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吠えない蝉  作者: 野間義之
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 高座渋谷の駅舎を出たところで携帯を見るが、返信は来ていなかった。

「なんだよチクショー」ついの口癖に靖男(やすお)は軽く自分の頬を張った。「いかんいかん」

 口癖で悪態を吐くような父親だと嫌われたくない。

 ほどなくして公園が見えてきた。出入り口付近に人の姿はない。

 靖男は入口から公園を見渡す。園内には照明灯が数本あるきりだ。隣合わせた家からの灯りとともにぼんやりと遊具や砂場を照らしていた。

 杏子の姿は見えない。

 遊具をはさんだ反対側で高校生ぐらいだろうか、少年が一人、照明灯の下でギターの弾き語りをしている。

 なんとなく聞き覚えのある英語の歌を耳にしながら靖男は「強気だなぁ」と苦笑する。

 最近は弾き語り自体あまり見かけない。ちょっとした物音でも公殺するされるに発展しかねないこのご時世だ。おそらく怖い物無しの十八歳未満なのだろう。

 音楽に無関心な靖男だが、アコースティックギターにはどうしても敏感になってしまう。松川修也が抱えていたのもきっとあんなギターだ。

 胸が絞られる。

 はやく家に帰ろう。公園内を改めて見回すがやはり杏子の姿はない。

 隅のトイレに近づく。このなかだろうか。しかし入って確かめるのはさすがに躊躇われた。靖男は携帯電話を手に取る。

 それまでミドルテンポな曲を奏でていた弾き語りの少年が、今度は力強いリズムでギターを弾き始めた。

「うるさいなー」

 少し苛立ちながら杏子に電話をかけてみる。つながったが、出ない。トイレからも音は聞こえてこない。

 ふと、靖男は背後からの呼び出し音に気づいた。

 振り返るが、しかし弾き語りの少年がいるだけだ。


 ひっとごーろーしー ひっとごーろーしー


 少年が歌いだした。高音がちな歌声から一変して低い作り声、巻き舌のガラの悪い歌い方だ。

 人殺し人殺し、と連呼していることに気がついて靖男の手足が粟立つ。後ろ暗さも手伝って癇に障る。


 ひっとごーろーしー ひっとごーろーしー

 アンタは誰に 言われ殺す?

 ひっとごーろーしー ひっとごーろーしー

 おクニの為と 言われ殺す


 靖男はぎょっとした。

 自分に向けられているような歌詞に。

 そして歌う少年の足元を見て。

 死んだ貝のように口を開けたギターケースのなかで何かが光っている。携帯電話だ。聞き覚えのある着信音。

 靖男が呼び出しを切ってみると、むこうの携帯電話も鳴り止んだ。もう一度かけてみる。するとむこうも鳴り始める――間違いない。あれは杏子の携帯電話だ。

 靖男は駆け寄り、屈みこんで手を伸ばす。

 すると少年の足がスーツの蓋を蹴り閉じた。挑発するようにケースの上に片足が置かれる。

 カッとなりかけた靖男はギターケースに刃物傷のような穴が開いていることに気付く。

 ちょうど去年の今頃の出来事が脳裏に()ぎる。

(まさか……)

 靖男は慄然としつつも少年の足の下からケースを強引に引き出し、鳴り続けている携帯を拾い上げる。

 間違いなく杏子の携帯だ。フリップを開くと『ヤスさん』と着信履歴が表示されている。

 通話を切り、立ち上がる。

 少年はキャップを目深にかぶり、靖男を無視するように手元ばかりを見て歌い続けている。

 ギターにも傷穴が開いている。



 胸を突いて  顔を見る

 誰だコイツ? 知らねーや



「おい」

 声をかけるが少年は無視して歌い続ける。



 家に帰って嫁とヤろう

 殺ったあとはー、ヤるに限るーう



「やめてくれ」

 掻き鳴らす右手を掴んで止める。

「この携帯持ってた人を知らないか!?」

 少年は歌を止めた。頭ひとつ以上小柄なせいでうつむき気味な顔はキャップの庇とその影で判然としない。

「知ってるよ」

 冷たく固い声だった。

「会ったのか? どこにいる?」

「ちゃんとその待ち受け、見ろよ。今井靖男」

 この少年は自分たちを知っている。それにギターの傷。そして今日、八月十六日という日。

 靖男は震えながら杏子の携帯の待ち受け画面を見て息を呑む。

 口をテープで塞がれた杏子が涙目でこっちを見ていた。床に座りこんだその腹部に試験管に似た筒状のものが何本も束になった物体が置かれている。

「なんだこれ!」

 怒鳴るが、少年は身じろぎひとつしない。

 靖男が少年のキャップをむしりとると、坊主頭の知らない顔が現れた。しかし誰だかは薄々わかった。

「誰だおまえ」

 訊く。そうであってほしくないと思いながら。

「松川智朗。おまえが殺した松川修也の息子だよ」

 重く、怨嗟を帯びた少年の声だった。

 靖男を見上げた眼は照明を鈍く照り返している。

 我知らず力のこもった靖男の手のなかで携帯電話がきしんだ。

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