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明日美は妊婦と背中合わせに座らされた。
それからさらに妊婦と手首同士をバンドで繋がれた。手が密着するほどではないが、それでもいよいよ動きがとれない。
のっぴきならない事態になったが、明日美はとにかく冷静になろうと努めた。状況はどうあれ、智朗に追いついたのだ。あとはなんとかして止めるだけだ。
一緒に縛られている女性は智朗の父親を公殺した仇の奥さんらしい。智朗がこの女性を傷つけるとはさすがに思いたくない。
「奥さんに罪はない」と言ってみても智朗にとっては冷静でいられる相手ではないだろう。
智朗が口にした『刑務所』というのは、仇の他にこの女性やお腹の子も殺して刑務所に行くということなのだろうか。
智朗は刃にタオルを巻いたナイフを後ろ腰に差すとテープを切った。それで口を塞がれる前に、とにかく智朗を説得しなくては。
「智朗くん」
「しゃべんな」
「お願い。この人の下になにか敷いて」
「はぁ?」
「妊婦さんだから! あんまり体冷やしちゃだめなの。毛布とか敷いて」
智朗は納得した顔で頷いた。
「それと、クーラーもっと弱くして。この人、動けないんだから。やさしくして」
「わかった。おまえは大丈夫か?」
「縛っといて大丈夫かとか訊く?」
「それは謝る。寒くないか?」
「だいじょうぶ……」
学校に行くために極力露出を抑えた格好だった。五分袖のカットソーに下はデニムをくるぶし上で巻いている。ちょっと動けば汗ばむほどだ。
「ほかには?」
「こんなこと、もうやめて」
「……それは無理」
智朗がテープを近づけてくる。
明日美は顔を逸らして抵抗する。
「自分も十八になったからって人を殺すの? そんなのおかしいって、智朗くんが一番よく感じてきたでしょ!」
智朗の手が止まった。
「一度だけ人を殺していいとか、法律が許してるとか、そんなのおかしいよな」
「自分もおかしいことしようとしてるんだよ?」
「ちがう」
「どこが!? わざわざ十八になるの待って、学校も辞めて、誕生日に人を殺すなんてサイテーじゃない」
「ちがう!」
「ちがわない!」
「ちがうッ」智朗の拳が明日美に腿近くの床を殴る。「オレはアイツを殺すよ。でも、ちゃんと殺す」
「意味わかんない!」
「オレは今井靖男を殺す。公殺権は絶対に使わない。ちゃんと捕まって、刑務所に入って罰を受ける」
公殺法施行前後に『公殺権放棄』や『公殺権不行使』を標榜してデモなどを行う団体がいたことは明日美もインターネット経由で知っている。そして、志を証明するには人を殺さなくてはならない皮肉さを揶揄されて尻すぼみに姿を消したことも。
「だったら、なんでわざわざ今日なの」
「今でも十八歳未満は刑法では未成年だ。それじゃ刑法に守られることになる。だから十八になるまで待った」
「それじゃ本当に犯罪者になる!」
「わかってるよ」
不意に低く落ち込む智朗の声に、背後で妊婦が身を震わせたのがわかる。
「アイツを殺して、でもアイツみたいにならないようにするには、こうするしかないんだ」
「でも……」
「刑務所に行ってもいい。こんな卑怯なことして、死刑になってもいい。でもアイツを殺せないで、アイツに殺されるのだけは絶対イヤだ! お父さんとお母さんに合わせる顔がない。おかしいとか卑怯とか、知るかそんなこと!」
智朗の眉間と鼻筋が憤怒に皺割れる。
明日美はひるみ、「でも」としか応えられない。
「ごめんな、巻き込んで。だから嫌だったんだ」
凶相を抑えた智朗は何度も何度も「ごめん」と謝り続けて、明日美の口にテープを貼る。
それから智朗は毛布を運んでくると、エアコンの風が直接当たらない場所に敷いた。二人が苦労してゆっくりとその上に移動すると、エアコンの温度を少し上げる。
女性の腹にタオルケットを掛けると、智朗は彼女の正面で土下座した。
「本当にすみませんでした!」
顔を上げた智朗は明日美を指差す。
「恨むならオレだけを恨んでください。復讐するなら、オレだけを殺してください。そいつは全然関係ありません。そいつにはなにもしないでください。お願いします」もう一度頭を下げる。「すぐ終わりますから、少しだけ、我慢しててください」
智朗は明日美の前に来た。
「こないだはあんなコトしてごめん。色々ありがとう。花も、ありがとな」かすかな涙声で、それでもおどける。「“ロンドン・コーリング”、なかなかよかったぞ。イントロは」
どうして最後にそんなことを言うのか。本当に頭にくる。ほかにないのか。
「じゃーな……城戸」
やたらと体を動かすわけにもいかずテープ越しにこもった声を飛ばす明日美に背を向けて、智朗は部屋を出ていった。
玄関の閉まる音に続いて、速足に外階段を下りる靴音を明日美は焦りのなかで聞いた。




