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吠えない蝉  作者: 野間義之
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 焦れること十分弱、ようやくホームに電車が入ってきた。席は充分に空いているが、のんきに座る気になれなかった。明日美(あすみ)は出入り口そばの手すりを掴み、また落ち着きなく体を揺らす。

『第一希望は刑務所。第二希望は火葬場』

 智朗(ともろう)の言葉が頭の中を重く転がる。

「やっぱり、誰か殺す気だ」

 それも二人以上。一人殺すだけなら公殺法で罪に問われることはないのだから。

 誰を?――父親を殺したという自衛隊員しか、明日美は思いつかない。

 公殺の代行を頼んだ男はもう病死していると言っていた。明日美が知らない、恨む誰かが他にもいるのだろうか。

 そして、火葬場という言葉――智朗は自分が殺される可能性も覚悟している。


 長後駅に戻った明日美は自転車で智朗の家を目指す。やがて到着するとスタンドを立てるのももどかしく自転車を放り出す。

「智朗くん!」

 庭から彼の部屋に向かって呼ばわるが、なんの応答もない。

 ウッドデッキに上がる。居間とつながる掃き出し窓の雨戸は開いているが、カーテンがかかっていて中は見えない。鍵もかかっている。ガラスを幾度か叩いてみるがなんの反応もない。

 明日美は一旦庭に下りて手近な植木鉢を掴むと今度は土足のままウッドデッキに上がる。そして躊躇なく植木鉢をガラスに投げつける。澄んだ音を立ててガラスが割れ、植木鉢はカーテンに絡んで近くに落ちた。

 蝉も鳴かない夏の息苦しい静けさに、暴力じみた音は雷のように明日美の耳朶を打つ。明日美は今更ながら腰が引けかける。

「ごめんなさい」

 詫びるとともに気合いを入れ直す。割れた窓から手を入れて鍵を外し、そのまま土足で居間に侵入する。誰もいない。智朗がやってくる気配もない。

 薄暗い廊下を進み、二階に上がって智朗の部屋の前に立つ。

 扉を叩くが返事はない。ドアを開ける。なかは暗かった。うっすらと見える天井照明の下まで用心して進み、紐を引く。

 電灯に晒された室内に明日美はゲッとうなる。

 とにかく雑然としていた。二年前と机、本棚、ベッドなどの配置は変わらないが、あちこちに本や紙、そしてダンベルなどの筋力トレーニング器具類が転がっている。

 家中総じて埃くさいが、特にこの部屋は顔をしかめるほど人間の、智朗の臭いがした。換気もシーツなどの洗濯もろくにしていないのだろう。カーテンを開けてみるが雨戸まで閉まっている。

 足元に散らばっている本などを見ると、ボクシングや空手といった格闘技の入門書の類だ。器具もこれらの本も以前はなかった物ばかりだ。

 紙を拾い上げて見た明日美は、自分の予感が的中していることを確信する。『公殺指南』という、様々な人殺しの方法が掲載されたサイトのページをプリントアウトした物だった。他の紙も似たような内容だ。

 机にはなにかの機械が分解されて工具と一緒に散らばっている。

 以前の智朗にはまるで縁のない、似合わない物ばかりだ。

 彼が誰をどうするつもりなのか、なにか手がかりになるものはないだろうか。

 机のそばに落ちている紙を拾ってみると、簡易爆弾の作り方が図入りで書かれていた。赤ペンで線を引かれた箇所には致死の火薬量などが書かれている。

「ばくだん……」

 あまりの、馬鹿馬鹿しいほどの現実味のなさに明日美は少し笑った。

 いくらなんでもと思うが、机上の機械や工具を見ると否定しきれない。

 机上のノートパソコンを立ち上げてみるがパスワードがかかっている。駄目で元々と何度か挑戦してみるがうまくいかない。

 諦めて一階へ駆け下りた明日美ははたと思いだして、階段脇に立つ。床に暗いシミが落ちていた。そばに明日美が持参した花が供えられている。

 手を合わせて智朗の母に拝む。

「おねがいします。智朗くんにバカなことさせないでください。助けてください」

 声が思うように出なかった。喉がカラカラだ。

 台所へ行き、冷蔵庫を開けると水の入ったペットボトルを見つけた。行儀は悪いがラッパ飲みする。口に含んですぐに水道水だと気づく。薬品の臭いと味がする。迷ったが、諦めて飲みこむ。

 壁に目をやるとカレンダーが見えた。今日、十六日の数字が花丸で飾られている。そしておそらくは智朗の母の字で『智朗誕生日』と書き添えられている。

 カレンダーの横に、明日美の知らない男性の写真がピン止めされていた。その男の顔に、千枚通しが突き刺してある。きっと智朗の父親を殺したという自衛隊員だろう。

 写真を壁から外す。壁はグズグズになるほど傷んでいる。写真を何枚となく換えては突き、換えては刺ししていたのだろう。 智朗の心底を垣間見た気がした。

 居間のパソコンの電源を入れてみたが、これもパスワードがかかっていて明日美にはお手上げだった。

 唯一の手掛かりである写真を凝視する。細かな穴だらけだがどうにか男の人相はわかる。見覚えがある。

「誰だっけ……誰だっけ……」

 ここ数日のうちに見かけた誰かだ。ややあって、思い当たる。

 優徒のアパートの向かいにいたあの若夫婦の男性のような気がする。確信は持てない。それでも他に動くあてもない。

 明日美は居間から外へ出ると雨戸を閉めた。割れた窓を晒しているよりは、いくらかましだろう。

 自転車で駅へ戻ると、ロータリーに一台だけ停まっていたタクシーに乗り込む。

 行き先を告げてタクシーが走り出すと、明日美はひとまず緊張を解いて後部座席に横倒しになった。鼓動が早く、大きい。

 よその家のガラスを割って侵入し、家捜しをし、勝手に写真を持ち出した。

 鞄からペットボトルを取り出して飲む。この水も結局盗んでしまった。

 完全に犯罪だ。近所の誰かに見られたかもしれない。警察を呼ばれたかもしれない。受験生なのに、なんてことをしているんだろう。

 しかし、今はとにかく智朗を見つけなくてはならない。

 拳を握って体を起こす。

「どれぐらいで着きますか!?」

 ヘッドレストを掴んで身を乗り出してくる明日美の鬼気迫る様子に、運転手は思わずひっと短く悲鳴を上げた。

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