一度終わるべき恋の話
さて、僕がこの魔王城に診療所を作ってから結構な時間が過ぎた。
あまりにもドタバタしていたせいで忘れそうになっているけど、そもそもここに診療所を作ったのは情報を集めるためだったんだよね。
けど、今日も宝珠に関する情報はなし。
いくら魔族の寿命が長いといっても、こう反応が無いのでは不安になるよ。
「うーん、残念ですがまだ恋の兆しは見ませんね」
「えー まだ待たなきゃダメなの? そのうち適齢期過ぎちゃうよぉ」
聞こえてきた声に振り向けば、メルティナとルルーお姉さんが応接用のテーブルでカード占いをしている。
「占うなら、恋よりも宝珠の行方にしてよ。 ほんと、いつになったら見つかるのやら」
思わず口に出た愚痴のような言葉だった。
だが、その瞬間、二人の動きがピタリと止まる。
あ、しまった。 まずいこと言っちゃったかも。
「ごめんね、私もいろんなところに当たっているんだけど、どうも情報が見つからないのよ」
目を伏せてしおらしく呟くメルティナに、僕は何と声をかけてよいかわからなかった。
そんな様子を見て、ルルーお姉さんがため息をつく。
「まぁ、仕方がありませんわ。
最近気づいたのですが、あの宝珠は別のアイテムにそっくりですもの」
「別のアイテム?」
思いもよらぬ言葉に、僕は思わず聞き返してしまった。
……というか、仕方が無いって、それが宝珠の情報がなかなか手に入らない原因なの?
「女神の涙というアイテムをご存知ですか?」
「あぁ、あの強めの治癒魔術を閉じ込めた奴?」
ご大層な名前ではあるが、それはあまりにも僕には縁の無い代物だった。
おかげで僕としたことが、思い出すのに5秒ほどかかってしまったよ。
「でも、せいぜい体の欠損を再生できる程度の力しかないでしょ、あれ。
しょぼすぎて存在自体を忘れていたよ」
「あー、ポォ先生だよねぇ」
僕の呟きに、メルティナがあきれたような声を上げる。
なんだよ、君だって自分が興味の無いから調理器具のメーカーの名前を思い出せなくて、この前頼んだ僕のお買い物できなかったでしょうが。
僕がムッとした目でメルティナをにらむと、ルルーお姉さんが苦笑しながら間に入る。
「人間にとっては、それでも奇跡レベルの治癒力なんですよ。
ですから、それを手に入れた人間はほかの人間に奪われないように隠すんです。
特に冒険者ならばから手が出るほど欲しいはずですから、宝箱から転移の宝珠わ見つけたものがそれを手放す事はほとんど無いかと」
「なるほどねぇ……」
それが本当ならば、困ったことだ。
情報を手に入れるだけでも難航しているのに、その後の交渉はさらに大変になるかもしれない。
「先日ニコルソンさんにお話しておきましたので、そのうち情報も入ってくるかと……あら、おめでとうございます」
「どうしたの?」
占い用のカードを捲っていたルルーお姉さんが不意に気になることを言い出した。
「宝珠の行方について占ったところ、審判のカードが出ましたわ」
「どういうこと?」
覗き込むと、カードにはラッパを吹く神の使いと、墓から蘇る死人が描かれている。
いったい何を意味するものだろう?
あいにくと、占いについては専門外だ。
そんな僕に向かい、ルルーお姉さんか微笑みながら告げる。
「……努力は報われるという予兆です。 まもなく良い知らせが届くかと」
そしてニコおじさんこと騎士ニコルソンがやってきたのは、そのわずか30分後のことだった。
「何か分かったの?」
「……やっとそれらしい情報を手に入れましたよ。
お待たせしてすいませんね」
やってきたニコおじさんは、いつもの微笑みを浮かべながら深々と頭を下げた。
「私の後輩冒険者に腕を失って冒険者を引退したやつがいるのですが、そいつの持っている女神の涙がどうも例の宝珠じゃないかと思われるんですよ」
「……なにか根拠はあるの?」
僕もあとから気になって調べたのだが、確かに例の宝珠と女神の涙はおそろしく似通っていた。
おそらくルルーお姉さんのように鑑定の力を持つ者でもなければ、まったく見分けがつかない。
「えぇ、かつての仲間の伝手で女神の涙を手に入れたまではよかったのですが、どうやっても女神の涙が発動しない。
それでなんとかその女神の涙を使う方法が無いかと、奴は情報を集めていたんです」
「怪しいね」
「えぇ、私はクロだとにらんでます」
それが例の宝珠なら、発動しないことにも納得だ。
逆に発動しない女神の涙の不良品という可能性もあめのだが、そのきわめて可能性は低いといえよう。
「一度鑑定させていただけませんか?」
そう口を出してきたのは、鑑定能力を持つルルーお姉さん。
賢者の称号を持つ彼女なら、即座に見分けることが出来るだろう。
「むろんそのつもりです。 ただ、いろいろと彼も疑心暗鬼になってましてね。
詐欺の類で女神の涙を何度も取り上げられそうになったとの事で……」
うわぁ、なにやってくれるの。
ほんと君たち人類の一部って救いようがないね!
おかげで僕のような善良な魔族が苦労するとか、世の中間違ってるよ。
おそらく、ほかの宝珠の持ち主も同じようになるのを警戒して情報を出さないようにしているのだろう。
まったく、なんてこった。
「あらあら、それは大変そう」
いや、ルルーお姉さん、そんなのんきな……
ぜんぜん大変そうには見えないし。
「なんとかならない? ニコおじさん」
「最善は尽くしましょう」
そう言いながら、ニコおじさんは目を伏せた。
意外と手段を選ばない人だから、たぶんエメラルドに頼んで盗むことも視野に入れているのだろう。
ほんと頼むよ? 頼りにしてるんだから。
そして3日後。
ニコおじさんに連れられてやってきたのは、左腕の無い男だった。
どうやらこちらを信用していないらしく、護衛の冒険者と介護役の女性を連れてのご登場である。
「ライモンドだ。 オーガ殺しのライモンドと名乗ればお前も知っているだろう?」
「いや、知らないよ。 それに、オーガ殺しなんて野蛮な名乗りはやめたほうがいいと強くお勧めするね」
君、目の前にいる相手が魔族だって事忘れてない?
いくらなんでもその自己紹介は失礼だよ。
「なんだこいつ。 弱っちぃくせにキャンキャン吼えるな、見苦しい」
そんな毒を吐くのは、まいどおなじみアロンソさん。
今日は無理にお仕事を休んでまでのご参加である。
ほんと……立派な社会人の癖に何してんのさ、君。
「……なんだと!?」
たちまち気色ばむライモンドだが、アロンソがジロリと睨み付けるとすぐに青ざめておとなしくなった。
君、もうちょっといろんなことを気をつけたほうがいいよ?
今、君の横にいるニコおじさんの顔が一瞬鬼になりかけていたから。
「さて、問題の宝珠だけど……現物を見せてくれるかな?」
「こいつだ。 おかしなまねはするなよ」
そう言って出してきたのは、間違いなく例の宝珠だった。
さっそく鑑定をかけたルルーお姉さんも小さく頷いている。
「間違いありませんね。 これは女神の涙じゃありません」
「なんだと!? そんなわけないだろ!!
お前もこいつを俺から騙し取ろうとしているんじゃないのか!?」
いきり立つライモンドだが、ルルーお姉さんは涼しい顔だ。
たぶん、似たようなことを何度も経験しているのだろう。
「貴方が信じたくないのも仕方がありませんが、偽者は偽者ですね。
治癒の力が発動しないのがその証拠です」
「お、俺は信じないぞ! 俺はこいつを使って冒険者に戻るんだ!!」
やれやれ、救いようがないね。
魔族でもたまにいるんだよ。 叫んだり怒ったりすれば世の中何でも思うようになるとでも思っている人。
「いい加減にしろ、ライモンド。 それは女神の涙じゃなかった。
いくらお前ががんばっても、無理なものは無理なんだ」
ニコおじさんがそうやってしなめたところで、ライモンドが現実を認めるはずが無い。
「い、いやだ! 俺は……俺はこんなところで立ち止まっていい男じゃないんだ!!」
ライモンドはうわ言を言いながら首を横にふるだけだった。
とても不思議な行動だが、それ、どんな意味があるの?
否定し続ければ、不良品の転移の宝珠が女神の涙になるの?
惨め過ぎて、見ているこっちの目から涙が生まれちゃうよ。
「お前、どうしても冒険者時代のことが忘れられないのか?」
「あたり前だろ!? あんただってそうじゃないのかよ!」
悲しげな目をしたニコおじさんに、ライモンドが言葉で噛み付く。
うわぁ、なんて馬鹿なんだろう?
まるですべての人が自分と同じ価値観を持っているとでも信じているのだろうか?
おそらく同じようなことを感じているのか、ニコおじさんは渋い顔で首を横に振った。
「悪いが、私は冒険者としての生活よりずっと大事なものを見つけてしまったんだ」
そう語るニコおじさんは、妻と娘を持つ立派な父親である。
たまに仕事の都合でよその女と同じベッドに入るらしいけどね。
……海よりも深く省みよ、このダメ親父め。
すると、ライモンドはチッと小さく舌打ちをしたあと、いきなり僕のほうへと視線を向けてきた。
「なぁ、そこのあんた! なんでもするからこのアイテムの使い方を教えてくれよ!
俺の左腕を戻してくれよ!!」
あ、なるほどそうきたか。
「さっきも言ったとおり、それは女神の涙ではないよ。
むしろこの世から一つ残らず消し去らなければならない、忌々しい代物だね」
「そ、そんなはずはない! これは女神の涙だ!!」
そう言うと思ったよ。
都合の悪いことには目を向けないその病気、わるいけど僕でも治療するのは難しそうだね。
かわいそうだけど、突き放すしかないか。
「惨めだね。 君、終わってるよ」
「なんだと!? ふざけたこと抜かすとぶっ殺すぞ!!」
「うわぁ、野蛮だね」
はいはい、そこでストップしようね。
そろそろアロンソの堪忍袋が切れるから。
さて、どうしようか?
困ったことに、この手の視野が狭いタイプって、駒として使い捨てるにはとても便利なんだよね。
でも、アロンソや従姉妹のベルデと違ってそういうの嫌いなんだよ。
仕方が無い。
駒として利用するかわりに、一度だけチャンスをあげよう。
でも、君にそのチャンスを活かしきれるかな?
僕はこのやり取りを少し離れたところで見ている――ライモンドが連れてきた一人の女性に一度だけ目をやった。
「一つ確認するけどさ、君はその腕が元に戻ればそれでいいんでしょ?
だったら、女神の涙に固執する必要も無いじゃない。
僕がその腕を治療してあげるよ」
「なにぃ!?」
ほら、美味しい餌をあげよう。
でも、その濁った目で余所見をすると、本当に美味しい餌が口からこぼれて地面に落ちちゃうぞ?
「人間の医学では無理だろうけど、魔族の医学では可能だよ。
そのかわり、腕が元に戻ったらその宝珠を僕に渡してくれない?」
「あぁ、本当に治るならそれでいい。
だがお前……治療するフリをして、俺を殺して宝珠を奪おうだなんて考えていないだろうな?」
予想通りの反応だよ。
賎しい子だね、君は。
「ありえないね。 なんでこの僕がそんなリスクをわざわざ抱えなきゃいけないんだい?
そもそもね、僕がその気になったら力づく出奪うことなんて簡単なことなんだよ。
そうだよね、アロンソ」
僕の言葉に、アロンソが大きく頷く。
「俺と喧嘩するなら、せめて本気のニコルソンを10人は連れて来い」
「せめて5人ぐらいにしてくれないかな。 自信を無くすよ」
アロンソの強気な言葉に、ニコおじさんが苦笑を浮かべる。
まぁ、さすがのアロンソも、ニコおじさん10人がかりだとボロ負けするね。
「じゃあ、7人でどうだ?」
「うーん、7人ならぎりぎりいけそうだねぇ」
そんな二人の会話に、周囲の冒険者たちが引きつった表情を浮かべる。
彼らが束になったところで、本気のニコおじさん一人分にもなりはしないからだ。
「そう言うことだから、おとなしく従っておきなさい。
悪いようにはしない」
「わ、わかった」
やや物騒なニコおじさんの言葉に、ライモンドが仕方なく引き下がる。
「とりあえず、治療の前に麻酔かな。
そのまま再生の術をかけると、ものすごく痛くて発狂するよ」
これは脅しでもなんでもない、事実だ。
「くっ……約束は守れよ! 俺の腕、治らなかったら許さないからな!」
ライモンドはボクをものすごい目つきで睨み付けると、残っている腕で傍らの女性を抱き寄せ、その頬にキスをした。
「アリー、待っていてくれ。 俺はもうすぐ昔の姿に戻るから」
おや、付き添いの介護人じゃなくて恋人でしたか。
けど、ライモンドは気づかなかっただろう。
そのアリーと呼ばれた女性が、キスされた瞬間に身の毛もよだつような怒りに満ちた目をしたことを。
「じゃあ、これ書いて。 薬の分量を調べなきゃならないから」
「くっ、面倒な」
悪態つくライモンドに記入用紙を渡し、そこに書かれた体重と身長を元にボクは薬の量を計算する。
そして最初に睡眠薬を渡して飲ませると、ライモンドは即座にいびきをかきはじめた。
「さてと。 じゃあ麻酔をかけますかね」
だが、その時だった。
「その治療、やめてもらう事はできませんか?」
声をかけてきたのは、ライモンドの連れてきた女性だった。
聖印の刺繍された真っ白な服装からすると、神官か何かだろう。
「どうして?」
「彼に……冒険者に戻ってほしくないんです」
予想通りの言葉に、僕は小さく頷く。
「やっぱりね。 さっきから君、ものすごい目で僕を見ていたもの」
実はちょっぴり怖かったんだ。
きっと訳有りだろうとは思ったけど、聞ける雰囲気じゃなかったしね。
そして彼女……アリーと呼ばれた女性は、効かれもしないのに自らの事情をしゃべり始めた。
「彼が腕に傷を負ったとき、治療を担当したのが自分でした。
彼の腕はすでに壊死していて、切り落とすしかなかったんです」
なるほど、それはさぞや無念であっただろう。
医療に携わるものとして、その気持ちはとてもよく分かる。
必要だからこそ躊躇うことは無いが、あれはとても嫌なものだ。
だが、その次の瞬間、彼女は思いもよらぬことを言い出した。
「でも、彼の腕を切り落としたとき、私が感じたのは悲しみではなくて安堵でした」
……え?
ぞわり……と、彼女の声に潜む闇を感じ、ボクのうなじの毛が逆立つ。
「本当はずっと冒険者なんて辞めてほしかったんです。
そんな危険なこと、続けてほしくなかった。
彼の身を心配しながら、隣にいることも出来ずに待ち続けるのは、本当につらかったんです」
その瞬間、護衛の冒険者とニコおじさんがものすごい勢いで視線をそらした。
よほどやましいことがあるに違いない。
「だから、彼が冒険者として働けなくなったとき、これで彼も冒険者をやめて地道な仕事をしてくれるんだとおもって、私、ホッとしたんです」
だが、そう語る彼女の顔はこの上も無く疲れ果てていた。
もしかしたら、追い詰められて自殺を図った者が、最後に浮かべる表情がこんな感じではないだろうか?
「だから、今の私の安定した生活を奪わないでください。
冒険者に戻ったら、今度こそ彼は死んでしまうかもしれないじゃないですか……」
病んでいる……
彼女の願いを聞いた僕の感想は、まさにそれに尽きた。
いったいどんな苦しみが彼女をこうしてしまったのかを考えると、いたたまれない気持ちになる。
だけど……
「それは傲慢ですね」
そう告げたのはルルーお姉さんだった。
「そんな事をしても、幸せなのは貴女だけじゃないですか。
いずれ破綻しますよ。
ほら、これが貴女の未来です」
そう言ってルルーお姉さんは占い札の山から一枚のカードを引き抜き、それをアリーに突きつける。
そのカードは『月』。
曲がりくねった道が続く丘で、白と黒の狼が頭上の三日月に向かって遠吠えをしている図案だった。
壁には大きなザリガニが這い上がろうとし、迫り来る危険を暗示している。
「残念ですが、おそらくこのお二人は別れることになるでしょう」
「え……? どうして! どうしてそんなひどいことをいうんですか!!」
別に占いを信じるわけではないが、この件についてはボクも同意権だ。
こんな関係が幸せであるはずが無いし、祝福されるべきでもない。
「そうだな。 お前、この男とは別れたほうがいい。
男の夢を踏みにじってまで自分の幸せを願う女も醜いと思うし、自分の恋人の気持ちを踏みにじってまで自分の夢を追いかける男も最低だと思う」
それまで黙っていたアロンソが、大きく頷きながら身も蓋も無いことを言う。
少しは歯に衣を着せようよ、アロンソ。
「どうしてそんなひどいことを言うんですか、貴方たち!」
アリーは髪を振り乱しながら声を荒げる。
その姿は、まるで異国より伝え聞く般若という女怪のようだ。
「別に彼らはひどいことなど言ってないよ?
それに冒険者じゃなくても、人間なんてその時がきたらあっけなく死んでしまうものだ。
私も、君もね」
だが、そんな彼女に冷や水を浴びせるような言葉を吐く人がいる。
ニコおじさんだ。
そう、誰だって死ぬときはあっけないものだ。
彼女の求める平穏な暮らしを続けたところで、それはけっして変わりはしない。
「僕も別れたほうがいいと思う。
今の君と今の彼だと、何をどうやっても不幸にしかならないよ。
君、本当は分かってるんだろ?」
僕の言葉に返事は無く、彼女は声を殺しながら涙を流した。
そしてその涙が、彼女の答えだった。
そう、それでいい。
「たぶん、君たち二人は思いやりのボタンを掛け違えてしまったのだと思う。
そしてボタンを正常な位置にかけるには、どうすればいい?」
僕の言葉に、アリーは目を見開いたまま考え込む。
もう、分かっているね?
間違ったボタンをかけなおすには、一度ボタンをはずさなければならない。
だから……少なくともこの恋は一度終わるべきなのだ。
やがて泣き止んだ彼女は、ライモンドへの伝言を残し、少しすっきりした顔で帰っていった。
そして僕はライモンドの腕を治療すべく彼の肩に麻酔をかける。
ライモンドの左腕が再生するまでの時間は、おそらく30分もかからなかった。
僕たちにとっては、実にたやすい話だ。
そして麻酔からさめたライモンドは、蘇った自分の左腕を見て満面の笑みを浮かべる。
「……気分はどうだい?」
「最高の気分だ」
そっか、でも今からたぶん最悪の気分になるよ。
覚悟してね。
「じゃあ、そんな君に彼女から伝言。
さよならだってさ」
その瞬間、ライモンドの顔が完全に凍りつく。
目の前で手を振ってもまるで気づかない。
……気絶してるね、これ。
予想以上の反応だよ。
「……ど、どういうことだよそれ」
ライモンドが意識を取り戻したのは、たっぷの1時間ほどしてからだった。
腕を再生させるよりも大変だったことに、僕はため息を禁じえない。
「えっと、彼女の名前、アリーとか言ったっけ?
君には夢を追いかけてほしいけど、アリーはもう危険に飛び込んでゆく君を心配しながら、ひとり家で恐怖に震えて待ち続けるのは嫌なんだそうだ。
まぁ、当然だよね」
「嘘……だろ? なんだよそれ! それじゃ意味が無いじゃないかよ! クソッ!」
そう言って、ライモンドはベッドのマットレスに何度も拳を叩き込む。
やめてよね。 それ、うちの大事な備品なんだから。
「ダメなんだよそれじゃ! 俺は……俺はあいつの自慢の男になりたくて冒険者に戻ろうとしていたのに……
これじゃ意味がないんだよ!!」
「だから何?
その前に気づかなきゃならないことがあるでしょ。
ほんとうに馬鹿だね、君は」
涙を隠そうともしないライモンドの頭を、僕は肉球で優しくなでる。
気休めにもならないかもしれないけれど、気づいたらそうしていたんだ。
「ま、ギリギリ合格でいいんじやないか? ポォ」
「ほんと、ギリギリだねぇアロンソ。
大事なものって、失いかけたときにしか気づかないとはよく言うけど」
僕たちの会話に何か感じるところがあったのだろう。
ライモンドがベッドから起き上がり、僕の手を両手で握り締める。
「頼む! どうやったらアリーが戻ってきてくれるんだ!?
その願いがかなうなら、俺の腕なんて両方とも持っていって構わない!!」
「僕は君の腕になんかこれっぽっちも興味ないよ。
そんな事は、彼女が自分の手の中にいる間に言ってあげるべきだったね。
いや、もしかしたら今からでも間に合う可能性はあるかな?」
僕はわざとぼやかした言葉で彼が何をすべきかを教えてやる。
「理解したらとっとと彼女を追いかけるがいい。
ニコルソンに聞けばたぶん居場所を教えてくれるはずだ。
ま、奴も怒っていたからそう簡単には教えてくれないだろうけどな」
アロンソが皮肉交じりの台詞と共にダンジョンの外へと続く転移門を顎で示すと、ライモンドは転げるようにしてその中へと転がり込んだ。
「行っちゃったねぇ。 まぁ、僕は宝珠さえ回収できればそれでいいけど」
「そうだな。 後はあの男の努力しだいだが、結果は特に興味ない」
……というより、それを知ろうとするのは野暮だろう。
そんな事を考えていると、ルルーお姉さんがが再び占い札を捲りはじめた。
なに、また恋占い? もしかしてライモンドとアリーのかな。
その手さばきを、ちょっとだけ気になって覗き込む。
やがて示されたカードは……
「あら、また月ですわ」
「やだ、結局わかれちゃうの? あのふたり」
まぁ、あれだけこじれるとそうなるのが普通かもしれない。
でも、ちょっとだけ残念だ。
「そうとは限りませんよ、ポォさん。
たとえ不吉なカードでも、時には幸せな意味になることがあるんです」
そう言って、ルルーお姉さんは僕に月のカードを差し出した。
「ほら、ごらんなさい
三日月はやがて満月になる時が来るし、狼は愛し合いながら寄り添っているようにも見えるでしょう?
それに、壁に張り付いたザリガニは、実はずり落ちている途中かもしれない」
「うわ、ちょっと強引過ぎない?
でも、そういわれると本当にそんな感じに見えてきた」
何かのイメージなんて、ほんと移ろいやすいものである。
だから僕は占いなんかしないんだ。
でも……あの二人が本当に幸せになるのなら、少しだけ信じてもいいよ。
そんなボクに、ルルーお姉さんは優しく囁く。
「きっとうまく行きますよ」
なお、ニコラウスを通じて、男は冒険者を正式に引退してニコラウスの同僚となり、この二人が結婚することになったと伝えられたのは、それから一ヵ月後のことになる。
「ちなみにルルー。 俺とポォの恋占いを頼んでもいいか?」
「あら、それならば……」
「わーっ、わーっ、ルルーお姉さん、それはダメ!!」
いきなり怪しげな方向に流れ出した話を、僕は叫びながら必死で遮る。
その占いは、前にルルーお姉さんが勝手にやったことがあるのだ。
「なんだよ、隠すこと無いだろ?」
「そうですよ。 貴女とポォ先生の恋は……」
「うわーっ! うわーっ!」
その時、テーブルから一枚のカードが床に落ちた。
うわっ、なんでよりにもよってそのカード!?
僕は慌ててそれを踏みつけて隠す。
信じないよ! 占いの結果が『悪魔』だなんて!
誘惑に負ける暗示だなんて!
お願い、やめて!!
あぁ、ほんと、誰か助けて!
僕は……僕は本当に困っています。




