ひどい勘違い
私はまだ、自暴自棄になってはいけない。
フィムフィム先生に早急に謝罪して、惚れ薬の解毒剤を貰うのだ。それをヴァルに与え、それから私がしでかしたことをトパに話す。全世界中に私が無理矢理ヴァルを惚れさせたと知って貰えばきっとヴァルの溜飲も少しは下がるだろう。
私はすぐさまフィムフィム先生の準備室に走った。
何人かの生徒は不思議そうに私を見ていたが構っていられない。
「先生!!」
扉を開けるとティーパックを3つも入れて紅茶を入れていたフィムフィム先生が「なんじゃ!?」と振り返る。
「先生、先生……私本当に大変なことをしてしまったんです。
申し訳ございません……」
「何のことかさっぱりだが……ワシは今朝からひどい目に遭ってるんだ。勘弁してくれないかね?」
疲れ切った様子で先生は口まわりだけ紅茶色に染まった髭を撫でる。
「惚れ薬の件ですよね……。そのことです。
私も、私も同じことをしました……」
そう言うが否や先生の周りにパッと火花が舞う。
「なんと!?」
「ごめんなさい!!
先生の準備室の棚に小瓶があって、つい出来心で……本当にごめんなさい……」
この部屋は先生の出す業火に包まれるだろう。私は目を瞑り覚悟をしたが、一向にその様子はない。
「準備室の小瓶? まさか、あのピンク色の薬剤を入れていた……?」
「そうです」
「なんと、人に飲ませたのか!?」
「はい。ヴァルに飲ませました……」
「ヴァル? ヴァルくんか? やれやれ。鈍臭いやつだな」
「そ、そんな風に言わないでください。私が悪いんです」
「いや。君も鈍臭いというか……。
あれはな、惚れ薬なんかじゃない。毛生え薬だよ」
毛生え薬……?
私は先生の顔をじっと見る。だが、フィムフィム先生にふざけた様子は一切無い。
「そんなもの人に飲ませて……相当苦いじゃろうな。何しろ皮膚に塗る薬なんだから。
吐き出させた方が良いとは思うが……」
「毛生え薬? そんなはずは。
だって現にヴァルは、私のこと好きになってしまったんですよ」
フィムフィム先生の黒い瞳は凪いだ湖面のように静かだ。彼の周りにもう火花は飛んでいない。
「あのピンク色の薬剤は毛生え薬だ。それが事実じゃよ。準備室に惚れ薬は置いていない。その他危険な薬もだ。
ワシが惚れ薬なんて危険なもの、準備室に放っておくと思うのかね?」
「それは……」
じゃあヴァルは何故急激に態度が変わったんだろう?
「惚れ薬か……。全く。このくらいの年頃は視野が狭くていかんな。
何故惚れ薬を彼に飲ませようなんて思ったんじゃ?」
私は俯いて先生の質問に答える。
「私はヒト族で、魔法も使えないし必死に勉強しないと一番になれない。ヴァルは獣族で強くて、必死にならなくてもテストの成績も良くて……。
そんな人に好かれるなんて夢のまた夢ですけど、でも……嫌われてたみたいで。それがすごく辛くて受け止められなかったんです。
だから、先生の棚から小瓶を抜き出して自分のバッグに入れました。
その後、目を離した時にヴァルがたまたまバッグを落としてしまって、多分それで……毛生え薬を飲んじゃったんじゃないかと」
先生は重々しく息を吐く。
「仕方のない奴だな」
そう言って先生は紅茶を一口飲む。
「その昔、ワシが生まれるよりも遥か昔の3000年前、種族はひとつだけだった。しかし戦争が起こり、人々は異界の存在の力を求めた。
そして、神に力を求めたものは神族に、精霊に力を求めたものは霊族に、獣に力を求めたものは獣族に、魔物に力を求めたものは魔族になった。
だが、異界の存在に力を求めなかったものたちもいた。それがヒト族だ。
彼らは何の力もなかった。しかし、彼らは5種族の争いをやめるよう説得し続けた。戦いは長かったが……やがて、ヒト族の言葉に心を動かされたものたちから戦いをやめ、平和が訪れた。
ヒト族は」
フィムフィム先生は言葉を区切り黒曜石のような瞳で私を見た。
「異界の力を使わずに誰かの心を動かせるんだ。そういう存在だ。
惚れ薬なんてもの頼らなくても君が誠意を持って接すればどんなものだろうと君に誠意を返す。
愛もまた同じだ。
言いたいことはわかるかね?」
「はい、先生。
……ごめんなさい……すごく反省してます」
「結構。
ワシが言いたいことが伝わったのならいい」
「本当ですか? だって私、惚れ薬を彼に飲ませようと棚から勝手に持ち出しました。
結局私の勘違いでしたけどもし本物だったなら……」
「だが君はそれを隠すのではなくワシの元へ来てくれた。衝動に駆られ過ちを犯したとしても引き返せるのであれば……今回限りで許そう。幸い毛生え薬を飲んだ程度じゃからな。
当然、次は無い。
それからワシの棚から勝手に薬を持ち出した罰は受けてもらう」
そう言うと先生は話は終わり、という風にカップをテーブルに置いた。
「ありがとうございます。それから、本当にごめんなさい……」
「罰に関しては明日言い渡そう。今日は忙しくて敵わん。
もう行きなさい」
私は深くお辞儀をして教室から出ようとした。
その背中に言葉が飛んでくる。
「ああそれと。君はヴァルくんが必死にならなくてもテストの成績が良いだなんて言っていたが大きな間違いだよ。
彼は今年から特に努力している。それを周囲に見られないようにしているようだが、教師には分かるものだ」
それから先生は部屋の奥へと移動した。
私はもう一度お辞儀をして部屋を出る。
ヴァルに会わなくては。
ひどい勘違いをしていたのは私だった。