こちら『ミッドガルズ宮殿前 公共職業安定所』〜もう遅い? やかましいわ! 最強の職安相談員による求職相談、及び付帯する一切の業務〜
誰しもが、自分の『人生』という物語の主人公だ。例えその物語が、他に知る者の無い物語だったとしても。
【AM8:00〜12:00 窓口対応】
「はい、こちら『ミッドガルズ宮殿前 公共職業安定所』でございます」職員の誰かが、魔導通信機の受話器を取ってそう答えた。
窓口は満員。フロアには、職を失った『主人公』たちが、列をなしてひしめいている。
「603番の番号札でお待ちのお客様、3番の窓口にお越し下さい」新人職員のエマは、彼らに向かってそう告げた。
誰が一番猫背か競うように背を丸めてベンチにかけていた失業者の群から、一人の青年がのっそりと立ち上がって、重石を繋がれた囚人のような足取りでカウンターまで来ると、「こんにちは」と挨拶をするエマに答えもせず、形ばかりの会釈をして椅子に座った。
「では、求職者票と番号札をお預かりします」努めて明るくそう言うエマに、青年は憮然として書類を手渡した。彼女の仕事は、簡単な受付手続きを済ませて相談員に引き継ぐことだ。
求職者票を広げ、目を通す。「えー、アダーモ・ベッティさん、『失業区分:追放』……」
(まただ……)ウンザリするのが顔に現れないように、口の端に力を入れる。
このところ、所属するパーティーから追放される冒険者というのが急激に増えていた。
ミッドガルズと魔界との間で長く続いた戦争が、終結してから13年、仕事にあぶれた傭兵の野盗化や、魔物の増加に伴って、冒険者需要が急速に拡大、景気の悪化も手伝って、他業種からの新規参入が一時期爆発的に増加したが、一方で深刻な質の低下を招いた。
そして今、経験4、5年という急増世代の冒険者が篩にかけられているのである。
(やっぱり、それなりの理由があるんだよなあ……)エマは書類にチェックを入れながら、上目遣いに青年を見た。
この青年も、他の追放冒険者の例に漏れず、不貞腐れたような態度で貧乏ゆすりをしている。とりわけ厄介なのは、このような覇気の無い目付きの青年も、腕っ節で飯を食う冒険者だということである。
従って、エマのような新人の窓口担当が第一に気を付けなければならないことは、「求職者を刺激しない」ということだった。
「受付手続きはこれで終了です。専門の相談員がご相談をお受けいたしますので、こちらの番号札でお待ち下さい」出来るだけ気を使いながらそう告げるエマに向かって、青年はこれ見よがしにため息を吐いた。
「はあ……また番号札ですか……」
「ええ、申し訳ありませんが、ご覧の通り、大変混み合っておりますので、先に手続きだけさせて頂いておりまして……」
「ほんと……役所の仕事って、どうしてこう煩雑なんですかね。もう、すでに大分待たされてますけど。やっと呼ばれたと思ったら、また番号札?」青年は鼻で笑った。エマが大人しい女の事務員であることが、彼にある種の勇気を喚起したものと見える。
「ええ……はぁ……」と言葉に窮するエマの肩を、後ろでデスクワークに励んでいた主任が叩いた。40代格好の、小太りの優男で、エマの肩越しに、百戦錬磨の作り笑いを求職者の青年へ投げかける。
「済みませんね、すぐお呼びしますので。エマ、シリル・デュカスを呼んでおいで。ホラ、あそこにいるから」
『シリル・デュカス』という名を聞いた時、エマは一瞬目尻が引きつるのを感じた。
「ベッティさん、個室の方でも、ご相談を受けられますが……」エマは、わずかな親切心からそう提案したが、青年は何か意図的な感じのするため息を交えて、首を横に振った。
「いいですよ、ここで。それでなくても、離職票の発行やら、失業保険の手続きやらでたらい回しにされてるんですから。もう、早く済めばなんでも」
「エマ。ベッティさんは迅速で柔軟な対応がお望みだ」主任は、ねぇ? と青年の顔色をうかがう。ベッティという青年は戸惑ったように視線を泳がせてから、頷いた。
「分かりました」エマは観念して席を立った。
主任の言うあそこというのは、この場合、庁舎の打合せ室を指すということを、エマは入庁3日目に教わった。
デスクの間をすり抜けて、小走りに廊下を渡り、件の打合せ室の前で止まった。『使用中』の札が掛かっている。中から漏れる声に、エマは耳を澄ました。
──「だから、追放されるまでパーティーにしがみ付いてたのはアンタだろ? パーティーが無能だと思うなら、辞めりゃよかったじゃねえか自分から。『後悔してももう遅い』? やかましいわ。恨みがましい。自分のどこが悪かったのか見つめ直す姿勢が無きゃ、別のパーティーに入ったって、アンタまた一緒だぜ?」──
エマは肩を竦めた。怖気が走る。シリル・デュカスとはこういう人なのだ。言わない方がいいことを全部言う。
打合せ室のドアが勢いよく開いて、エマの鼻を打った。
「いたたたた……」と鼻を押さえるエマの脇を抜け、相談者と見える若い男が走り去って行った。目尻に涙の粒が光る。「かわいそうに……」
シリル・デュカスが一般の窓口ではなく、打合せ室をあてがわれているのには理由がある。こうやって、求職者とモメるからだ。
「デュカスさん」開け放たれたドアを潜り、エマは開口一番その男の名を呼んだ。
「おう! エマ! 調子が良さそうだな」
ストライプの入ったグレーのスーツに派手な花柄のシャツを着た30半ばの男は、知らなければ堅気の人間には見えないが、これでもレッキとしたこの職業安定所の職員である。
「また適当言って……」とエマは抗議を含んだ声色で言った。
「で、何だ?」デュカスは用件を促す。
「お客様です。一般窓口の方で」
それを聞くと、デュカスは苦笑した。「あの、タヌキ親爺……」
「え? 誰がです?」エマは首を傾げる。
「主任だろ? 言い出したのは」
「いえ、求職者さんが、待ち時間が長いとゴネて……」
「で、だったらこっちの窓口にデュカスを呼んで来いとなったワケだ」
「ええ……まあ……」
「まあいい。行きゃ分かる」デュカスはポケットに手を突っ込んで、席を立った。
「あの、あんまり、刺激しないで下さいよ。相手は冒険者なんです。それじゃなくてもパーティーを追放されて、気が滅入ってらっしゃるんですから」とエマはクギを刺した。自分の連れて来た相談員が、公衆の面前で求職者とモメるというのは考えただけでも背筋が凍る。
「あのなぁ。お互いに建前でしか喋らねえから、ちっとも話が前に進まねえんだよ。それに、俺を誰だと思ってる。あのシリル・デュカスだぜ」とデュカスは得意げに言う。
エマは顔をしかめて視線を天井に向けたが、そこには不安以外の何ものも見当たらなかった。「いや、『あの』って……」
「え? いや、知らねえの? シリル・デュカスだぜ?」
「いや、知ってますよ。何も教えてもらった記憶はないけど、何故か私の教育係ということになっている、シリル・デュカスさんですよね」
「いや、そうじゃなくてよ。いや……えっ?」
「えっ?」
意味が分からず目を丸くするエマの前で、シリル・デュカスはそれ以上説明するでもなく、ただ肩を落とした。
元の窓口に戻った時、パーティーから追放されたという求職者の青年は、椅子の背もたれにふんぞり返っていた。膝と背中のなす角度は、待ち時間に比例するという法則があるのかもしれない。
「大変お待たせいたしました」エマは、本当に、心から申し訳なく思っているのだ、ということを懸命に表現した。
「ええ、本当に……」さあ、これから本格的な嫌味を言うぞ、という構えを見せた青年は、その途中でギョッと目を見開いて口を閉じた。理由は簡単だ。彼女の後ろから現れた男が、どう見ても堅気には見えなかったからである。
「やあ、こんにちは。えー、アダーモ・ベッティさん……補助魔法使いね……多いね、このパターンも」デュカスは書類と青年を見比べるように言った。
「はぁ……いや、アナタが担当ですか? それにしては……」とベッティ青年は口ごもった。
「ハンサム過ぎる?」デュカスは口元に笑みを浮かべて問いかける。
「いや……」
「まあいい。俺が、職安の相談員にしちゃハンサム過ぎるのも、服のセンスが良過ぎるのも、アンタがパーティーを追放されたことに比べりゃ些細な問題だ。で? なんで追放されたんだ?」
「いや、もう色々言われて……無能だの、目障りだの……」そう言う青年の表情の中に、怒りの色が混じっていることにエマは気付いた。さぞ悔しかろうと同情する。
「だが、アンタは別の意見を持っている」デュカスの言葉に、青年はうなずいた。
資料に目を通しながら、デュカスは続けた。「お、それなりのパーティーだな。中級上位くらいにはいるんじゃない?」
「ええ、まあ。要は、僕の補助魔法があってその位置にいられたことを、分かって無いんですよ。『補助魔法しか使えないヤツはパーティーに要らない』ってのが連中の主張でしたから」
「ああ……なるほどね」とデュカスは、椅子の背にもたれかかって脚を組んだ。
エマはほとんど諦観に近いため息を吐く。彼の本領はこれからだということを、エマは知っているのである。
「俺はね、違うと思うな」とデュカスは言った。
「え?」青年が呆けたように聞き返す。
「アンタさ、挨拶しねえだろ」
「は? 挨拶?」
「そう。人間関係の基本だぜ」
「いや、僕は仕事の話をしてるんですよ。関係ないじゃないですか。『こんにちは』とか、『こんばんは』とか、それが何の役に立つんですか?
それに、僕だって、向こうがそれなりの態度で接してきてたら、挨拶の一つもしたでしょうよ。けど、ハナっから見下した態度で来られて、挨拶なんてする気になります?」
「だから、そういうとこなんだわぁ」とデュカスは顔をしかめる。
「いや、何ですか?」と青年も苛立ちを隠さずにデュカスを睨んだ。
「『まず、与えよ』聖書読んだことねえのか? アンタさあ、全部相手のせいなんだよ。俺はここに来るまで、アンタがこっちの姉ちゃんと、どういうやり取りしたか聞いてるわけ。姉ちゃんはアンタに『こんにちは』って言っただろ。俺も言ったぜ。だがアンタはそれに答えなかった。
アンタは自分を一つ高い位置に置いて、俺らを値踏みしてるわけ。相手が挨拶するに値するか、評価する立場にあると思ってる。誰がそんな奴と気持ちよく仕事出来るんだよ」
「いや、そういうレベルの話じゃないでしょう」と青年は食い下がる。
「違うね。そういうレベルのことをちゃんと出来ない奴に、次のレベルの話をしたって無駄なんだ。じゃあ聞くが、そもそもパーティーは何のためにアンタを仲間に入れたんだと思う?」
「そりゃ、彼らのレベルじゃ補助魔法が無いと先の階層に進めないからですよ」
「そうだな。だが、アンタだってそうだろ? アンタは自分の補助魔法のおかげで連中が中級上位に居れるんだと言うが、アンタだって支援を受けた戦士や魔法使いが戦ったから中級上位に食い込んでいられたんだ。アンタにはその敬意が無えんだよ。そのクセ相手にだけそれを求めてる」
「敬意って……」と青年は鼻で笑ったが、どこか演技じみたその仕草には、狼狽の色が隠し難く滲んでいた。
「ところで、アンタは自分で戦うのか?」
「いや、だから、僕は補助魔法使いですよ? 仲間にバフかけるのが仕事です。素人が戦術指南ですか?」
「補助魔法使いなら、自分にバフかけりゃ多少は戦えるだろ。ところがアンタはそれをしねえわけだ。ダンジョンに潜る冒険者は5人かそこら。それ以上はよほど深層にでも潜らねえと収支が合わねえからな。その貴重な5人の中で、例えばバッファーとヒーラーが戦えねえとすりゃ、実際敵にあたるのは3人だぜ? その上挨拶もロクに出来ねえとなりゃ、追放もされるわ」
「そりゃ僕だって、自分にバフかけて戦えばそれなりですよ。僕は基礎ステータスだって高いんだ。生身の戦士には負けません。ヤツら、僕の実力を分かってないんだ! アンタも!」と青年は声を荒げる。
「だから、何でそれをパーティーにいる内にやらねえんだよ。出来ることがあるのにやらねえ奴をパーティーに置いとく理由なんかねえだろ。遊びでやってんじゃねえんだから。『僕の本当の力を分かってくれ』って? 家帰ってママに言えっつーの」
「いや、もうデュカスさん……」と見かねたエマが止めに入ろうと口を挟んだが、青年は机に両手を叩きつけて立ち上がると、そのまま踵を返して去って行った。
フロアにひしめいていた求職者たちの間に、耳に痛いほどの沈黙が立ち込め、わざとらしく踏み鳴らす青年の足音だけが間の悪いジョークのように響いていった。
主任がまた、エマの肩を叩いて言った。「デュカスのやり方をよく見ておきなさい。誰にも真似出来ないし、真似するべきでもないが、参考にはなる」
それからはもう、デュカスの独壇場だった。
「『自分を追放したパーティーに復讐』? んなこたぁどうでもいいからまず仕事しろ」
「『神から授かったチートスキル』? 人から貰ったモンで何偉そうにしてんだ」
「『冒険者辞めて奴隷商人になりたい』? サイコかよ。病院行け」
「『自分でも知らなかった隠された能力』? 何で知らねえんだよ、自分のことだろ。自分の能力も知らねえ奴を、どう評価しろってんだ」
朝からごった返していた求職者の列が、昼前にはほとんどスッカラカンになっていた。デュカスの対応の速さもさることながら、罵倒に近い指導に恐れをなして、半数以上が逃げ出したからである。
この時初めて、デュカスが「タヌキ親爺」と呼んだ主任の意図を、エマは理解した。
このオープンな窓口で、態度の悪い求職者を見せしめにしたのだ。
(もう、ほとんどヤクザ……)エマはその一員となってしまったことに、ガックリと肩を落とした。
【PM1:00〜5:00 就業先訪問】
昼の休憩が過ぎ、事務作業をひと段落させた時、エマは次の予定のためにシリル・デュカスを探したが、その姿は見当たらなかった。
「デュカスかい? あいつなら、あそこさ」と主任が言った。
この場合のあそことは、庁舎屋上を指すということを、彼女は入庁3日目に教わった。
「デュカスさん!」屋上のドアを開けるなり、抗議の響きをふんだんに含んだ声色で、エマはその男を呼んだ。「何してるんですか、こんな所で!」
「ここは指定の喫煙所で、俺はタバコを吸っている。間違ったことは何一つ無い」
「いいえ。有りますね。今は就業時間中です」
「ところが、就業時間中にタバコを吸っちゃいけないって規則は、無いんだなこれが。法の抜け穴だぜ」
「公僕が、法の抜け穴を潜らないで下さいよ」
「言うねぇ〜」デュカスは空を突くように高く笑った。
「もう! 就業先訪問の予定でしょう。同行予定の私までサボったことになっちゃうじゃないですか!」とエマは半ば引きずるようにデュカスを連れ出した。
庁舎の庭では、銀杏並木が黄色く色付いていた。
「『天高く、馬肥ゆる秋』ってな。知ってるか? これは秋になると、北方から騎馬戦闘を得意とする蛮族がノリノリで攻めて来るから気を付けろって意味なんだぜ」とデュカスは得意そうに言った。中年の男というのは、どうしてこう知識を披露したがるのか。
「そう言えば、聖書の引用もしてましたよね。読むんですか? あんまり、信心深そうにも見えませんけど」エマは気を使って、「全く」を「あんまり」と言い換えた。
「そういや、読んだことねえな。一回も」
(じゃあ、あの引用は何だったんだ、偉そうに!)と内心憤慨するエマを横目に、デュカスは過去をしのぶように遠く視線を送った。
「昔の仲間に僧侶がいてよ。事あるごとに、聖書にはこう書いてあるだの何だのとうるせえわけ。すっかり耳についちまったんだな」
「昔の仲間……デュカスさんも、冒険者を?」
「お前……マジで俺のこと知らねえんだな……」と落胆して見せるデュカスに、エマは「すいません、勉強不足で」とだけ言ってその話題を打ち切った。中年男の自慢話は大抵長い。
庁舎から出て2、3町渡った先に、目当ての商会があった。職業安定所を介して就職した労働者とその雇用主にヒアリングを行い、定着の度合いを測るのである。
「デュカスさん!」とその軒先で落ち葉を掃いていた若い男がこちらに気付くと、ほとんど歓声に近い声を上げた。
「よう、ハンス。元気そうだな」とデュカスも親しげに応える。
「ええ、お陰様で、仕事にも大分慣れまして。今じゃ仕入れも任せてもらえるようになりました」
「良かったじゃねえか。お前のスキルは重宝されるだろ」
「本当に。考えてみれば当たり前のことですけど」
「えっ……? いや、普通に慕われてる感じなんですか? デュカスさんなのに……」エマは堪らず口を挟んだ。
「お前、俺を何だと思ってんだ」
「いや、実際ガラは悪いですからね、デュカスさん」ハンスと呼ばれた青年は笑ってから、説明を加えた。
「僕、これでも昔は冒険者だったんです。【鑑定】のスキルを持ってまして、洞窟で獲ったアイテムで一旗揚げようと思ったんですね。ほら、空前のブームでしたから。そういう、非戦闘系のスキルを上手く使って活躍するようなのが。ただ、弱いんですよ。戦ったら。それで、当時組んでたパーティーを追放されちゃったんです。
思い返すと自分でもおかしいんですけど、活躍するならダンジョンで無双って頭に凝り固まっちゃってるんですよ。
今思えば、自分が『主人公』になるんだって、半ば意固地になってたんですね」
「それを、デュカスさんが?」
「ええ、それはもう、バッサリ。でも、『お前がどうあれ、お前の人生の主人公はお前自身だよ』って言ってくれて」
「そんなこと言ったんですか?」とデュカスの方に目をやると、彼はこめかみを掻いた。
「まあ、言ったな」
「サブっ!」エマは身震いした。
「えっ? ウソっ!」デュカスは愕然として声を上げる。
「まあ、クサいなあとは思いましたけど……」
「え? お前もなの? いや、それなら言うなよ、その話」
「まあ、ただ、それで目が覚めたのは事実なんですよ。『常識を疑え』とか、『時代の先を読め』とか、『世界を見ろ』とか言うじゃないですか。それで成功した人はそりゃ立派だし、凄いんですけど、結局は『今』『此処の』『自分』なんですね。
自分の目の前のことをきちんと理解して取り組んで、常識でものを考える。これが出来ない奴が、先とか、世界とか言ったってダメなんです。そのことを、デュカスさんは教えてくれたんですよ」
「はぇ〜、もっともらしい」本人の勤務態度はさておき、地に足のついたその考え方に、にわかに尊敬の念みたいなものが萌してきたのを感じた気恥ずかしさから、エマは茶化すようにそう呟いた。
その時である。
街道を往き交う人の列がわっと乱れて、烈しい破壊音と悲鳴が響き渡ったと思うと、3軒先の屋舎が瓦礫と粉塵を撒き散らしながら崩れて落ちた。
「冒険者ギルド……」ハンスは呆然と呟いた。
その粉塵の中に、悠然と歩く人影が、折からの風に吹かれてその顔を露わにした。
「あ、あの人!」思わずエマは声を上げる。
今朝、エマとデュカスが対応した追放冒険者アダーモ・ベッティである。
「あいつ、チート持ちだったか」とデュカスは舌打ちした。「大分癇癪起こしてんなぁ。これ、俺に責任あると思う?」
「あるでしょうね! あるでしょうけど、今はそれどころじゃないですよ! 逃げましょう!」とエマはデュカスの腕を掴んだが、その瞬間にハッとして彼の顔を見上げた。
びくとも動かない。
「仕方がねえなぁ……」デュカスは、エマの手を優しく払うと、その男の方へ歩き出した。「お前ら、ちょっと離れてろ」
「デュカスさん! 何するつもりですか!」
アダーモ・ベッティがその声に反応してこちらを見る。
「あぁ、今朝の、職安の相談員じゃないか。見てくれよ。僕の補助魔法は、重ねがけが可能だったんだ。魔力の尽きるまでバフをかけ続け、指数関数的にステータスを強化出来るってことさ」そう言いながら、大きな歩幅でこちらに向かって来る。
「そうか。良かったな」
「残念ながらまだ会えてはいないが、あのパーティーのヤツらも、この【重ね掛け】のスキルを知って後悔するだろう。今さら戻って来いと言ったってもう遅い」
「いや、要らねえだろ。こんな恨みがましい奴」
「お前! これでもまだ僕をコケにするか!」
「ごちゃごちゃ煩えよ。とっとと防御にバフかけろ。うっかり殺しちまうだろうが」
既に、デュカスとベッティは手を伸ばせば届く間合いに入っている。
「殺す? たかが職安の相談員なんて端役が? この神授のギフト……」とベッティが言っている途中で、デュカスは唐突に、真正面から顔面を殴った。
「端役? バカ言え。俺はいつだって、俺の『人生』という物語の主人公だぜ」
けたたましい轟音と共に、土煙が舞い上がって視界を塞いだ。
「デュカスさん!?」ハンスとエマは声を合わせた。土煙が収まって、事の顛末が分かるまで、10分ほどの時間を要した。
街道の石畳がすり鉢状に大きく凹み、その中心にアダーモ・ベッティが、逆さまに突き刺さっていた。その傍で胡座をかきながら、シリル・デュカスが土煙に咽せている。
デュカスは逆さに直立したベッティを指差して言った。「見てこれ。ウケる」
「いや……どういうことですか?」何をどう聞いたらいいのかさっぱり判然としないので、エマは包括的に質問した。
「殴ったら、刺さった」とデュカスは答えた。
「それは見れば分かるんですよ。殴ったことも、刺さったことも。どうして、そんな……つまり、どうしてそんなに強いんですか? デュカスさんも、チート持ち?」エマは喋りながら考える。一体この男は何者なのか。
「いや、俺はただ強えだけ。こちとらぁ下の毛も生える前から切った貼ったでやって来てんだ。最近の冒険者如き、相手にもならねえよ」
「デュカスさん、あなた一体、何者なんですか?」とハンスが聞いた。
「いや、え? お前も知らねえの?」とデュカスは縋るような目でハンスを問い詰める。
「え、いや、まぁ、職安の相談員という以上のことは……」
「ウッソだろおい……残虐にして狡猾、夜襲、伏撃、何でも御座れ、剛力無双の大傭兵、『勇者一行』の戦士シリル・デュカスを?」
「いや、勇者パーティーって、勇者、僧侶、魔法使い、賢者の4人じゃ……」とエマが言う。
「そこに戦士シリル・デュカスがいたんだよ途中で追放されたがな」
「え? じゃあ、デュカスさんも追放者ってことですか?」他人にはあんなに偉そうにして、というのを隠してエマは聞いた。
「いや、そっちじゃねえだろ。重要なのは」とデュカスは眉を下げる。
「逆に、ここまで強くて、どうやったら追放になるんですか?」とハンスも尋ねる。
「当時、魔界との戦争は泥沼、同盟国は裏切る、おまけにチートスキル持ちの異世界人とかいう奴らが敵にも味方にも紛れ込むっつうカオスでな。敵はいくらでもいたから、俺は人も魔族も異世界人も、敵と名のつく奴ぁ分け隔てなく片っ端から殺して回ったわけ。
そしたら残虐過ぎるってことで追放だ。丁度、8つ目の都市に火をつけたあたりで」
「そりゃそうでしょう……」エマは血の気が引いていくのをはっきりと感じた。思ってたより20倍くらいヤバい人だ。
「だがこの都市ゲリラが、当時優勢だった魔界を疲弊させ、結果奴らは和睦を飲む形になった。言っとくけど、ウチの主任だって似たようなもんだぜ。そもそも、冒険者相手に仕事してんだ。弱くて務まるわけがねえ」そう言いながら、デュカスは地面に刺さったアダーモ・ベッティを片手で引き抜いた。「お前はツイてなかったってことだ。相手がまさか、このシリル・デュカスとは思うまい」
引き抜かれたベッティは、逆さ吊りのまま「はぁ……」と生返事をした。
「だから、何で知らねえんだよ!」デュカスは叫んだ。
街道の石畳に放り投げられたベッティは、両手をついて項垂れた。「こんなスキルを持っても、結局、僕は、『主人公』ではなかったんだ……」
「それは違うな」デュカスはベッティを見下ろして、苦笑に近い微笑を浮かべた。「誰しもが、自分の『人生』という物語の主人公だ。例えその物語が、他に知る者の無い物語だったとしても。
『時代』だとか『世界』だとか『力』だとか、そんなもんは舞台装置に過ぎねえ。
お前自身なんだよ。物語はお前の目の前から始まるんだ。全て」
石畳の砕けた砂を掴み、青年は、拳を握った。そして、早くも赤く染まり始めた秋の空に、慟哭とも鬨の声ともつかぬ咆哮をあげた。
【AM8:00〜 求職相談・求人案内・就業者アフターフォロー、その他付帯する一切の業務】
南向きの大きな窓から、朝日が射し込んで、色付いた木々の影がデスクに落ちる。窓口は満員。
フロアには求職者たちが列をなしてひしめいている。次の舞台を探す『主人公』たちが。
魔導通信機のベルが鳴る。
エマは受話器を取った。
「はい、こちら『ミッドガルズ宮殿前 公共職業安定所』でございます!」