感想欄で句読点の使い方を指摘された時に読むエッセイ〜文章力を向上させるたったひとつの冴えたやりかた〜
随分と大口たたくタイトルだな、と思われた方もいるかもしれませんね。
若干は誇大広告でもあります。なぜこのようなタイトルにしたかは最後に書きます。
また偉そうに言うほどの文章が書けているか気になった方は他作品も読んでください。(宣伝)
このエッセイの想定読者は3種類にわけられます。
1、かつての自分のように、あらゆる報告書・レポートを最低でも1回は書き直させるパワハラ上司の下についている。上司の性格が悪いだけなのに、自分の文章力がない為と勘違している。
2、素晴らしい作品が書けた。結果、たくさんのブックマークもついたが感想で嬉しくない指摘も受ける。とくに感想欄で句読点が少ないと指摘される、もしくは多いと指摘される。
3、運悪く未だ人気にはなっていないため感想欄は炎上していない。しかし将来、確実に人気になるため炎上を未然に防ぐよう己の文章力を更に高めていこうという向上心を持っている。
1番の方に私が差し上げられるアドバイスはあまり多くありません。あまり御自分を責めずにいたわってください。
さて本題。
守破離ってご存知ですか?
エヴァンゲリオンの新劇場版のサブタイトルにもなったあれですよ!
って違う!
それは序破急です。
辞書の定義によれば「剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。」とデジタル大辞泉にあります。
なぜ唐突に守破離の定義を持ち出したかというと、句読点が変なところにあると言われる方はそもそも句読点をどこにつけるべきかイメージできないのだと思います。
このエッセイを読んでいる方の大半は母語が日本語で、もう何年も日本語の読み書きを日常的に行っていると思われます。つまり句読点を使っている文章を使いこなしているはずなのに、小説を書くと人から間違いを指摘される。
なぜでしょう?
それは、句読点がきちんと使われた文章を『書いた回数』が足りない、もしくは全くないからです。今まで自己流の文章を書いてきたため、句読点がちゃんとしている文章を脳が『イメージ』できないのです。
そう! 守破離の守が出来ていないのです。まずは句読点をちゃんとした文章をなんども書いて型にはめましょう。
感想欄で句読点が少ないと指摘する方の多くはありがたいことに、こうも言います。
「もっと見直ししたら、どうでしょうか?」
「ちゃんと推敲した方がよいですよ」
「校正はきちんとやりましょう」
こういった指摘は残念ながら的外れです。誤字脱字は防げても、文章力はつきません。校正していて文章力つくなら出版社の校正部員は皆、一流作家になっています。
正直、句読点がきちんと使えないと何度も指摘される方が何回、見直ししても無駄です。ひどい言い方ですけどね。
何年も母語として『無意識』に書いてきた句読点の使い方が誰かに直すように言われただけでスグに修正できるようにはなりません。自分もパワハラ上司に何回も言われても直らない文章の癖はあります。
正確に言うと誤字脱字は見直しをすることで減らせるんです。学校教育で漢字などは何度も書き取りしますし、一部のテストでは誤った漢字を正しい漢字に置き換えることもあります。ですから誤字脱字を直す訓練は多くの人がやったことがあります。
逆に句読点は明確な正解がないのでテストが行われません。句読点にかんする訓練を行っていないのです。そのため自己流で使いこなそうとしないといけません。ですが、時間がかかります。
そこで時間短縮のためには漢字の書き取りと同じで正しい文章を真似して書く必要があります。
つまり、『無意識』で句読点をきちんと挿入できるようになるためには意識的に『教え、型、技を忠実に守る』事が必要です。
言い換えると正しい文章の『テンプレート』を頭のなかに構築するのです。
正しい例がないのに、悪い例だけを書いて校正していっても文章は上手くなりません。
具体的には『複写』をお勧めします。他の人が書いた文章を書き写すことです。
コピーアンドペーストではなく、お手本となる名文を一字一字そのまま写していくのです。手書きではなくて大丈夫、ワープロを使って構いません。
どこで「、」を使うべきなのか繰り返し自分の手で書くことで発見します。正しい句読点の使用例が頭のなかに自分の手を通して蓄積されます。その積み重ねがテンプレートになります。書いてる時は以前のあなたに戻って変な文章にしてしまっても、推敲することで『正しくない』文章を発見できるようになります。
実際にやってみると色々と他にも気づくことが多いと思います。読んでいるだけの時は気づかなかった事があるでしょう。たとえば「ひらがな」の多用です。自分の「師」は漢字の使用率が低かったため、『出来る』という漢字すらめったに使いませんでした。
文章力をあげるにはたくさん読むのが良いという人もいます。が、今までの人生でたくさんの文章を読んできていても、今現在は句読点の使い方で嫌味を言われるのです。読むだけじゃ効果は薄いのです。
新興宗教の勧誘みたいですが、実際にやってみれば理解できると思います。1ページ書き写すだけでも今まで気づかなかった発見があります。
名文の複写おすすめです。
では次に想定(脳内)読者からの質問を受け付けます。
Q、複写とか面倒くさいです。もっと簡単に出来ませんか?
A、繰り返しますが年単位で日本語を使ってきて、いまだに出来ていないことを「簡単」には出来ないと思ってください。むしろ長期間つづけている悪い癖ですから直すのは時間もかかります。
Q、複写する名文って具体的には何がよいですか?
A、自分の「師」になってほしい文章なら何でもよいと思います。
ノーベル文学賞や芥川賞をとった作家でもよいでしょう。
ただ向田邦子も一案かと思います。死語もありますが現代語で、ライターの人たちがお手本にしてきた実績もあり(と友人が言ってた)、人気もあった作家です。とくに人気のあった・ある作家の真似すれば、なぜ人気があったのか理解できる可能性もあります。
Q、そういうお前は何を複写してるんだ?
A、自分の場合は聖書、新改訳聖書を使ってます。理由としては広い層に読まれることを目的としている文書であること。あとは教養をつけるためです。というか、カッコつけるためですね。「エクソダス? あぁ、出エジプト記のことね?」とか言いたいんです。
Q、毎日、どれくらい複写すれば良いんですか?
A、まず毎日でなくとも大丈夫です。ですが継続的にやった方が身につきます。1日5分とか2〜3センテンスでもよいので、継続的に行うことで良い文章を「身体で覚えて」身につけましょう。
Q、守破離の破離は何をやるの?
A、う〜ん難しい質問です。自分もようやく「守」を反復練習しているレベルですので、参考までに。
一般的な文章や小説ではなく、となりのジャンルから学ぶ。たとえばシェイクスピアなどの戯曲から会話文を、俳句や詩などから文章のリズムを学ぶ。ここまでで破でしょう。
あとは離・オリジナリティある文章の創作ですが、ここまで来ると『正解』がないと思います。感想欄で句読点を指摘されても「これがワシの作風だ」と答えるレベルですね。
ここまでお読み下さりありがとうございます。
「たったひとつの冴えたやりかた」は海外SF小説のタイトルをまるごと使いました。タイトルもコピーであったというオチです。
とはいえ、他の『小説を書けるようになるエッセイ』では十分に言われてなかった事かと思います。何らか参考になれば幸いです。
3月15日 ご指摘を受けて「母国語」から「母語」に変更しました。