第一話
登校してきたばかりの生徒達が雪崩れ込んでくる昇降口。
話し声や足音、自転車の音などが混ざり、騒々しい空間です。
私は生徒の波に紛れ、誰と挨拶を交わすことも無くただ靴を履き替えるという作業を淡々と終わらせました。
「王子、おはよう!」
賑やかな前方に目を向けると、大勢の女子生徒が一人の男子生徒を取り囲んでいました。
中心にいる彼は四方八方から飛んでくる朝の挨拶の全てに、凜とした様子で対応しています。
「おはよう」
彼のその短い一言で、女生徒達の頬には朱がさしていく――。
彼の名前は藤王司。
私が通うこの月紫台高校で『王子様』と呼ばれている人気者です。
『王』と『司』を合わせて『王司』、そこから『王子』に変換されてあだ名となったようですが、理由はそれだけではありません。
輝く黄金の髪に空を写したような青い瞳。
背はスラッと高く立ち振る舞いもスマート。
容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能。
おまけに口数は少ないけれど、さり気ない優しさと気配り上手なところが女子の心をかっ攫っていく。
誰がどう見てもイケメン、まさに『王子』です。
彼が凄いのは女子からちやほやされているというのに、男子からも顰蹙を買っていないところです。
皆から愛されている、そんな人が…………何故か私にだけ冷たい。
「お、おはよ……ございます」
「……」
女子達が捌けた後、目が合ったので勇気を出して挨拶をしたけれど返事はありません。
基本、私が話し掛けても返事がくることは稀です。
……理由は分かりません。
私と彼の関係をいうならば『ただのクラスメイト』。
それ以上のことは全くなく、同じクラスなのにまともに会話を交わしたこともないくらいなのです。
誰に対しても分け隔て無く好感の持てる対応する彼がこんな態度をとるのだから、私は知らぬ間に国に罰されてもおかしくないような大罪を犯したに違いありません。
でも、身に覚えがないのです。
本当にないのです。
私と言えば人の目を引く有名人の彼とは違い、ごく普通のぼっちです。
……うん、はい……ぼっちです。
クラス替えのせいで友人と離れたとか、そんな素敵な理由ではありません。
単純に友達がいないのです。
ああ、自分で言っても心を抉られます。
コミュ障、というやつです。
人の顔色ばかり気にする私は、人に話し掛けることがとても恐ろしい。
それでも今までは空気に溶け込み、存在を消し、いじめに遭うことはありませんでした。
だって、空気だから。
空気をいじめることは出来ないから。
見えないんだもの。
でも、最近は雲行きが怪しいです。
空気だったはずの私に色がついてしまったから。
『あの王子君に冷たくされている奴』という、人の目に触れてしまう色が。
ああ……どうしよう……透明に戻りたい。
校内用の上履きに履き替え、少し先を行く王子君の背中を見ました。
スラッと背が高く、後ろから見ても格好良いと思います。
近くにいる女子の殆どが頬を朱色に染めながら、彼を目で追っています。
私も見てしまう。
でもそれは、彼女達のように『彼を見たいから』ではありません。
なるべく避けたいから、近づかないようにしたいから。
「!」
突然振り返えった王子君と目が合いそうになりました。
思わず悲鳴を上げそうになりましたが、何とか飲み込みました。
見ていたのがバレたら、きっと嫌な気分にさせてしまう。
慌てて顔を逸らしました。
「……」
……もう、大丈夫?
まだ振り返っていたらどうしようかと思いながら視線を戻すと、彼の姿は消えていました。
視線を逸らしている間ゆっくり歩いていたので、距離が空いてしまったようです。
「ちっ」
後ろから舌打ちが聞こえてきた。
「す、すみませんっ」
急に歩くのが遅くなったので、後ろを歩いていた男子生徒の邪魔になってしまったようです。
責めるような視線から逃げるように、そそくさと教室を目指しました。
――二年A組。
見慣れた室名札の下にある扉を開きました。
教室を見渡すと、吸い寄せられるように輝く金色に目がいきました。
王子君の髪は、窓から入る優しい朝の光の中で強い輝きを放っていました。
世界の王の様な輝き、彼のために世界は回っているんじゃないかな、なんてことを思いながらゆっくりと教室に足を踏み入れます。
王子君は既に着席していて、前の席の男子と話をしていました。
邪魔にならないように、彼の視界に入らないように気配を消しながらそっと自分の席――彼の隣の席につきました。
無事に席についた……と安堵しながら腰を下ろした直後、王子君が私に気が付いたようでちらりとこちらを見ました。
「……もういいや」
「……っ」
何を話していたか分からないけれど王子君はつまらなさそうな表情になり、前の席の男子との会話をやめて深い溜息をつきました。
その瞬間、私は息を呑みました。
私が隣に座ったから、嫌な気分になったのかも。
ごめんなさい……。
「……ぴょこ」
?
王子君は何か呟いたかと思うと、机に肘をついて窓の外を眺め始めました。
黄昏れているように見えますが、その姿も様になっています。
開けられた窓から心地よい風が入ると、彼のサラサラの金の髪がふんわりと揺れました。
その眩しい光景に、近くにいる女子生徒も見惚れているようです。
私はというと黄昏の原因が『私の行動が不快だったから』じゃないかと、気が気ではないのですが……。
……王子君って、よく分からない。
私にとっては別世界の人だから、関わることはないけれど。
嫌われている理由だけは教えて欲しいな……。