~リアクション芸は奥が深すぎてツライ【後編】~
――最近の『彼女』が変だ。
突飛な言動でミラを飽きさせないことはいつものことながら。
ここ最近はそれに輪をかけて……何というかヒドイ。
――例えば。
床に(あらかじめ)置いてあったバナナの皮を踏んで滑って転んで見せたり。
朝の散歩中に池を覗き込む仕草をする彼女が、自分に向かって「押すなよ!絶対に押すなよ!」と言うから「当たり前でしょう」と返したら何故か「何で押さないんだ!」と憤慨されたり……。
……おかしい。やはりどこかおかしい。
どこかというより全部おかしい。
このところ彼女の一挙一動は以前に増して意味不明なものになっている。
広げた交換日記のページにため息を落とす。さっきから空白のままのページだ。
この日記で話題に出して聞いてみようか?
迷っていた。
どうしよう。実害がないといえばないのだが。
――実態のない恐怖みたいなものが、ある。
**************
私は本日の替えの下着を見てまた唸る。
最近アイサの中で紐パンブームだったのか知らんが、紐パンが支給される日々が続いた。
しかし本日の下着は……紐部分がチェーンになっていた。そして両側の鎖に小さなハートの南京錠がぶら下がっている。また南京錠かよ!ほんとアイサ好きだな、南京錠。
横に説明書きが置かれてました。どうやらこの下着は『愛の鎖』というらしい。はぁ、ご丁寧にどうも。
しかしだな……すこぶる寝にくい。
自由に寝返りを打てず、横向きで寝ることも許されず。
私は仰向けになり真っすぐ天蓋を見つめながら決意した。
――そうだアイサに理由を尋ねよう、と。
****************
翌日。
午後の休憩にとお茶を淹れてくれるアイサの後ろ姿を、私は所在なく見つめる。
やはり、普段通りの彼女だ。
昨晩用意され、そして今は私に履かれている『愛の鎖』の事など何もなかったかのように振る舞っている。
小さな砂時計の砂が全て落ちて。
アイサがトポトポとカップにお茶を注いでくれた。
いつもと違う、言ってみればオリエンタルな香りだ。
こんな香りのお茶をこの国で嗅いだことがない。
アイサは鼻をひくつかせている私に軽く頷いた。
「良い香りでしょう、オリヴィア様。以前ミラ殿下が外国の大使様から記念に頂いた茶葉なんですよ。外国の茶葉なんてどんなお味なんでしょうとちょっと心配になってしまいましたけど。中々どうして。珍で、でも良い香りがしますね。殿下のおっしゃっていた通りです」
アイサは上機嫌に「思い切って茶葉を変えてみて正解でした」と。
その良い香りの紅茶をそっと一口、口に含む。
確かに良い香りだし、美味しい。
紅茶というよりか味は前世で言う中国茶に近しいものを感じた。スッキリとした喉越しだ。
しかし。
私は一口飲んだお茶を、カチャリとソーサーに置く。
そんな私の様子にアイサは心配そうな顔になっていた。
「オリヴィア様……お口に合いませんでしたか?やはり茶葉を変えない方が宜しいでしょうか?」
以前の茶葉に戻そうかと提案する彼女に私はゆっくり首を横に振る。
「いや、違うんだ。……アイサ、思い切って変えたのは何も茶葉だけじゃないだろう?」
キリッッと表情を引き締めてアイサを見つめた。
うん。いつツッコミ……もとい話を切り出そうかと考えあぐねていたが。
唐突に流れが来ているように感じたので思い切って話を切り出すことにした。
『笑い』も『気まずい話題』も。その一瞬の空気を読まなければならないだろう。
タイミングが大事だよな。間違えてはならない。
問われたアイサは、虚をつかれたような困惑した様子で。
「え?他に変えたもの……ですか?」
「そう」
「変えたもの……ああ、そうでした!オリヴィア様の髪につける香油を椿に変えてみました。指通りがやはり違いましたね」
彼女はうっとりと私のストロベリーベージュの髪を見つめる。
この国に来てから毎朝アイサに丁寧に櫛付けられているお陰か。確かに枝毛も髪のパサつきも気にならなくなった。それどころか毛先までトゥルントゥルンなめらか指通りを現在絶賛実感中だったりする。
この分だと天使の輪もぺかーっとできていることだろう。
「髪は女の命ですものね。流石のオリヴィア様も気づかれていたんですね」
アイサはちょっと見直したように私に笑顔を向けた。
……『流石の』って何だろう。
何だか引っかかる物言いであったが。うん、ルンルン状態の今のアイサに深くは追及しないさ。
大事の前の小事である。こんなことは。
「そ、そうだな。うん……いやいやアイサ。髪のオイル以外に、ホラ、もっと斬新なまでに様変わりした物があるだろう?」
「他にですか?……ああ、枕元のポプリの事でしょうか?ローズの香りから安眠効果の高いラベンダーに変えてみたんですけど。お気に召されましたか?」
「ポプリ……?へぇぇ~、安眠効果かぁ~。どうりでどうりで!……ははは……は…」
ポプリ……だと?置いてあること自体、全く気付かなかったぞ。
ポプリなくても眠れるからな、私。あまり気にしたことがなかったが。
そうか、そんな女子っぽいモノが枕元に置いてあるんだな。初めて知った。今晩意識して嗅いでみよう。
私が密かに心を決めたのに対し、アイサはニコニコと微笑みを作ってこちらを見ている。
「オリヴィア様がお好きな香りがありましたら、そちらに作り替えますよ」
「あ、うん。ありがとぉ……」
……何というか。
この汚れのない笑顔は、パンツの話題から真逆にある存在だ。
そんな笑顔を見て、悟った。
何かもう、どうでも良いな。
この笑顔を守る為ならパンツの1枚2枚、どんなモノだって履いてやろうじゃないか……。
私がちょっと遠い目をしていると。
「あの、オリヴィア様……」
アイサがおずおずと私に話しかけて来た。
両手を背中に。何かを隠しながら。
「ん?なに??」
「こ、これをオリヴィア様に着ていただければと思って」
「? 着る?」
さっと目の前に差し出された紙袋を訝し気に受け取り、中をガサゴソと漁る。
取り出したものを目の前でペロンと広げてみせると。
そこには――。
「め、メイド服……!」
まず目に飛び込んで来たのは鮮やかなショッキングピンク。
エプロンは黒。どこもかしこもびらびらのレースで装飾されていた。ペチコートが何段にも重なっていてスカート部分はふんわりしたシルエットだ。
エプロンのポケット部分はハートの形になっていてラブリーさを演出しているのだろうけれど。
しかし。
胸下切り替えで胸が強調されるようなデザインと相成り、この色の組み合わせが何ともいかがわしい。
『カワイイ』の上に『エロ』がつくな、これは。
いつも着ているワンピース位の膝丈の長さなのがせめてもの救いだ。ミニじゃなくて良かった…。
しかしアイサが着ているような清楚なメイド服とはこれまた真逆に位置する一着である。
あと付属のメイドカチューシャにネコ耳ついてますけど。チョーカーにもデカい鈴ついてますけど。
これは完全蛇足なのでは。
「ど、どうしてこれを私に……?」
これは切実に問いただしたい事案である。
問われたアイサは「はいっ!」と張り切った返事をして。
「男性は常と違う女性の恰好にドキリとさせられるそうです。特に若い方はそういったコスチュームを好むことが多いと聞いたんですよ!」
と。全く邪気のない笑顔でのご高説を賜りましたが。ええ。
私は笑顔が引きつらないように意識しながら、「あ、うん。ありがとぉ……」と返した。
「ちなみにその情報はどこから……?」
「茶髪の門番の彼ですよ」
あ、あいつか……!
諸悪の根源め……ッ!!ハゲれ!!
私は、『あくびをしながら王宮の正門を守っているなう』状態であろうゆとり門番めがけて、負の念と毛根断絶の呪いを飛ばしておいた。
もうこの際だ。このままの流れで聞いてしまおう。
「じゃ、じゃあ……ここ最近、支給される下着の趣向が変わったのも……?」
アイサは「ああ!」とポンと手を叩いた。
やはり下着の件は頭から抜けていたらしい。
「私としたことが。失念しておりました。ええ、そうです。最近王都の若い女性の間で……その、そういった華やかな下着が流行していると聞いたんです。殿下もオリヴィア様もお若いですし。いつおふたりに勝負の時が来るかもわからないですし。……そういう若者向けの下着の情報が欲しくて。門番の彼の意見を参考に選んでみたんですけど……」
彼女は頬をポッと染めて。恥じらいながら語ってくれた。
私のパンツの話題なのに、何故そこでミラの名前が挙がるのかが良く分からないが。
まあ恐らくは。来るべく未来のカノジョとの勝負に備えて、あいつのパンツも派手なやつに替えられているのだろう。察して余りあるな。
あの王子のパンツは一体誰の意見を参考に……?
うん?ていうか……
「え。今わたし、ゆるふわ茶髪が選んだパンツ履いてるの?」
「いえ。参考意見としただけで。実際に店頭で購入したのは私です」
「あ、そう……ならいいんだけど」
なんだろう。茶髪野郎の選んだパンツを履いているわけじゃないっていう事実に安堵してしまった。
どういう心理だコレ。
しかし南京錠シリーズ推しできているのを考えるだに。
多分、ソレは彼の趣味なわけでして。あいつも大概趣味悪いな。オイ。
仮に自分の彼女のパンツに南京錠ぶら下がってたらドン引きだろ。
前世の『彼』としても白とか水色とか清楚なモノを好んでいた気がするし、私もその嗜好に概ね賛成だ。
……残念ながら前世の彼は、カノジョに自分のそういった嗜好を披露する機会はついぞ訪れませんでしたが。
しかし、だ。
それにしても、だ。
「何で茶髪ゆるふわの彼に聞いたんだ?アイサ」
確かミラへの『出会いの記念品』選びから、彼に対するアイサの信用は地に落ちているはずなんだが。
「本当は……殿下や主人に聞いてみたかったのですが。やはり恥ずかしくて……」
「……そうか」
ミラやヨハンナムさんに聞くのはダメで、ゆるふわ門番の彼に聞くのは問題ないという……。
恐らくアイサ的にはどうでもいいことなんだろう。茶髪門番の彼にならどう思われても。これも察して余りある。
うん、何だか少し切ない気がするが。まあ、彼の好感度なぞ今は至極どうでもいい。
結局アイサはそんな茶髪門番の口車に乗ってイロイロと購入してしまったというところだろう。
あいつのセールストークはすさまじい。門番辞めて商売でも始めた方がいいんじゃないか。そっちの方が天職な気がする。チャパネット的な。
私は何だか重たく感じる紙袋を持ち直しつつ、紙袋以上に重たい口を開けた。
「あーと。……下着は以前の奴に戻してもらった方が……」
折角この流れに来ているんだ。やはり要望は出しておきたい。
私が『勝負』をするような機会はない気がするし。お金とパンツの無駄遣いだろう。あと言ってしまえば南京錠で勝負したくはない。
アイサはそれを受けて、「わかりました」と素直に頷いてくれた。
でもあからさまにしょんぼりしている……。
そんな彼女の様子にちょっと罪悪感を覚えてしまい、
「こ、このコスチュームはありがたく貰っておくよ、うん。今晩にでも試着してみるから」
などと、彼女の笑顔見たさに私は下手なフォローを入れてしまった。
明らかに最後のワンセンテンス余分である。
だがアイサはそれを聞いた途端、ぱああっと嬉しそうに顔をほころばせた。
想像以上の笑顔だ。
「是非、着たら見せて下さいね!」
「あ、うん」
その笑顔を見て、またひとつ悟った。
もういいんだ……。
目の前の彼女の笑顔を守ることができれば。
猫耳メイド服コスの1回くらいやってやろうじゃないか。
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*****
その夜。
私は一大決心をもって鏡の前に仁王立ちになっていた。
勿論、メイド服に猫耳完全装備である。
くっ……我ながら全く似合わない。イタイ。痛すぎる。
床に寝そべっているルークが先ほどから微妙に視線を外しているのも気になるところだ。
しかしだ。
あれから私としても考え直した。思い直したというべきか。
「アイサが折角プレゼントしてくれた物だもんな」
これを貰った時は引きつった笑顔と。何の感情も籠っていない謝辞を言うだけだった。
……これじゃあいけないよな。
ミラからも指摘された通り、受け取った好意に対してあまりにもひどい対応である。
猛省しなければならない。やはり彼の指摘は的を射ていたということか。
そう、これからアイサがこの部屋を訪れる予定だ。
その時は精一杯良いリアクションを心がけよう。『ノリの悪い奴』という汚名は返上だ!
それで彼女に感謝の気持ちをたくさん伝えるんだ!!
――オリヴィア・アーレンは今この時から猫耳メイドさんになりきってみせる!!
私が拳を握り締め固く心に誓うと同時に。
コンコン、とノックの音がした。
アイサだ!
私は慌てて笑顔を作り、そのノックに応じる為、小走りで扉へ向かった。
ノブに手をかけ、一呼吸。
よしっ!
ばーんと扉を開けたそのままの勢いで。
「お帰りなさいませぇ、ご主人様!お疲れ様ですにゃん!!」
普段よりワンオクターブ高い声を出しつつ、私は丸めた手の平を顔の横に。いわゆる『猫のポーズ』をとって見せた。私の動作に合わせ、チョーカーについた鈴の音もリンリンと元気良く鳴り響く。
猫耳メイドさん必須『ニャン語』も忘れなかったのは、自分でも褒めて差し上げたいところだ。
どうだ!この貰ったモノ・気持ちに対するリアクションは。サービス精神も旺盛過ぎるな。
しかし。
……。
アイサから全く反応がない。
私は彼女のグレイのシャツの胸部分を見つめつつ……ん?グレイのシャツ??侍女のお仕着せではない?
ていうか。何で視線が合わないんだ。
アイサの方が背が低い……はず……
恐る恐る顔を上げると果たして、そこにいたのは。
「ミミミミラにゃん!!何故ここに!?」
動揺の色を隠せないブルーの瞳と目が合った。バッチリ。
この予想外の出来事に際し、ニャン語を忘れなかった私はもはや猫耳メイドの鑑と言っても良いだろう。
ミラは引きつった笑顔で「いえ……」と言いながら。
「俺は日記を届けに来ただけですから」
彼はそっと私に日記を手渡し、そそくさとその場を立ち去ろうとしたので。私は慌ててその背に抱き着く。
「ちょ、待つにゃん!これには深い事情が!!!」
決して私の趣味じゃないんだ!!
ミラは痛ましげな表情で私の方を振り返る。
気遣うように肩に手を置いた。
「大丈夫です。分かっていますよ」
「大丈夫って……え?本当に分かってんのか?」
大きく頷く仕草も、私への労わりで満ちていた。
あ、あれ?何か言いくるめられた気がするぞ。
本当に分かってもらえたのだろうか。
しかしここでまた『これは私の趣味じゃないからな!本当だからな!』としつこく言ったところで言い訳がましいかもしれない。
私のそんな様々な葛藤を前にして。
彼は一言、「それでは」と言って退出する。
ぱたん……と扉が閉められた振動で、チョーカーの鈴が虚しくリン……と啼いたのだった。
**************
********
翌朝。
「アイサ、薔薇姫には何か悩みがあるのではないですか?」
主人に呼び止められたアイサはポカンとした。
思いもがけない事を聞いたのだからだ。
「悩み、ですか?」
「ええ。最近特にひど……いや、様子がおかしい。何か聞いていませんか?」
悩みって何だろう。彼女は昨晩も自分がプレゼントした可愛らしいメイド服姿を披露してくれたばっかりだ。
若干疲れていた様子ではあったが……。特段変わったことはなかったように思われる。
「特に何も……聞いておりませんが。具体的にどこがおかしいのでしょうか?」
ミラは「う……」と返答に詰まった。
昨晩のあの格好のことを説明するのに、ちょっとばかり勇気がいるからだ。
あの衣装のことを何と説明すべきか。そしてどんな表情で語るべきか。
自分の中でまだ答えが出せていなかった。
「いえ、それは……」
アイサは、珍しく口籠もる彼の様子に困惑した。
彼のこんな様子は滅多にないことだった。余程彼女のことが心配なんだろう。
「ミラ殿下。私からオリヴィア様に聞いてみましょうか?」
「いえ……デリケートな問題かもしれません。あまり大事にしたくありませんし。折を見てこちらから聞いてみます」
アイサは彼女のことを心配に思うと同時に、何故だか微笑ましくなった。
きっと目の前の彼は。
他でもない自身の手で彼女を支えたいのだろうと思えたからだ。
「そうですか。もしかしたら同性の方が話しやすい内容もあるかもしれません。その時はお声がけ下さい」
「ええ。無理には聞かないようにします。その時は任せますよ」
――そんな会話があったことを、私は知らなかった。