クマさん匠となる
「暇だなぁ」
アロンソが帰ってから30分ほどが過ぎたころ、僕は椅子に座ったままあくびをかみ殺した。
やることが無いので、読みかけの論文の続きを取り出したのだが、妙に頭に入らない。
誰だよ、こんな無意味で退屈な論文書いたの。
ゴブリンの排泄物のダンジョンにおける生存率だなんて誰が興味あるのさ!
僕は論文を机の上に放り投げると、そのまま机をけってその反動で椅子を回転させる遊びを始めた。
子供みたいな振る舞いに自分でもちょっとうんざりだが、暇なんだからしょうがない。
まぁ、5分もしない間に飽きたけど。
ほら、僕は淑女だから、こんな低俗な遊びにはあまり興味がないのだよ!
「それにしてもお客さんこないなー」
まぁ、しょうがないよね。
なにせ、立地条件が最悪だから。
……というのも、ここはかなり前に魔王城を拡大しようというプロジェクトによってほぼ意味も無く拡大されたエリアであり、巡回する兵士もごくわずか。
人間をおびき寄せる宝箱も置いてない。
しかも幅3km、奥行き11km、高さ120mというとてつもなく巨大な廃墟といってよい場所に、狂暴で手に負えなくて殺しても利用できる部位の無いというハズレくじのような魔獣を大量に放し飼いしているという状態だ。
ありていに言うと、ここは莫大な無駄。
存在するだけで維持管理費を生み出す、マイナス方向の金の卵という奴である。
しかも魔王城の一部であるため、人間達になめられないように壊して更地にすることも出来ない。
まぁ、そんな場所だから僕のやりたいことにも許可が下りたんだろうけどね。
……というか、赤字削減のためにどうかレンタルしてくださいと頭まで下げられたし。
おかげで意味も無くこのエリア丸ごとレンタルする羽目になったよ。
まぁ、お金はそこそこあるから別にいいけど。
これでも僕、公爵家の令嬢で厚生大臣の娘だし。
でも、改めて考えてみると、こんな場所に来るのはよほどの変人だよね。
たとえこのエリアをうろつく物好きがいたとしても、魔族が経営する診療所を利用するかといわれたら、ためらう人のほうが多いだろうし。
あぁ、だんだんと心配になってきた!
後でアロンソに相談……したら馬鹿にされるな。
よし、絶対に相談しない。
「でも、ここまで人がいないと暇だよねぇ。
とりあえず計画が軌道に乗るまでは別のことをしながら暇をつぶすか」
ただ待っていても仕方がないので、僕は手持ちの材料を使って混ぜて薬を作ることにした。
とは言っても、普段は絶対に使わない安物ばかりだ。
なぜそんな安い薬草を使っているかというと……希少な薬草はこの間の騒動で引き抜かれてしまい、しかも処置が悪かったのですべて使い物にならなくなってしまったからである。
特に子供の糞尿が土の性質を大幅に変えてしまったようで、今はルルーお姉さんに頼んで土の形成からやり直してもらっているところだ。
そんなわけで、今は一般流通しているような安い材料しか使えないんだけど……。
「あ、意外といい出来」
出来上がった薬を鑑定し、僕は思わず声を上げた。
そっか、カキクグリにベトール系に変調した魔力を注いで固定化させるとこうなるのか。
波長をもう少しかえて、ビナー系の魔力を混ぜたら面白い効果になりそうだな。
うん、なかなか調子がいいね。
この際だから、薬に混ぜる術式を改良して、安い材料でも効果の高い薬を作る研究をしてやろうかな。
冒険者を釣る餌も作らなきゃいけないしね。
いや、それよりももっと面白そうな事はないかな……
僕は自らの好奇心の赴くままに、さまざまなプランを妄想し始めた。
だが、この好奇心が災いの種だったのである。
「そうだ、お部屋の改造をしよう!」
そのアイディアは、まるで閃光のように僕の脳裏でひらめいた。
たぶん、そのときの僕はあまりにも暇すぎてちょっとおかしくなっていたんだと思う。
興奮しつつ椅子から勢いよく立ち上がると、僕は即座に転移の魔術を使って自宅からいくつかの本と機材を取り寄せた。
「そもそも、ダンジョンの中って好きじゃないんだよね。
暗くて、ジメっとしていて、なによりも緑が無い。
これは死活問題だよ!」
畑で野菜や薬草を育てていたことからわかると思うが、僕の趣味の一つは園芸だ。
植物は好きだし、花も好きだし、薬になったり美味しくいただける植物は愛しているといっても構わない。
毒草だってもちろん愛しているとも!
「そんな僕が、こんな緑の少ない場所に長時間いたら、確実におかしくなってしまうじゃないか」
そもそも、カシュナガルの森に住居を構えたのもあの森の豊富な植生に惹かれたからである。
その僕が、この何も緑の無いダンジョンで生活を?
ありえないね!
「ならば、どうすればいいか……僕が我慢する?
この緑の無い空間に慣れる?
そんな事はナンセンスだね!
そう、変わるべきはダンジョンなのだよ!!」
そんな台詞を叫びながら僕は机の上にぴょんと飛び乗ると、両腕を広げて舞台役者のように叫んだ。
「埋め尽くそう! このダンジョンを、花と緑で!!」
僕の頭の中に、色とりどりの花と緑の植物で埋め尽くされた楽園のような光景が鮮やかに広がる。
まさに脳みそお花畑!
だがそれは、とてもとても魅力的な光景に思えた。
幸か不幸か分からないが、この約3300ヘクタール(東京ドーム700個以上)の土地は僕がすべて格安でレンタル中である。
魔族に害が無い限り、何をしようが僕の勝手だ。
植物が育つ環境が整ったら、最初はアロマティラスを植えよう。
あの、ミントを甘くしたような香りでこの黴臭いダンジョンの香りを清めるんだ!
そして、ソーダ水で水出ししたアロマティラスのハーブティーと、甘い桃のコンポートを用意しておやつを食べよう!
かくして、僕のひとり企画『花と緑とおやつの博覧会in魔王城』が始動したのである。
「まずは環境つくり必要だよね」
植物を育てるのに必要なのは、水と土と太陽だ。
あとは気温の管理なんかも必要であるが、こちらは前の3つと比べると優先度は低い。
「最初は光から準備しようか」
おそらくこれが一番の難関になるだろう。
土と水に関しては、我が家の薬草園のように魔法植物を育てるのでもない限り、どこかからか持ってくればすむ話である。
「よし、周囲の魔力を吸収し、微弱な太陽光を放つ植物を作り出す。 これで行こう! すばらしい!!」
植物を発光させる科学技術の論文を広げ、僕は一人で自らのアイディアを賛美した。
実を言うと、植物を光らせるという事はそこまで難しい話ではない。
この論文によれば、海に住む発光バクテリアの成分を植物に注入すればよいだけであることが分かっており、それだけならばすぐに取り掛かれる。
だが、その植物を恒久的に維持、さらに実用的なレベルで光らせるとなると、要求される技術は格段に跳ね上がるのだ。
さらに適当に組み込んだ遺伝子情報では生命の維持が難しく、光を放つ力を手に入れた植物は、繁殖することなく二ヶ月程度でかれてしまうらしい。
しかし、そのあたりは僕の専門である魔術によってクリアできるだろう。
まぁ、遺伝子を触る魔術はまだまだ研究が始まったばかりなんだけどね。
「まずはダンジョンの中でも問題なく育つ植物が必要だよね」
そこで僕が目をつけたのは、チランジアという植物だった。
これは着生植物……その中でもエア・プラントとも呼ばれる植物の一種で、自然界においては大地に根を降ろすことなく岩や木にしがみついて生える植物である。
その最大の特徴は、土も肥料も必要としないという驚くべき性質だ。
これらの植物は大気中の水分を吸って成長し、もはや根すらない種類も存在する。
そのため、これらの植物の自生する南方のダンジョンでは、入り口付近にこの植物が繁茂していることもあるらしい。
「えーっと、まずは発光バクテリアの遺伝子情報をオク系のコードに変調して、ヘリオトロープのオイルを触媒に使ってチランジアにエンチャントすればいいのかな……」
僕は早速割増料金の通販魔術で材料を取り寄せると、好奇心の赴くままに実験を開始した。
魔法陣の上に置いたビーカーにヘリオトロープから抽出したオイルを満たし、その中にバクテリアの培養された液体をぶちまけ、その遺伝子情報を魔力波長に変換しながら抽出する。
そして抽出が終わるまでの時間を利用して、溶媒となる豆乳を作った。
さらに太陽の光を召喚する術式をこめた水晶を別の溶媒と一緒に水につけ、魔力をこめると光る水という、おもちゃのような代物を作る。
最後に、遺伝子情報を魔力として蓄えたオイルを、乳化剤である豆乳を使って光る水になじませ……
「うふふふ、『植物発光化剤』が完成だよ」
霧吹きに白濁した液体をつめて、僕は一人で決めポーズをとる。
……たぶん、人に見られたら悶死する光景だ。
一人ってすばらしい。
「さてと、こいつを通販で取り寄せたチランジア・テクトルムに吹き付ければ……っと」
僕がシュッと一吹きすると、ほどなくして小型のネギに白い毛の生えたような植物――チランジア・テクトルムは確かに生命として変異した。
それは肉眼では見えない類の変化ではあるが、魔力の面から見ると大きく性質が変化している。
よしよし、魔法植物化はうまく言っているみたいだな。
そして魔力のこもった水をさらに与えると、その植物は魔力を吸ってほんのりと光を放ち始めた。
「よし、成功かな?」
僕はさらに注意深くその植物を鑑定し、データを手元のクリスタルボードに書き込みながら生命として異常がないかを何度も確認する。
だが、結局のところ満足の行く結果が得られたのは五株目を変異させたときだった。
ほかの四株には光を放つ機能が無かったり、あるいは弱かったり、もしくは繁殖能力が無かったからである。
かわいそうだが、これらの失敗作はほかの魔術植物を作るときの実験にまわすことにしよう。
「さてと、あとはこれを大量に繁殖させて、このダンジョン中に設置しないとね。
あぁ、そうだ。 君の名前はチランジア・ヘリアンタス(太陽のごときチランジア)……いや、アルバ(夜明け)と名づけよう。
闇の象徴であるダンジョンを照らす君には、その名前こそがふさわしい」
僕が思いをこめてその名を告げると、アルバはまるで喜びを表すかのように燦然と光り輝いた。
かくして、土を必要とすることなく、大気から水と魔力と栄養素を取り込んで成長し、光を放つという植物で出来た人工太陽が生まれたのである。
そして……この成功により僕の理性のタガは完全に吹っ飛んだ。
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※ここから先は、この曲を聴きながらお読みいただけると幸いです。
TAKUMI/匠:松谷卓 作曲
https://www.youtube.com/watch?v=NVNA76af-cE&list=RDNVNA76af-cE#t=17
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「あのなぁ。 お前は……いったい何をしている?」
「言わないでよ、アロンソ。 僕もちょっぴり反省しているところなんだ」
その日の夕方、いそいそと僕の診療所を訪れたアロンソは、周囲の光景に驚き、あきれ、そしてため息をついた。
なんということでしょう。
暗く、ジメジメしたダンジョンの天井は、まるで青空のような色をした発光塗料に彩られ、その下を無数のアルバが燦然と太陽のように輝き、その足元には青々としたアロマティカスがミントのように爽やかな香りを振りまいているではありませんか。
地下からくみ上げた水は魔導機関によって魔力をこめられ、加湿器によってダンジョンの隅々まで水と魔力を行き渡らせています。
凶暴な上に殺しても利用価値0だった魔獣たちはすべて植物の苗床となり、これで夜も遠吠えに悩まされる事はありません。
この光景を見て、誰がここをあの魔王城だと思うでしょうか?
もはや、ここは死の空間ではありません。
命の輝き満ちる、まさに楽園。
このすばらしい空間を手に入れたポロメリア公女殿下は……
「ほら、さっさと元に戻すぞ」
「やーん!」
「こんなんじゃ、やってきた人間になめられるだろ!」
「どうせ人間なんか来ないでしょ!
だったら僕が好き勝手にいじっても問題ないじゃないか!
魔族の威厳と僕の住空間のどちらが大事なんだい!?」
「開き直りやがったな、この紙一重!」
「つまり天才って事?」
「むしろ馬鹿のほうだ、この馬鹿!! そもそも、誰も来ないところに診療所立ててどうする! 最初に気づけ!!」
「馬鹿って言った! 馬鹿って言った! でも、馬鹿って言ったほうが馬鹿なんだからねっ!」
「……じゃあ、これが賢い奴のすることなのか?」
「ごめんなさい」
結局、アロンソによってそのあとすぐに魔王城の役人が呼び出され、深夜まで続いた話し合いの結果、この緑あふれる植物の中に植物系の魔物を配置することで妥協したんだけど……
こんな可愛くない住空間は嫌だ!
大きな花が開いたと思ったらシャギャーとか歯を剥き出しにするなんて、どういうこと!?
僕はもっと可愛い植物に囲まれて暮らしたいのに!
こんなの、せっかくの景色が台無しじゃない!!
アロンソも役人の人も、どうして分かってくれないの!?
あぁ、ほんと、誰か助けて!
僕は……僕は本当に困っています。
★参考資料★
【光る植物】
http://wired.jp/2014/08/09/illumination/
【チランジア・テクトラム】
https://lovegreen.net/airplants/p22566/
【アロマティカス】
https://lovegreen.net/special/p66711/