生への未練
”ドコにいった”?
すぐ側に居るはずの俺の姿がまるで見えていないような、気付いていないだけなのか。
「お、おい・・・」恐る恐る子供達に話しかける。
「とりあえず、家まで送ろうよ。ビショビショのままだと寒いだろうし・・・」
倒れている子供を起き上がらせ、数人で体を戸惑いながらも支えつつ、ゆっくりとこの場を去っていった。
見えていないだけでは無かった。俺の存在が消えてしまったのだ。
さっきまで話して、動いて、川を泳いでいたはずなのに、そんな事が一瞬で無かったように消し去った。
そうか、そうだ。俺は死んでいたんだ。さっきまで忘れていた。
そんな思い違いをしてしまう程、さっきの出来事は現実味があり過ぎた。
『運命を変えられたようだな』と、あの声がふと語りかける。
「そう、なのか?」川の流れをジッと見つめる。
『あのまま流され、川の底に沈み、3日間の捜索で見つかる子供だ』
「こんな事して、俺に何の得があったんだ?」
俺にしてみれば、今みたいに助けたとしてもその後には俺の存在は消えてしまう。
そんな事までして他人の為に運命を変えてやる事は、俺にとって何になるのだ。
『死んだお前がそんな事を気にしているのか?』
その言葉に俺は衝撃を受けた。
そうだ・・・俺は死んだんだ。この先の人生など、無いのだ。
自分にとっての有益さえ、無益さえ関係無いはずの存在なのに、何故そんな事を気にしていたのだ。
まるで自分が生きているような考え方をしていた。
さっきまで生きていたような錯覚に溺れていたせいだ。
『お前が運命を変えると判断したのは何故だ?ただ単に助けたかったからか?それともただ運命を変えてみたいと言う興味本意だけだったのか?』
「俺は・・・」
『どちらにしろ、お前はあの子供の運命、命を助けた事には変わりは無い』
「・・・・お前は何者だ?」
川から視線を離し、空を見上げた。
『知ってどうする?死んだ人間のお前が。ただの興味だけか』
「何で俺にこんな事をさせた?お前なら自分で出来ただろうに」
『・・・・私には出来ない。この世界で生まれていない者は、この世界に干渉は出来ない』
この世界に生まれていない?まさか・・・。
「神様・・・なのか?」
『私がどんな存在なのか、私にも分からない。ただこの世界の人間の運命や死を、見届ける事だけしか存在意義をなしていない』
コイツは自分を知らない。何故存在しているのかも分からないまま、誰かに言われたわけでも無いのに、何故コイツは・・・。
「運命を変えるとか、何でお前が人の運命を左右するような事をしているんだ」
『私だけで決められるような容易いモノではない、運命とは、扱いにくい生物だ。人間はその運命を飼いならす事は出来無い。だが、その中でも飼いならす事の出来る人間はいる。が、それは人間の領域を超えたモノが成し得る事』
「・・・・何が言いたい?」
『運命を意図的に変えるモノがいる』
「お前の事か?」
『無論。私以外にも存在するのも事実。だが、皆が人の為に運命を変えている訳では無い』
「どういうことだ?」
『・・・・人を殺める為に運命を変えているモノ達がいるという事だ』
「!」
運命は良い事も、悪い事も両方存在する。決して良い事ばかりが起こる訳では無い。
この世界は必ず表と裏が存在する。
損得・苦楽・明暗・生死・・・のように何か必ず裏が存在するのだ。
運命を良い方向に、悪い方向に変えるモノがいてもおかしく無い。
『人間の運命に手を加える事は、加えるモノの人生を大きく変えてしまう事になる。その運命が幸福に進むか、不幸に向かうかはそのモノ次第』
「弄った後はほったらかしかよ。無責任にも程があるだろな」
自分の意志で歩んでいる筈の道が、いつの間にか書き加えられていて、知らずに進み、それが幸か不幸かは己次第。まるで人生を賭けたゲームのようだ。
「お前達にとって、人間はおもちゃに過ぎないって言う事が、良く分かった。さぞかし神様は暇を持て余している暇神みたいだな!」
俺の中には怒りよりも憎悪が強くなった。生きる事は自由だと、死ぬ事も自由だと思っていた。
だが、その裏には何者かが弄り変えた世界で人間は弄ばれていたのだ。
「死んだのも、自分の意志だと言えたんだろうか・・・。俺は・・・」
『全てを思い通りに動かす事は誰にも出来ない。それが一人の人間であろうと。言った筈だ、この世界には私たちは干渉出来ない』
「・・・・」
『最初に聞いた筈だ、お前は何故死ぬ・・・と』
「・・・・」
『それはお前の意志では無かったのか』
「俺は・・・・」
あの時は、確かに死んでよかった。これで良いのだ。そう思っていた。
周りの嫌な事を忘れる為、解放されたいが為に死を選んだのだ。
だが、何故だろう。あの感覚が俺の脳に嫌という程残っているのだ。
息をする幸福感。生きている事の証、実感。
あれを味わった俺は、自分が生きていると言う錯覚を起こしてしまった。
死とは、この世界との決別。もう己として生きる事が出来ない終わりを意味している。
それを理解していた筈、なのに・・・。
「俺は・・・本当は・・・俺のままでいたかった・・・。生まれ変わりたいなんて思っていなかったし、このままの俺で、幸せな人生を歩みたかった。でも、あのまま生きていても苦しいだけだった。他にも色んな選択肢はあっただろうが、俺は・・・俺には無理だったんだ。誰かの為に役に立つ事なんて。やりたい事をやっても上手くいかない。上手くやろうとしても出来ない。自分が嫌になったけれど、何とか頑張って続けようとした。でも、結局駄目だった。俺は、俺に自信が持てなくなった。どうすれば幸せに、自由に生きる事ができるのか何度も考えた。結局時間だけが過ぎるだけで、答えは出なかった。他の奴にも話してみても、親身になってくれる奴もいない。絶望感から誰かに助けてもらいたかった。あの時俺は・・・」
消えてしまいたい。
そう心に囁いたのだ。それから俺は車を走らせ、樹海に向かいその奥へ・・・。
「あの時に俺は・・・死んだ?のか・・・」
『死んだと言えば嘘になる・・・が、今の状況で生きていると言えれば良いが』
「どういう意味だ・・・」
『今のお前の体、肉体は生きてはいるが、魂の無い存在になっている。お前の肉体は誰かに助けられ、どこかの施設に運ばれたが・・・あのままだとあの肉体はいずれは死ぬ』
「元に・・・戻せ無いのか」
『それはお前次第だ』
「俺・・・?」
『お前が本当に戻りたいと思えば戻れるが、その心に迷い一つでもあれば、戻る事は出来無い』
「そんな単純な事で戻れるモノなのか?」
『ただ思うだけとは違う。偽り、迷い、戸惑いを無くさなければならない。今のお前にそれが出来るか?』
「・・・・」
きっと今の自分では無理に等しい。今の俺の中には不安、迷い、焦りがある。
その感情を収まりきれていない自分が戻れるとは思っていない。
「どうしたらいい、俺は・・・」
『お前はどうしたい?』
質問を質問で返され、戸惑う。こういう会話が一番苦手だ。
自分が相手に問いかけているのに、相手はそれに答えようとはせず、その上「貴方はどう思う?」と聞いてくる。
こういう会話をしてくる相手は必ず、上から目線で話を進めてくる人間に限られる。
自分で考える事も大切だが、相手の意見を聞く為に問いかける仕草をしても、それを素直に答えようとはしない。
この時、相手は何を考えてそう聞いたのか理解出来ない。
己の中にある考え、答えを先に聞きたいが為に聞いたのか、それともその答えに対して意見を言いたいが為に聞いただけなのか。それは相手によって異なってはくるだろうが、俺はそういう人間が一番面倒くさく、苦手であり、嫌いだ。
コイツも何を考えて俺に問いかけ、何を言って欲しくて聞いたのだろうか。
「俺はこのまま死を迎える事は出来ない。俺は・・・い、生きたい。だけれど、今の俺にはそんな勇気は無い。しばらくは冷静に考えてから・・・」
『そんな時間、お前には無い』
「何?まさか、俺の肉体がもう持たないという事なのか?」
『それとは別だ。肉体よりも、お前の魂の方が持たなくなると言う事だ』
「どういう意味だ・・・」
『魂とは生命のエネルギーの塊であり、その人の記憶や意志を持つ見えないモノ。だが、それが永久に存在し続ける事は出来ない。いつかは朽ち、人の記憶にさえ残る事も無く、消えてしまう。その消えた魂は稀に生まれ変わり、また別の生を受ける。だが、お前のように自ら死を迎えたモノの末路は、消滅のみ』
「しょう・・・めつ・・・」
『生まれ変わる事も、魂のままで生き続ける事も許されずに、この世界へ戻る事は無い』
「そ、それって・・・俺が生き返られ無いって事じゃないか!あと、後どのくらいで俺は消えてしまうんだ!?この世界から!」
『魂とは生命のエネルギー。そのエネルギーが無くなれば自然に消えてしまう。魂は痛みを感じる事は出来無い存在であり、そのせいで己のエネルギーの限界に気づかずに消滅し、目覚める事の無い眠りにつくのだ。お前の魂はまだ保たれてはいるが、いずれは消えてしまうだろう。それがいつかは私にも分からない』
「どう、・・・どうすればいい?どうすれば俺は消えずに、魂のままでいられる?」
俺は必死に問いかけた。こんな所で消えたく無い。出来るだけ、少しでも長くいたい、存在していたい。
すると俺のいた場所の景色がスーッと消しゴムで描いた絵を消すように消えてゆく。