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吠えない蝉  作者: 野間義之
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 決行を明日に控えて、智朗(ともろう)は今日も偵察にやってきていた。

 デジタルカメラで辺りの風景を撮影している振りをしながら、やや離れた街路樹に隠れるようにして最大望遠でカーサ・デ・ソルを覗く。

 仇の部屋のテラスには薄いレースカーテンがかかっている。最大十五倍のズームでは判然としないが、そのむこうに人影が動いている。

 下には先日見た車が停まっていて、荷物を降ろしている仇が見えた。予定通りだ。ちょうど妻の実家から戻ってきたようだ。

 何事もなく仇は自分の手の届くこの場所へ戻ってきた。もはや神仏の類が自分の復讐に手を貸してくれているような万能感を覚えた。

 いよいよ明日だ。準備万端と言いたいところだが、不安要素もある。仇の隣に住む女だ。たぶん夜の街で働いているのだろう。大体いつも夕方に派手な恰好で家を出る。

 明日はあの女が出ていってから決行の予定だが、女の出勤は不規則だ。明日は仕事が休みかもしれない。状況次第では先にあの女の方をなんとかしなくてはならない。

 面倒な女の部屋を最大ズームで覗いてみた智朗は、そこでおかしな光景を目にした。

 外を向いてベッドに腰掛けた下着姿の女が、小瓶を口に当てて中身を一気にあおった。ドリンク剤の類かと思ったが様子がおかしい。すぐにベッドに伏せ、もがき始める。

 ついにベッドから落ちたが、見上げる角度ではもう見えない。

 智朗は動揺した。毒を飲んだとしか思えない。つまり――

「自殺!?」

 もうすっかり見慣れてしまった『カーサ・デ・ソル』での事件。

 智朗は考えを巡らせる。このままあの女が死んでしまったらどうなる。

 一人暮らしのようだから、もしかしたら数日は発見されないかもしれない。それなら明日の決行には影響ない。むしろ好都合だ。

 しかし真向かいのアパートからは丸見えではないのか。死んでいるのに気づけば当然警察に通報するだろう。明日、警察などにウロウロされたら今までの苦労が水の泡だ。

 明日、決行したい。

 助けた方がいいだろうか。どうやって。折り悪く仇が車と部屋の間を行き来しているので近づけない。

「自殺なんかよそでやれよ!」

 舌打ちとともに吐いた己の言葉に正気付いた。

 母は、階段の手すりからぶら下がって死んだ。

「あー! くそォ!」

 智朗は仇の目を盗むタイミングで向かいのアパートに近づき外階段を駆け上がった。

 女の部屋の真正面に位置する二階の部屋の呼び鈴を連打する。

「どなたですか?」

 玄関扉のむこうから警戒した女性の声がした。自分の姿がドアスコープから丸見えなことに気付いたが今更隠れればもっと不審だ。そのまま訴える。

「すみません! 人が死にそうなんです! 救急車を呼んでください!」

「えっ!?」女性はさらに警戒を強めたようだ。「どちらさまですか?」

「窓見てください! むこうのアパートの、二階に住んでる人が毒かなんか飲んだっぽくて!」

 息を飲む気配のあと、奥へと急ぐ足音がする。向かいの様子を見に行ってくれたようだ。

 智朗は気を揉んだ。ここからどれだけ様子がわかるだろうか。きちんと救急車を呼んでくれるだろうか。しかし出来るのはこれが精いっぱいだ。今むこうへ行けば確実に仇と鉢合わせしてしまう。

 仇を殺そうと燃えている自分が、その隣の見ず知らずの人間を助けようとしているちぐはぐさに気付く余裕はない。

 やれることはやったという思いで智朗はその場を離れる。

 外階段を足早に降りていると、扉が開く音に続いて「まって!」と呼び止める声。振り向き仰ぐとさっきの部屋から出てきた女性と目があった。四十前だろうか。ほっそりとした、誠実そうな印象の女性だ。

「いっしょに来て」

「すみません! オレは帰ります」

「まって! 名前を………」

「すみません! お願いします!」

 声を振り切って智朗は脱兎のごとく去っていった。

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