CAR LOVE LETTER 「Welcome back」
車と人が織り成すストーリー。車は工業製品だけれども、ただの機械ではない。
貴方も、そんな感覚を持ったことはありませんか?
そんな感覚を「CAR LOVE LETTER」と呼び、短編で綴りたいと思います。
<Theme:TOYOTA Sprinter Trueno(AE86)>
車好きの後輩がさ、車を手放すって言うんだ。
正直驚いたよ。毎晩の様に峠に走りに行ってたヤツでさ、そのせいで毎日寝坊で、会社に来るのもコアタイムギリギリなアイツがさ。
とは言え俺もアイツの気持ちは分かるんだ。
俺も学生の頃は走り好きで、毎晩の様に峠に通ってた。
次の日の授業なんか関係ない、今この瞬間を生きる。そんな毎日だった。
社会人になってからは、流石の俺も気持ちを入れ替えたが、アイツは俺が学生の頃に感じていた、若さの輝きやエネルギーの様な物を、社会人になってからも放ち続ける、そんなうらやましいバカだと思えたんだ。
そんな後輩がさ、車を手放すって言うんだ。
見るものが見ればため息の出る様な、あのハチロクをだ。
「デキちゃったんですよ。」
何とも分かりやすく端的な理由だ。予想していた答えをそのままもらったと言ったところだ。
だがアイツは、彼女とは結婚したいと思っていたし、そんな彼女との間に授かった子です、迷いは無いですよ、なんて言う。
こう言う事もさらりと言える、素直で真っ直ぐなところもコイツの魅力なんだろう。
しかし、大好きな車趣味が続けられなくなるのは苦しいですね、と後輩は肩を落とす。
しばらくは燃費のいい小型車で頑張りますよ、とも漏らした。
何かを手に入れようとすれば、何かを犠牲にしなければならない。俺もそんな苦渋の選択を迫られる事が何度もあった。
それを乗り越える度に大人になって行く様な気はしたのだが、その度に大切なモノがひとつずつ失われて行く様な気もして、何とも苦しく切ないのが常だった。
そんな会話をしながら俺たちは会社の駐車場まで歩く。
俺たちはちょっと仕事でトラブルを抱えてしまって、今日もこんな時間まで残業だ。しかもサービスで。
この残業代がちょっとでも付いてくれれば、ハチロクを売らなくていいかも知れないんですがね、とヤツは嘲笑する。
俺もそうだ。結婚して家計に負けて、車もフィットになっちまったが、残業代がフルで支給されたら、またスポーツカーに帰り咲き出来るだろうにと、幸せな妄想をする。
駐車場には俺たちの車しか居なかった。そんな時間って事だ。
相変わらずピカピカなハチロクだ。ネオヒストリックに片足突っ込んだ世代の車にして、このコンディションだ。
全塗装してますけどね、とカラクリをばらす。
エンジンも自分でオーバーホールしたと言う位の気合いの入れようだ。その気合いに見合い、すこぶる調子がいいそうだ。
「一体いくらで売るつもりなんだい?」と無粋な質問をしてみると、「大分乗ったし、いろいろやってますからね、30万も貰えればありがたいかな。」と、あの溺愛っぷりにしてはずいぶん控え目の本人評価額ではある。
「せっかくですから、味見どうです?」
アイツは俺にハチロクのキーを差し出してきた。誰にも運転させなかった、ハチロクをだ。
俺がまだ独身だった頃、アイツが新人で入って来てさ。その頃俺もランエボなんか乗ってたから、何度か一緒に峠やサーキットに行ったりもした。
そんな経緯から仕事の上でもプライベートでもアイツとは仲良くしてるし、あの頃の俺の走りも評価して、今こうしてハチロクのキーを差し出してくれているのかも知れない。
いずれにしても、アイツが他人にハチロクを委ねるのは一種の驚きではある。
懐かしいな。
俺が初めて手に入れた車も、実はハチロクなのだ。
大学の先輩からのお下がりで、ずいぶん遊びたおされてボロボロの状態だったが、それでもホントによく走った。
ナルディのステアリングにTRDのシフトノブ。俺のオンボロも同じだったな。
ヘッドランプのスイッチやワイパのスイッチは、そうそう、ココにあるんだ。思い出すなぁ。
キーを捻ると、少し古めかしい振動とともに、短いクランキングで4AGが目を覚ます。
パワーが有るわけでもなく、超高回転まで回るわけでもないが、気持ちよく吹けるこのエンジンには、「この時代」の雰囲気が宿っている。
俺には久しぶりのスポーツカーで、しかもそれがアイツのハチロクだ。不安と悦びがごっちゃになった気分で、俺はシフトノブを1速に押し込む。
久しぶりのマニュアルにしては上手くスタートを決め、俺たちは駐車場から誰も走っていない国道へと滑りだす。
絶対的な加速感も無いし、最近の車の様な快適さも無い。だがハチロクには、軽快感と一体感と言った、今の車では味わえない「良さ」がある。
国道から少しの所の、ちょっとした農道で、俺はハチロクにムチを入れる。
猛々しい吸気音と共に、ハチロクの全身全霊の加速が始まる。
「いい音でしょ!」自慢気にアイツは言う。
確かに!俺はアイツの目をチラリと見て、ニヤリと返す。
俺もいろんな車に乗った。
スターレット、シルビア、ランエボ・・・。そんなスポーツカーだけじゃなく、RVを転がしてた事もある。
しかしこのハチロクの落ち着く感じ。
ハチロクは、俺にとって原点というか、久しぶりに帰った地元で、悪友が地元の訛りでニヤニヤ笑いながら、まぁ一杯やれよと言っている様な、そんな何年経っても変わらない交流の様な感覚があった。
いろいろとずいぶん遠回りをしたけれど、俺の帰る場所はここだったのかも知れない。
俺は、気付いてしまったんだ。
駐車場に戻り、俺はヤツにこう言った。
「こいつさ、俺が預かっておくよ。お前には、30万貸しておくわ。落ち着いたら、こいつを迎えに来なよ。」
狙い通りと言った笑みを浮かべ、ヤツは俺にこう言ってきた。
「うちの子をよろしくお願いします!先輩のフィットを付けてくれたら、25万でいいですよ!」
やっぱり狙い通りか!さぁて、嫁さんにはなんて説明しようかな。
「なぁ、23じゃダメ?」
「せっかくですから、味見させてもらえますか?」
俺たちは目を合わせ、誰も居ない真夜中の駐車場で大爆笑した。
俺はハチロクを振り返り、ただいま、という視線を送る。
その視線にハチロクは、お帰り、と言っているような、ちょっとだけそんな気がしたんだ。