教えてあげる
「本当だ。花火の音が聞こえるね」
生き生きとした顔で、吉永君が言った。
「でしょう? 花火大会、行きたかったなぁ」
すねて、砂をスニーカーのつま先でいじっていると、
「僕たちの花火大会を再開しよう」
そういうと、吉永君は花火の入ったビニールを手に持ち、私に差し出した。その中から一本取り出すと、ろうそくの火を使って花火に火を付けた。
一本の花火が火を噴き出すと、とたんに公園は明るさを取り戻した。ジャングルジムやブランコがスポットライトを当てられたように、光って見える。
吉永君も花火に火を付けた。すると、公園に誰もいないのを確認すると、公園の中央まで走って行き、花火で何かを空中に書き始めた。
いったい、なんて書いたのだろう。
「今、何を書いたの?」
私が尋ねると、
「当ててみて」
もう一度、吉永君が空中に花火で文字を書き始めた。花火から出る煙がぼんやりと文字を形作っていた。
「ご・う・か・く。合格だ!」
「そう。僕たち二人とも、行きたい大学に行けるようにってね」
正直、今だけは、大学受験のことは考えたくなかった。しかし、吉永君は花火大会でも、受験のことを忘れてはいなかったようだ。
文字が書き終わったところで、吉永君の花火が終わってしまった。
気がつくと、もう花火は数本しか残っていなかった。
「もうすぐ、終わっちゃうね」
「足りなかったら、もう少し買ってこようか?」
さみしそうに私が言ったからか、吉永君は優しく言ってくれた。
「ううん。大丈夫」
と口では言いながら、本当はもう少し吉永君と一緒に花火大会をやりたいと思っていた。
最後の線香花火は、ろうそくの前でしゃがんだまま二人並んで火をつけた。
「どっちが、先に落ちるか」
と、吉永君は言うと、顔をゆがめた。
「受験生の禁句を言ったな」
「あ、ごめん・・・・・・」
本気で落ち込んでいる吉永君の顔をまっすぐに見つめた。受験のことが不安で仕方がないのかもしれない。私だって、不安だ。だけど、今は吉永君と一緒にいられる時間がうれしい。
線香花火対決は、私の負けだった。私の線香花火のほうが、先に終わってしまった。
「私の負けだね」
「そうだね」
ビニール袋には、まだ線香花火が残っている。すぐに一本取り出して、火を付けた。
「やっぱり、しめはこれだよね」
自分の線香花火を見つめながら、つぶやいた。
「あぁ・・・・・・あぁ! 終わっちゃった」
ついに、吉永君の線香花火も終わってしまった。吉永君もすぐに、新しい線香花火を取り出した。
公園の中にパチパチと線香花火の音が響いた。遠くから聞こえる花火大会の音と混ざり合って、少々騒がしいような気がした。
「ねぇ、吉永君。手話って知ってる?」
突然、話題が変わって吉永君は驚いた顔をした。
「え、手話って、耳の聞こえない人がやる、あれ?」
「そう。吉永君は知ってる?」
「いや、知らないな」
花火越しに、吉永君が私を見ている。
「私、ちょっとだけ知ってるんだ。前に、本屋で手話の本を立ち読みしたことがあるから」
「へぇ、そうなんだ」
だんだんと吉永君の表情が明るくなってきた。
「教えてあげよっか。簡単な手話ならちょっとだけ覚えてるから」
「うん。先生、教えてください」
軽く吉永君は頭を下げた。
私の線香花火が、ちょうどいいタイミングで終わってしまった。
「じゃあね。好きと嫌いって手話を教えるね」
吉永君の線香花火も終わってしまった。ろうそくの火だけとなった。
「まずは、好きからね」
と言いながら、私は右手の親指と人差し指を喉元に持って行き、親指と人差し指を開いていた二本の指を閉じた。
「これが、好き」
「ふぅん」と言いながら、吉永君が真似してやっていた。
「次は、嫌いって手話」
好きとは逆に閉じていた二本の指を喉に向かって開いた。
「これが、嫌いって手話」
私が言うと、吉永君はこれも真似していた。一見、やる気のなさそうな表情を吉永君は見せているけれど、ちゃんと真似してくれていた。
「使うことは、ないかもしれないけどさ」
残っている線香花火を手に取り、私は一人で線香花火を楽しみ始めた。吉永君は、好きと嫌いの手話を交互にやっている。
私が言いたかったことを吉永君は受け取ってくれただろうか。その表情を見る限り、私が吉永君に好意を持っていることに気づいてはいないようだ。