厄介な拾い物
僕の名前はポォ。
カシュナガルの森に住むバグベアだ。
バグベアというのは、大きくて毛むくじゃらな妖魔で……あまり認めたくないけど、見た目はクマに似ている。
でも、似ているのは見た目だけだから、ぜったいにクマとは言わないでよね。
人間たちからは、子供をさらって食べる魔物だって言われているけど、あれ、正直言っておいしくないんだよね。
僕は大嫌い。
他のバグベアたちはおいしいから食べてみろよって言われるけど、あの匂いが絶対に無理なんだよ。
で、お酒と一緒で食べないと人を変なバグベア扱い。
なんで自分の好きなモノは他人もぜったいに好きだって思っちゃうかな?
ほんと、失礼だよね。
なお、僕の家はそんなバグベアの中でも魔術を使った医者の家で、僕自身もその心得がある。
親からはどこかのダンジョンで治療師として働くように勧められたのだけれど、僕はダンジョンよりも静かな森の中で過ごすことが好きだった。
それに、ダンジョンだとしょっちゅう職場で手に入れた人間の肉を食べる習慣があるでしょ?
僕が人間嫌いだからって言って食べないと、付き合いが悪いっていわれて嫌われちゃうじゃない。
だから、そういう職場は嫌だったんだ。
それで遠くからこの森に引っ越してきたんだけど……控えめにいって最高だね。
ここは良い場所だよ。
薬草畑を作って、果樹を育てて、蜂を飼って好きなものを食べる。
薬を作って配達魔法でお客さんに届ければ、お金だって稼げちゃう!
そんなわけで、僕は今日も大切な畑の世話をするべく、草取り用のバケツと鎌をもって裏庭にやってきたのだが……
「なんだろう、今、なにか変な音がしなかったかな」
薬草畑の一角から、たしかにドサリと何か大きな袋を投げ落としたような音がした。
空耳にしてはかなり大きな音である。
たぶん、音がしたのはちょうどイチゴを育てている茂みの辺りからだ。
結界が張ってあるから野生動物が入り込むことは無いはずだし、連絡もないのに僕の家に勝手に押し入るような友人もいないはずだ。
――もしかして、泥棒だろうか?
恐る恐るイチゴ畑に近づくと、やがて落ちてきたものの姿が目に入る。
それは、日に焼けた肌と金色の長い髪を持つ……簡素な皮鎧に身を包んだ人間の女の子だった。
ちょっとまって! なんでこんなところに人間が?
いや、それよりも……
「あぁーーーーっ! 僕のイチゴが!?」
僕が丹精こめて作っていたイチゴ畑は、その女の子の体の下になってみんな潰れてしまっていた。
イチゴジャムが! イチゴタルトが! イチゴケーキがぁぁぁ!!
そろそろ収穫だから楽しみにしていたのに! ずっと楽しみにしていたのに!!
目の前がにじんでゆれたけれど、たぶんこれは涙じゃない。
たぶん、目にゴミがはいっただけだ。
はぁ、イチゴが台無しになったのは残念だけど、このままにしておくわけにはゆかない。
死んでいるのなら土に埋めて肥料にしないと。
ほっておいたらゾンビになってあたりの野菜かじったりするし、肉が腐ると変な臭いが出ちゃうしね。
けど……。
「……うっ」
「ん? まだ生きているのか」
少女の死体をどこに埋めようかと考えながら近づいた僕の耳に、僅かにうめき声が聞こえた。
どうやら彼女はまだ死んでいなかったようである。
どうしよう、なんか面倒なことになりそうだな。
けど、このまま見捨てるのも僕の主義にあわないんだよね。
僕は医者だし、食べるもの以外の命を奪わない、見捨てないってのが僕の信条だ。
「人間なんて拾っても面倒なことになるだけに決まっているけどなぁ」
僕は溜息をつきながら少女の容態を調べることにした。
まずは少女の体を持ち上げて芝生の上におろす。
彼女の服は真っ赤になっていて思わずギョッとしたが、よく見たらそれはほとんどが潰れたイチゴだった。
甘酸っぱい匂いがむせそうなほど強く香る。
――あぁ、僕のイチゴ。
つづいて少女の体を仰向けにし、呼吸がふさがらないように頭の位置を変える。
そして手のひらを少女の体の上に広げて魔力を放った。
返ってきた魔力の反応で、どこに異常があるかを調べるためである。
「ふぅん、全身の打撲と右足の骨折か。
内臓はほとんどダメージを受けてないし、ちゃんと治療をすれば全治一ヶ月って所かな」
思ったことを独り言にしてしまうのは、一人で暮らしているせいでできた癖だ。
みっともない癖だけど、直す気もないし、たぶんその必要も無い。
ふむ……結論から言うと、そこそこ大きな怪我だが、命に別状は無いだろう。
しかし、どこからこんな大きな生き物が迷い込んだのやら。
「とりあえずここに放置するわけにも行かないし、どっかに寝かさないとね」
……となると、入院患者用のベッドか。
幸い、僕の家には入院患者用のベッドが4つある。
家族の強い要望で、一応は医者として開業しているからだ。
もっとも、辺鄙な場所なので患者が来たことも無く、今まで使ったことは無いんだけどね。
まさか、初めての入院患者が人間だとは、おもっても見なかったよ。
「でも、こんなイチゴの汁だらけの状態でベッドに寝かせるわけにはゆかないよな」
僕は少女の服を剥ぎ取り、濡れたタオルで丁寧に清めることにした。
「うわぁ、毛が無い。 つるっつるでみっともないなぁ」
まぁ、拭きやすくていいけど、ヌットペリペッタリとして気持ちが悪い。
しかも顔や背中までハゲハゲじゃないか。
こんな体、恥ずかしくないのだろうか?
「うっ、うぅっ……」
あちこち痛むのか、先ほどから少女がうめき声を上げている。
しかたがない、鎮痛剤を使うか。 あまり使いたくないんだけどね。
ケシの花から作ったこの薬は痛みを取る力が強くてとても便利なのだけど、量の加減が難しく、魔術医の免許の無いものが使えばこれ無しでは生きられなくなるという、天使と悪魔の顔を持った代物である。
「悠久なるカシュナガルの森よ。 その力の欠片を我に与えたまえ。
願わくば、この少女の体にこの薬を祝福として血の中に与えたもう……」
足を流れる血の中に魔術を使って薬を混ぜると、少女の顔が見る見る和らいでゆく。
僕たちの使う魔術は、その土地の持つ力を分けてもらって使うものだが、森という場所は特に医療行為と相性がいい。
もっとも、使いすぎるとその土地がボロボロになるから乱用は禁物だ。
「さて、治癒の術をかける前に骨を固定しないとね」
骨折と言うのは意外と厄介で、変な形のまま放置すると骨が変な形にくっついてしまい、取り返しのつかない状況になってしまうのだ。
僕は森で拾ってきた大振りの枝を爪で削り、添え木をつくる。
そして魔術で探査をかけながら少女の折れた足を正常な位置に固定した。
かなり痛むはずだけど、麻酔がしっかり効いているせいか少女はうめき声一つ上げない。
「あとは傷の直りを早くする術でもかけておくか」
本当は一気に直してしまうことも出来るんだけど、それをやると生き物としての体のバランスが崩れてしまい、後遺症が長く残るのだ。
なので、必要がなければ自然治癒力をすこし加速させる程度にするのが魔術医としてのたしなみである。
ただ……自然治癒力に任せる方法にも問題があって、何度も傷の修復を繰り返すとその部分だけ老化したり疣になったりするので、それを防ぐ術式を作ることが僕の研究テーマの一つであった。
「さてと、血を作る食べ物がいるな。 今のうちに肉屋に連絡しておかなきゃね」
僕は薄い連絡帳を取り出すと、術話器でなじみの肉屋の会社に術話をつないだ。
「あ、ティレスミートホールディングさんですか?
いつもお世話になってます。 えぇ、カシュナガルのポォです。
肉の配送をお願いしたいんですけどー えぇ、豚のレバー1kgと鳥のモモ肉5kg。
お、牛ですか、いいですね! じゃあ、牛のヒレ肉も3kgほどよろしくお願いします」
よし、これで1時間もすれば肉屋が商品をとどけてくれるだろう。
ちなみに支払いは月末に一括で請求書が届くことになっている。
え……自分で鳥や魚を狩ったりしないのかって?
無茶言わないでよ、
これでも僕は街育ちのインテリなんだ。
肉が届くまで、料理のレシピ帳を見ながら何の料理を作ろうか考えていると、不意に甲高い少女の声が聞こえてきた。
「あれ? ここ、どこ?」
どうやらあの人間の少女が目を覚ましたらしい。
おっと、耳栓をしなきゃ!
そして彼女は、僕の姿を確認するなり……予想通り悲鳴を上げた。
「く、くまー!?」
「失礼な。 ボクはクマじゃない!」
ほんと、この知性あふれる僕を野生のクマと間違えるなんてどうかしているよ!
目を見ればわかるでしょ!!
「クマがしゃべった!?」
「だからクマじゃないって言ってるだろ。 ボクはバグベアだ」
「バグベア!? ……いたっ!!」
逃げようとするが、麻酔と足が折れているせいで上手く動くことができず、彼女はベッドから転がり落ちた。
助け起こそうと近づけば、そのまましりもちをついた状態であとずさり。
うん、完全に怖がられている。
「ひっ、た、食べられちゃう!?」
「そんなわけないでしょ。 人間なんて不味くて食えたもんじゃないよ」
個人的には鶏肉が好きかな。
ちなみにハチミツと蜂の子はもっと大好きだ!
「わ、私をどうするつもりなの! ま、まさか奴隷として売り飛ばす気!?」
「どうもする気はないよ。 奴隷にする気なら、鎖でグルグル薪にしておかないと逃げちゃうでしょ。
どうこうするつもりなら、寝ている間にいろいろとやるし」
そのぐらいすぐに理解しなよ。
この程度のことにも気付かないだなんて、君の知性を疑うね。
「そ、それもそうか。 でも、なんで私を助けるの!」
「医者だからね。 生きるため以外に命を損なうのは主義にあわないんだ。
ここに患者としている限り死なせないよ。 でも、体が治ったら早く帰ってよね!」
「……医者? 魔物なのに?」
なに、その意外そうな口ぶり。
「魔物じゃなくて魔族! なに、その魔族には医者なんているはず無いだろって顔」
「ごめん、魔族に医者がいるなんて思ってもみなかった」
「ほんと失礼だね、君」
僕たちからすると、人間のほうがよほど野蛮な生き物だって知ってる?
たぶん、お互い様だろうけどね。
「あ、私メルティア」
「ポォだよ」
「それで、ここ、どこ?」
「カシュナガルの森」
「それ、どこ?」
まぁ、魔族の国の中でもものすごい田舎だし、人間だと名前すら知っているはずもないよね。
「魔王城から東に1000キロほど離れた場所だよ」
「えぇぇ!? そんなのどうやって帰ればいのよ!!」
「いや、普通に帰還魔術使えばいいでしょ。 使えなければ僕が使って君を送り届けるし」
帰還魔術とは、距離があるとそこそこお金がかかるけど、いったことのある場所ならば一瞬で移動できるという運送用の魔術の一つである。
もしかしたら、人間の社会では使われていない魔術なのかな?
だとしたら、なんて不便な社会なんだろう。
「そ、そっか……わたし、帰れるんだ」
目に見えてホッとしているようだが、話はまだ終わっていない。
「そもそも、なんでいきなり僕の庭に落ちてきたのさ。
おかげで、収穫直前だったイチゴが台無しだよ!」
楽しみにしていた僕のオヤツ計画、どうしてくれるのさ。
「あー ごめん。 任務にかかわる部分だから、人に話せないように制約の呪いうけているのよね」
「制約の呪い? ……人間って、魔族よりもえげつない魔術使うんだな」
「うん、そうね。 もしかしたらそうかもしれない」
僕の嫌味交じりの言葉を彼女は否定しなかった。
その時、どこからともなくグーっと低い音が鳴り響く。
その音の源は、メルティナだった。
「……おなら?」
「おなかがすいた音よ!」
なるほど、人間はおなかが空くとこんな音を立てるのか。
魔族の友人だと、もっと地鳴りのようなゴゴゴッて音がするんだけどね。
「そっか、何か食べる? 昨日の残りしかないけど」
「なにがあるの?」
「アイスバイン」
「食べる!」
僕がメニューを告げると、メルティアは即座に飛びついた。
人間が相手とはいえ、こうも素直に喜ばれるとちょっとうれしい。
ちなみに、アイスバインとは豚肉のスネ肉の煮込んだ料理だ。
ハーブと塩で一週間ほど漬けた豚肉のスネ肉を、さらに三時間ほどかけて柔らかく煮込んだ代物で、骨をよけて大きく切り取ったら、それをさらに薄く切り分けて集めのハムのように盛り付ける。
ここで大事なのは火加減で、生煮えだと寄生虫が恐ろしく、煮込みすぎるとパサパサになるので要注意だ。
ちなみに、うまく出来上がると、アイスバインは濃い目のきれいなピンク色に仕上がる。
ここに庭のハーブとナッツをすりつぶしてつくった淡い緑のソースを垂らすと、色合い的にも非常に美しい。
あとはトマトやジャガイモを煮込んだ温野菜のサラダを添え、アイスバインを作るときに出来たスープでリゾットを作れば僕の大好きなアイスバインのセットが完成する。
今日は女の子の客がいるので、トマトの皮をむいて作った赤い薔薇をサラダに添えた。
「うわぁ、なんか高いお店の料理みたい!」
「それなりにがんばったからね。 お酒はいけるほう?」
「もちろん! どこのお酒?」
「地ワインの白だよ。 この森で育てた豚だから、この森でとれた葡萄のワインが一番あうんだ」
自分ひとりならばビールと合わせるメニューだが、さすがに面識の薄い女性を相手にそれはちょっとね。
僕は地元の白ワインの中でも、やや辛口ですっきりした味わいのものを選んで栓を抜いた。
なにせアイスバインじたいが脂っこい代物だから、口の中がすっきりするような飲み物が合うのである。
若いワインなので軽くデキャンタにかけてワインの香りをひき出し、自分とメルティナの分のグラスにまだ淡いグリーンのかかった色のワインを注ぐと、彼女は待ちきれないとばかりに食事前の祈りを捧げ、さっそくワインを一口。
すると、メルティナは目をキラキラさせながらワインを一気に飲み干した。
「おいしい! 魔族って、こんなおいしいものを飲んでるの?」
おいおい、ペース速いよ。
あと、怪我しているんだからあんまり飲んじゃダメなんだからね。
「さぁね。 魔族にもいろんな奴がいるから一般的にそうだとは限らないよ。
人間と違って体のつくりが違う奴も多いから、味の好みもさまざまなんだ」
魔族の味の好みって奴は本当に難しくて、果実しか食べない種族や腐肉を好む種族、はては生肉じゃないと体を壊すとか、辛い味付けがぜんぜんダメだからスパイス類がNGという種族もいたりするので、その種族専門の店があるほどだ。
「でも、僕の味覚は人間のそれに近いって言われるね」
幸いなことに、僕たちバグベアーは雑食である。
よほど特殊なものじゃないかぎり、どこの料理屋に行っても大丈夫だ。
「さてと、僕も初めて飲む銘柄のワインだけど、味はどうかな……」
味うるさい友人のお勧めだから不味くはないはずだけど。
そうつぶやいてからワインに口をつけ、僕はその香の強い酒を舌の上で転がして楽しむ。
うん、若いから果実の香りが強いね。
単体で飲むにはちょっと個性が強すぎるけど、こんな脂っこい料理に合わせるならむしろ悪くない。
でも、熟成にはあまりむかないだろう……たぶん3年ぐらいの早めの時期に飲みつくしてしまったほうがいいタイプだな。
たしか、まだ若いゴブリンが一人でやっている酒蔵だっけ。
こんど、感想を手紙で出しておこう。
「んんんんん! こっちのお肉もおいしい!
なんていうか、自然な甘みがあって、臭みも無くて、お肉の幸せな部分だけを取り出したようなかんじ?
脂の味はしっかりしているのにぜんぜんしつこくないし、匂いがすっきりしてる!
これ、何のハーブ使ってるの?」
僕がワインを楽しんでいると、メルティナはすでにアイスバインに取り掛かったようである。
なかなかよく食べるね、君。
「ハーブはタイムとローズマリーがメインかな。
すっきりした香りなのは、煮込むときにジュニパーベリーを入れたからだね。
あと、豚のほうもこの地方の伝統に従い、この森で取れたドングリだけを餌にして育てているやつだから一味違うんだよ」
どうやらアイスバインのほうも口にあったようでなによりだ。
そして食事も終盤にかかりはじめたころ……
玄関から呼び鈴がなった。
いったい誰だろう?
「おい、ポォ! いるんだろ? 入るぞ!!」
「うわっ、アロンソ!? ちょっとまって! 今行くから!!」
って、まずい! 肉屋に注文いれたの忘れていた。
「メルティナ、ごめん。
来客がきたから、念のためにベッドの下に隠れていてくれる?」
「なんで?」
「肉屋が来たんだ。 ちなみに、肉の仕入れも自分でやるようなめちゃくちゃ強いやつで、自分の店で人間の肉も扱っている」
その瞬間、メルティナはものすごい勢いでベッドの下に潜り込む。
うわ、足折れてるんだからあんまり無茶しないで!!
そして彼女が完全に隠れたことを確認すると、僕は急いで玄関へと向かった。
あいつ、わりと気が短いから怒っているだろうなぁ。
「やぁ、アロンソ。 早かったじゃないか」
「お前は出てくるのがおせーよ。 なんだ? 食事中だったのか?」
「ま、まぁ、そんな所」
玄関に行くと、数少ない僕の友人がいらだたしげに地面を蹄で掻いて待っていた。
彼はアロンソ。 なじみの肉屋の若店主で、屈強な体をもつミノタウロスである。
凄腕の狩人で、昔は魔王陛下の近衛騎士だったという経歴の持ち主だ。
「なんだお前? 体から人間のメスの匂いがするぞ?」
アロンソは、いきなり顔を近づけてきたと思うと、僕の腕や胸にあたりをクンクンと嗅いで不機嫌そうに顔をしかめる。
「やだなぁ、僕が人間の肉が嫌いなのは君も知っているじゃないか」
「じゃあ、お前は俺が人間の匂いを間違えると思うか?」
そう言うと、彼は僕の体を押しのけて強引に家の中に入り込んだ。
ま、まずい! ごまかしきれなかった!!
「うわっ、ちょっと待って! アロンソ!」
「お前はアホみたいに人がいいからなぁ。
どうせどっかで傷ついた人間のメスでも拾ってかくまってるんだろ」
まさに図星である。
的確すぎて返す言葉もございません。
……というより、なんでそんなに鋭いんだよ、アロンソ!
街のお嬢さんたちからは、さんざん鈍感男って言われていたのに!!
「小鳥じゃねぇんだぞ? 寝首を掻かれたりしたらどうするんだよ!」
「言っていることはごもっともだけど、強引に踏み込むのはやめてほんと、お願い!!」
だが、アロンソはメルティナの匂いを頼りにどんどん奥に入ってゆく。
ほどなくして彼は病室の扉を容赦なく開き、そこに残されていた食事が二人分であることを見て鼻を鳴らした。
「お前、拾った人間のメスに手料理まで食わせていたのか!? どこまで人がいいんだ、この脳味噌お花畑!!」
「その言い方、なにげにひどくない!?」
僕の非難にはまったく耳を貸さず、アロンゾはまっすぐにメルティナの隠れたベッドに近寄る。
ま、まずい! 逃げてメルティナ!!
「おら、そこだ! 見つけたぞ!!」
アロンソは勇ましい声と共に、メルティナの隠れたベッドをいきなり蹴り上げた。
最後の砦を失い、メルティナの姿があらわになる。
万事休すか!?
「い、いやあぁっ!!」
隠れている場所を失ったメルティナは、いつの間にか食卓からくすねていたナイフでアロンソに切りかかる。
だが、馬鹿みたいに喧嘩慣れしているアロンソに足の不自由さを抱えたままの攻撃が通じるはずも無く、逆に彼女はアロンソの太い腕に囚われて身動きができなくされてしまった。
「は、はなして! はなしなさいよっ!」
「ふぅん、美味そうなガキじゃねぇか。 おい、いくらで売る?」
皮肉げに鼻を鳴らしながら、アロンソはメルティナを品定めしつつ僕に嫌な質問を投げつけてきた。
「手を離してくれ、アロンソ。 彼女は売り物じゃない。 僕の患者だ」
「その認識が甘いってんだよ、ポォ。
人間ってのはな、いつ裏切るかわからない生き物なんだぞ」
そう、それが魔族社会における人間という生き物の評価である。
けど……全部がそうじゃないはずだろう?
「そ、そんなことしないもん!」
「ほほう? じゃあ、どうやってそれを証明するんだ?
お前が逆の立場だったら信じるのか?」
「それは……」
自らの潔白を主張するメルティナだが、この質問には返す言葉がないらしい。
「やめてよ、アロンソ! ここは癒すところであって、傷つけあうところじゃない!!」
だが、彼はその大きな手で僕の動きを遮ると、メルティナを地面に突き倒してからこう告げた。
「じゃあ、こうしよう。 そこのメスガキ。 お前の両腕をよこせ。
そうしたらお前の言葉が真実であると信じてやろう」
「……え?」
なんて野蛮なことを!?
「選べよ。 このまま俺に殺されて肉として売られるか、それとも自らの潔癖を示すために両腕を差し出すか」
そして彼は、転移魔術で愛用の斧を手の中に呼んだ。
今まで何人もの人間側の英雄の首を跳ねたという、いわくつきの巨大な斧だ。
「アロンソ、いい加減にしてくれ!」
僕はメルティナをすばやく抱え起こすと、彼女を背中の後ろにかくまった。
そんな僕に向かって、アロンソは低く押し殺した声で僕の知らないことを口にする。
「ポォ、この女は暗殺者だ。
……昨夜、魔王の城に侵入者があって、撃退はできたらしいが取り逃がしたらしい」
僕の背中で、メルティナの体がビクンと跳ねた。
「占い師共は、賊が転移系の術で東に逃げたと言っている。
どうやってここまで逃げてきたのかはしらないが、人間の女がこんなところにいる理由がほかに考え付かない」
な……魔王城でそんな事が?
さすが元近衛騎士だけあって、アロンソはこの手の情報に詳しく、森にいる誰よりも耳が早い。
そしてメルティナには彼の言葉を裏付ける証拠があった。
「彼女の血液に妙な薬品が混じっているのは知っている。
けど……それでも彼女は僕の患者だ」
たとえ魔王様の命を狙った暗殺者だとしても、それだけは曲げることはできない。
たとえ、罪に問われようとも、医者としてのあり方は曲げられないのだ。
「もういいよ、ポォ」
だが、メルティナはそういうと、僕の背中を後ろから抱きしめる。
そして、止めるまもなく前に出た。
「私を殺しなさい、そこのミノタウロス。
あとね、両腕を落とした程度で仕事ができなくなるほど、暗殺者っていうのは可愛い生き物じゃないわよ」
そして彼女は悲しそうな顔で僕を振り返った。
「ごめんね、ポォ。 その男の言うとおりなの。
私は、たしかに魔王の命を狙って城に忍び込んだ暗殺者よ。
しかも、暗殺をしくじって、挙句の果てに転移系の罠を誤作動させてこんなところまで飛ばされたマヌケが私よ」
やめてよ、そんな言葉……聞きたくない。
「ポォ、お願いがあるんだけど、聞いてくれる?」
「……聞くだけなら」
いやだとも言えず、僕は彼女の言葉に耳を傾ける。
「もしも私が死んだら、私の体を貴方が食べてくれる?」
「どうしてそんなことを?」
「きっと……貴方が優しかったから。
いままで生きてきて、下心もなしに優しくしてくれたのは、貴方だけよ。
たぶん、人間だったら惚れていたかも」
死を目の前にしたとは思えないほど朗らかな笑顔でそう告げると、メルティナはアロンソの前に立って静かに目を閉じた。
斧を握り締めるアロンソの眉間に、深いしわが刻まれ、日に焼けた肌には汗が浮かぶ。
「それでいいんだな、やるぞ」
震える声でそう告げると、アロンゾは斧を振り上げる。
「ちょっとまって!」
ダメだ、こんなこと許しちゃおけない!
僕は慌ててアロンソの腕にすがりついた。
そしてメルティナにむかって、乏しい僕の威厳のあらん限りをこめて告げる。
「一つだけ訂正させてくれないか」
「何を?」
「こんなの間違っている。
惚れた相手に食われたいとかそんなの間違っている!
でも、それ以前に……」
そして僕は、彼女が重大な勘違いをしていることを教えた。
「僕……女なんだけど?」
「……え?」
その瞬間、メルティナはこの世の終わりのような顔になる。
つづいて、ドス黒いオーラが彼女の全身からほとばしった。
「返して……」
うつろな声で彼女はつぶやく。
「返してよ、あたしの初恋!!」
「いや、無理! そもそも、見れば女だってわかるでしょ! 男のバグベアと違って鬣もないし!」
「そんなの私が知るわけないでしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
見れば、アロンソはついに我慢しきれず床に倒れたまま腹を抱えて笑い転げてた。
おーまーえーはー!
さっきからずっと笑いをこらえるためにわざと怖い顔していたの知っているんだからな!
後で蹴り飛ばしてやる!
だが、もはやメルティナを殺すという雰囲気ではなくなった。
かくして僕は一つの命を救うことが出来たのだが……その代償はあまりにも大きかったといっておこう。
そして二ヵ月後。
「あの人間のメス、元気にやっているかねぇ」
「さぁね。 退院した後まで気にかけるほど、僕は暇じゃないよ」
向かいの席に座って自分で持ってきたビーフジャーキーをかじるアロンゾに、僕はわざとそっけない返事を返す。
いずれにせよ、僕の医者としての役目は終わった。
この先、どうやって生きてゆくかはメルティナしだいだ。
「まぁ、大きな仕事にしくじった以上、暗殺者としての仕事を続けるわけにはいかんだろ。
まじめに働いているといいんだがな」
「それこそ僕の知ったことじゃないね。
彼女は人間社会、僕は魔族の社会すらも離れて森で隠遁生活。
接点なんて、もともとどこにも無かったんだから二度と会うこともないだろうさ」
そう、それが一番幸せなんだ。
だいたい、人間がこんなところに来たところで、面倒なことにしかならないんだし。
そもそも、そのフォローを一体誰がすると思ってるんだ。
だが、僕はまだ知らなかった。
一週間後、再びこの家にメルティナが現れることを。
僕が使った帰還の魔術を彼女が見ただけで覚えてしまい、それを使って頻繁に遊びに来るようになってしまう未来を。
しかも、僕に向かって「ポォさんもアロンソさんも独身ですよね? 結婚しないんですか?」とか、アロンソがいるタイミングで言い出すとか!
アロンソもアロンソで、妙にソワソワした顔で僕を見るし!
やめて、お願い! アロンソとはそういう関係じゃないから!
アロンソのことはハンサムだし二人の時は普段より優しいし素敵な男性だと思うけど、僕に恋愛とかまだ早いから!
あぁ、ほんと、誰か助けて!
僕は……僕は本当に困っています。