初恋が始まるとき
「この桜の木の下で、3月31日に会おう」
これは、私が言ったセリフだ。いまだに、この台詞が私の頭を支配している。
初恋の男性に言った言葉、そして、私を苦しめる言葉でもある。
この台詞の後、初恋の男性とは一度も会えなかったのだ。
私が高校3年生の時、大学受験のために、予備校に通うことになった。友達と一緒の予備校に通うことにはなったが、講義は別々になってしまった。心細い気持を持ちながら、私はひとりで予備校に通うこととなった。
授業はとても広い教室で行われた。高校の教室の2倍くらいの広さの教室だった。
引っ込み思案な私は、後ろの方の席にちょこんと座った。最初の授業は、早めに予備校についてしまったので、他の生徒は数人いるくらいだった。
周りをきょろきょろしながら、私は机の上に鞄を置くと、テキストとルーズリーフとペンケースを出した。鞄はあいている隣の席に置いた。
数人ではあるが、教室には人がいるのに、気味が悪くなるほどしんとしていた。静けさに押しつぶされそうになりながら、テキストを広げて、今日やるであろうページを読むことにした。
友達と一緒の講義を受けたかったなと考えながら、テキストを黙って読み進めた。こうしてひとりでテキストを読んでいると、一人の方が気が散らなくていいなと思い始めた。
次第に教室はにぎやかになってくる。もちろん、騒いでいる人がいるというわけではなく人が増えただけのこと。これから1年間、同じ教室で一緒に勉強をする人たちが集まってくる。
でも、彼らは仲間であると同時にライバルでもあるんだ。こんなに人がたくさん集まっているのに、本当は孤独なのだ。
講義が始まる5分前、私の目の前に一人の男子が座った。
今思えば、このときの印象をもっと強く残しておきたかった。目の前に座った彼のことを最初から覚えておきたかった。
講義が始まると、最初に先生がプリントを配った。とはいえ、適当に前の席の子にプリントの束を渡すと「適当に後ろで調節して」と言っていた。
私の列は何と私が一番後ろであった。私のところはぴったりプリントの枚数が合うといいなと思いながら、プリントが自分の所まで来るのを待っていた。前の子からその後ろの子へ、規則正しい動きでプリントは後ろに回されている。
私の前の席までプリントが配られ、次が私の番。すると、前の席でプリントが止まった。もしかしたら、ここの列はプリントが足りなかったのではないか。あまっている列に行ってプリントを一枚もらいに行こうかと思っていると、前の男子が振り向いた。そして、私にプリントを一枚だけ渡してくれた。
プリントが足りなかったわけじゃないんだ――と、思っていると、前の席の男子が立ち上がり、窓側の列の最後尾に行った。窓際だけがかなりの量のプリントが余っており、その男子は一枚プリントを持って自分の席に戻った。
前の男子のやさしさをその時、私は感じた。普通なら、一番後ろの席である私が、他の列にプリントをもらいに行くはずだったのだから。
それが、彼に対する第一印象だった。
その日の講義は、彼を意識しながら聞いていた。ノートを取りながらも、先生の話を聞きながらも、彼を意識していた。
単純かもしれないけれど、それまでの私は男子に同性としてしか扱われてもらえなかったから、対処方法がよくわからなかったのだ。
これが、恋の始まりだったのかもしれない。しかし、それはとても苦くて切ない味の恋だった。