第二話
「王子、おはよ!」
「おはよう」
「王子さま! おはようございます!!」
「(王子様?)おはよ」
挨拶をきっちり交わす校風なのか、この月紫台高校では挨拶が盛んだ。
今日も朝から元気な声を掛けてくれる。
わざわざ俺を取り囲んでまでしてくれる必要はないのだが、毎日のことなので言わずにいる。
挨拶も元気なことも悪いことではないし。
そんなことより――。
ああ、俺はまたやってしまった……。
適当に挨拶を返しながら、教室に向かう俺の頭の中は後悔で埋め尽くされていた。
今日は、今日こそは!
今日こそはっ!!
藤川さんに……愛しの藤川さんに挨拶するつもりだったのに!!
な・ん・で『おはよう』の一言が言えないんだ、俺はっ!!
折角藤川さんから声を掛けてくれたのに無視をする結果になった。最低だ。
俺、死ねばいいのに。
あ、駄目だ、死んだら藤川さんに挨拶出来ない!
そんなの嫌だ、死にたくない。
「おい司、聞いてんのか?」
「おう」
隣を歩く幼馴染みの草加大翔が、昨日の音楽番組の話をしている。
大体耳には入っている。
でも頭には入らない。
それどころじゃないからな、俺は!
ああ、藤川一花さん……今日も小さくて、あのぼんやりした感じがたまらないです。
セミロングの真っ黒な黒髪に白い肌。
猫よりも子犬のような丸くてつぶらな瞳を見ると撫で回したい衝動に駆られてしまう。
……仲良くなりたい。
よし、さっき言えなかった『おはよう』をリベンジするシミュレーションをしよう。
脳内俺会議開催だ。
『環境はいいんだからさ、余裕だろ?』
俺Aが言う通り藤川さんと俺は同じクラスで、しかも席が隣という最高の環境だ。
話し掛け安さの難易度はEASYだろう。
『横向いて言えばいいんだよ、おはようって。それだけじゃないか』
『馬鹿野郎……それが難しいんじゃないか! 出来るものならとっくにやっているだろ!!』
『くっ……』
俺Bが声を荒げるのも無理はない。
それが出来るのなら、さっき昇降口で出来ていたわけで……。
『理由がないと喋れないから、こうやって会議しているんだろうが』
『ああ……そうだったな。悪い、俺』
用事もないのに話し掛けるとか無理だ。
何を話せばいいんだ?
『おはよう』と声を掛けたところで、次に何を言ったらいいのか分からない。
何も言わなくていい?
折角挨拶出来たのに、何も言わなかったら勿体無いじゃないか!!
『思い切って……告白するか?』
『!!?』
いやいやいやいや、それは無理だ。
というか……『おはよう。好きです』
「……」
うん、普段話さないのに挨拶直後に告白とか、完全に頭がおかしい人だ。
そんな俺になったら、俺は俺に病院を勧める。
勇気を持って自ら「もう自分では手に負えない」と判断しよう。
「CD買ったんだ。司も聞くよな?」
「うん」
「じゃあ、明日持ってくる」
「ありがとう」
ごめん大翔。
正直今はCDとかどうでもいいわ、借りるけど。
でも音楽より、藤川さんの声が聞きたい。
今、藤川さんは後ろを歩いて来ているはず。
振り返ったらいるだろうか。
もし後ろにいて……目が合ったら告白しよう。そうしよう。
後ろに藤川さんの気配を感じる。
俺には分かる!
……ドキドキするな。
恐る恐る振り返ると…………いたっ! 可愛い!!
……うおっ。
前を向き、早くなった鼓動を鎮めるためにこっそりと息を吐いた。
危ない……目が合うところだった。
告白とか無理だわ、無理ゲーだったわ。
……っていうか、何あれ。
藤川さん、寝癖あった!
柔らかそうな黒髪が『ぴょこ』って跳ねていた!!
……可愛い……息が止まる……俺を殺す気か。
小鳥みたいだった!
止まって、俺の肩に!
舞い降りて、飛び込んで、俺の胸に!
連れて帰りたい!!
「一時間目から移動だって。ダルいなあ」
「そうだな」
俺会議は纏まっていないが、気がつけば教室まで辿り着いてしまっていて、大翔は自分の席につくために離れていった。
俺も突っ立っているわけにもいかない。
自分の席へと向かった。
もうすぐ藤川さんも来るだろう。
大翔の席は離れているから今は誰とも話さず、決戦の時に備えられる。
藤川さんが席に到着したその時! そこで言うのだ!
『おはよう』と。
椅子に腰を下ろし、鞄を片しながらも気合を入れた。
「王子。午後の数学、小テストあるってさ」
おはようの『お』を言い出すシミュレーションを始めたところで、前の席の奴が話し掛けてきた。
やめて。
俺今超忙しい。
「へえ、そうなんだ」
「お? さすが、余裕な感じ?」
「まあ……大体出そうなところは予想がつくから」
「マジ!? どこどこ、教えて!」
「多分ここと……あと、ここかな」
――カタン
小さな音がした、横を見る。
藤川さんが座っていた。
はい、終了。
「……もういいや」
なんでなんだよ……タイミング逃すとか……神はいないのかよ……。
一瞬で希望を打ち砕くなんてあんまりだろう。
俺の気合返せよ……。
「王子!? ちょ、面倒くさがらずに教えてくれよー」
「後は自分で考えて」
ちらりと横に目をやる。
ああ、藤川さん……やっぱその寝癖、超可愛いです……。
「……ぴょこ」
あの寝癖、触りたいな。
発芽玄米にも見える。
食べたい、食べさせて。
彼シャツ……つーか俺のシャツ着て横に寝ていた藤川さんが起きたらあんな寝癖あって……あ、この妄想駄目だ。
教室でするには危険な妄想だった。
家に帰ってからで。
大事にお取り置きしておきます。
外の景色でも見て落ち着くか。
とりあえず、今日も藤川さんは可愛いです。