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午後二時過ぎ。
明日美は長後駅から電車で数駅のところにある高校にいた。一年生の夏まで智朗とともに通っていた高校だ。九月からまたここに通うことになる。その手続きに訪れたのだ。
私服で学校に来るのはなんだか落ち着かない。知った顔に会いたいような、面倒なような微妙な心地だった。
真夏日の校庭には運動部の姿さえなく、吹奏楽部の気ままな練習の音が聞こえてくるだけで誰とも行き会うことなく職員室に着いた。
夏休みだからほとんど誰もいないだろうという想像に反して、職員室は席の半分以上に教員が着いていた。
明日美に気付いた男性教員が立ち上がって手招きする。
「おお城戸、こっちこっち」
一年時の担任・中島だ。今は三年生のクラス担任していて、学校側の配慮で明日美もそのクラスに加わることになっていた。そうなれば智朗とも同じクラスだ。
「先生ひさしぶりー」
「おう、元気そうだな」
両親と同世代の中島は、理科の教師だ。SFが科学に興味をもったきっかけだと公言していて、生徒と一緒になって映画や漫画の科学考証談議に華を咲かせることもある。温厚な性格で生徒からもわりと好かれているほうだ。明日美も親しみを感じている。
中島は明日美からイギリスの日本人学校で履修した内容をざっと聞き取り、大学入試の目安偏差値などをまとめたプリントを差しだした。
「さっそくでなんだけど、新学期までにとりあえずの進路を決めてきてくれ。大変かもしれないが、城戸の場合は帰国子女枠っていうのもあるから、その辺も視野に入れてな」
本当にさっそくだな、と明日美は少しげんなりした。
「それで、イギリスはどうだった?」中島が子供のような顔を見せた。「なぁなぁ、イギリスじゃ、あれ観れたのか?」
中島はいくつかの映画の作品名を挙げた。どれも日本で公開されることのなかった最近の海外製SF映画だ。
「観ましたよー」琴美はバッグから何冊かの映画雑誌を取り出す。「はい、お土産です」
中島が歓声を上げた。
「サンキュー! すげーっ! なんだよ、英語じゃん」
「当たり前じゃないですか」
「翻訳よろしく」
「えー! 受験生なのに」
「パンフレットとか買った?」
「ないんですよ。パンフとか前売り券って日本だけみたいですよ」
「マジで!? そうなんだ」
中島は雑誌をめくってぼやく。
「くそー、この映画、製作が決まった時から楽しみにしてたのにさー」
「いつか観れるときがきますよ」
「だといいけどな。それにしても、城戸もさびしいだろ。古賀も下山も大川も疎開しちまったからな」
この学校で親しくしていた友達だった。
「はい……」
「でも、生きていればまた会えるさ」
「そんなに疎開する人多いんですか?」
「ひとクラスに六、七人ってとこかな」
「そんなに……」
「誰かと会ったか?」
「智朗くん……松川くんと」
「そっか、仲よかったもんな」中島は眉間に皺を寄せた。「松川に、聞いたか?」
智朗の両親のことだと思った明日美は頷いた。
中島はこっそりと職員室を見渡すと、声を潜めた。
「よかったら教えてくれ。松川、理由はなんだって?」
「理由って、なんのですか?」
「だから、退学の。夏休み前に久々に学校に来たと思ったら、理由も言わずに退学届け出して帰ってくしさ。電話しても家に行っても、出ないから困ってるんだ」
退学届けという不意打ちが明日美の心臓を打った。
「親御さんがあんなことになって気の毒だけど、叔父さんとかは本人が行きたいなら大学にだって行かせたいって言ってるし、支援団体との交渉だってまだ間に合うから、なんとかしたいんだけどな……」
困り果てた様子の中島の言葉。
先日来の嫌な予感が一大事へと姿を変えた。
「先生、ごめんなさい。また来ます」
明日美は中島の呼び止めも無視して職員室を飛び出した。
校門を駆け抜けて駅まで走った。ホームでは電車が来るまで、もどかしさに体を揺らす。
今日はこのあとに思い切って智朗に会ってみようと思っていた。智朗の十八歳の誕生日だからだ。
十八歳――
日本國国民が、生涯に一度だけ人を殺す権利を得る歳。
そして、殺されるリスクを背負う歳。
ただし高校生は学校を卒業する来年の三月までなにも変わらない。だから今日の智朗も、昨日までと変わりはしない――そう思っていた。
しかしそうではなかった。




