瞳先輩
もう帰っては来ないとわかってはいても、私は何度となく高校時代の恋を思い出していた。こんな私は、おかしいのだろうか。未練がましいのだろうか。そして、忘れられない男が原因で、恋が長続きしないのは罪なのだろうか。
月がきれいな夜、一人ぼっちの夜。テレビもつけずに、窓際でぽっかりと浮かんだ満月を見ていた。
私の穢れた心を洗って欲しい。
心の中で、呟いた。
仕事帰りに買った烏龍茶の缶を手に持ち、窓辺に座る。月の光を感じながら、忘れられない恋を懺悔する。
ぷるるるっとリビングのテーブルに置いておいた携帯が震えた。バイブのままにしていたことを今思い出した。
烏龍茶の缶を床に置き、テーブルに置いてある携帯を手に取り、液晶画面を見ると、メールを受信したと書いてあった。すぐにメールを開くと、瞳先輩からだった。
金曜日の夜、二人で食事でもしないかって書いてあった。特別な用事も入っていないので、すぐにOKの返事を書いて出した。
返事はすぐに来た。7時にいつもの居酒屋でと書いてある。私は、了解と返事をした。
瞳先輩に、忘れられない恋を話そうかどうしようか。双葉先輩には、ずいぶん前に初恋の話をしているんだ。瞳先輩にも話した方がいいだろう。
今度の金曜日、瞳先輩に話してみよう。
あっという間に訪れた金曜日。天気は曇り。慣れつつあるウェディングプランナーから、瞳先輩の大学時代の後輩へと変身する。
かすかに吹くひんやりとした風に身震いしつつも、早足で瞳先輩との待ち合わせ場所へと急いだ。街を行く人を追い越し、時にはぶつかったりしながら、心の中にあるモヤモヤとともに私は進んだ。
「なっちゃん!」
私を呼ぶ声が、遠くから聞こえてきた。私は、その場に立ち止まり、あたりを不安げに見まわした。
数秒後、勢いよく後ろから私の両肩をつかまれた。
「先輩!」
振り返ると、瞳先輩がいた。
「久しぶりだね。元気だった?」
「えぇ、瞳先輩は相変わらず元気そうですね」
「うん!私は、すっごく元気よ」
瞳先輩の元気は、双葉先輩から作られているのだろう。二人の関係は、いつも冬の私と違っていつも春なのだろう。
「ね、早くお店に行こうよ、ね」
「は、はい」
瞳先輩の元気に少々押されながら、瞳先輩に腕をつかまれ、大学時代からよく行くチェーン店の居酒屋へと向かった。
居酒屋は混んでいた。値段が安いからか、大学生が多い。大声で騒いでいる声を背に受け、窓際の席に案内された。
「ずいぶん会ってなかったでしょう?そろそろ会いたいなって思っていたのよ」
私のことをそんな風に思っていてくれる瞳先輩の愛情が、冷えた私の心にしみた。
「この間、双葉先輩にはあったんですよ」
「聞いたわよ。また、彼氏を振ったんですって?」
「人聞きの悪い言い方しないでくださいよ」
冷や汗をかきながら、メニューを広げ、近くにいる店員に適当に私が注文した。瞳先輩は、梅酒サワーを必ず最初に飲むことを覚えていたので、それももちろん頼んだ。
あのことを相談するチャンスだ――瞳先輩から、双葉先輩から私が今独り身だということは伝わっているのだから。
「実は、瞳先輩・・・・・・」
「何?急に改まっちゃって」
背もたれにどっぷりともたれた瞳先輩が、きょとんとした表情で私を見ている。ほんの少しだけ、今はやめておこうという気になったが信頼できる瞳先輩に今の自分の気持ちを聞いてほしい気持ちが勝った。
「私、忘れられない人がいるんです」
「・・・・・・ええっ!」
瞳先輩が突然、体を飛び上がらせた。私の言葉が呑み込めていないらしく、瞳先輩は口元を忙しくぴくぴくと動かしている。
「もしかして・・・・・・、それで、誰と付き合っても長続きしないって言うんじゃ」
「そのとおり・・・・・・です」
頭を抱えたと思ったら、突然頬杖を突いたりと、瞳先輩は全く落ち着かなくなってしまった。
「その忘れられない人とは、連絡をとったりはしているの?」
「いいえ、もうどこにいるのかもわかりませんから」
「そう」
珍しく、瞳先輩がテーブルを指でリズムよく叩いている。口元を頬杖で隠し、店内の遠くのほうをぼんやりと見ている。
「だったら、もう完全に忘れるべきだと思うんだけどなぁ」
独り言のように、瞳先輩が言った。
「はい。自分でもそう思うんですけど、それがなかなかできなくて」
「だって、もう会えないんでしょう?」
「はい」
「目の前で、なっちゃんを愛してくれる人のことだけを考えてほしいな」
ふつうは、そうするべきなんだと思う。なのに、私はそれができずにいる。そして、こんな自分が情けなく思える。その上、人の幸せをプロデュースしようって言うんだから、我ながら何を考えているんだろうと思う。
「そうなんですよねぇ」
うつむいて、私が言うと、瞳先輩が頬杖を突くのをやめて、私をまっすぐに見た。
「思い出はね、美しいほうがいいのよ。現実に疲れた時に、美しい思い出を思い出せば、疲れだって美しい思い出にかき消されちゃうわよ」
美しい思い出――初恋の思い出は、私にとっては美しい思い出だ。ならば、美しい思い出を汚すことなく、このまま大事に取っておいて、小出しに自分を励ますように使っていけばいいのかもしれない。
「そうですよね。美しい思い出をこのまま取っておいて、目の前の人を全力で支えていけばいいですよね」
「えぇ。なっちゃんになら、きっとできるわよ」
「なんだか、肩の力が下りたような気がします」
「よかった!さ、飲もう!」
ようやく威勢よく二人だけの宴会がスタートした。