恋の季節じゃない
あっという間にロビーに着き、慌てて身を離す。
いけないいけない。誤解を解きに来たのにこれじゃ説得力を持たせているようなものだ。
「あ、ありがとう……トパどこかな!?」
「あっち」
指さした方向にトパがいた。
……クラスメイトたちも十数名。彼の周りに輪を作って何やら話し込んでいる。
「トパーーッ!!」
私は絶叫しながら彼の方へ走り出した。
みんなが私の方を見る。恥ずかしいけど構っていられない。クラスメイトをかき分け、トパの腕を掴んだ。
「何話してたの!?」
「何っていや別に。うん。事実の話だよ?」
「私にまつわる話じゃないよね!?」
「まつわる……っていうのはまあ……解釈が分かれるかな? 正しく言えば別の人の話だし」
「ヴァルのこと……!?」
「うーん。そうとも言えるかなあ……」
コイツ……!
私は胸ぐらを掴んで「勝手なこと言わないでよね!」と叫んだ。
「ちょ、ちょっとノノ落ち着いて……?」
クィハが見てられなくなったのか止めに入る。
「どうしたの?」
「どうしたのじゃない。またトパが変な噂話を……」
「そうなの?」
「噂?」
「本当のことだろ」
みんなもう聞いちゃった上に信じてる!?
「ち、違うよ!」
「こう言ってるけど、ヴァル。お前ノノと付き合ってるんでしょー?」
イーシャはへらへらっと笑って言う。何言ってるの! こら! と言おうとして……彼女の視線の先にいるヴァルが「ああ」と頷いたので私はまた叫んだ。
「違うー!!」
「そうなの?」
「照れてんだろ」
「照れなくても良いのに」
彼はちょっと悲しそうな顔をしつつ私に近付くと、トパの首を絞めていた手を掴んで離させた。
「あ、ありがとう。危うくクラスメイトを殺すところだった」
「あと1秒遅かったらまずかったぜ」
「いや、そうじゃなくてあんまりくっついてほしくない」
そう言った途端クラスメイトたちは「はーやれやれ……」とばかりに首を振りため息を吐いた。
「ヴァっ……」
「トパはもうどうでも良いだろ? 帰ろうか」
肩を掴まれズルズルとトパから引き離され、髪を優しく撫でられた。
「どうしてトパが変な噂立ててるなんて嘘つくんだ」
「別にわたしたち騒ぎ立てたりしないのにー」
「そうよ。少し揶揄うくらいで」
「ちがうよっ! 見るからにヴァルおかしいでしょうがっ!」
彼の手を止めみんなを睨む。
クィハがおかしそうに「そうよね」と笑う。
「ヴァルってば恋の季節で随分情熱的になっちゃったのねえ」
「ちがう」
「そっか。ノノ周りに獣族いたことないんだ。びっくりするだろうけどそんなもんだよ」
「ちが」
「ヴァルは早く2人きりになりたいんだよ。察してやれって」
みんな、獣族の恋の季節のせいだと勘違いしてしまっている……!
どうしよう。これは私が薬を盛ったせい。恋なんてものじゃないのに……。
だけど、違うと言い続けて「じゃあ何で?」と聞かれたら困る。
惚れ薬を使った私の罪を糾弾されるのは構わないというか、勿論そのつもりなのだが、その場合フィムフィム先生の立場がかなり……非常に危うくなるんじゃなかろうか。
だって彼の担当の生徒が惚れ薬を作った挙句に、その保管場所に入った私が勝手に取って行ってしまったのだ。さすがに責任を取れと言われるだろう。
まずはフィムフィム先生に話し謝罪するべきだ。
「……そう……かも……」
「やっと納得したか。ま、いつかこうなると思ってたよ」
「うん。私、先月にはヴァルがこうなるって賭けてたんだけど」
「あたしは先々月」
「僕の勝ちだね。5000ずつね」
はあ。人の恋の季節を賭け事にするなんて嫌なクラスメイトを持ったものだ。
「……ヴァル、帰る前にちょっと寄りたいところある……」
「……分かった」
当然のように手を繋がれ戸惑う。繋ぎ返したいと思ったけれど、これは私のエゴなのだ。必死に繋ぎ返さないよう我慢する。
「……ノノ。あのさ、俺たちのことみんなにバラしたくなかった……?」
「う、うん。みんな揶揄うでしょ」
「それだけ?」
「え?」
「……いや、それなら良いんだけど……」
ヴァルがきゅっと握る手に力を込めた。暖かくて大きくて、皮膚が硬い。すごくドキドキする。
だめだ、平常心を保たねば……ニヤけないよう顔に力を込める。
耳がジンジン熱くなっているのが自分でも分かるが、分かったとて堪えねば。
不意に、ヴァルに腕を引かれ、より密着した。
「へ!? ど、どうしたの?」
彼は耳を下げ、私ではなく後方を眼光鋭く睨んでいた。か、カッコいい……。
「……セスタ」
振り返るとセスタがちょっと困った顔をして立っていた。
「や、あ。ノノに用事があるんだが……」
「……悪いが取り込み中だ。後にしてくれ」
「そんなことないでしょ。
どうしたの?」
何言ってるんだか……私はヴァルの手を解いてセスタの方へ行こうとした……がにゅっとヴァルの腕が伸びてがっちり捕らえられた。
お腹に、ヴァルの手がある……!! こんな恋人みたいな、いやヴァルはそうだって勘違いしてるけどっ! でも!
「ノノに何の用だ」
「ちょっと2人で話したいんだよ」
「無理だ」
「何でお前が答えるんだ……いや、まあ……そうだよな……」
セスタは額を押さえ呆れたように息を吐いていた。
「だがお前が心配することは何も無い。僕たちは単なる友達で……」
「仲良いもんな」
「席が近かったから。それだけだよ」
「……とにかく、2人で話すことはない。
ノノ。行こう」
「え、え? あのよく分かんないし……セスタどうしたの?」
「こ……困ってるんじゃないかと思ったんだ……」
セスタの声は首を絞められ絞り出されたかのようなか細い物だった。
「ヴァルが急に情熱的になって……」
「あ……。いや、だ、大丈夫だよ。恋の季節だったから……」
「だから。恋の季節で態度変わって困ってるんじゃないかと思ったんだ」
ヴァルはますます強く私を抱きしめ、セスタに対して唸り声をあげる。
「何が言いたい」
「そのままだよ」
「……行こう、ノノ。用は無いってさ」
「待ってよ。私、セスタと話してくる」
そう言うとヴァルはぎゅっと唇を結んだ。
警戒するように揺れていた尻尾がだらんと垂れる。
「なに話すの……?」
「心配してくれてるみたいだから」
「水刺してるだけだよ」
彼は中々手を離そうとしない。
……もしかして嫉妬してる?
そう思った途端胸が締め付けられヴァルへの愛おしさが爆発しそうになった。
これは惚れ薬のせいだって分かってる。
だけど、でも、嬉しい……!!
「せ、セスタと仲良いの嫌?」
「……ちょっと……嫌かな……」
「セスタが男だから?」
「セスタとノノ噂流れてたこともあったし」
「そうなんだ。知らなかった……」
そんなのはどうせトパが適当なこと言って広まった噂に違いない。
この間なんて私とクィハが実は姉妹だったなんて適当なことを言っていたし、私とセスタが付き合ってるという噂も流すだろう。
私はジッとヴァルを見る。どことなく気まずそうで、不安そうで、大変……可愛い。
「その、もし他の男の子と仲良くしてたらさ……」
「ノノなんか煽ってないか!? 僕別に喧嘩しに来た訳じゃないよ」
「違うよ! ちょっと確かめたかっ……気になっただけ!」
「本当に? ヴァルと喧嘩になったら僕しばらく医務室から出られなくなるよ」
「はは、セスタ力弱いもんねえ」
「弱くない」
「えーでも、この間だって蛇口固いって言って」
急に背中が暖かくなって私は絶句した。
ヴァルが、私を、抱き締めてる。抱き締めて、いる。
「ふぬおっ」
「悪いけどちょっとじゃなく嫌だな。セスタと仲良いの」
「ひょげ……」
「ほら、煽るから!
ヴァル。僕はノノのこと友達だと思ってるけど、恋人になりたいなんてこれっぽっちも思ってない」
「……恋の季節がどうのって言ってたよな。何が言いたい?」
ヴァルの冷たい口調にセスタは口籠る。私はというと、ただただ抱き締められている喜びで叫び出しそうになるのを堪えていた。
「なにって、その……だから」
「リッチルのことだよな?
お前……リッチルの気持ちにも応えない上に俺の邪魔までするのか?」
「そ、そんなつもりじゃ」
「じゃあどういうつもりだ?」
問い詰められたセスタは視線を彷徨わせる。
彼の周りには空気が破裂した時のパンという軽い音が小さく鳴っている。緊張しているか、不安に思っている。
「君にそのことをとやかく言われたくは……」
「じゃあ俺とノノのこともとやかく言うなよ」
「僕はただ相談に乗ろうと思っただけだ」
「リッチルの気持ちも考えられないくせに」
ヴァルが冷たくそう言った途端、セスタの周りで立て続けに空気の破裂音が鳴った。
「わ、分からないのか!? 確かにリッチルは良い子だし可愛いよ! だけど、いきなりそんな……好きって言われて、はいそうですかってなるか!?
この間まで友達だったんだ。それが急に恋人になってほしいって言われても戸惑う……。
僕はみんなみたいに器用じゃない。急なことに対応できないんだ。
なのにリッチルが僕のこと好きってみんな知ってる上に揶揄ってくる。居心地悪いだろ……」
「セスタ……」
彼は荒い息を繰り返した後、ごめんと小さく謝った。
「大声出して悪かった……」
「ううん。分かるよ。特にうちのクラスってちょっと騒がしいもんね」
「……リッチルは、我慢してくれてるって分かってる。近所に獣族の友達がいるし恋の季節の獣族の激しさは知ってるから。
それでもやっぱり僕にとっては急で……好き嫌いよりも困惑が大きいんだ……」
いつも真っ直ぐなセスタの瞳は揺れている。
「ノノもそうなんじゃないかと思ったんだ。
好意を向けられて嬉しいことよりも、なんで自分を? っていう戸惑い。自分がその気持ちに答えられるかっていう不安。そういう風に感じてるなら何か力になりたいと思った……」
私はヴァルのことが好きだ。惚れ薬を飲ませるなんて過ちを犯してしまうくらい、自分勝手にヴァルが好きだ。
だからこそ今のこの状況をなんとかしたいという焦る私は、セスタにとって見たら戸惑っているようにしか見えなかっただろう。
「……戸惑ってるっていうか……。その……」
セスタには打ち明けようか。
ヴァルに嫌われていると分かって惚れ薬を飲ませてしまったこと。
けれど私が言葉を続けるよりも前にヴァルに手を引かれた。
「もういいだろ」
強く言い切られ私とセスタは引き離される。
後ろから「ヴァル!」と呼ばれても彼は返事をしなかった。
無言で歩き続けたが、しばらくするとヴァルは立ち止まった。
「……迷惑だった?」
小さな声がして私は「何?」と聞き返す。
「迷惑だった……? 俺の気持ち……」
ヴァルはひどく悲しそうな顔をしていた。耳も尻尾も頼りなく下がり、瞳は不安げに揺れている。
「迷惑というか……」
「俺一人で舞い上がってたよな。ごめん……。でも、もう抑えられない。ノノが好きなんだ。
リッチルに衝動を抑え込むやり方教えてもらってたけど……我慢したくない……」
「ち、違うよ、ヴァル。迷惑じゃなくて……」
惚れ薬を飲ませてしまったんだと言わなくちゃ。ヴァルが傷付いている。
本来傷付かなくていいことで彼が打ちひしがれる様子を見るのは苦しかった。
なのに私の口から「惚れ薬」の言葉が出てこない。喉が張り付いたようで、口から意味のない音が溢れるだけだ。
「ああ……。
ごめん……俺。ひどい勘違いをしてたみたいだ」
そう言うと彼は踵を返した。
何を言われたのか理解できなかったが、ヴァルは私の様子を「本当は迷惑なのに我慢している」と捉えたらしい。
「あっ!? 待って、待ってヴァル! 違うんだって!」
「いいから。ごめん……俺のこと一人にして」
泣きそうな声だった。
待って、ともう一度言うもヴァルは煙のように姿を消してしまった。
ああ……なんてことだろう。こんなことになるなんて。
私は呆然と地面を見つめ、己の大きな過ちに息ができないでいた。
私の好きという身勝手な感情がヴァルのことを深く傷付けた。それだけじゃない。今後彼は嫌いな私に恋をしていたと周囲に思われ続けるのだ。