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智朗はためいきをつく。
原因は明日美だ。断る間もなく昼食の後片付けをしてくれた。そしてソファーでひと休みしていたかと思うと、うつらうつらし始めた。
「帰って寝ろよ」
智朗の邪険な態度も今更白々しくて、もちろん明日美は無視だ。
「具合がー……」
しつこく熱中症をネタにしてひっぱると、横になって目をつむる。ほどなくして寝息が聞こえてきた。
体調はもう心配ないようだが、起こして追い出すのも気が引ける。智朗は観念すると適温になるようリモコンをいじる。
タオルケットをかけると、明日美は寝ぼけ声で「ありがとう」と応えるが、適当に体に乗せて眠りに戻る。智朗は肩までかけ直してやる。
「警戒心ゼロか」
智朗が半ば感心するほど、見事にいぎたない。
『第一希望は刑務所、第二希望は火葬場』
痛々しい言い回しだったが、それでもよからぬことを、物騒なことを企んでいるのは伝わったと思っていたのに、これである。
普通なら面倒ごと・厄介ごとに巻き込まれまいと離れていくものだ。遠巻きにされることに慣れてしまった智朗は、明日美の距離感に戸惑ってしまう。
どうせ口だけだと軽く見られているのかもしれない。いい気分ではないが、あと数日で彼女も智朗の決意の程とその結果を知るだろう。国家転覆なんてだいそれたことは無理でも、新聞沙汰くらいにはなってみせる。
それにしても微塵の警戒もはじらいもなく寝ている明日美を見ていると、気負って遠ざけようとしていたことが馬鹿馬鹿しくなってきた。
(もう放っとくか)
どうせあと数日のことだし、明日美に危険が及ぶことはないだろう。決行の邪魔にならなければ、もういいような気がしてきた。
(どうせまた会えなくなるし)
ならば今ぐらい、こうしていてもいいんじゃないか。
高三になれば明日美が帰国することはわかっていた。
しかし一方的に別れのメールを送ってからは、明日美のことを考えることはあまりなかった。怨嗟の念に心の多くを奪われていた。
それにイギリスへ行っている間にこの国には公殺法が生まれた。城戸親子がもう日本國に戻ってこない可能性も、低くはないとまで思っていた。
それが、よりによってこんなタイミングで帰国してくるとは。予想外もいいところだ。
もし母が自死しなければ、もし父が今井靖男に殺されなければ、もし公殺法が生まれなかったら――今頃は長い遠距離恋愛が終わり、受験生なりに心躍る日々だったはずだ。
忌まわしいこと、辛いことばかりが続いたのだから、せめて少しぐらいは、幸せと思える、これぐらいのいいことがあってもいいんじゃないか――溶けた氷の汗のように、甘えが胸中の物陰から沁み出てくる。
ソファーで窮屈に寝返りした拍子に明日美の足が露わになる。ゆったりとした膝丈のデニムは腿の半ばまでまくれている。
好意を引きずる女子が目の前で媚態をさらしている――思春期の男子が心を乱さずにいるのは難しい。
(何度も来んなって言ったのに……)頭で言い訳を練り固める。(いいよな……いいんだよな)
明日美の腿に触れると、足が億劫げに逃げるが、それでやめられるはずもない。
手のひらで腿を撫で上げていく。汗のせいか、かすかに張り付く肌ざわりが劣情を煽る。そのまま裾から右手を差し入れる。すぐに指先が下着に届く。
左手で明日美の肩を押して横向きから仰向けにする。
さすがに目を開けた明日美は、しかしそれでも無表情で無反応だった。
智朗は勢いのまま胸を乱暴に掴み、もみしだく。右手は完全にデニムを押し上げて足の付け根近くまで露わになっている。指先は茂みの感触に包まれ、それを弄んでいる。
唇を明日美の首に落とす。
「ゴムないけど、気をつけるから」
意思表示しても明日美はなにも応えない。物足りなさを覚えながらも、唇を彼女のそれへと近づけていく。顎の輪郭までねぶり上がったとき――
明日美が悲鳴を上げた。驚きや戯れであげる類の声ではなかった。耳をおおいたくなるほどの、理性のない、拒絶と怯えに満ちた悲鳴だった。
智朗はびくりと身を引いた拍子にバランスを崩してソファーの傍らに尻もちをつく。
「びっくりした……ごめんごめん」
腰をさすりながら智朗はおどけ半分に謝るが、明日美の様子は尋常ではなかった。すがるようにタオルケットをかき抱き、体中の関節を折りたたんで小さくなり、震えている。
「どっ、どうした?」
自分のせいなのはわかっているが、ここまで明日美に拒絶されるとは思いたくなかった。なにか他にも事情があるということにしたかった。
しかし明日美は目を閉じたまま怯えるばかりで、なにも応えてくれない。
「ごめん……ごめん」
智朗はもう手を差し出すこともできず、ただただ狼狽して謝ることしかできなかった。
しばらくして、明日美はただ首を振って智朗の謝罪に応えた。
あまりのきまり悪さに智朗はダイニングへ向かうと、今更ながらにもてなしの準備を始めた。冷蔵庫を探っていると、リビングから明日美の声が飛んできた。
「帰るね」
なにごともなかったような、普段通りの明るい調子にむしろギョッとして振り返ると、明日美はもうリビングを出ていこうとしていた。
玄関で追いつくと、明日美は靴を履き終えてこっちを見ていた。
面は笑みの形をしているが、その下にまだ恐慌が潜んでいるのを繕いきれていない。
「ごめん」
「ううん、またね」
明日美は小さく手を振り、帰っていった。
もう来るな、とは言えるわけがなかった。
ドアのむこうで明日美が自転車のスタンドを上げる音を聞いても、言葉はなにも浮かばない。
走り去る気配がしても、動くことができなかった。
またひどいことをしてしまった――申し訳なさと後悔と羞恥心に駆られて、智朗は自分の頬を何度も張った。




