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吠えない蝉  作者: 野間義之
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 八月十六日。九時過ぎ。

 最後の偵察から帰ってきた智朗はカレンダーの昨日の日付をバツで消し、母が生前に花丸で飾った今日という日を指で突いた。

 智朗の誕生日。一年前、父が殺された日。そして今日、仇を討つ。

 朝、いつもと変わらず仇は家を出てきた。尾行して駅へと消える仇の背中を見届けて、つぶやく。

「奥さんとの別れは済ませたかよ」

 まるで悪党の台詞だし、痛々しい言い回しだと我ながら苦笑する。

 智朗は踵を返すと、もう一度仇の住まうアパートの様子を見に戻る。仇の隣人がどうなったのか、気がかりだった。

 仇の隣室はカーテンがかかっていてなんの気配も発していない。昨夜様子を見に来た時もそうだった。

 地元の新聞やネットをチェックしたが、あの女性の安否に関する記事を見つけることはできなかった。だから――

(助かったんだよな)

 そう思いたかった。

 そして、自分の都合とはいえ誰かの命を救ったかもしれないことが誇らしく、嬉しかった。

(なにがあったのかは知らないけれど、死んでいいコトなんて、あるわけないよな)

 人の生き死に干渉することの是非を深慮しない少年がここにいて、そんな彼は今日人を殺そうと決意を固めている。


 午後一時。

 冷蔵庫を漁って食事を摂ったが、緊張のあまり吐き気が上がってくる。

「食わなきゃ」

 腹を小突いて強引に強引に体に押し詰める。

 最後に冷蔵庫に入ってままになっていたキュウリの精霊馬を取り出してかじる。

 本当は昨日十五日の晩に出して両親を送らなくてはいけなったのだろう。すっかり忘れていた。しかしこれでよかったのだと思う。盆の風習など気にもかけていないが、もし本当に父と母の霊なり魂なりがここに戻ってきているのならば、もう少しだけと留まっていてほしい。見届けてほしい。


 皺がよらないように用心して干したTシャツにカーゴパンツ。右手にギターケース。肩に必要な物を詰めたポーチバック。そしてキャップを被る。

 階段脇に立つ。花瓶がふたつ。活けている花は、昨日と玄関に置かれていたものだ。多分明日美が持ってきてくれたのだろう。

 あれから明日美とは顔を合わせていない。あんなことをしてしまったので、いよいよ愛想を尽かされて避けられても無理はないと覚悟していた。

 だから、こうして花をもらえるだけでも感謝するべきだろう。

 こじらせてしまった関係を元に戻すことができなかったのが心残りだが、もう時間がない。

 花を少し抜いて古新聞に包み、見えない母に黙祷する。

 念入りに戸締りと火の元の確認をした。

 スニーカーを履き外に出る。門の裏に立ち、父に黙祷する。

 そこの花瓶からも少し花を抜いて古新聞に包む。

 門を数歩出たところで振り向き、家に深く一礼して智朗は歩き出した。


 小田急線で大和駅へ。そこから徒歩で十分ほどの霊園へ。父と母の墓参りだ。訪れたのは母の納骨以来だった。

 ギターケースが場にそぐわず不謹慎さを放っていた。入口で係員から物珍しそうに見られたが仕方がない。

 墓は清められ、菊が供えられていた。おそらく親戚たちが昨日までに参ってくれたのだろう。先日に叔父が誘いにきたが、無視を決めこんだ。

 菊はまだ生き生きとしていて少し気がひけたが、それを抜いて代わりに明日美の花を差す。店で買った花よりも、この方が両親も喜んでくれるだろう。

 霊園の木桶と柄杓で水をかけると、陽光に炙られた墓石はすぐに薄らと蒸気を上げた。

 墓参りの作法や手順など知らない。線香を上げ、手を合わせる。

「いってくるね」

 それだけ告げると智朗は立ち上がった。

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