絶体絶命はキスの味
翌日、早速森の住人が押しかけてきた。
僕は手っきり怒られて森を追い出されるのかと思ったんだけど……なんでみんなそんな優しい目をしているの?
「そんな目で見ないでください」
「俺たち、みんなポォ先生のことが心配できたんですよ!」
「ポォ先生! 人間をかくまったのは本当なのか?」
うそ……みんな……優しすぎだよ。
「うん……本当だよ」
こんな彼らを前に、嘘は言えない。
「なぜ!」
「どうしてそんな事を……」
彼らの顔が悲しげにゆがむ。
人間をかくまうことは明確な罪ではないんだけど、魔族としてはけっして褒められない行いだった。
特に家族を人間に殺された人たちにとっては、裏切り行為といってもよいだろう。
でも、僕にはそれ以外選択肢がなかったんだ。
「うん。 何を言っても言い訳にしかならないことは知ってる。
でも、聞いてくれる?」
僕はひとつ息を吸い、今までごくわずかな人にしか言えなかった秘密を打ち明けることにした。
「僕は……人を殺すことが出来ないんだ」
「えっ!?」
彼らの表情が、今度は驚きに変わる。
まぁ、そうだよね。
人を殺せない魔族だなんて、お笑い種もいいところだ。
「僕は目の前にいる命が消えることが恐ろしい。
僕は、死が怖いんだ。
君たちが死について思うよりも、ずっと強く」
僕は、僕がそうなってしまった事件を思い出すため、目を閉じる。
あぁ、今でも思い出すだけで泣きたい気分になるよ。
「僕が魔術医として資格をとり、初めてついた仕事は軍医だった。
そして三番目に赴いた戦場が、今から460年前のオルゲイム渓谷だったのさ」
「460年前のオルゲイム渓谷っていうと……うげっ、無能戦争じゃねぇか!」
「うわぁ、ポォ先生って、アレの生き残りかよ!」
僕の言葉に、周囲のみんながいっせいにざわめく。
「ポォ先生って、ずっと年上だったのね……」
「まぁ、彼女は魔族ですから」
年上で悪かったね、メルティナ。
まぁ、たぶん、ここにいる誰もがまだ生まれていない、とても古い時代の話だよ。
「ところで、ルルー先生。 無能戦争って、何?」
「私も専門ではないので詳しくは存じませんけど、人と魔族の間で行われたとても大きな戦争の話です。
それが無能戦争と呼ばれるのは、ひとえに人側も魔族側も、現場の最高責任者がひどく無能だったからだといわれています。
両者があまりにも無能だったせいで、双方に絶大な死者を出したらしいですよ?」
ルルーお姉さんの語りに、僕は当時のことを思い出す。
無能か……現場にいた人間からすると、あれはむしろ死神にしか見えなかったよ。
「なんでも、最後は双方の副官が同時に上官を見限り、上司の首をかき切って軍を撤収させたそうです。
驚くべきことに、どちらの陣営も生存者は一割にも満たなかったのだとか」
ルルーお姉さんの言葉に、メルティナがウェッとうめき声を上げた。
「たしか、戦争って3割が戦死しただけでも負けを認めて撤収を考えるって話じゃなかったっけ?」
「戦争で部隊の3割減が全滅、5割減が壊滅ですね。
ちなみに10割減は殲滅といいます。
普通は双方が殲滅に近い状況まで戦うことはありません。
だからこその無能戦争なんですよ」
けど、参加した人間に言わせれば、あれは無能なんて生易しい言葉で片付けてほしくないな。
あれは、正しく害悪だった。
「そこで起きたことについては、おおむねルルーお姉さんの言ったとおりだよ。
そして、おびただしい人と魔族の死体が大地を埋め尽くす光景を見て、僕はただひたすら泣くことしか出来なかった」
どうしてこの人たちは死んでしまったのだろう?
何のためにこの人たちは死んでしまったのだろう?
どれだけ考えてもそこに意味なんてなかった。
「くだらないことのために、大切な人たちが目の前で次々に死んでゆくんだ。
戦争はね、最悪だよ。
そしてその戦争から帰ってからというもの、言葉を交わすことの出来る存在を殺すことが、僕には出来なくなっていた」
だから僕は軍医をやめた。
とてもじゃないけど、これ以上は戦えなかったから。
「そしてもともと好きではなかった人の肉を食べようとすると、気持ち悪くてはきそうになるようになった。
それどころか、目の前で何かが死にそうになると、いい知れぬ恐怖で気が狂いそうになる。
だから、食べるもの以外の命を奪わない、見捨てない。
死が……死があまりにも恐ろしいから」
そこまで語ったタイミングで、遠くから一台の車が近づいてきた。
――やっぱりきたか。
「あれはたぶん、魔王城から僕を迎えに来た車だろうね。
メルテイナとルルー先生も出かける準備をしてくれる?
たぶん、今回の件で魔王が僕の責任を追及するつもりなんじゃないかな」
こんな魔族の土地の奥深くに人間の足がつくなんて、魔王としては屈辱でしかないからね。
僕がそう告げると森の住人たちは、にわかに色めき立った。
「おい、このままポォ先生を連れてゆかれていいのかよ!」
「いいわけないだろ!」
「みんな、あの車を近づけるな!」
そして彼らは動き出して、車の前に人の壁を築き上げる。
「やめてよ。 そんな事したら、君たちまで罪に問われちゃうよ?
魔王は……彼女はとても思い込みが強くて、人の話を聞かないんだ」
「ポォ先生、魔王と知り合いなのか?」
「馬鹿、お前ファンクラブのくせにそんな事も知らないのかよ!」
やがて車が止まると、車の中から礼服を身につけた体格のいい男たち……おそらく魔王城に勤務する騎士たちが降り立つ。
そして彼らは人垣の向こうで膝をつくと、こちらの顔も見えぬまま慇懃な口調で僕に告げた。
「ポロメリア・ウルスラグナ公女閣下、魔王陛下がお呼びです。
お迎えにあがりました」
「その大仰な呼び方、好きじゃないんだけどね。
僕はただのポォだよ」
さて、呼ばれたからには行かなきゃてけない。
僕は目の前の人の壁に向かって、出来るだけやさしい声で告げる。
「そこをあけてくれるかな?」
「でも!」
「魔王陛下が呼んでいるんだよ? 行かなきゃ。
彼女が何を考えているかはしらないけど、僕が人間をかくまったことを彼女が許さないというなら、話をしなきゃいけない。
これはけじめだから」
そして僕はメルティナとルルー先生を伴って迎えの車に乗り込んだ。
「なんだ、やっぱりアロンソも呼ばれていたんだね」
僕が車に乗り込むと、そこにはすでに先客がいた。
「よぉ」
片手を挙げて挨拶をしてきた彼は、ひどく面倒そうな顔を僕に向ける。
2mを超える彼の巨体は、広い車内であるにもかかわらず少し窮屈そうに見えた。
あ、よく見たら角が天井に突き刺さってない? いいのかな、これ。
なお、昨日のうちに解毒剤を調合しておいたので、今は僕もアロンソも普段の姿だ。
やっぱり人の姿ってのはしっくりこないんだよね。
「アロンソはわりと今回の事案に関係ないんじゃないかと思うんだけどねぇ」
少なくとも、魔王城に呼ばれて事情を聞かれるような事はしていないと思う。
せいぜい、地元の騎士団の詰め所で事情徴収されてそれで終わりだ。
そもそも、司法を担当しているのは裁判所であって、魔王ではない。
「あの女のことだ。 俺を自分のところに呼びつける理由がほしかっただけだろうよ」
そう言い捨てる彼の顔は、まさに汚物を見たそれである。
まぁ、気持ちはわかるけどそこまで嫌いますかねぇ。
そんな事を心の中でつぶやいていると、高速で走っていた車が空へと浮かび上がった。
このお尻の辺りがムズムズする感触、好きじゃないんだよな。
「う、うわわわわ! と、飛んだよこの車!」
「ひぃぃぃぃ、落ちる?!」
「いや、飛ぶよ? だって車だもん」
「人間の国の車は飛びません! 馬が引くのりものです! どんだけ技術がすすんでるんですか!」
あぁ、人間の国ではまだ馬車なのか。
まぁ、馬車もペガサスが引くからどのみち飛ぶんだけどさ。
でも、僕も正直車で空を飛ぶのは嫌いなんだよな。
魔王城までは遠いから空を移動するのは仕方が無いけど、出来れば避けてほしかったと思う。
やがて加速が終わった車は、きわめて安定した速度で空を進みだした。
メルティナとルルー先生は眼下の風景を見下ろしてキャーキャーと騒いでいる。
……みっともないなぁ。
ふとアロンソを見ると、彼は腕を組んだままずっと不機嫌そうな顔を崩そうともしていない。
「アロンソ……魔王のこと、嫌い?」
特に興味があったわけではないが、僕はふと思いついたことを口にした。
「嫌いだと?!」
あ、まずい。
地雷踏んだかも。
「魔王……な。 奴の母親はそこそこいい女だったよ」
明確な返答を避けた彼の眉間には、くっきりと深い皺が刻まれていた。
「……ねぇ、ポォ先生。 アロンソさんと魔王ってどういう関係なの?」
「私も知りたいですね」
さすがにこうも意味深な言葉を交わしていると気になるのだろう。
メルティナが恐る恐る聞いてくると、ルルーお姉さんも外の風景を見るのをやめて便乗してきた。
ちらりとアロンソに目をやると、彼は不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「あんまり面白い話じゃねぇよ」
どちらかというと、胃が痛くなるような話だよねぇ。
僕は荷物の中から抗ストレス剤と胃薬を混ぜた飴を取り出すと、アロンソにそっと差し出す。
あ、少し機嫌よくなった。
「んー どこから話したものか。
まず、魔王が代々女性だって話は知ってる?」
「はい、話には聞いておりますが」
ルルーお姉さんがうなずいたのを見て、僕はこのまま話を進めることにした。
「でさ、その魔王を守る近衛っていうのは国からえりすぐった顔のいい男たちなんだよね。
もちろん、魔王の盾として働く屈強な戦士でもあるんだけど」
「うわぁ、なんか話が見えてきたよ」
メルテイナ、侮蔑しているような口調だけど、目がキラキラしているから。
そんなにこの手の話が好きかい?
「つまり、近衛の方々というのは魔王陛下の夜のお相手というわけですか」
ため息とともに吐き出されたルルーお姉さんの言葉を、僕は無言でうなずいて肯定する。
「魔王としての力と権力を維持するために、国でもっとも優れた男たちと子を成す……というのが、魔王の仕事のひとつだよ」
「もしかして今の魔王様の父親って……」
メルティナが言葉を濁しながらアロンソに目をやると、一瞬で彼の顔が嫌悪にゆがんだ。
「き、気持ちの悪いことを言うな! そりゃ前の魔王陛下の相手は何度も勤めたが、先代が愛した男は俺以外の奴だよ!」
なんかそ言いかたみっともなくない?
まぁ、愛してもいない女性を抱くことに嫌悪を覚えないわけではないけど、彼にとっては仕事だったんだから仕方ないよね。
そういう関係、僕もわりと嫌いだけど、仕方が無いことだよね。
「なんだよ、お前までそう言う目で俺を見るのかよ」
「仕事だったんでしょ?」
アロンソがジト目でにらんできたので、僕もジト目で彼を見返す。
「まぁ、そうなんだけどさ……」
するとアロンソはわかりやすく萎れてしまった。
どうやら、なんか変なスイッチを踏んでしまったらしい。
男って、変なところでナイーブなんだよね。
「うわぁ、アロンソさん、実は尻にしかれるタイプだったんですね」
「……いい女に弱いのも、いい男の条件なんだぜ?」
すかさず食いついてきたメルティナに、なぜか僕のほうを見ながらアロンソがいいわけじみた言葉を口にする。
まぁ、アロンソがいい男なのは認めるけどね。
おっと、話がいつのまにか脱線してしまった。
「まぁ、その先代魔王のお相手っていうのがわりと地味な人でねぇ……今の魔王にはそのあたりが納得行かないみたいなのだよ」
そこまで話が終わった時点で、どうやら時間切れがきたようである。
「ついたみたいだね。 これが魔王城だよ」
「うわぁ……」
「はじめて見ましたが、大きいですね……」
僕たちの眼下には、空の上からでも全容が把握しきれないほど巨大なダンジョンと、そこに張り付くように広がる街の風景が広がっていた。
魔王城とは、人間の侵攻から魔族を守るために国境の最前線に作られた巨大なダンジョンである。
代々の魔王はここで人間達を食い止めるために、この巨大なダンジョンを管理しているのだ。
そのためこの街は大きく二つの構造に分かれており、一つは人間側から送りつけられた勇者と冒険者を撃退する過酷で巨大なダンジョン。
もうひとつは、このダンジョンに勤める住人が暮らすための住宅街である。
人口はおよそ50万人。 そのほとんどが軍人というまさに軍事都市だ。
なお、魔族の社会は貴族院と衆議院にわかれた二つの議会が主に内政を担っており、名目上は魔王が統治する君主国家ではあるものの、今の魔王位は対人間用の軍事的な最高責任者という趣が強い。
当然ながら政治的中枢は魔王城とは別にあり、こちらは人口数百万という一大都市圏を形成している。
「到着しました。 足元にお気をつけください」
魔王城の着陸場に到着すると、送迎を担当している騎士たちが恭しくドアを開けた。
最初にアロンソが外に出て、そして僕の手をとってエスコートする。
なお、メルティナとルルー先生のエスコートは、目麗しいダークエルフの騎士たちの役目だ。
メルティナ、ニコニコしているのはいいんだけど、たぶん僕たちはあまり歓迎されてないからね?
そして、応接室に通された時点で予想通りの甲高い声が響いた。
「アロンソ様!」
一瞬でアロンソの顔がしかめっ面に変わり、その機嫌の悪さにエスコート役のほかの騎士がぎょっとして仰け反る。
やがてやってきたのは、長い黒髪と黒いドレスに身を包んだ人間基準の美少女だった。
彼女の名を、魔王ベルデと言う。
「お待ちしておりましたわ! さぁ、はやく中へ!
とっておきのお菓子も用意しましたのよ?」
走り寄ってきたベルデは、まるで夫を迎える新妻のような笑顔でアロンソの腕を捕らえようとしたが、アロンソは無言で体をずらしてその手を華麗によけた。
うわぁ、どけだけ嫌いなんだよ。
そのそっけないを通り越して嫌悪すら感じる魔王への対応に、周囲の空気が一気に下がる。
「まぁ、アロンソ様ったら照れていらっしゃるのね」
だが、魔王は名にどこも無かったようにはにかんでみせた。
うわぁ、相変わらずうっとうしい性格しているな。
――仕方が無い。
「はい、そこまで。 久しぶりだね、陛下」
「あら、あなたもいたの? ポロメリア。
あんまり小さいから見落としてしまいましたわ」
まつげの長い目をスッと細めると、ベルデは即座に人の傷口に塩を塗るような言葉を投げつけてきた。
「ご挨拶だね。 君が僕を呼んだんじゃないのかい? むしろアロンソのほうがなぜ呼ばれたかわからないんだけど」
すると、ベルデの人間基準で秀麗な顔が侮蔑に満ちた笑みを作る。
「まぁ? これだから頭の悪いバグベアーは困るのよ。 アロンソ様が私に会いに来るのに理由なんて必要あっ……」
「俺はポォの付き添いとして無理やり呼ばれただけで、お前に会いに来たわけじゃない」
ベルデの言葉をさえぎって、アロンソが嫌そうな顔でばっさりと会話を断ち切る。
「まぁ、正直じゃない方ね。 私の魔王としての地位に気後れされているのかもしれませんが、もっと正直になってよろしいのよ?」
なんだろう、この会話が通じていない感じ。
見れば、アロンソの胃の辺りを手でさすっている。
うん、こいつ相手は相変わらずハードだよな。
「ケッ。 お前が好きなのは、俺のアイドルじみた顔と人気だろうが」
うわ、アロンソ! 見も蓋も無いだろそれ!
憎憎しげに顔をゆがめながら吐き出された言葉だが、言われたベルデはかすかに首を傾げただけだった。
「それがどうしたの? 私の伴侶が国で一番人気があって素敵な男性であるのは当たり前だわ。
そしてあなた以外に私にふさわしい男性はいませんわよ。 あなたにとっての私もそうじゃなくて?」
その瞬間、ドカッと大きな音が響いて建物が揺れる。
見れば、アロンソの拳が城の壁を見事にぶち抜いていた。
「俺はお前のアクセサリーじゃない。 愛されてもいないのに所有物扱いされるとか、虫唾が走る!」
うわぁ、こりゃまずい。
下手すると、アロンソが暴走してベルデを殺しかねないぞ。
「ベルデ、用が無いなら出て行ってくれる? 君が目の前にいると、アロンソの胃に穴が開いちゃうから」
「まぁ、なんて無礼な口を!」
こいつ、自分が魔王だからって何を言ってもいいと思ってないか?
少し腹が立ったので、僕は彼女の耳にしたくない言葉を解き放つことにした。
「ねぇ、ベルデ。 自分の父親がアロンソじゃなかったことが、自分の母親が国で一番人気のある男を選ばなかったのがそんなに不満?」
その瞬間、ベルデがクワッと目を見開き、1000年の恋も冷めそうな鬼女の形相になった。
「お黙り、ポロメリア!! 私は……私はあんな見る目の無い女とは違う!」
その言葉とともに漆黒の稲妻が飛んできたが、僕は慌てず騒がず魔王城に満ちる魔力を集めてその稲妻を指先で弾き飛ばす。
まぁ、ベルデの力じゃこんなものか。
威力はすごいけど、あっさり干渉できるあたり詰めが甘いというか、術の構造が雑だね。
「う、うわわわわ、何、今の!?」
「さ、さすが魔王。 とんでもない魔力ですわね」
メルティナとルルーお姉さんが体を抱き合って震え上がる。
あ、こんなのたいしたこと無いから。
少し乱暴な挨拶みたいなものだよ。
しかし、妙に明るいな。
どうやら今の余波で屋根が消し飛んだらしく、僕たちの上に燦燦と日差しが舞い降りていた。
おぉ、きれいだね。
ちょっと埃りっぽいのが難だけど。
おや?
僕が手を仰いで埃をよけていると、すっと、アロンソが前に出る。
ベルデが微笑みながらその腕に飛び込もうとしたのだが、ペッという音とともにその動きが止まった。
見れば、その蘭の花にたとえられる美貌が唾だらけになっている。
うわぁ、アロンソ、やっちまったね。
「本気でくだらねぇな。 お前の父親は、先代にとって国中で一番素敵な男だった、それだけだよ。
それと、俺にとって一番素敵な女が魔王陛下のほかにいた。 それだけだ。
先代があんだけ素敵な恋をしたっていうのに、その子供が自分の基準に合わないってだけであの二人を忌み嫌うとか、本気でやりきれねぇよ。
お前に誰かを好きになる資格はねぇ!
どれだけ思考が浅いんだか」
うわぁ、アロンソがこれだけ怒っているのを見るのは久しぶりだわ。
「ほんと、悔い改めたほうがいいよ、ベルデ」
でなきゃ、君、そのうちアロンソに暗殺されるよ?
「笑わせないでちょうだい。 悔い改めるのはあなたたちよ」
だが、ベルデはアロンソに浴びせられた唾をぬぐおうともせずに、自分の唇を舌でなめまわしながら不気味に笑う。
「まぁいいわ。どうせお前がアロンソ様の隣にいられるのもあとわずかなんだし」
「どういう意味だ」
すると、ベルでは僕をまっすぐに指差してこう告げた。
「ポロメリア! 私はあなたを人族に内通した罪で告発するわ!」
「はぁ!?」
なにそれ、わけがわからないよ!
「続きは法廷でお話しましょう」
一方的にそれだけを言い終わると、魔王ベルデはドレスの裾を翻して立ち去ってゆく。
困ったな……あのベルデがこうも正面から勝負を仕掛けてきた以上、よほどの仕掛けがあるということだろう。
何も備えをしていないわけではないが、一抹の不安がどうしても残る。
「ポォ! 無事だったか!」
「あ、パパ」
呼びかけられた声に振り向くと、そこにはうちのパパの大きな体があった。
ちなみにパパはバグベアーだが、ママは先代魔王の妹にあたるサキュバスだ。
ちなみに魔王ベルデのパパの種族はスライムである。
人の事は言えないけど、どうも王家の血筋というのは非人型の男性に弱いようだ。
「やん、パパ! 人前でギューしないで! 恥ずかしい!」
「ははは、心配しなくても笑った奴はひき肉にして今夜はハンバーグだ」
バグベアーであるパパの体はモコモコの毛に覆われているが、その下はガッチリとした筋肉なので、抱き心地が見た目ほどよくはないんだよね。
ママはそんなところも好きらしいんだけど、その話題になると2時間ほどは惚気るので、この話題は絶対に口にしてはいけない。
「お久しぶりです、バン・ジャハ・ウルスラグナ公爵閣下。 今は厚生大臣閣下とお呼びしたほうがよいでしょうか?」
「息災で何よりだ、アロンソ君。 私の事は義父様と呼んで構わないと何度も言っているだろうに」
「ちょっとパパ! アロンソとは何でもないの!」
最初のころこそ平民なんかに娘をやれるかとがんばっていたパパだが、今ではすっかりアロンソの味方である。
この、裏切り者め!
お仕置きとばかりにパパの足をけっていると、パパは怪訝そうに首をかしげた。
「なんだ、まだモノにしてなかったのか?」
「お恥ずかしい限りです」
なにいってるの二人とも! 僕は誰のものにもならないんだから!!
「励んでくれたまえ。 私は早く孫が見たい」
「パパ! もぉ! 余計なことを言うならあっち行って!!」
僕がパパのお尻を蹴り出すと、パパは笑いながら手を振って去っていった。
そして、僕は騎士たちに促されるまま目的地へと向かう。
「では、ポロメリア公女はこちらへ」
「はいはい」
そして僕が通されたのは客室ではなく……
「ここ、どう見ても裁判所の被告人席だよね」
僕はまるで檻のような囲いのある場所に通され、周囲にはこの国の重鎮たちがズラリと並んでいた。
「陛下! これはどういうことです! 私の娘がなぜこのような席に!?」
この状況に憤慨し、パパが魔王に詰め寄る。
うわぁ、パパ強い。
警備の騎士たちがぽんぽんボールのように殴り飛ばされてゆく。
3代前の魔王に仕えた近衛だっては聞いていたけど、半端ないわ……
「お黙りなさい、厚生大臣。 これより、裁判を始めます」
そして、この場に裁判長としてたっていたのは、魔王ベルデだった。
さて、いったいどんな罪状で僕を告発するのやら。
暴れだしそうなアロンソを腕で押さえて、僕はまず彼女の言い分を聞くことにした。
だが、彼女はいろんな工程をすっ飛ばしていきなりとんでもないことを言い出したのである。
「被告人ポロメリア・ウルスラグナは、人間と内通した罪により、かかわった人間もろとも死刑とします!」
罪状や証拠もなしにいきなりの判決を下す展開に、当然ながら周囲が騒然とした。
「ちょっとまって! なんでいきなり判決なの! こんなの裁判でもなんでもないじゃないか!!」
こんなのは、ただの私刑である。
独裁者でもあるまいし、こんなことがまかり通ってよいはずがない。
「黙りなさい! ここでは私が法です。 さぁ、さっさとこの忌まわしい毛むくじゃらをつれてゆきなさい!」
この馬鹿、とうとう頭が煮詰まりすぎてやっていいことと悪いことの区別もつかなくなったのか!?
彼女の言葉に反応し、バラバラと獲物を持った騎士が通路から出てくる。
ここには貴族院の議員を兼任している人が何人もいるのに何考えてるの?
まさか、このまま軍事クーデターを起こして議会から主権を奪い取るつもり!?
「付き合いきれない。 とっとと片付けて帰ろうアロンソ」
「あぁ、そうだな」
僕たちの前をさえぎる騎士を見て、アロンソが自慢の斧を虚空から取り出す。
「うわぁ、これ思いっきり暴力だね」
この狼藉は計画的なものだったらしく、術式をはじく結界が何重にも張られていた。
だが、僕は土地との契約魔術によってその結界のエネルギー自体を食い尽くす。
詰めが甘すぎるでしょ。
誰を相手にしていると思ってるの、ほんと。
それにしても、なんでこんな即物的な手段に出るかね。
野蛮人じゃあるまいし。
いろいろと文化的な対抗策を用意しておいたのに全部台無しだよ。
まさか、ベルデがここまで馬鹿だったとはね。
「じゃあ、いっちょやりますか……切り札その1『マザーグースの子守り歌』っと」
僕は虚空から取り出した瓶を容赦なく開封する。
するとあたりに濛々と煙が立ち込め、その煙を吸った騎士がバタバタと意識を失った。
何の事はない、ただの眠り薬である。
……まぁ、僕と敵対している対象にしか効かないように魔術をこめて調整してあるけどね。
「や、やめて! あぁぁー 落ちる! 落ちる! 落ちる!」
「止めて! 止めて! 止めて! 止めて! 止めて! うわぁぁぁぁ!!」
なお、この薬で眠ったものは例外なくゆりかごに乗せられたまま暴風吹き荒れる緑のジャングルへと連れ去られ、谷底へと際限なく落ちてゆくという悪夢を見るようになっている。
「他愛もないね。 ちょっと楽勝過ぎない?」
「それはいいから、さっさと帰ろうぜ」
アロンソが僕の肩を抱きしめようとしたので、とっさにその手を振り払う。
「……ケチ」
「パパを篭絡したぐらいでいい気にならないでよね!」
その時だった。
「待ちなさい! なぜアロンソ様がその毛玉と一緒に行くのです!」
上から、嫉妬でギラついたベルデが悲痛な声で叫ぶ。
「なんでって、俺の居場所はこいつの隣だから」
アロンソはベルデを振り返りもしないで、見せ付けるように僕を抱きしめた。
「戻ってくるのです! あなたは私の隣にいるべきなのよ!」
「そう思っているのは、お前だけだ。
あとな……ここにポォの親父さんがいることを忘れてないか?」
思わず振り返ると、その言葉のとおり、並み居る騎士たちをすべて力ずくで突破した僕のパパが、ベルデの前に仁王立ちになっていた。
きゃー パパ、かっこいい。
「先代のよしみで形だけは臣下の礼はとっていたが、もうお前には失望した。
貴様は魔王の名に値しない。
バン・ジャハ・ウルスラグナは魔族を代表してお前を弾劾する。
先代や先々代からも追及があると思え!」
「なんと無礼な! 私は魔王よ!!」
なんとまぁ、この場においてまだ自分が魔王にふさわしいとでも思っているのだろうか。
「壊滅的に頭が悪いな。 その魔王だと認めてないといっておるのだ。
なぜ先代はこのような輩を魔王として認めたのか」
パパは怒っているというより、ただひたすら悲しんでいた。
ほんと、自分のやってることがわかってるの? この女。
すこし思い知らせなければならないね。
「あのね、ベルデ。
僕もいい加減に怒るよ?
君がこの機会を逃すはずも無いとわかっていて、僕が何もしていないと思った?」
「な、何をしたというのよ!」
いろいろとしたんだよ。
君ほど悪辣な事はしていないけどね。
「……みんなちょっと手を止めて。
せっかくだから裁判をしようか。
そもそも、この話は根本からおかしいんだ」
僕が呼びかけると、この場は再び静寂を取り戻した。
「まず最初に話すけど……
転移の宝珠が狂ったとして、なんでピンポイントで転移先が僕の庭なんだい? ありえないでしょ」
いくらなんでも出来すぎだ。
少し考えればわかるけど、こんな偶然はおきるほうがどうかしている。
つまり……作為的だと思うほうが普通なのだ。
「ほう、面白い話だな。 聞かせてくれないかなポォ」
「いいとも、パパ」
僕は被告人席の柵の上によじ登って腰をかけると、髪を乱して怒り狂っているベルデを指差した。
「結論から言うと、最初から最後まで魔王……ここにいるベルデの差し金だったんだよ」
「何を証拠に!!」
食いついてきたね、ベルデ。
君がすでに破滅しているのは残念だけど、この際だからゆっくりと追い詰めてあげよう。
「証拠ならあるさ。
まず、人間を保護するようになったいきさつだけど、転移トラップで僕の庭に人間が落ちてきたのか原因なんだよね。
こんなの、トラップに使っている転移の宝珠が不良品だったとしか考えられないんだけど、そんな不良品なんかが出たら製造管理部がそれこそ転地がひっくり返るような大騒ぎをするんじゃないかな?」
その言葉に、傍聴していたお偉いさんたちが騒ぎ出す。
彼らは口々に好き勝手なことをつぶやき、勝手に結論を出して納得をした。
そして……誰も僕の言葉を否定しない。
「けど、いつまでも製造管理部は静かなんだよね。 これ、どういうこと?」
「お言葉ですがポロメリア公女、そのような事件は発生しておりません。
我々の製造施設は完璧で、公女のお庭を騒がすような宝珠などありえないと断言しましょう」
そう言葉を返してきたのは、魔王城のトラップを管理する部門の責任者だろう。
肌の色と身体的特徴からすると黒ドワーフだろうか?
「ありがとう。 すばらしい業績だ。 その調子で今後も励んでくれたまえ」
そう告げると、その責任者らしき黒ドワーフは満足そうにうなずいて席に座った。
「そして、転移の宝珠には人間側に技術がもれないように厳重なプロテクトがかかっている。
トラップ解除などで破壊された宝珠は、破壊されたあと即座に管理者の下へと転移する仕組みになっているんだけど……
ここまで僕が話した事はとうぜん理解できているよね?」
この程度の話は、魔王城に勤めている人間ならだれでも知っている話である。
知らないのはメルティナとルルー先生ぐらいだろう。
「そして、魔王城に仕掛けられている転移の宝珠は全部トラップ管理の担当官の名義になっている。
ほかの人のところに転移したところで二度手間だからね」
「そ、それがどうしたというのよ」
メルテイナの声が若干のあせりを帯びる。
でも、傍聴の皆さんからすると今のところは大して関係ない話をしているように聞こえるだろうね。
だって、これはただの前置きだから。
さて、そろそろ本題を切り出そう。
「ベルデ。 君、僕の庭に座標を設定した宝珠を作って、魔王城のトラップに使われていた宝珠とすりかえたね/
そして事故を装って僕の庭へと暗殺者を送り込んだ……そうでしょ」
傍聴席に再び衝撃が走った。
それは、絶対にあってはならないことだったからである。
「そういえば変な話よね。 警備なんてほとんどなくて、どういうことかと思って奥に進んだらいきなり警備兵が現われて、なんとか逃げ出したとおもったら、いつのまにかポォのお庭に飛ばされたんだもん。
なんというかね、そのトラップがある方向だけが無防備で、まるで最初からそのトラップに追い込むのが目的だったと言われたら納得できる配置だったなぁ」
僕の言葉を、横で聞いていたメルティナが補足する。
「でたらめよ!」
「でたらめかどうかは、君が一番知っていることでしょ?
残念だったね。 その暗殺者はいまや僕の友達だよ」
「残念でした!」
メルティナがベーっと舌を出してベルデを挑発する。
ちょっと、メルティナったら。
はしたないよ? 君はレディだろう。
「続いて君は、つかった宝珠を処分することにした。
人間の侵入を拒むべき魔王が、魔王城の向こう側に人間の暗殺者を転移させたなんて大醜聞だ。
魔王の立場を完全にないがしろにしている。
こんな事が知れたら、魔王の地位を弾劾されても仕方が無いほどの裏切りだもんね。
かといって、宝珠は何度壊しても手元に戻ってきて勝手に再生するし、魔王城に隠しておいても誰が見つけるかわからない。
そこで君は転移の宝珠を再びすりかえて、宝箱の中身に混ぜることを思いついた。
魔王城に忍び込んだ冒険者が、宝石と間違えて持ち帰ることを期待してね」
「おかげで巻き込まれた私は人間をやめる羽目になりましたよ」
僕の告発を聞きながら、ルルー先生がため息をつく。
そもそも、いくら不良品だからといって勇者がゴミの山から拾ってくるというのがありえない。
そんな軽く扱っていい代物ではないのだ。
「でたらめよ! そこまで言うなら証拠を出しなさいよ!!」
はいはい、そうくるよね。
もちろん用意してあるよ。
「では、証拠その一。 レイア姫!」
「幽霊使いが荒いのぉ。 ほれ」
僕の言葉が響くと同時に、真っ白なドレスを身にまとった幽霊が現われる。
彼女には先に魔王城に潜入してもらい、あるものを探しておいてもらったのだ。
「はい、ご覧ください。 これ、転移の宝珠の管理表。
現在、外に出ている宝珠はひとつもありません。
破棄された宝珠もここ200年は存在してないね」
全員に見えるように、僕は光の魔術を使って白い壁にその内容を映し出した。
「か、管理の数字が間違っているのよ! 誰だってミスぐらいするわ!!」
「それはありえないと断言しましょう。 ですが、ポロメリア様。 そのような書類を勝手に持ち出されては困ります」
責任者である黒ドワーフのおじさんが、ムッとした声ではあるものの、すかさず僕の言葉を補足する。
まぁ、勝手に書類を持ち出したことについては、ほんとごめんなさい。
「黙りなさい! 私がミスだといったらミスなのよ!!」
だが、ここまでやってもベルデは自分の罪を認めようとしない。
こういう女だよね、君って。
「まぁ、そう言うと思ったよ。
では、次が最後の証拠だね……イッツ、ショータイム!!」
僕がそう宣言すると、突然あたりが暗くなった。
「ふふふふふふふふふふふ」
そしてどこからとも無く女性の笑い声が響き渡る。
「誰だ! 姿を見せろ!!」
ちなみに、これはアロンソがノリノリでお約束な掛け声をかけただけだ。
傍聴席のおじさんたちは、言葉もなくことの成り行きを見守っている。
「闇を渡る緑の風が、悪しき強者を許さない!
魔王ベルデ、あなたの悪事もここまでよ!」
「……なんですって!?」
通りのよい舞台俳優のような美声でなじられ、ベルデが驚いたように叫び声を上げる。
こちらは当然ながら仕込みではない。
次の瞬間、スポットライトが僕の目の前の空間を照らし出す。
すると、そこにはいつの間にか覆面をした一組の男女が佇んでいた。
「世紀の義賊、正義に輝く緑の光、怪盗エメラルド、ただいま参上よ!!」
「それと、謎の紳士マスク・ド・駐在さんも参上だ」
この二人の正体は、先日庭に落ちてきた怪盗エメラルドと、彼女を追ってきたニコルソン巡視である。
ちなみに魔王城に入り込んだのは、ルルーお姉さんの婚約者であるクラウド君の手引きだったり。
クラウドめ、なかなかいい仕事をするじゃないか!
「下がりなさい、下賎の者! ここは裁きの場よ! 怪盗だというなら、お前も裁いてやろうかしら!?」
現われたのが人間だと知って急に高圧的になったベルデだが、エメラルドが手にしているものを見た瞬間、顔色が変わる。
「うふふふふふ、そこのちいさな小熊さんが求めているのはこれかしら?」
「クマじゃないよ! バグベアーだってば!!」
そう、エメラルドが手にしているのは、この事件の発端である転移の宝珠だった。
「な、なぜそれがここに!?」
なぜって?
昨日の騒動の後、エメラルドとニコルソンに帰還の魔術を教えて宝珠の回収を頼んでおいたからに決まってるじゃないか。
「いやぁ、苦労しましたよ。 貧民窟の馬鹿共が闇市に流しやがったせいで、せっかく捕まえたエメラルドを解放した上に貸しを作ることになっちまいました」
あー ごめんね、ニコおじさん。
でも、君たちの引き起こした迷惑はもっとすごかったからね。
例の貧民たちが荒らした薬草畑の被害総額聞きたい?
ルルーお姉さんは国の予算の十年分ぐらいだって言っていたけど。
「そ、それがどうしたのよ! 私がそれを作ったなんていう証拠はどこにはないわ!」
はいはい。 もう少しマシなリアクションちょうだいよ。
あまりにも月並みな反応にがっかりしながらも、僕はエメラルドに視線で合図を送る。
「じゃあ、こうしちゃうわよ?」
そしてエメラルドは、手にした宝珠を高く放り投げた。
「あっ!」
あわてて裁判長の席から駆け下りて宝珠を拾おうとするベルデだが、その前にニコおじさんの投げた剣が宝珠を砕く。
「ああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
宝珠は一瞬光放ったと思うと、すぐに絶望の悲鳴を上げるベルデの目の前に転移した。
「ち、違うの! こ、これは何かの間違いよ!!」
間違いなはずないじゃないか。
偽造だというなら、どうやったらこんなことが出来るか証明してくれない?
否定のしようもない証拠に、ベルデにしたがっていた騎士たちも一人一人と剣を鞘に収めはじめた。
彼らもまた、ベルデを魔王にふさわしくないと判断したのである。
「往生際が悪いよ。 この、バグベア殺し!」
僕が指を突きつけると、ベルデはキッと僕を睨み付けた。
「あ、あなたが悪いのよ! 私のアロンソを無理やり自分のものにしようとするから!」
「誰のこと? それ。 むしろあんたのことでしょ? みっともない」
メルティナが肩をすくめて言い返すと、傍聴席のあちこちからププッと噴出す音が聞こえてきた。
「ふられたの事にすら気づけない女って、惨めだな。
他人の男がほしいからって、自分の従姉妹を暗殺しようとする女とか……ないわ。
気持ち悪くて鳥肌が立つ」
僕の前に出たアロンソが、視界に入れるにもおぞましいといわんばかりにベルデを睨み付けながら吐き捨てる。
「ア、アロンソ……嘘よね? 私の気を引きたいからってそんな嘘をつかなくていいのよ?」
いまだに都合のいい理屈を振り回しながら、ベルデはアロンソにすがりつこうとした。
その瞬間、パンと乾いた音が響いてベルデが地面に倒れる。
「平手だったことに感謝しろ。 本当なら、拳で殴ってその面をぐちゃぐちゃにしてやりたいぐらいだ」
「あ……あなたは勘違いしているのよ! 」
「勘違いしているのはお前だろ?
俺は、心底お前のことが大嫌いだ。
お前のどこが嫌いかといわれたら全部だが、主に自分に都合のわるい事にはかたくなに目を閉じるところが心底気持ちが悪い」
そこまで言われて、ようやくベルデは沈黙した。
そして拳を握り締めてブルブルと震わせたかと思うと、鬼女もはだしで逃げ出すような顔で頭を上げる。
「こ、近衛騎士! ……そこのバグベアを殺しなさい!
アロンソ様の目を覚まして差し上げるのよ!!」
あぁ、かわいそうに。
彼女のために集められた近衛騎士は、彼女が退位しない限りその立場を魔王と共にしなければならない。
目麗しい青年が何人も駆けつけたかと思うと、悲痛な顔で剣を抜いた。
「どけ。 そんな女に義理立てする必要はない。
そもそも、その女は俺の幻しか見ていなかった」
アロンソが静かな声で近衛騎士たちに告げる。
だが、彼らの先頭に立った青年は、悲しそうに笑いながら首を横に振った。
「それでも……僕たちは近衛騎士なんです」
その答えに、アロンソは黙って斧を構える。
や、やめて! 僕前で命の取り合いをしないで!!
あぁ、なんでこんな人たちがベルデのために死ななければならないのだろう。
「あ、アロンソ、手加減は出来る? 出来れば死なない程度で……」
「無理だ。 許せ」
僕の出した希望は、短い言葉で拒否された。
どちらが死ぬのも嫌だったが、僕には両方を救うような力はない。
あぁ、肝心なところで僕は無力だ。
誰か……誰か助けてよ。
僕はとても困っているんだ。
その時だった。
「そこまで」
「よもや……ここまで醜悪なものを見ることになろうとはねぇ」
「ベルデ、恥を知りなさい。 お前は魔王にふさわしくない」
そんな言葉とともにこの場へと入ってきたのは、僕のママと……先代の魔王陛下だった。
「近衛騎士共、剣を収めよ。 その女はすでに魔王ではない」
「早速議会にかけて正式にその地位を剥奪しないと」
貴族院の議員をしているママが苦い顔でため息をつく。
そこはかわいい我が子のためにがんばってよ、ママ。
「なっ、なんでよ! なんで誰も私の味方をしてくれないのよ!
私は優れた人材を生み出すという、魔王としての責務を果たそうとしただけじゃない!!」
ベルデの叫びに、先代魔王である女性は悲しげに目を伏せた。
「お前は、自分の目で人を見たことがあるかえ?
おそらく無いのだろうな。
アロンソは誰にとっても最高の男なのではない。
でなければ、この国のすべての女がアロンソ以外と結婚しようとはせんであろう。
だが、そんな事にはならない。
なぜか?
皆、いつか自分にとっての最高の男を見つけだすからだ。
それは、自分の好みとはまるで違うこともある。
だが、それが恋なのだ。
それはとても理不尽な代物なのだ。
何を持って己にとって最高の男であるかは、己と向き合って、己の目で世界を見なければわからない。
それを教えてやれなんだ私の不徳じゃ……」
先代魔王陛下は、まるで自分に言い聞かせるようにそうつぶやくと、ベルデのからだをそっと抱きしめた。
そしてベルデは……泣いた。
声もなく、ただ体を震わせながら泣いていた。
「お前の手にしたものは恋ではない。 それは、妄執であり、ただの執着じゃ。
大人になりたかったら、それは手放さなければならないのだよ、ベルデ」
先代魔王様の声が、静まり返ったこの場に響き渡る。
そしてメルティナの落下から始まった一連の事件は解決したはずなのだが……
「え? 魔王が作った宝珠は一つではなかった!?」
そんなとんでもない報告をアロンソが告げたのは、僕がメルティナやルルーお姉さん、あとはレイア姫とエメラルドもさそって楽しくお茶会をしていたときだった。
「なんというか、ベルデも専門家じゃなかっただろ?
だから、失敗作がいくつもあったらしい。
しかも、それを全部魔王城の宝箱に入れて拡散しようとしたらしいんだが……」
なに、それ……聞いてない。
「い、いくつ回収できたの?」
「すまん。 俺達も全力で回収しようとしたが全部人間の冒険者が持ち帰った後だった」
じゃあ、じゃあ……その宝珠がまた暴走したら……
「まぁ、また人間が落ちてくるな。 ここに」
「そんな! やっと片付いたと思ったのに!!」
あぁ、なんてことだ。
血の涙が流れそうだよ。
「たぶん今度は人間界に探しに行かなきゃいけませんね。 そうなると、鑑定できる人間はやはり必要かと」
「え? ポォが人間の国に来るの? あたし、いろんなところ案内するよ!」
「ふふふ、では妾もついてゆかねばのぉ。 いい男がいれば良いのじゃが」
「おや、お宝探しと聞いては黙っちゃいられないわね。 この怪盗エメラルドにお任せよ!」
だが、突然テーブルがバンとものすごい音を立てた。
その音に驚いて、全員が音の主に視線を向けつつ押し黙る。
「悪いが、お前らの同行は認められない」
「なに言ってるの、アロンソ!
まさか、僕一人で探しにゆけっていうの!?」
そんな事言われたら、泣くよ!?
僕はけっこう寂しがりなんだからな!!
けど、アロンソはなんともいえない笑みを浮かべて、半分残ったまま棚においてあった人間化薬を手に取り、僕のほうへとにじり寄ってきた。
そして僕の肩をがっしり掴んでからこう告げたのである。
「行くなら、俺とお前の二人っきりだろ?」
「な、なんでそうなるのさ!」
「こういうところはほんとベルデの従姉妹だな。 この上もなく往生際が悪い。
旅の間にきっちり口説き落としてやるから覚悟しろ!」
「い、いやぁぁぁぁぁ」
この色気とヤル気の塊と二人旅?
冗談じゃない!
ど、どうしよう……こ、このままじゃアロンソにくどき落とされちゃう!
「ほら、そろそろ覚悟を決めて俺のことを好きになっちゃえよ」
そう告げると、アロンソは人間化薬を口に軽く含んでから僕の上に覆いかぶさってきた。
「なんで人間化薬なんて……」
「いろいろと不便ではあるけれど、キスをするはこの姿のほうがやりやすいだろ?」
な、何を言っているお前は!!
「い、いやっ、だめ!」
「ポォ……俺を拒まないで。 ほんのわずかでも俺にチャンスがあるのなら」
あぁ、ダメだ。
思わず怖くて目を閉じると、甘くかすれた吐息と共に少しかさついたアロンソの唇が僕の小さな唇をそっとふさぐ。
こ、これ、も、もしかしなくてもキスされてる?
レモンの味なんかしないじゃないか! 初めてのキスなのに!!
でも。この状況から考えられることなんて、ひとつしかない。
あぁ、ボク、アロンソにキスされているんだ!?
や、やめて、これ以上僕の心の中に入ってこないで!
は、はやく振りほどかなきゃ。
でも、体が動かない。
胸が……胸がドキドキする。
あぁ、ほんと、誰か助けて。
僕は……僕は本当に困っています。
これにて第一章終了です。
お読みいただきありがとうございました!
第二章は……まだプロットがまとまってないので何日かあけてからの投稿になりそう。
しばらくお待ちくださいませ!