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「ただいまぁ」
「おかえりー。お昼は食べた?」
「食べた食べた」
居間からの母の声に応えながら明日美は玄関から自室へ直行した。 顔を合わせればなにかあったと見抜かれてしまう気がしたからだ。
ベッドに伏せると、様々な感情が襲ってきて、自然涙がこぼれた。ひとつひとつに考えこんでいるうちに、浅い眠りに落ちていた。
目を覚ますと、十六時過ぎだった。
鏡で目が赤くなっていないことを確かめてから明日美は居間へ顔を出すことにした。
廊下で父・直人と行き合う。トイレから戻ってきたようだ。
世間はお盆休みに入り、直人も家でのんびりしていた。
連れだって居間に入ると、ダイニングから母・紀子が直人に声をかけてくる。
「幸世さんから電話あったよ。料理できましたって」
「もう? 早いなー」
「約束は六時でしたから、取りに来るのはいつでもどうぞって」
今夜、直人は上司の家に招かれている。部署の者が集まって直人の帰還祝いがあるのだという。
それぞれが料理をひと品ふた品持参することになっていて、直人はそれを先日会った渡部幸世に頼んでいた。
「もうもらってくれば? その方が幸世さんも落ち着けるでしょ」
「そうするか」
直人が車の鍵に手を伸ばすと、明日美は手を挙げた。
「わたしも一緒にいく」
移動の車中。
「優徒くんのお母さんのお店に行くの?」
「いや、この間のアパートの方。お店はお盆の間お休みだって」
「それじゃおばさん、仕事じゃないのにご飯作ってくれたの?」
「ちゃんとお礼はするよ」
かつての同僚の遺族を少しでも助けようとしているのだと明日美にもなんとなくわかった。
「明日美はなんでついて来た?」
「うん、よかったら優徒くん、もらってくれるかなーって」膝上の紙バッグの口を開いて中を見せる。「イギリスのお土産」
気分転換をしたいというのが本当の理由だが、さすがにそれは口にできない。
「なんで優徒くんに?」
「ほんとは友達に買ってきたんだけど、もういない子が何人かいて」
直人がぎょっと目を剥く。「ホントか!?」
「ちがうちがう。そうじゃないよ! 疎開しちゃってって意味」
「なんだビックリしたよ」
未成年まで殺されているのかと勘違いしたのだろう。
「疎開ってどこに?」
「九州とか、四国とかだって」
「疎開かー。それもありなのかなー」
考えこむように直人がつぶやいた。
今の日本國において疎開とは、首都圏や大阪などの大都市に住まう者が主に本州以外の地方へ引っ越しすることを差す俗語と化した。
民間の調査会社が発表したデータによると、大都市ほど公殺権の行使が多いのだという。人口が多いほど様々な摩擦や事件が起きるのだからそれは当然ともいえる。
それでも人口と公殺件数の割合が単純に比例するかというというとそうでもない。人口一万人当たり、十万人当たりといった規模で公殺の発生件数を比較すると、東京・大阪といった大都市と地方都市では数倍から十数倍の差が出るという。
都会の人間関係は冷めきっている。対して地方はまだまだ人情が残っているからだ――そう安直に結論づける者も少なくない。
政府は公殺の発生件数など明らかにしないため、こういった数字は民間の気骨ある調査機関が独自に調査して割り出している。しかしそれは信頼性にかけるという声もあり、情報は日々錯綜している。
そんな中で、鳴かなくなった蝉の現象も相まって、蝉が鳴く場所は公殺が起きない・起こりにくいという風説がじょじょに広まった。
子供の将来のため、家族揃って、または子供だけでも都市圏から避難をという動きが日々強まっている。
もちろん経済的事情や生まれ育った土地でのしがらみによって疎開をできない者も多い。
疎開した者を臆病と叩く風潮と、疎開しない者を愚かと叩く風潮。いまだ様々である。
「お土産って言っても、女の子向けだろ? 優徒くん、喜ぶかなー」
「男の友達向けのもあったし。フィギュアとか」
「そんなにボーイフレンドがいたのか!?」
「友達だから。フツーに友達だから」
娘の成長に衝撃を受ける父に、明日美は面倒くさそうに応える。
「あの子とは会えたのか? トゥモローくん」
「うん……」
「元気にしてたか?」
「元気にはしてたけど……」
「あの子ならうちに連れてきてもいいぞ。彼は趣味がいい。音楽の趣味がいい人間に悪い人間はいない」
直人の持論によると、智朗はそう分類されている。智朗の父と音楽談義で盛り上がったこともあり、智朗は直人の覚えもめでたい。
しかしそれは以前の智朗だ。今の彼を見て、両親はどんな反応をするだろうか。
イギリスで明日美を襲った事件を思えば、今は明日美に男など近づけたくないだろう。それでも智朗に好意的なのは、彼が父親を殺されたと知っているからだ。同情の裏返しが作用しているのは間違いない。
さらに智朗が母親を失い、たった一人で暮らし、学校にも行かずなにかよからぬことを企んでいると知ればなんと言うだろうか。
智朗の状況は、もう明日美がどうにかできるレベルではないかもしれない。
思いきって父に相談してみるか迷っているうちに、車は渡部母子が暮らすアパートに到着してしまった。
「こんにちは、優徒くん。わたし、覚えてる?」
先日と同じコンビニで立ち読みをしている優徒を見つけて明日美は声をかけた。
優徒は頷いた。
「よかったら、もらってほしい物があるんだけど」
テーブルに優徒を誘って、イギリスの土産を見せる。
今の日本國では手に入りにくくなった海外のヒーローキャラクターのフィギュアやそのコミック、海外製のオモチャを優徒は大喜びで受け取ってくれた。
「お兄ちゃんとも分けてね」
「ほんとにもらっていいの?」
優徒は心配気に確かめた。子供ながらに明日美が自分に土産をくれる不自然さを感じているのだろう。
「うん。あげようと思ってた人がいなくなっちゃったから。お下がりみたいでゴメンだけど」
「その人、殺されちゃったの?」
「ちがうよ。遠くに引っ越しちゃっただけ」
小学二年生にこんなことを口にさせるこの日本國という国を、明日美は改めて異常で狂っていると思った。
ともあれ、歳相応に屈託のない笑顔でフィギュアをいじり始めた優徒。
その様子から外へ目を転じた明日美は、意外な人物を見つけた。
智朗だ。数時間前と同じTシャツに下は全丈のジーンズ。目深にかぶったキャップで顔を隠しているような印象を受ける。
照りつける陽光をものともしない無表情さと暗さで道を歩いてくる。
やがて街路樹に隠れるように立ち止まり、そこからなにかをゆるく見上げていた。
一分ほどそうしていた智朗は、明日美の視線に気づかないまま来た道を戻っていった。
「あれ、また来てたか」
店長が明日美のそばから智朗の背中を見てつぶやいた。
「知ってるんですか?」
「どこの子か知らないんだけど、よくあの辺やこの店のなかからジーっとあっちを見たり写真撮ったりしてるんだ」
「なにかあるんですか?」
「さーねー。あのアパートにちょっとキレイなお姉さんが住んでるんだよ。それを覗きにきてるのかもね。ストーカーってヤツかも」
店長は優徒に「ああいう人には近づいちゃダメだからね」と諭して離れていった。
明日美は店長の言葉を鵜呑みになどしなかった。
店を出ると、もう智朗の姿はなかった。
智朗がいた場所に立ち、彼が見ていたであろう辺りに顔を向ける。あるのは『カーサ・デ・ソル』という、一階二世帯、二階二世帯のアパートだ。
明日美はゆっくりと『カーサ・デ・ソル』のそばまで歩いていく。
『カーサ・デ・ソル』の二階、むかって右側のベランダにはシーツが干されていて、ちょうどそれを大柄な男性が取り込んでいた。そばにはお腹の大きな女性の姿も見える。子供の誕生を間近に控えた幸せそうな夫婦にしか見えない。
隣の部屋はカーテンが引かれ、一階はどちらも空き部屋になっている。
再び顔を上げると、二階の男性が明日美を見ていた。こんなご時世なので警戒しているのだろうか。
明日美は目を逸らして歩きだす。
辺りを見回すが目を惹くようなものはなにも見当たらない。
「智朗くん」胸が騒ぐ。「なにしてんの?」
「お待たせ」
のんきな声。『カーサ・デ・ソル』の向かいのアパートから直人が風呂敷に包まれた鉢盛を抱えて戻ってくるところだった。
「どうかした?」
直人に訊かれて明日美は「ううん、なにも」と首を振る。
優徒の母・幸世を訪ねて智朗を知っているか、見かけたことがあるか尋ねてみようかと一瞬考えた。しかしなにをどう伝えて、なにを確かめればいいのか。今はなにもわからない。
明日美は後ろ髪を引かれる思いで車に乗り込んだ。




