表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

食事

作者: 無意味

嗚呼、実に不思議だ。感情というのは人の意志の氾濫だ。人の記憶という膨大なエネルギーが凝固した結晶から剥離したものだとも言える。エネルギーが剥離しているのだ。大なり小なりその威力は計り知れない。故に、笑う、怒る、泣く等といった感情の動きや特徴を表す言葉が産まれたのだろう。名前が無ければそれは単なる暴走に過ぎない現象だが、名前を付けることにより方向性を決め、扱いやすいように変質させた。これは外国でも同じである。angry、sad、happy等きちんと表す単語がある。しかし、これによって起こる弊害もある。それは人の価値観だ。人というのは理解し難いのだが、人とズレていることを気にする。これは日本人だけかも知れない。だがしかしだ、どの国世界でも人である以上、生きている以上比べる対象を求める。故に少なからずズレを意識する。そこで本題に戻すが、そのズレが原因でこの感情というのは弊害に変わる。自分のこの感情は怒りと呼べるのか?悲しみと呼べるか?いやこの胸に燻っている炎はなんと呼べば良いのか?と世間の常識に己を合わせてしまう。甚だ本末転倒な話だ。世間からズレないように意識をしたら、結局自身からズレてしまうという人間の象徴とも言える愚かさだ。私は自身の感情をなんと呼べば良いか知らない。知ろうとも思わない。故に世間の感情を食らう。怒り等世間の人が尊ぶ感情の定理を頂く。嗚呼とても美味しい食事だ。この巡り巡る美味しさに感謝をこめ、いただきます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ