それは紛れもなく、エリス様に抱く感情の変化を意味しているのであった。