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それぞれの想い

ダメ、ぜんぜん前に進まない。

もう手も離せない。

なんで..なんでこんなことに....




前来たときはもっと遠かったと思っていた。

それが今日はやたらと楽に進めると思った。


こんなに潮が流れていたなんて....


甘かった。

透明度が悪くて景色も良く見えない不安を『なんとかなるだろう』の言葉で封殺していたのだ。


気が付けば『身丈岩』を通り過ぎていた。


戻ろうと、フィンを必死に()いて、やっと岩を掴むことが出来た。

けど、もうこれ以上フィンキックできない。


もし今度、手を離せばきっと流されてしまう。


もしまたあの強い流れの塊がぶつかってきたら、今度こそマスクが外れてしまうかも。

もう両手で岩を掴むだけで精一杯だもの。


強い流れなんてものじゃなかった。

潮流という生き物が私を連れ去ろうと何度も何度も塊となってぶつかってくるのだ。



誰か.... 誰か助けて。

怖い.. 怖いよ。



佑斗(ひろと)さん.. もうダメかも.... 


お母さん、ごめんなさい.. お父さん、私....




..光?


何か光った?

ライトの光?


あ、ああ..白いフィンの影が見える!

来てくれたんだ!!


佑斗さんが助けに来てくれた!


佑斗さんは『身丈岩』に飛び移り何かを伝えようとしている。


何?手?

そうだ!手で岩を掴みながら少しずつ進むんだ。

ひとつ、ひとつ、岩を掴んで前に進め!


私はひとつ岩を掴み、前に進むごとに自分にはまだ『前』があるのを実感していた。


『蒔絵、まだ終わったわけじゃないんだ』


お父さんの言葉を思い返していた。


・・

・・・・・・


「蒔絵!! レギュレター絶対外すな! 転がってもいい、そのまま這って陸にあがれ! 」


フィンが流されてしまったのがわかった。

大きな波が、私の体をゴロタに転がす。


大丈夫、頭は打っていない。

這い出なきゃ! ..はぁ ..はぁ ....陸へ



「よくがんばった。もう大丈夫だよ、蒔絵」


「ごめんなさい。ごめんなさい。佑斗さんが来てくれなかったら、私....」

「ああ、でも俺は助けに行くよ。俺は蒔絵のバディだからな。蒔絵が無事で本当によかった。さぁ、センターへ戻ろう」


「..はい」


震える私の手を包む佑斗さんの手は大きく、固く、そして暖かかった。


・・・・・・

・・


琴子さんは私の頬を思いきり叩いた。

痛かった。

でも、その頬の痛みよりも琴子さんの言葉が私の心に痛かった。


『あなた、私たちがどんな想いでこの海を見守っていると思っているの! 』


そうだ。

私はここのダイビングセンターの人がどれだけの想いをこの海に、ダイビングに傾けているのか全然考えていなかった。

私がやったことはその大切な想いを土足で踏みつける行為だった。


私は何でそんなことも分からなくなってしまったのだろう。


オーナー、佑斗さん、琴子さんがダイビングに傾ける想いは、私が忘れてしまった『音楽への想い』、そのものなんだ、きっと。




「すまん!!みんな。俺のせいだ。蒔ちゃんを責めないでくれ! 」


突然、オーナーが頭を下げて謝った。

私を含め全員、オーナーの謝る理由がわからなかった。


「蒔ちゃん、君は探していたのだろう? あれが一体何なのかを。あの『青いトンネル』って何なのかを 」


「何で.. それを知ってるんですか? 」


「俺はそれに気が付いていたよ。君が海に潜りたいと言った時からそんな気がしていたんだ。でも、どうだい? そんなものは見つからなかったろう? 」


「はい....」


「こんな大事になる前に俺は君が納得すると思っていた。何度か佑斗と海に潜れば、君の疑問も晴れると、勝手に思いこんでいたんだ。これは君を放っておいた俺のミスなんだ」


「オーナー、『青いトンネル』って何ですか? 」


「俺も実際に見た事はない。だけど、次郎は俺に話してくれたことがあるんだ。次郎は中学の頃からあの岩でバイオリンの練習をしていた。 蒔ちゃん!君のお父さん、田宮次郎は俺の大切な友達だったんだ! 」

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