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紫紺の毒  作者: 筒井井筒
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0.1

そのうち纏めますので。

「皐様、お食事の用意ができましたが。 」

控えめなノックの音で、僕は現実に引き戻された。

見慣れた天井だ。目が覚めたら異世界にいた―――なんて都合のいいことはそうそう起こるものではない。カーテンの引かれた薄暗い部屋は少し埃立ち、いくつものモニターの光で薄ぼんやりと揺らぐ。


「皐様?」

ドアの外部からの問いかけは続いていた。一介のメイドである彼女は、僕の許可なしにこの扉を開けることはできない。今も、帰ってくるはずもない返事を待って立ち尽くしているだろう。


とはいえ、いつものことだ。ここ数年、僕が彼女の問いかけに答えたことはない。


「失礼致します。いつものように扉の前にご用意させていただきます。また1時間後ほどに片付けに参りますので。」


扉の外の気配を感じつつ、僕はベッドからゆっくりと起き上がった。血液が脳内から引き下ろされていく僅かな酔いを払うと、いくらか思考が働き始める。


今日も部屋から出ることがなかった。

ここ数時間のタスクは、分かりもしない株の銘柄を眺めること、父親の書いた経営論の書籍を眺めること、あとは少しだけカーテンを開いて、紫外線を体に当てたことだろうか。


何もせずとも時間は過ぎていき、彼はまた自分の愚かさを絶望する。そして、その引き金となったあの日を思い出し、屈辱に歯噛みするのだ。


「どうして…この私がこんな目に…!」




黒澤財閥。大戦後いち早く企業改革を進め、その巨大な資本と辣腕の経営陣によって世界単独首位に立つ化学企業、その頭取である。


日本の政財界において、その名を知らない者はおらず、与党の振る舞う金に黒澤が関わらないものは無い。まさしくあらゆる点において権力の全てを持っていた。


そんな黒澤家、その本家は東京近郊に位置する。厳格な家督制度を維持し、なお日本のトップに鎮座する黒澤の子供たちは厳しい教育の元で育ち、各界での頂点たらんとする。


黒澤皐という男も、黒澤一族の例に漏れるものではなかった。三男であるために経営本部に関わることの出来ないものの、企業の一翼を担うにふさわしい人物になることを叩き込まれた。父・源蔵のもとで幼くして英才教育を受けた彼は、有能な科学者を目指した。


十代半ばで未だ合成不可能と思われたとあるシガテラ原因毒素の単独合成経路を発見し、一躍有機化学界に躍り出た鬼才である。


ゆくゆくは実践開発部門の中枢に据えられるはずの逸材出会った彼は、三年前に突如表舞台から姿を消したのだった。以降―――本家から鼻つまみ者とされた彼は自室にひきこもる生活を送っていた。


社会での地位を失ってなお化学を捨てきれなかった彼は、ひっそりと研究をつづけ、その成果と引換に黒澤家内での生存を許されていた。

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