淡い光の下
穏やかな空気の流れる場所に、連れて行かれた。吉永君のお勧めのお店は、淡い光に包まれており、うるさくないところだった。
店員に案内されて席に着くと、自然と私の口から、
「へぇ、いいお店だねぇ。彼女とは、よくここにきているの?」
と、言っていた。
自分でも不思議なくらい肩の力が抜けた状態で、吉永君の彼女のことを口にしていたのだ。高校生の時に、あんなに恋い焦がれていた人の彼女のことを平気で聞ける。そんな自分が少し恐ろしく思えた。
「え、ま、まあね」
露骨に動揺して、吉永君は何度も座りなおした。私とは、ちっとも目を合わせようとしない。
あまり、聞いてほしくはなかった質問だったのだろう。それに、私がそんな質問をするとは夢にも思っていなかったに違いない。
「お勧めは、何?」
気を取り直して、メニューを取り出すと、吉永君に向けて開いた。
まだ、落ち着きを取り戻していない様子だけれども、吉永君は顔を引きつらせながらもメニューにしっかりと目を落としていた。
「ねぇ、吉永君」
少し強い口調で吉永君を呼ぶと、今起きたかのような驚いた表情を私に向けた。
「え、何」
「まったく、人の話聞いてなかったの?ここのお店のお勧め料理は何かって聞いたじゃない」
「あ、ああ。えっと・・・・・・」
妙に、吉永君は動揺している。向かいで見ている私に、手にとるようにわかるその態度。吉永君は、いったい、どうしたというのだろう。ウェディングフェアの時と言い、今と言い、これから結婚する幸せな人には、到底見えない。
結局、注文を取りに来た店員のお勧め料理をいただくことになった。
和食のお店で、テーブルとイスは黒を基調としており重厚感がある。そして、ぼんやりと光を放つ、淡いロウソクの様な光に包まれている。
ぼんやりと映る吉永君は、どことなくそわそわしているように見える。
「ねぇ、吉永君。これから結婚する人なんでしょう。その割には、全然笑顔じゃないわね。男性版のマリッジブルーにでもなった?」
茶化すように意地悪く言っても、吉永君はにこりとも微笑まず、じっと私を見つめた。
「本当に、そうなの?」
心配になり尋ねてみると、
「いや、それは違うよ。ただ、こうして久しぶりに会えたことが、もしかしたら、運命なのかもしれないなって思ってね」
器用に背もたれに肘をつき、体をのけぞらせて吉永君は、もう片方の手でテーブルを軽く楽器のように叩いた。
この再会が、運命だとしたら、それはいったい、どんな運命だというのだろうか。まさか、本当の結婚相手が、私だと思っているとか? まさか、それはいくらなんでも考えすぎだろう。
しかし、意味深なその言葉は、私の喉にしっかりとひっかかった。
「運命なんて、大袈裟だなぁ」
「そうだな。でも、会えてうれしいよ。聞きたいこともあるし」
水を一口飲もうとしたときだった。
私に聞きたい事とは、いったい、なんだろう。
「何? 聞きたいことって」
聞き返してから、水を飲んだ。氷が入っていて、とても冷たい。のどを通るときにひんやりと体にしみわたっていくのを感じた。
吉永君は、座りなおして、テーブルの上で手を組み、唇を軽くかみしめた。
何か、聞きづらいことでも聞こうとしているのだろうか。私の心臓が、急に強く早く動き始めた。
吉永君の唇がかすかに動き始めた時に、
「お待たせしました」
店員が、飲み物を持ってきた。
吉永君は、ビール。私は、梅酒だ。
「まずは、乾杯でもしようか」
なぜだろう。私は、吉永君の話題をさえぎるように、出てきたばかりのグラスを手にもった。
「そうだな」
にこりと笑うと、吉永君もジョッキを手にもった。
「さて、何に乾杯しようか」
吉永君が尋ねてきた。
「そうだなぁ。やっぱり、久しぶりの偶然の再会にじゃない?」
「よし、決まりだ。久々の再会に、乾杯!」
堂々とした口調で吉永君が言うと、私たちはグラスを合わせた。カチンとかたい音が小さくした。
そして、お互いに一口飲むと、話題は、元に戻った。
「で、さっきの話の続きだけど」
やけに冷静な口調で吉永君は言った。その冷静さが、不気味に感じる。
「何? 話しって」
梅酒のグラスを持つような、持たないようなしぐさをしながら、落ち着かないでいた。
「覚えているかな。高校生の時にした約束を」
「約束?」
「あ、忘れているな。冷たいなぁ」
吉永君と過ごした、甘酸っぱい記憶なら、すべて覚えているつもりだった。その中で、約束と言ったら、予備校で最後に会った日のことしか思い浮かばない。
まさか、吉永君は、今でもあの日のことを忘れずにいるということなのだろうか。
「ごめん。で、約束って何?」
とぼけて聞き返した。いじわるかもしれないが、ここはひとつ慎重に行きたかったのだ。
「大学に合格したら、予備校近くの公園にある大きな桜の木の下で会おうって、そう言ったじゃないか」
言い終わると、吉永君は、またも唇をかみしめた。
やはり、あの約束だったのだ。
「それかぁ。それだったら、ちゃんと約束を守ったわよ」
「守ったって?」
「私、どこの大学にも受からなかったから」
「・・・・・・」
一瞬の沈黙が走る。そして、
「そうか。だけど、それだったら約束なんて破っちゃえばよかったんだよ」
「え?」
「大学に受からなくたって、会いに来てくれればよかったのに」
「・・・・・・」
吉永君の力強い言葉に、言葉を失った。
「俺、ずっと待ってたんだぞ。何時間も。連絡先がわからなかったから。ただただ、桜の木の下で待つしかなくて。ここで待つしか、日比野さんに会う手段がないから。ずっと、ずっと待ってたんだぞ」
そういう吉永君の瞳は、赤くなっていた。
「ごめん。言いだしっぺだから、なんだか、行きづらくてね。浪人するなんて、とてもじゃないけど、言えなかったんだ」
お互いにうつむいていた。きまづくて、私は梅酒を一口飲んだ。何の味も感じなかった。