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悩める古道具屋 -都市伝説・呪いの屋敷-

作者: 與七

外来本を読んでいると、随分事実と剥離しているな、という情報がごまんと載っている。

ほとんどの外来本に載っている妖怪や妖精や神は、本人たちが見たら噴飯ものであろう。もちろん事実を伝えているものも数多くはあるが、その事実にしたって、誤解を与えかねない内容で書かれていることもある。


ある鬼の男は「俺はこんな恐ろしい面だが、どうだ、外の世界ではこんな美男子なんだぞ」と冗談交じりに笑っていたし、ある姥妖怪の老婦人は「あのねえ、あたしゃ若い頃でもこんなには美しくはなかったよ」と困惑していた。さてと、僕がもし、外の世界に住んでいたとしたら、どんな扱いにされているのだろうか。恐らくは、マイナスの面ばかりが強調されてるのであろう。


「不気味な寂れた店に住み、何に使うのかわからない得体のしれない摩訶不思議な道具に囲まれている奇怪な男。妖怪を情け容赦なく殺害する恐ろしく冷酷な巫女と、同じく妖怪狩りを専門とし、様々な場所で盗みを繰り返す盗賊魔女がしばしばその店を訪れる」


「うわぁ、絶対行きたくない」

「え?」

「さっきからぶつぶつ呟いていたそれって、あの・・・何なんですかね?もしかして、香霖堂の新しいキャッチコピーか何か?」

「いつの間に・・・」

一人の少女が、知らないうちに店の中に入ってきていた。

「あ、いつものカランカランってなるアレ、壊れてるみたいなんですけど」

「何だって?」

参ったな。お客さんが来たのに全然気が付かなかったぞ。早めに修理しとかないとな。

「随分熱心に読んでたみたいですね。扉が開いたのにも気づかなかったみたいで」

「まあね。読んでいたらついのめり込んでしまってね。ほら、君も好きだろう?こういう本」

「わあっー」

積んであった本に飛びつくように、少女は足早に駆け寄った。髪に着けた鈴がチリンチリンと音を立てる。おっと、そういえば微かにさっきも聞こえたな、鈴の音は。

「すごい、大豊作じゃないですか。今までこんなにたくさん見つかったことって、ありましたっけ?」

目を星のように輝かせながら、小鈴は僕に問う。

「いや、ここまでたくさんあったことは無かったね。どうやら外の世界では、急激に本が廃れている証かもしれないな」

「えぇっ、本が無くなったら絶対不便じゃないですか」

小鈴は不満そうに口を尖らせた。

「はは、これはあくまでも僕の推測だよ。ただ、その代替に、違うものが普及してるんじゃないかな。ほら、天狗がよく使ってるじゃないか。そういう道具を」

「えー、あれって本とは全然違うものじゃないんですか?」

「何でも、河童たちが日々アレンジに没頭しているらしいからね。そのうち本にどんどん近づけていくんだと思うよ」

「そんなものなんですかね・・・」

小鈴は納得いかない、といった表情であったが、僕は気にせず再び本に目を戻した。


「さてと、じゃあ、査定をお願いしようかな。・・・明らかに商品にならなそうなものも混ざってるけど」

「それは構いませんよ。貸し出し用にはしませんから」

小鈴は手慣れた様子で、順番に本をチェックしていく。本を全部確認すると、次は算盤をパチパチと弾き出した。流石は貸本屋の娘、こういう作業は見事なものだ。

「それじゃあ、金額はこちらでいかがでしょう」

「ふむふむ・・・ん!?」

「ご不満ですか?」

「いや、・・・こんなに貰っちゃっていいのかい?随分太っ腹なような」

「ふふ、今回はちょっとですね、私的な査定も入れてみちゃったりして」

「まあ、君が構わないんならそれでいいよ。でもご主人は何も言わないのかい?そんなことやっても」

「ええ、前からある程度は自由にやっていいって言われてますから」

放任主義も、ちょっと踏み外したら大変なことになりそうな気がするが・・・いや、他人の家庭にいちいち文句を言う資格は僕にはない。

「それじゃ、これで頼む」

「ありがとうございます」

小鈴はニッコリ笑うと、ぺこりと頭を下げた。

「風呂敷に包むから、ちょっと待ってて。量は多いけど、小さめの本が多いから、そんなには重くならないはずだ」

「お願いします」

僕は無縁塚で拾った本を丁寧に風呂敷に梱包すると、小鈴から買い取り賃を受け取った。

「あの、出来れば・・・」

「ん?何だい」

「買い取りをするなら、なるべくうちに来てほしいんですけど」

「ああ、そうだったね・・・」

出不精の僕は、鈴奈庵まで本の買い取りに行くことはほとんどなかった。

そもそも、こうやって小鈴がここまでわざわざ来て本を持っていくことのほうがおかしい。まあ、僕だけの特例措置と言う奴だ。どうしてそんな特例が通用するか?いつも僕は無縁塚をはじめ、幻想郷のあちこちで大量の外来本を見つけては、まとめて鈴奈庵に買い取ってもらっているからだ。


「それじゃ、失礼しますね。ありがとうございました」

風呂敷包みを背負って、小鈴は店を後にした。

さてと、それじゃ読書の続きと行こうか。鈴奈庵に売る気のない、僕自身の本はまだこんなにある。じっくり楽しむとしよう。


鈴奈庵に外来本を売ってから、何日かが過ぎた。僕はいつものように積み上げた外来本を一冊ずつじっくり読み進めていた。うーむ、実に素晴らしい読書日和だ。こんな過ごしやすい日は中々無い・・・


―チリンチリン

「店主さん!」

「うおっ」

「聞いてください、実は―」

あーびっくりした。・・・入口のアレを修理するのを忘れてたな。うむ、しかしわずかに鈴の音は聞こえたが・・・

「今、人里でちょっとした怖い噂が流れているんです」

怖い噂・・・なんか少し前にもそういう騒動が里であったような・・・

「その噂が似ているんですよ、買い取ったこの外来本の都市伝説と」

「・・・似ている、ねえ」

僕は小鈴が持ってきた外来本をめくってみた。

写真雑誌か。えーっと・・・

「呪いの屋敷の・・・伝説?」

要約すると・・・

ある山奥の屋敷で、その惨劇は起こった。精神を病んでいたその屋敷の娘が、突然家族を襲い、次々に殺害していった。殺戮の主である娘も最後には自害した。ところが、廃墟となったその屋敷の跡地には未だに悪霊が住み着いており、そこに行ったものは生きて帰ることはできない・・・


「ふうん、不謹慎だけど、話としては面白い」

「これと同じような噂が流れているんですよ。人里で」

小鈴は興奮した口調で繰り返す。

「うん」

「とある屋敷で、その家のお嬢さんが家族を皆殺しにしたそうです。そしてそのお嬢さんも自殺、屋敷はその後廃墟のまま残されているそうですが・・・そこには悪霊と化した屋敷の人たちが未だに彷徨っているそうですよ」

「・・・そう」

「・・・あのー、なんでそんなに反応が薄いんですかね」

・・・ここは幻想郷。化け物の類は歩いていればすぐにぶち当たるはずである。これなのにこの子は・・・

「霊に会いたいんだったら、ここにもたまに来る子を紹介してあげるよ。正確には、半霊だけどね」

「・・・いや、そうではなくて」

「純粋な幽霊に会いたいんなら、その半霊の子に頼んで・・・」

「そういうことを言いたいわけじゃないんです!」

小鈴はムッとした表情で僕を睨む。

「私はその事件のことを詳しく知りたいんですよ。その悲しい屋敷で何があったのかを。そして悪霊を成仏させてあげたいんです」

・・・やれやれ。相談する相手を思いっきり間違っているだろう。

「あのね、そういうのは里の退治屋さんに相談するのが一番だと思うよ。誰かに頼めばすぐにやってくれるだろう」

「もちろん、何人も頼んでみましたよ。でも・・・」

「でも・・・?」

「みんな口をそろえて言うんです。その廃屋の近くまで来たら・・・これ以上は無理だって」

「無理?」

「はい、非常に強力な結界が張ってあるそうです。しっかり手順を踏んで解除できるのは、妖怪の賢者か博麗の巫女ぐらいだと。もっとも、強力な弾幕でも使って強行突破するという手もあるにはあるらしいんですけど・・・リスクが高すぎるとか」

まずいな・・・下手に魔理沙あたりに相談したらとんでもないことになりそうだ。

『こんなもの、マスタースパークで一発だぜ!』

ああ、想像したくはないがそんな声が自然に耳に聞こえてくる。

「妖怪の賢者さんに依頼なんてできっこないし、それで霊夢さんに頼もうかなー、と思ったんですけど・・・断られました」

まあ、それは当たり前だ。

「『簡単に破れない結界がある以上、普通の人はそんなところに入れないんだし、問題ないでしょ』だそうです。『こっちからちょっかいを出さない限り、何も害は無い。触らぬ何とかに祟りなしよ』とも言ってました」

全くその通りだ。余計な喧嘩をこっちから吹っかける必要などない。

「魔理沙さんにもお願いしたんですけど・・・駄目でしたね。霊夢さんと同じように、『そういうのは無視しといていいだろ、だって今までずっと無視して平気だったんだからな、なんか面倒なことになりそうだし』って」

はぁ、と小鈴は大きく息を吐いた。

「ずっと屋敷に居るままで、成仏できないなんて・・・可哀想ですよ」

「まあ、とにかく」

僕は小鈴に対して毅然とした態度で言う。

「好奇心旺盛なのは悪いことじゃないけど、あまり危険なことに首は突っ込まないほうがいい。まさしく霊夢の言う通り、触らぬ何とかに祟りなしだ」

「うう・・・」

小鈴は納得いかない、という表情を浮かべると、俯いてしまった。

「まあ、何度も言うようだけど、単純に幽霊に会いたいんだったらいくらでも手はあるよ」

僕は悪戯っぽく笑いながら話題を変えた。

「さっきの半霊も子もそうだし、騒霊楽団のコンサートにでも・・・」

言いかけて僕ははっとなった。

「小鈴」

「え?」

「その呪いの屋敷だけど、どこにあるんだい?」

下道荘しもつみちのしょうの近くですよ」

「何だ、違うか・・・」

ひょっとしたら、と思ったが違っていた。霧の湖の近くに、プリズムリバー姉妹の住んでいた廃洋館がある。もしかしたら噂が湾曲されて、その廃洋館が惨殺の屋敷として語られているのかとも思ったが・・・

「そうだそうだ、その屋敷の場所はまだ聞いてなかったね。下道荘の近く・・・か」


下道荘というのは、人里の外れにある荘園・・・平たく言えば、下道家しもつみちけの土地なのだが。前の当主の時代は、かなり広い土地だったのだが、代替わりしてからはそのほとんどの土地を耕作地として貸し出している。良く肥えた土地らしく、そこで様々な作物を育てている里の人間は多いと聞く。しかし下道荘・・・あそこは確か複雑な結界で区切られていて、普通の人間が入れない場所も多かったっけ。


「あーあ、店主さんなら色々興味を持って、協力してくれると思ったのに・・・残念ですよ」


小鈴は捨て台詞を呟くと店を出ていった。・・・全く。魔理沙や霊夢からよく話は聞くけど、あの子も相当危なっかしいな。


その日、僕は珍しく人里に足を運んでいた。僕の場合、生きるために食事はとる必要はないのだが、それでもたまに美味しいものを無性に食べたくなる時はある。さてと、せっかくだから、旬の食材でも買っていくとするか。


ん・・・?何やらざわついてるな。・・・様子がおかしいぞ。何人かで集まっては、口々に指さしたり、顔を抑えたり、焦ったように身振り手振りをしている。それも皆一様に驚愕し、あるいは不安・はたまた恐怖の表情をしている。

「これは・・・何かあったな」

僕は「何か」があった場所へと向かうことを決めた。人々から断片的に見聞きする情報・・・


「下道荘の近く」「あの屋敷だとよ」「祟りだ」「呪われたって」「悪霊か」「悪戯したらしい」「ばちが当たったのよ」「憑りつかれたとか」「噂は本当だった」「助からねえかもな」


一体どうなっているんだ、これは。まさか本当に、あの噂・・・


ようやく、噂の場所の近くまでたどり着いた。くそ、野次馬がわんさかいて先が良く見えない。

里の自警団や、数名の退治屋が必死で彼らを押しとどめている。その中には慧音の姿もあった。

「香霖!」

横から魔理沙の声がした。

「なんかもう、大変なことになっちまったらしいな」

魔理沙の神妙な顔つきが、事の重大さを物語っているようであった。

「一体、何があったんだい?」

「いや、私も今来たばかりでさ。詳しくはわからない。ただ―」

魔理沙は不安そうな目で、野次馬が集まる方向を見た。

「・・・呪いの屋敷に・・・入った奴がいるらしい」


例の屋敷の事件の数日後、僕は永遠亭にいた。


「正直、相当参ってるわ」

永琳は、手を額に当ててやれやれという仕草をした。

「一定間隔の催眠状態もどきに関しては、いわば一種の強烈な刷り込みね。

それも幅が一定してないから、それに合わせて刺激の負担を消すことも事実上不可能。

完全ランダムでパターンが全然読めないのはどうしても厄介だわ。

ここまで念入りに継ぎ合わされると、無理矢理ちょん切ってもくっつきそうだし―」

「・・・素人でもわかるように説明してほしいんだけどな」

「はいはい、わかったわよ。ここに長い紐があります。で、この長い紐を・・・」

永琳は、紐を何度も何度も堅結びにした。

「はい、この状態で紐を元通り真っ直ぐ戻せるでしょうか?」

滅茶苦茶に何回もきつく縛った結び目である。到底戻すことは出来ない。

「無理、だろうな」

「でしょうね」

続いて永琳はビーカーに液体を注いだ。

「気を付けてね、これ強酸だから」

そう言うと、永琳はきつく堅結びをした紐をその中に落とした。

シュワシュワと勢いよく泡が立ち、紐は一気に溶けていく。

「大体、こんな感じかしら」

「・・・悪い、余計意味が分からなくなった」

「はい、じゃあもういちど説明するわね。まず、きつく縛った結び目は、一種の術のようなもの」

永琳は再び、紐を取り出すと堅い結び目を作った。

「この結び目は、怨念の術と思って。ほどくことのできない、キツキツに縛られた結び目、そう、解くことのできない、強力な怨念の術よ。それが―」

永琳はもう一度紐を何度も、きつく縛り始めた。

「こんなふうに、何回にも、何重にも渡ってかけられてる状態。わかる?というわけで、これを解くことは不可能ってわけ」

「そんな―」

まさか・・・それじゃもう彼らは・・・助からないのか?


「で、この酸の登場よ」

永琳は再び酸を入れたビーカーを持ちだした。

「この酸は、『日数』を意味するわ。大体そうね、二週間くらいかしらね。この酸に入れれば・・・」

永琳は再び縛り固められた紐をビーカーに入れた。

シュワシュワと音を立て、再び紐は勢いよく溶けていく。

「この紐みたいに、二週間も経てば、術は綺麗さっぱり解けてなくなるわよ。特に薬も必要ないし、後遺症もないから安心して」

「そうか・・・良かった」

「ただし」

「ん?」

「もう一度、これを見て」

先程の紐が溶けているビーカーに、永琳はもう一度目を向ける。

「もの凄い勢いで溶けているでしょ?泡をシュワシュワ出しながら」

「ああ」

「この激しい泡立ち・・・彼らにとっては治るまでの拷問、といったところかしら」

「どういうことだ?」

「・・・彼らは一様に奇声を上げたり、誰かがずっと見てるといったり、奇妙な声がずっとすると訴えたり、不眠に悩まされたりしてるわ。『悪霊の声がする』『恨みに満ちた顔が見える』って、全員そんなことを言ってるのよ」

「そんなことが・・・」

「・・・ま、術が解けるまでの辛抱ね。紐が全て溶けきれば泡も経たなくなる。さっきも言ったけど、その怨みの術から来るそういった症状も、二週間経てば綺麗さっぱり無くなるわ。何度も言うようだけど、後遺症も心配なし。二週間の間の幻聴や幻覚も、術が消えることで記憶から抜けていくはずよ」

「そうか・・・良かった」

「ええ、でもできれば・・・なるべく苦しまずに治してあげるのが一番なんだけど」

「うん・・・そうだね」

「悔しいわね」

「え・・・?」

「月の医療技術をもってしても、上手くいかないこともあると思うと・・・」

「・・・君はいつも患者さんに対して、優しく一生懸命じゃないか。それで十分―」

「残念だが、それは所詮綺麗事だよ」

「え・・・?」

聞き覚えのある声がした。

「どうにも努力しても、手を施しても、助けられない命だってあるもんだ。外にいた時に何人もそんな奴らを見てきたよ。悲しいが、それも定めって奴なんだろう。・・・俺だって、神様ではあるが、限界ってものはあるんだ。残念なことにな」

「あなたは・・・どうしてここに?」

「緊急事態っつーから駆り出されたのよ。お久だな、半化けの兄ちゃん」

癒しの神様じゃないか。髪は綺麗に結っており、口髭も整えられている。・・・相変わらず顔色が悪いが。

「あら、知り合いだったの」

「うん、まあね」

「初めてこの地に来た時に世話になったのさ」

神様は歯を見せて笑ったが、すぐに真剣な表情になった。

「幸いあいつらは助かったが・・・とんでもねえぞあの術。俺の力がてんで効かねえよ」

・・・なんてこった。癒しの神である彼の力でも簡単に回復できないのか。

「恐ろしい術だな。あれを仕掛けた奴は、相当な腕だろうな」

「ああ、本当に恐ろしいよ。私も、最初は治療をためらって、逃げだしたいほど恐ろしかったよ。どうなる事かと思った」

そこまで危険な術が仕掛けられていたのか。でも・・・

一体誰が?何のために?


それからまた後日、僕は鈴奈庵を訪れていた。

「こんにちは」

「あ・・・こんにちは」

小鈴はいつもに比べ、元気のない顔をしていた。やはり、例の事件でショックを受けているのだろう。

「あの、すみません」

小鈴は遠慮がちに僕に言う。

「この本、お代はいいので、お返しします」

「・・・」

この前の呪いの屋敷について書かれた本だった。

「そうか、じゃあ返してもらうよ」

僕は本を受け取ると、真剣な眼差しで小鈴の顔をじっと見た。

「・・・例の、この前の事件のことだけど」

「え、あ、はい・・・」

・・・思い返せば、あの野次馬の中に、小鈴の姿もあったな。阿求と二人で真っ青な顔をしていたような・・・当時はそれどころじゃなかったけど。

「いいかい、一歩間違えれば、君も同じような目に逢ったかもしれない」

「はい・・・」

「前にも言ったけど、君の好奇心旺盛なところは決して悪いことじゃない。でも、この幻想郷では、人間は弱い存在なんだ。魔理沙や霊夢と一緒に過ごすことが多い君は、いまいちピンと来ないかもしれない。妖怪は憎むべき存在でも、敵対する存在でもない。ただし、人間としての立場はある程度わきまえないといけないんだ。いいかい?しつこいようだけど、あまり危険なことに首は突っ込まないほうがいい」

「・・・はい、ごめんなさい」

「どうしても、という場合は、きちんと大人や専門の退治屋の人に相談して、指示を受けるべきだ。もちろん魔理沙や霊夢でもいい。・・・僕だって、君が良ければいつでも相談に乗ってあげるよ。わかったね?」

「・・・わかりました。気を付けます」

小鈴はシュンとした表情で頷いた。


例の事件の載った新聞と雑誌と何回もにらめっこしながら、僕は色々考えていた。

どういうわけか、やたらと喉が渇く。あ、お茶がもう少しで無くなりそうだ。・・・彼女もお代わりが要るかな。

「お茶入れ直すけど、お代わりするかい?」

「いいえ、結構でーす」

能天気な返事が帰ってくる。僕は新しいお茶を入れると、もう一度彼女のそばに戻った。

「まあ結局のところ、若気の至りって奴みたいですねー」

「若気の至りねえ・・・まったく、どうしようもないな」

僕はやれやれと肩をすくめた。

「仲間内で酔っぱらって、肝試ししようぜー、だったらあの呪いの屋敷に行ってみるか、結界なんか弾幕でぶっ壊しちまえ、ってなノリで」

しかし、噂が山にまで広がっていたとはな。いや、種族的にこういう手の噂が速攻で広まるのは自然なことか。

「同じ鴉天狗として、本当に恥ずかしいですよー、まったく」

「文、君も人のことを悪く言える立場じゃないんじゃないか?」

「ちょ、聞き捨てなりませんね。私はあんなDQN連中とは違いますよ。清く正しくやってますからね」

「・・・この前、君の書いた新聞記事をボロクソに言ってたぞ、霊夢が」

「あやや・・・参りましたね。私はしっかり事実をありのままに書いたはずですけど」

「・・・問題なのは、プライバシーの侵害のほうだよ。そういうのはほどほどにしといたほうがいい」


文を店から見送った後で、僕は一旦情報を整理することにした。

あの呪いの屋敷に入ったのは、鴉天狗の男女5名だったそうだ。彼らは連携型の弾幕で一気に結界を破壊したと思われる。そして、しばらく進んで、問題の屋敷に入った。

しかし・・・一体そこで、彼らに何があったんだろう?

・・・もう一度、記事を読み返そうかな。


―あれから数日、何回、新聞や雑誌を読み返しただろう。大体想像はつくことと、想像のつかないことの差が大きいんだよな。ここは一回、現場近くにもう一度行ってみる必要もあるかもしれない。入れる場所は限られるだろうけど。もしくは・・・


ふいに、ガチャリ、と扉を開ける音がした。

「むぅ」

店に入ってきたノッポの青年は、不思議そうに扉の上方向を見る。

「いつもの心地良い音がしないではないか」

「あー、すまないね。それ今壊れてて」

「早く直してほしいものだな。拍子抜けしてしまう」

そう言うと彼は不自然な形の風呂敷包みをテーブルの上に降ろした。

「なるべく早く直すよ」

僕は立ち上がると、彼が持ってきた荷物に目をやった。風呂敷を開けると、外の世界の道具が数個入っている。

「あれ、今日はこんなものかい?」

「残念ながら、それしかなくてな」

伏し目がちに彼は呟いた。

「今回は不作。自分の所の敷地しか収穫が無かった」

うーん・・・下道荘なら広いからもっといっぱいありそうなものだけど。・・・いやそうか、今はほとんど耕作地で他人の畑が多いんだった。

「よし、とりあえずじっくり鑑定させてもらおうかな」

「あいわかった」

青年はすくりと立ち上がると、店の出口に体を向けた。

「明日までに鑑定を頼む。ではこれで失礼」

「ちょっと待った!」

僕は大声で彼を呼び止める。

「今日はこれから暇なのかい?」

「特に用事は無い・・・まだ何か?」

振り向いた彼のギョロ目が、僕の顔をじっと見据える。

「呪いの屋敷の事件の話を、聞かせてほしいんだ」

「っ・・・」

彼のギョロ目が、一層真円に近くなったような気がした。

「第一発見者である君の話をね」

僕は彼にも負けない鋭い視線を向けていた。


「あの話はもう、いい加減勘弁願いたいものなんだがな」

枝豆をムシャムシャ食べながら、真兵衛は不満そうに言う。

「元々天狗連中は好かぬのに。・・・毎日毎日追いかけ回されて嫌になる」

「それで雲隠れね・・・。通りで何回会いに行っても留守にしてるわけだ」

「ようやくここ数日は収まってきたがな。・・・まったく、また話さねばならぬのか」

「そうは言っても、どうしても気になるんだ」

「天狗の新聞や雑誌に書いてあることが全て」

「ゴシップまみれの―」

「ではないぞ。話は最後まで聞け」

「ああ・・・」

「聞くだけ野暮だが、それらに一通り目は通したのであろう?」

「ああ、隅々まで読んでみた」

「それを読んでどう感じた?」

「・・・第一発見者の、君に疑いの目が向けられてるのがすごく気になった」

「実にうまいと思わぬか、これ」

「え?」

「この枝豆。塩の量も湯で加減も良いあんばいだ」

「・・・」


下道真兵衛かとうしんべえ

人里の長屋に住む呪い師の若者だ。里の人間からは「拝み屋さん」と親しまれ、各地で地鎮祭のお祓いや、妖怪のいる場所に向かわねばならない人間の警護、幻想郷各地の結界の修繕や確認を行っている。そして彼は妖怪退治屋でもあった。弾幕も使わず、空も飛べない彼であるが、父親から受け継いだ呪術の力は本物である。

そんな彼だが、あの下道荘の所有者でもある。現在の彼の姓とは読み方が異なるが、これは彼が父の後を正式に継いだ際、彼が姓の読みを「しもつみち」から「かとう」に改めたためである。


・・・しかし、彼がここに来てくれたのは助かったな。一番話が聞きたい人物だからだ。


枝豆を食べ終えると、真兵衛は目を伏せ、ゆっくりと口を開いた。

「現場が下道荘の近く、そして―」

「被害者は強力な怨念の術を掛けられていた」

僕は真兵衛の顔をじっと見据えて言う。

「おまけに第一発見者ときたもんだ。・・・疑われないほうがおかしな話だなぁ」

真兵衛はぱっと顔を上げニタァと笑った。普段伏し目がちなだけに、本来のギョロ目や満面の笑顔を向けられると何か不気味だ。里の人たちに見せる営業スマイルとは全然違うし。

「で、どうなんだい?」

「は?」

「君がやったのか?」

「たわけ」

あ、笑顔が速攻で消えた。

「あっそう」

「そもそも、謎が多すぎであろう。それは[[rb:其方 > そなた]]もわかっているだろう?」

「・・・そこなんだよな、問題は」

そう。この事件は謎がとにかく多すぎる。


もう一度、新聞の真兵衛の証言を確認してみよう。


時刻は九時くらいか。菜園の野菜を確認した後に、荘園の周りの結界が歪んでいることに気が付いた。その時は大した問題ではないと思っていたのだが・・・歪みの元は何なのか確かめているうちに、例の屋敷に通ずる道の結界が破壊されていることに気づいた。これは穏やかな事態ではないぞ、と直感した。

急いで屋敷に向かったが、もうすでに天狗連中は全員倒れていた。一目見て、危険な怨念の術にやられたなと思った。・・・屋敷の中には、小さな悪霊が一体いた。まあ、その悪霊に関しては大した問題ではない。護符一枚であっさり成仏した。

それから助けを呼びに行った。里の退治屋と自警団を集めて、永遠亭にも手配を頼んで・・・


「これ、本当なんだろうね?」

「信用に値せず、と言うのか?」

「うーん、重要なことが結構抜けてると思う。それに何か色々引っかかるんだ。だから詳しく聞かせてもらうよ」

「やはり其方も私を疑うか」

真兵衛は眉にしわを寄せた。

「いや、そうじゃない」

「ふん」

「まず、この術の仕組みがどうなっていたのか・・・第一発見者として、そしてプロの判断として聞きたい。あ、なるべくわかりやすい説明でね」

「屋敷に入った者に、否応なく術が降りかかる」

「扉を開けて、中に入ったとたんに?」

「その通り。窓や天井から入っても同じくな。とにかく屋敷の中に入った時点で終いだ」

「ふーん・・・・術は全ての人にかかるってことかい?」

「左様。ご丁寧に、ちゃんと人数分しっかりな。さらに悪いことに、人間でも妖怪でも、とにかく種族は関係なしに仕留める」

「種族は関係なく、か・・・」

「うむ。あれが効かないのは、それこそ八雲のスキマぐらいであろう」

「へえ・・・」

彼女がいたら、詳しく聞いてみたいな。・・・まったく、どうでもいい時に限って店に訪れるのは一種の嫌がらせだろうか。

「ところで、その術だけど・・・君自身は大丈夫だったのかい?」

「大丈夫だからこうしてここにいる」

「いやそう言う意味じゃなくてだね・・・」

「屋敷に入る前から既に感じていた。で、外から仕掛けは全部駄目にしてやった」

「・・・」

「如何した?」

「月の頭脳を持ってしても、癒しの神の力を持ってしても容易には治癒できない術を、君は解除した・・・」

「やはり其方、まだ疑っているのか」

真兵衛の表情が再び厳しくなる。

「可能性の話だよ」

「今回の場合、術を受けた後の治療は簡単ではなかったようだが・・・。術が誰かに降りかかる前の解除ならば容易いものだ」

「なるほど、それなら筋は通ってるね」

「いい加減疑うのは止めにしようではないか」

「可能性は全て検証していきたいんだよ」

「さよか」

真兵衛は不満全開の表情のままだ。

「しかし、そうなるといったい誰なんだろう?あの恐ろしい術を仕掛けたのは・・・」

「誰だろうな」

「真兵衛」

「何だ」

「あの術・・・。仕掛けようと思えば、君が仕掛けることは可能かい?」

「無理だ。・・・もう、其方の中では私が犯人か」

「いやだから、可能性の話だよ」

「あ。ならばいいこと教えてやる」

真兵衛がまた不気味な笑顔を見せた。気味が悪いから本当に勘弁してほしいんだが・・・せめて里で見せてる営業スマイルで・・・

「スキマが協力してくれれば可能、だろうな」

紫の協力があれば、可能なのか。だけど・・・

「私とスキマが共犯ということで、訴えてみるか?」

真兵衛はおどけた調子で言った。

「そんなことして何になる?天狗を懲らしめるためか?私が天狗をいけ好かないのは事実だが、その怨みを晴らすためか?」

「いや、そんな単純な話じゃないと思うよ、恐らくは」

・・・うーん、やっぱり話を聞いていると真兵衛がそんな事をするとは思えないな。そもそも、天狗たちがあそこへ向かったのは偶然ではないか?確か酒に酔った勢いで、だったらしいけど。

「・・・正直、これ以上考えても仕方ないかな。一体、誰が何のためにあんな術を仕掛けたのか」

「スキマを試しに呼んでみるか?大した答えは返って来ぬとは思うが」

「いや、いい。多分適当にはぐらかされるだけだと思う」


僕はとりあえず、屋敷に仕掛けられた術についての話題はストップした。

さてと、これから話す方が実は本題なんだよな。


「ところで、そもそも、あの屋敷の正体自体がまだ不明だったね」

「だな。ただ、これだけははっきりしているぞ。あの屋敷で殺人が起こったことは無い」

真兵衛はきっぱりと言い切った。

「えっ、そんなことわかるのかい?」

「入ってみた時に、そういった強い恨みの念といったものは全く残っていなかった。屋敷にいた悪霊に関しても、悪霊ともいえども意識薄弱で恨みの念はほとんど無に等しい」

やはりそうか、それじゃ僕の仮説は・・・

「僕の考えを話そうか。この呪いの屋敷の真実を」

「お聞かせ願おう」

真兵衛は身を乗り出すようにして僕を見る。

「まずは、あの屋敷の正体に関してだ。あの屋敷は、なんのことは無い、ただの廃屋だ。色々調べてみたけど、実は、噂が広まる以前は、あそこの屋敷の存在を知る人自体が少なかったんだ」

「ふむふむ」

「色々な人に尋ねてみたよ。噂が立つ以前の屋敷についてね。里の人間だけじゃなく、里によく出入りしてる妖怪や神様たちにもね。でも、彼らの認識はみんなこうだ。『そういえばそんな建物があった』って、ただそれだけ。漠然と、古い建物があった、それだけの印象だけだったんだよ」

「うむ」

「で、面白いことに、例の呪いの屋敷の噂が流れ始める直前に、これを多くの人たちが借りて読んでいたそうだ。この本を見てくれ」

「外来本ではないか」

「そうだよ。ここの記事」

僕は以前、小鈴が話した呪いの屋敷の記事を見せた。

「こりゃたまげた。里で流れてた噂そのものだ」

「そう、あの屋敷は、以前はほとんどの人が話題にすることもない、ただの廃屋だったんだ。今となっては、誰が住んでたかというのも大した問題じゃない。君の言う通り、あそこで惨殺事件なんて起こっていなかったんだからね。ただ、鈴奈庵に渡ったあの外来本が、事実をおかしな方向に捻じ曲げてしまった。「呪いの屋敷」について書かれた記事を人々は読み、噂は尾ひれがついて湾曲され、いつの間にか恐ろしい伝説が生まれてしまった。普通の廃屋は惨劇の屋敷となり、管理用の結界は、意味深な屋敷への侵入を拒む門と化してしまった」

「なるほどな」

真兵衛はうんうんと頷いた。

「確かに下道荘は結界でごちゃついているからな。・・・たまには整理せねばならないのだが。その中の大きな一つが偶然にもその屋敷へ続く道にあった・・・屋敷にいた弱い悪霊に関しても、単に偶然迷い込んだものであろうな。ふむう、人々の恐怖心の伝搬がありもしない話を作り出してしまったわけだ。考えてみれば恐ろしい事だな」

「そう、噂の力って言うのは、恐ろしいよ。外来本で何度も読んだけど、店が閉店に追い込まれたり、身に覚えのない濡れ衣を着せられたり・・・大量殺人に至った事例もある」

「うむ、確かに一歩間違えれば、えらいことになりかねない」

「でもやっぱり、・・・腑に落ちないな」

「む?」

「どうしても術の件が気になる」


結局、日数が経つにつれて、呪いの屋敷の事件は次第に話題にならなくなっていった。

天狗の新聞も、犯人は屋敷の中にいた悪霊だと、最終的にはそういう無茶苦茶な判断を下していた。

天狗と以前トラブルがあり、なおかつ術をかける事が可能かもしれないということで疑われていた真兵衛も、紫の協力でもない限り不可能と言うことで、証拠不十分という結論に達していた。


そして面白いことに、あの被害者の天狗たちが退院した後、手のひらを返したように天狗の新聞は真兵衛を褒めたたえた。被害にあった天狗の命の恩人と言うことで、完全に前とは真逆の扱いとなってしまっていた。


寺子屋の子供たちはいつも賑やかだ。どこから来たのか、無邪気な妖精たちも交じって仲良く遊びまわっている。

慧音は子供たちのほうを見たまま呆れた声で言う。

「噂が今回の騒動を引き起こした、か。人里は情報伝達が早いからな。・・・天狗もだが。しかし、今後も噂が原因の騒動が起こりそうで不安だよ」

「・・・何が正しくて何が正しくないか、疑い出すと何もかも信じられなくなりそうだね」

僕は寺子屋を出ていく無邪気な子供たちを見ながら言う。

「・・・本当に、何も無かったんだろうか」

「ん?」

「あの地で・・・下道荘で」

「なんだ、まだ気にしてるのか」

「いや、ただ何となく。火のない所に煙は立たず、って言うしね」

「ないない」

慧音は笑いながら手を振る。

「惨殺事件なんか無かったよ」

「・・・君が歴史を喰ったかもしれない」

「むむ、失礼な」

「いや、今のは冗談だよ、すまない」

「まったく・・・」

「ん、もうこんな時間か。今日はこの辺で失礼するよ。それじゃ」

「ああ、気を付けて」

僕は足早に寺子屋を後にした。やっぱり慧音も何も知らないか。



「・・・ごめんな、霖之助」

慧音は霖之助の背中を見送ると、ぎゅっと拳を握りしめた。

(訳あって、話すことは出来ないんだよ。確かに惨殺事件は無かった。でも―)


読んでいた本に栞を挟むと、真兵衛は勢いよく伸びをした。

「さて・・・この辺にしておくか」

きりのいいところでやめにしよう、と思った真兵衛は、今日は床に着く事にした。

灯を消し、布団に足を入れた直後、ふいに真兵衛の前で空間が光りはじめた。こいつは、と思った真兵衛は、再び灯をつけ、ぱっと身構える姿勢を取る。光はすぐに黒い闇のようになり、その真ん中がまるでがま口のようにゆっくりと開いた。そして、その中からゆるり、と一人の少女が姿を現した。

「こんばんは、お邪魔だったからしら」

妖怪の賢者・八雲紫である。

「何用だ、八雲のスキマ」

真兵衛は相手を吸い込むようなギョロ目を向けたが、急にニヤッと不気味な笑顔を見せた。

「夜這いでもしに来たか」

「むぅ・・・」

紫の顔が一瞬引きつった。が、すぐにいつもの余裕のある笑みに戻る。

「上手くやったじゃない!全部見てたわよ」

「・・・」

「すっごい演技派ね。痺れちゃう」

紫は満面の笑顔になると、パチパチと手を叩いた。

「やめい。茶化すな」

真兵衛の顔から笑顔が消えた。そしてふうっーと大きな溜息をつく。

「非常に疲れた」

真兵衛はそう呟くと、紫に対して語り始めた。

「天狗の記者がしつこいのは覚悟していたが、それ以外にもまあ、色々と大変であった。もしかしたら、全てを暴かれてしまうかとも思った」

「霖之助さんのこと?」

「左様。だがやはり、真実に関しては恐らくわかるまい。可能性があるとすれば、慧音先生の口からだろうが・・・」

「彼女は在り得ないでしょ。霖之助さんには余計な心配はさせたくないでしょうし」

「いいや、万が一と言うこともある」

「用心深いのね」

「何を言うか、可能性はあるぞ」

「もう、細かいことを気にする男は嫌われるわよ」

紫は不満そうに口を膨らませた。


あの外来本の影響で、一つの恐ろしい噂が誕生した。しかしそれは、ある人物たちにとっては懸念でもあった。


本当に恐ろしい呪われた屋敷。下道荘の近くにその屋敷は「実際に存在している」のである。

真兵衛とその父が暮らしていた、思い出の場所。そこでかつて、外の世界からの招かれざる客・・・非常に凶悪な怨霊が大暴れした。当時の博麗の巫女をはじめ、里の退治屋全員と、紫をはじめとする大妖怪の連合軍が何とか鎮めたが、未だにその影響は残っている。

元・下道の屋敷は、凄まじい瘴気と怨霊の残留思念で満ち溢れ、浄化には百年単位での時間がかかるという。もはや、紫でも容易には手は付けたくはないという程である。


かくてこの屋敷は封印された。賢者である紫の判断で歴史は喰われ、ほとんどの人々の記憶からこの事実は抹消された。屋敷へ通じる道は、紫の手引きで博麗大結界の技術を応用した強力な結界術が施され、さらに当時の博麗の巫女、そして下道勝兵衛しもつみちのしょうべえ・真兵衛親子の術も加わって、何人たりともそこに訪れることは不可能になった。屋敷の住人であった真兵衛は、当事者の中では数少ない、当時の記憶を消されていない一人である。


「そうね、今の霊夢がいればギリギリ浄化は可能かもしれない。・・・させないけどね」

「某も、其方も含めてだろう?その他大勢もだ」

「・・・結局、リスクが大きいのよね」


ところが、である。件の呪いの屋敷の噂が広まり出したことで、「本当に恐ろしい場所」である元・下道の屋敷のほうが明るみになる恐れが出てきたのである。


「最近、里周りの結界がどうも不安定に思えてな」

「それは私も思ったわ。外の世界で何かバランスが崩れてる影響もあるんだと思うけど」

「あの辺を確認していて、ゾッとした。ほんのわずかな歪みで、再びあそこへの道が開く恐れが出てきた」

「長年そのままにしている影響もあるかもしれないわね。ただ、時間に左右されない仕組みにはしたんだけど・・・どうして」

「他に何か原因があるのやもしれぬ。恐らくはな」

「とにかく、放っておくのはまずいわね」


当時の事実を知る紫と真兵衛は、一計を案じることになった。

まず、外来本の影響で惨殺屋敷とされた廃屋を、本物に「仕立て上げる」ことである。

件の廃屋に、紫と真兵衛は協力して術を施した。非常に繊細で、かつ高度な技術が必要な作業である。術をかけられた者は二週間解けない苦しみを味わい、尚且つ命に別条が無いよう、後遺症も一切残らないようにしなければならないのだから。


「ややこしくて苦労するな、ああいうのは」

「ええ、まったくよ」

「しかし後で聞いたことだが、月の民も治癒の神も舌を巻く程だったと」

「あらー、嬉しいわ」

紫は幼い少女のような無邪気な笑顔を見せる。

「某の非常に面倒な調整作業があったことを忘れるな。其方一人の力ではない」

「はいはい、わかってるわよ」



そのダミーの屋敷に入った者は術の影響を受け、そしてその事件を知った者は皆震え上がる。今後同じような不気味な噂が流れたとしても、同じような事態を恐れ、皆そのような場所には絶対に行かなくなるはずである。


「で、可哀想な犠牲者に選ばれたのは天狗の子たちだったわけだけど・・・意図して選んだのかしら?」

「うむ。腸の煮えくり返るようなゴシップを書いた輩だ。あれで相当な風評被害を受けた」「あらら、そんなことがあったの、迷惑な話ね。でも、上手い事誘導したわね、その天狗の子たち」

「やってほしい事と逆の事を言えば実に容易い。絶対にあそこには行くな、そう言えば粋がった奴らが確実に何人かは行く」

「単純な子たちねぇ」

「それにわざと傲慢で威張るように言った。案の定、『人間風情が何を偉そうに』と小馬鹿にしていた。某は退治屋といえども人間だ。見下されても仕方は無い」

「それで、見事トラップにかかった・・・お馬鹿さんねえ」

紫はクスクスと口に手を当てて笑う。

「まあ、年中戯けた騒ぎをしている天狗の奴らには良き薬になったろう。これに懲りたら、少しは自重するのではないか」

「そうだといいけどね。怖い目に逢ってもまったく反省しない子もいるし」

「反省しない子・・・」

ふいに真兵衛は口に手を当ててじっと考え込んだ。

「鈴奈庵のあの子ね」

「ああ、そうだ」


あの時、小鈴は屋敷の噂を確かめるために、真兵衛にも依頼をしていたのである。真兵衛はわざと法外な値段を吹っかけ、いかにそのダミーの屋敷が危険か説明したのだが、小鈴はどうも納得していない様子だった。


「あの子は・・・気を付けたほうが良いぞ」

「わかってるわ。賢者として、絶対に見逃せない」

紫の顔から笑顔が消えた。言葉通りの、妖怪の賢者の表情になっている。

「鈴奈庵自体が、いまや妖魔本の巣窟となっている。どうにも、それが結界の歪みと関係しているように思えてな」

「関係大ありよ。早く何かしら手を打つべきでしょうね」

「とりあえずは、急ぎ結界の修繕はしておく。・・・博麗の巫に悟られぬようにな」

「あら、そう」

紫は残念そうな表情を見せる。

「それくらいだったら、別に手伝ってもらったっていいじゃない。仲良くしなさいな、妖怪退治屋同士」

「妖怪の其方がそれを言うか」

真兵衛はギョロ目を閉じ、俯きながら呟いた。

「余計な仕事をさせる必要などない。・・・あやつはあやつで大変な思いをしている。それに、所詮某は妖怪退治屋とは言っても、引き立て役に等しいからな」

「・・・悲しいわね、お父さんの頃から汚れ仕事ばっかり」

「言うな。父者はどんな務めも誇りにしていた。・・・だが所詮、花形は博麗の巫よ。あやつが幻想郷の光とすれば、某は影のようなものだ」

「何格好つけたこと言っちゃってるのよ。あなたは十分輝いているわ。今回の仕事だって・・・」

「かたじけない」

真兵衛は寂しく笑うと、真剣な目つきに戻る。

「話が逸れたな。えーと、確か・・・」

「まずは代替えね。もう一回、ダミーの屋敷を用意したほうがいいかしらね?」

「いいや、しばらくは必要ないであろう」

「あら、そう。・・・影武者がいなくて平気かしら」

「今回の事件で、里の者はそういうのには相当気を遣うようになった。だが、真に気を付けるべきは・・・」

「本居小鈴」

「そうであったな」

真兵衛はふうと溜息をつく。

「鈴ちゃんは悪い子ではないのだが・・・好奇心の旺盛さが悪い方向に行くような気がしてな。なるべく危険な真似はさせぬよう、ちょくちょく様子は見ているが・・・」

「あらあら」

「今のところは大丈夫、とは思うのだが・・・。悪気は無い様子ではあるが、よく化け狸が店に訪れているのが気になっている。・・・そのうち変な妖怪までしょっ引いて来そうで、心配で仕方がない」

「うふふ、随分気にしてるのね、あの子のこと」

紫はクスクスと笑いながら、からかう様に真兵衛に言う。

「ロリコンさん」

殺気立った真兵衛の大きな眼が、紫の顔を矢のように見据えた。

「貴様のその舌、引っこ抜いたろか!」

「やだぁ、こわ~い」


下道荘の近く、例の屋敷のそばに、僕と小鈴は立っている。―ここから先は、結界が張られているために先には進めない。だが・・・

「うん、私ならもうちょっと先まで行けると思う」

霊夢は周辺の様子を探りながら、僕たちにそう言った。

「で?どうするの。正直、行っても意味ない気がするけど」

「・・・まあ、そうなんだよね。わかる事はもう無さそうだし」

「私も・・・。やっぱりいいです。もう終わったことですから」

術は全て真兵衛が解除したし、悪霊も退治されている。もはや屋敷には何も残っていないはずだ。

「まったく、術をかけた奴なんて気にしなくていいじゃない。っていうか、その術をかけられるのは紫と真兵衛さんぐらいなんでしょ?じゃあ犯人はもう決まってるじゃない」

「そんな乱暴な・・・」

「拝み屋さんは絶対違いますよ!あんな優しい人が・・・信じられないです」

「あのねえ、あの人だって退治屋なんだから、やる時は徹底的にやるわよ。それに色々前から裏でこそこそ何かやらかしてるみたいだし・・・あの人もそのうち妖怪化しちゃったりしてね。自分の体に呪いの術をかけて、『某は人間をやめるぞー』、みたいな感じに」

「そういえば前にありましたね、そんな事件が」

・・・酷い言われようだな。本人が近くで聞いていないことを祈る。

「ふふ、今のは冗談よ。まあでも、彼には結構感謝してるわ。異変の後の後片付けとか、そういうのを手伝ってくれるのは有り難いし」

後片付けというか、後始末と言うか・・・むしろ尻拭いに近いって本人は言ってたような気がするが。

「ま、この屋敷の件についてはもういいでしょ。大方、頭の悪い妖怪を懲らしめるための罠って所かしらね」

・・・本当にそうなんだろうか。天狗とトラブルがあったというだけで、・・・たったそれだけのことで真兵衛がそんな事をするというのか?それも、紫の協力まで必要になるというとてつもなく大掛かりな事を。


「何だ、ここにいるということはまだ気になるか、香霖のダンナ。お、博麗の巫と鈴ちゃんも一緒か」

おっと、噂をすれば・・・

「犯人が来たわね」

霊夢が苦笑している。

「真犯人は現場に舞い戻る、って奴ね」

「おい、失礼だろう!」

「止めて下さいよ、霊夢さん!」

「まあまあ・・・。もう良い。気にせずとも良い」

真兵衛は僕たちに向かって手を振った。

「新聞などは面白おかしく書いていたが・・・。結局里の者は、誰が術を仕掛けたかなど、単純に悪霊の仕業としか思っていないようだ。私も色々言われたが、もはや済んだことだし、ほとんど誰も気にしてはいない」

真兵衛は伏し目がちに言う。何日も天狗に追われっぱなしだったのが、ようやく落ち着いてきたようだ。

「まあ、とりあえずは里の者たちの教訓にはなったな。そうであろう?鈴ちゃん」

「は、はい。勉強になりました・・・」

「危険な場所に軽々しく入るもんじゃないと。・・・被害者は天狗共だったがな」

真兵衛は顔を上げると、ニヤリと笑った。・・・相変わらず気持ち悪い笑い方だな。

・・・まあ、とりあえずはこれで良かったのかな。わからないことはあるけど、これ以上考えるのはもういいかもしれない。

「さあて、某は菜園に行くとするか。女巫、薬草要るか?大量に生え過ぎたからタダで譲るぞ!」

「本当!?」

霊夢の顔が一気に明るくなった。貧乏な巫女さんはわずかなそういう支援がたまらないのだろう。

「勿論そちの分もたんまりあるぞ、鈴ちゃん」

真兵衛は小鈴に向かってニッコリする。・・・おいおい、なんでそういう時だけ営業スマイルなんだ。

「いいんですか?ありがとうございます!」

小鈴もパッと明るい笑顔を見せた。

「有り難いわねー、それじゃあ、お言葉に甘えちゃおっかなー、犯人さん」

「其方・・・」

真兵衛が苦笑いを浮かべている。あ、こりゃ霊夢の分はタダじゃなくなるかもな。

「ダンナ、其方も来るか?」

「ああ、もちろん」

僕は真兵衛と霊夢・小鈴の後を追い、下道の菜園へと足を走らせた。


「そもそも」

菜園への道中で、霊夢の声が僕の耳に響く。

「きっかけは、霖之助さんが拾った外来本じゃない。つまり、一番罪深いのは霖之助さん」

「なっ・・・!」

「そして、それを買い取って、色んな人の目に触れるのを作ったのは小鈴ちゃん。共犯よ」

「ええっ、それはいくらなんでも言い過ぎですよ」

霊夢の言い分も間違っているわけではないのだが・・・。噂が広まったのは僕たちに責任があるわけではない。完全な言いがかりじゃないか・・・

「こらこら、いい加減その辺にしておけ」

真兵衛が苦笑しながら言う。

「相変わらず一言多いな。・・・楽園の素敵な巫女」

真兵衛の顔つきが好敵手を見る表情に早変わりした。

「お互い様でしょ。・・・乱魔に塗れた呪術師」

霊夢も似たような顔を向けている。・・・同業者として、色々いざこざが絶えないんだろうか。

「はいはいはい、とにかく皆さん仲良く、みんな仲良くいきましょうよ」

小鈴がグイッと二人の間に割り込んだ。

「もうあの話題は忘れましょうよ。・・・あのことは」

小鈴はあの屋敷の方向へ、不安そうな目を一瞬向けた。

・・・うーん、やっぱりどうしてもすっきりしないな。あの事件は一体・・・。

「結局真相は、闇の中、か」

僕はポツリと呟いた。



(それは違うぞ、香霖のダンナ)

霖之助の呟きを耳にした真兵衛は思った。

(真相は、隙間の中、だ)

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